表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/92

【第5章 第4話】無名の来訪


夕方、川霧が灯りの色をやわらげるころ、ぼくらはβの外側に細い輪を足した。

新しい道——γループ。看板は短く、わかりやすく。


《共通印》で開きます。

人の名前はいりません。

「見たこと(証)」と「いつ(時間)」が二つあれば、通れます。


セレネが指で鐘を軽く鳴らす。澄んだ音が一度だけ揺れ、屋台の灯りがふっと明るくなった。

「音と灯、いいね。目と耳で合図が取れる」


『観測側も連動済み。二で開示、三は閉』ノアが頷く。


ぼくは継承鍵を半回転させ、線と線をやさしく結ぶ。

「《結時むすびどき》——配給↔受け口(γ)」


端末《γ:接続/請求:標準/摩耗:監視ON》


ほどなく、小さな行列ができた。

配給を受け取った母子が、胸を押さえて笑う。「今日、楽だった」

(うん、流れてる)


——そのとき、ノアの声が低くなる。

『重複証検知。ひとり分の“見たこと”に、影が重なってる』


屋台の陰を、紙片みたいに薄い空白がすべった。

母子の背後に、同じ“時間”で重なるもう一つの足音。

(無名——“証”を鏡取りして、後ろから滑り込む気だ)


「止めてから、結ぶ」

ぼくは端末に指を置く。

「《封鎖》——重複証の枝だけ凍結」

配給全体は止めない。影に繋がる細い進みだけ、噛んで留める。


端末《重複枝:抑止/他流路:通常》


セレネがさっと母子のそばへ回り込む。「いまだけ、ここ立ってて」

命響リリンク》の膜がかかり、遅延の圧が母子に届かないよう、彼女の掌がそっと支える。


「次。ひとり一拍で分ける」

ぼくは鍵先を丸め、言葉を添える。

「《印付け》——一鈴一灯いちりんいっとう

通過の瞬間に小さな鈴と一度の点灯を結びつける、“合図の印”。

証=見たことに音と灯の印を結び、鏡取りの影とは一拍ずらす。


端末《合図印:発火/同時通過:不可/重複:解消》


母子が通る。チリンと鳴って、灯がひと呼吸だけ明滅。

影が続こうとして——鈴は鳴らない。時間を買い足すように、影は刻限を伸ばしにかかる。


『刻限の買い足し、微量』ノアが告げる。『ミリィ系の“糸”じゃない。流しの借り印が混ざってる』


(なら、数えで止める)

「《結時》——刻限結び(小)」

合図印の数え目に小さな結び目を置き、影の遅延だけを一拍飛ばす。

影の足場がなくなり、空白がふっと薄くなった。


端末《影:空転/買い足し:無効/重複証:消滅》


セレネが肩で息をして、笑った。「いまだけ、持てたよ」

母子は振り返り、小さく頭を下げていった。胸の上で、鈴の余韻がまだ温かい。


——落ちた紙片に、薄い印。

無名の置き土産。細い横線が三本、ずれて重なる。

(“三で固定”の合図……ここでも固定へ引き込みたい)


ノアが分析する。『空白箱で合図印ごと“箱”にして、三へ進める計画だった。二で開示のままにされると困るから』


「じゃあ、箱に“人の名”が入らないって、もっとはっきり看板にしよう」

ぼくは路地の角に新しい札を貼る。


《おねがい》

この道は《共通印》で開きます。

人の名前ではなく、“やることの名前”で通します。

鈴はひとり一回、灯も一回。

ふたつ鳴らないときは、教えてください。


セレネが指で縁をなぞる。「やさしい」

『合図印の公開も入れる。観測を損なわない/寿命の強要なし/記録に残すの三原則で』ノアが文字を添えた。


通りの奥で、別の鈴が遠くに一度鳴る。

γの隣、商店街口の灯りが、合図に合わせてかすかに点る。

(広げられる——二で通して、三は踏まない)


——その時、風が向きを変え、地面の影が一枚だけ逆に流れた。

無名がもう一度だけ、**“無音の鈴”**を差し込んでくる。

鳴らない鈴。記録に残りにくい、音の影。


「音を見えるようにすればいい」

ぼくは鍵をひねり、合図印へ小さな追加。


「《印付け》——音跡おとあと

鈴の波形を短い光の筋に変え、一拍だけ路面に残す。

“鳴っていない鈴”は筋が出ない。影は足場を失い、路地の端へ剥がれ落ちた。


端末《無音挿入:失敗/音跡:可視化/影:退避》


ノアが短く息を吐く。『追い出した。被害ゼロ。二で開示のまま維持』


セレネが空白の落ちた場所を見下ろし、眉を寄せる。

紙の裏に小さな文字があった。


「無名は“名”に興味がない」

「興味があるのは“最初に通る道”」


「最初を狙う……seedだ」

ぼくは昨夜の記録井を思い出す。(最初の証を抜きたい動機)


『seedは二系統持った。どちらも二止め。——でも“道の最初”は毎回生まれる』ノア。


「じゃ、最初の一人を守る印が要る」

セレネが手を挙げる。「一人一鈴の前に、はじめの一鈴」

「それだ」ぼくは笑う。

「《印付け》——初鈴はつりん。その時刻で最初に通るひとの鈴だけ、音跡を二拍残す。影はそこへ乗れない」


端末《初鈴:有効/乗っ取り:不可/刻限:安定》


通りの先で、配達の青年が帽子を上げる。

チリン——チ、チン。二拍ぶん、光の筋がたしかに残った。

彼は足元を見て、ぽつりと言った。「これ、安心する」


ぼくは頷く。

(最初を守れたら、列は崩れない)


風が止み、空白の紙片がからりと音を立てて転がる。

ノアが拾い上げ、懐へしまった。『解析に回す。最初の道をどう測っているか、手口の痕がある』


セレネが肩を回し、少しだけ笑う。

「いまだけ、ちゃんと持てたね」


「うん。止めて、結んで、返す。それを合図印にして、最初を守る」

ぼくは看板をもう一枚、商店街口へ貼った。


《おしらせ》

初鈴が鳴った道は、順番に進みます。

鈴と灯はひとり一回。

“無音の鈴”は無効です。


端末《γ:安定/侵入:無名→退避/借り印:外周停滞》

《次手:合図印の仕様公開/seed-03 予備作成》


夜が少しだけ深くなり、灯りが近く感じる。

ぼくは継承鍵を握り直した。温度はそのまま、心の重さは少し軽い。


「行こう。二で通して、三は踏まない。

初鈴・一鈴一灯・音跡——分かる言葉で、街じゅうへ」


セレネがうなずく。「いまだけじゃなく、ちゃんと続く合図を」

ノアが微笑む。『観測は保つ。合図は残す。無名は——最初で止める』


川霧がほどけ、どこかで鈴がやさしく二度、鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ