【第4章 第10話】管制Ωの心臓
高架の階段を上りきると、夜風が金属の匂いを連れて頬を撫でた。
鉄骨の梁が格子に組まれ、その奥――ガラスで囲われた小部屋がひとつ。
扉の札には、白い字で静かに刻まれている。
《管制“Ω”》
中は想像より狭かった。壁一面に並ぶ配電盤の灯りと、中央に据えられた透明の槽。
青い液が渦を巻き、心臓の鼓動みたいに脈打っている。見覚えのある色だ。グラムの胸元で見た渦と、同じ配列。
端末《上位ノード:Ω/下流ノード:配給末端×32/状態:反転弁 起動中》
《権限要求:継承鍵(暫定)》
ぼくは鍵を掲げ、槽の縁に刻まれた孔へそっと差し込む。
温度が掌から装置へ移り、同時に細い糸が指にからんだ――“責任”の残り香だ。
ノアが囁く。『観測ライン、通った。今なら“切られる前に繋ぎ替え”ができる』
「いまだけ」
セレネが手を重ねる。《命響》が繋がり、胸の圧が半拍ぶん軽くなった。
ぼくは渦の表面に視線を落とす。
配給と刈り取り、二つの流れが絡み合い、ところどころで“縫い目”が緩んでいる。そこに《時断》の細い切り込みが差しこまれ、流れがわずかに反転していた。
(切り込みを追ってもキリがない。縫い替える)
「《時蝕・封鎖》——請求」
まずは請求の進みだけを噛み、刈り取り側の歯車を空回りさせる。
つづけて、ノアの記録へ向かう“摩耗の流れ”に触れる。
「《封鎖》——摩耗」
端末《請求:抑止/摩耗:遮断/反転弁:抵抗上昇》
その時、部屋の隅で軽い舌打ちが響いた。
白衣に短いケープ、若い女が静かに現れる。腕には細い筒がいくつも装着され、一本ずつ青い液が脈で上下している。
「やっぱり来た。ミリィ――《換命》担当、保守と運用」
彼女は自己紹介のように、平らに言った。
「そこは“心臓”。都市を生かすために必要な心臓。あなたたちの正義は、ときどき臓器摘出に似てる」
ノアが低く告げる。『署名一致。テンペスト技術部・若年級。遠隔補助の主犯』
ミリィは指で筒のバルブをひねると、渦の鼓動が一段深くなった。
「反転は“余命の平準化”だよ。長く持つところから少しずつ、短いところへ。あなたたちは美談に弱い。だから“橋脚下”から始めた。子どもがいたから、止めに来ると思った」
喉が熱くなる。だが、問答で時間は増えない。
ぼくは槽の縁に手を置いた。
「繋ぎ替える。配給は配給へ。刈り取りは、無効へ」
「できるなら、ね」
ミリィはバルブをもうひとつ開け、床面へ細い刻み目を入れる。《時断》の線――グラムほど鋭くはないが、室内の“未来からの三秒”を均等に薄めるには十分だ。
セレネの握る指が、少し冷えた。
「いまだけ」
彼女は微笑む。
ぼくは頷き、呼吸を三拍に割った。
一拍目、ぼくが《封鎖》で室内に入った全ての“請求”を凍らせる。
二拍目、セレネが《命響》で凍結の負荷を肩代わりし、膜を張る。
三拍目、ぼくは流路の“継ぎ目”を見定め――
「《斬時》——縫い目断ち」
刈り取りへ落ちる分岐だけを、斜めに薄く切った。
渦がぐらりと揺れる。配給と刈り取りが一瞬だけ離れ、軌道がズレる。
ミリィの眉が動いた。彼女は即座に筒の一本を砕き、渦へ“借り物の命”を注いだ。
《換命》――外部から差し込まれた寿命が、反転弁の抵抗を補う。
端末《抵抗:回復/反転弁:継続》
(貸命で踏ん張ってる。なら――貸しの足場を抜く)
ぼくは継承鍵を半回転。鍵の縁がわずかに尖り、宣言の回路が開く。
「《通す責任》——名義:クロ。対象:反転弁の“借り脚”。対価:ゼロ署名。方法:名義のみ移管」
端末が喉を鳴らすように沈黙し、次いで小さく灯った。
《債務名義:テンペスト → クロ(仮)》
ノアが驚きの息を漏らす。『責任の“名義”だけ取った……! 代価はまだ支払ってない』
「払う相手を、こっちに引きずる」
ぼくはそのまま、名義の糸に《時蝕》の歯を立て、粒に砕く。
セレネが《命響》で粒を受け止め、外へ逃がさないように包む。
粒は鍵の内側に留まり、渦へ戻る“貸命”の通路がふっと軽くなった。
ミリィの目が初めて揺れた。
「名義だけ……取るなんて。汚いね」
「返すよ。持ち主に」
ぼくはそう答え、渦の継ぎ目へ指を滑らせる。
「《繋ぎ替え》」
言葉は簡単だが、やることは緻密だ。
封鎖で止めた請求の糸を一本ずつ摘み上げ、刈り取りへ落ちていたルートを配給側へ縫い直す。
セレネの手が震えるたび、《命響》の膜が薄くなる。
ノアの声が脈を刻む。『二拍、保てる。三拍目で仕上げて』
(間に合わせる)
「《封鎖》——判定」
最後の分岐に触れ、通過/不通過の旗を“配給最優先”へ倒す。
端末《反転弁:停止/配給:本来ルートへ復帰/刈り取り:無効》
渦の色が淡くなり、鼓動が静かに落ち着いていく。
ミリィは肩を上下させ、短く息を吐いた。
「……きれいに縫うね。あなたの《時蝕》、好きじゃない。現場が混乱する」
彼女は踵を返し、扉へ向かいかけ――ふと、こちらへ振り向く。
「忠告。名義を抱えたまま“持ち主”に会うと、返済は“その場”になる。あなたが選んだ方法は、綺麗でも優しくもない」
セレネが一歩前へ出る。
「あなたたちの“平準化”よりは、優しいよ」
声は震えていたが、目は強い。
ミリィは肩をすくめ、指で扉の枠を叩いた。
枠の内側が黒く反転し、細い扉がさらにひとつ開く。
「じゃあ、会ってくるといい。――債務保管庫。あなたの“通した責任”の、本体」
彼女は影の中へ消えた。冷たい風だけが残る。
端末《ノード提示:Ω裏層 → 債務保管庫》
《通行権:継承鍵(暫定)/責任:未清算1(名義移管中)》
ぼくは鍵を握り直した。掌の温度は変わらない。
ただ、内側に留めた“粒”が、かすかに鳴っている。呼び鈴のように。
『行くのね』ノア。
「うん。通した責任は、最後まで」
セレネが指を絡める。
「いまだけじゃなくて、ちゃんと。……行こう」
ぼくらは黒い扉へ足を踏み入れた。
光が背後で閉じ、音が一つずつ消えていく。
前方に、紙と鉄と時間の匂い――数えきれない“貸し”と“借り”が積み上がった、都市のもうひとつの心臓が、静かに脈を打っていた。




