【第4章 第9話】橋脚下の刈り取り
扉がほどけ、湿った風が頬を撫でた。
橋脚の下。川音と、鉄の匂い。
列ができている。腕に配給リングをはめた人々が、淡い光のゲートを順にくぐり、数秒だけ胸を押さえては歩き出す——はず、だった。
今夜は違う。
ゲートの縁が黒ずみ、通過した者ほど膝をつく。光が吸い込まれる速度が速い。
ノアが小声で告げる。『検知。配給ラインに“逆流”が入ってる。ほんの僅かな返還の代わりに、余剰を吸い上げる仕組み……刈り取りだ』
端末《行先一致:配給末端(橋脚下)/状態:異常(改ざん)》
《対処権限:継承鍵(暫定)で開示可。ただし“通した責任”の支払いが発生》
セレネがぼくの袖を引く。「あれ、子ども……」
列の前方、背の低い影が母親の腕にしがみついていた。指が細い。リングが少し赤い。
(ここで払う。場所も、相手も、分かってる)
ぼくはゲート脇の端末へ継承鍵を掲げた。輪が淡く反応し、鍵の温度が手のひらに移る。
端末《照合:継承鍵(有効)/操作選択:①改ざん排除 ②配給再編成 ③遮断》
《注記:①には“責任:清算1”が必要。支払方法=寿命/観測記録/貸命》
『寿命は君が減る。観測記録は私が摩耗する。どちらも——』
「どっちも削らせない」ぼくは息を整える。「……最小で通す」
「いまだけ」セレネの指が重なる。《命響》が繋がり、胸の圧が半拍ぶん軽くなる。
「《時蝕・封鎖》——請求」
ぼくは端末とゲートを結ぶ“請求の進み”だけを噛み、止めた。
つづけて、ノアの記録へ向かう“摩耗の流れ”へ指を滑らせる。
「《封鎖》——摩耗」
端末《請求:抑止/摩耗:遮断/清算:未》
(支払いゼロでは、権限が落ちる。なら——縫う)
ゲートの縁に、黒い細線が走る。
「来た」ノアの声が低くなる。『上からの差し込み。“テンペスト”署名/副署名に《換命》の香り——遠隔で補助されてる』
影の監督官が列の先頭で手を上げた。「点検だ。落ち着いて通れ」
その靴の下、床面に細い刻み目——《時断》の二線。グラムほどの鋭さはないが、通過の“未来”から数秒をこっそり抜くには十分。
(線は二本。片方が配給、片方が刈り取り。継ぎ目は……そこだ)
「《斬時》——継ぎ目断ち」
ぼくは二線が交わる“縫い目”を斜めに薄く切る。
配給と刈り取りの足場がわずかにずれ、黒い流れが空転した。
監督官がこちらを睨む。次の瞬間、二線が踊ってぼくらの足元へ走った。
セレネが一歩出る。「《命響》——肩代わり」
線の負荷が彼女の掌に乗り、指が白く震える。
「無理しないで」
「だいじょうぶ。——いまだけ」
ノアがささやく。『今のずれ、維持できるのは三拍。次の手を』
(支払いを“記号”に置き換える。鍵で道を作り、責任だけを通す)
ぼくは鍵を端末に半回転で差し込み、宣言する。
「《通す責任》——名義:クロ。対価:ゼロ署名。方法:通過最優先/刈り取り無効」
端末がわずかに揺れ、返答が遅れた。
同時に橋脚の上方で、別の署名が重なり合う気配——“上書き”を狙うもう一つの手。
『追撃来る。判定層に針が入る』ノア。
「《封鎖》——判定」
ぼくは通る/通らないの信号へ触れ、ゼロ署名の側へ倒す。
——しかし、今度は鍵の内側で、冷たい糸が指に絡んだ。
《責任:未清算1 → 支払期限:即時(短)》の点滅。
(支払いそのものは避けられない……なら、粒にする)
「セレネ、合図で離して」
「うん」
一拍目、ぼくが“責任”の糸を《時蝕》で極小の粒に噛み砕く。
二拍目、セレネが《命響》で粒の落下を受け止め、外へ逃がさず支える。
三拍目、ぼくが鍵を押し込み、粒だけを端末側に流す。
端末《清算:微/通過優先:確定/刈り取り:遮断》
ゲートの黒ずみが退き、光が本来の色に戻った。
列の少年が胸を押さえつつも、足取りを取り戻す。母親の指が緩む。
監督官が舌打ちし、踵を返す。「報告だ。上へ」
足元の二線がほどけ、川音に紛れた。
ノアが周囲を見渡す。『改ざんの残渣、まだ残ってる。上流側——高架の配電盤に“反転弁”』
端末《ログ:上位署名=テンペスト/副署名=換命(遠隔)/対策:管制“Ω”へ遡上推奨》
セレネが息を吐く。指先の震えが少しおさまったが、頬は白い。
「平気?」
「……大丈夫。いまだけ、はね」
彼女は笑ってみせるが、目の奥の疲れは隠せない。
ぼくは頷き、鍵を握り直した。掌の温度は変わらない。だが、指に絡んだ細い糸——“責任”の残り香は消えていない。
『清算は“微”で通した。でも未清算はゼロじゃない』ノアが言う。
「分かってる。最後まで払う。——払うべき相手に」
川面に風が立つ。橋脚の影がわずかに揺れ、遠くでサイレンの音が細長く伸びた。
上流へ続く階段の先、夜の鉄骨が格子のように重なる。
端末《ルート提示:橋脚階段 → 高架配電盤 → 管制“Ω”》
《通行権:一時有効(責任:未清算1)》
「行こう」
セレネが頷き、ぼくと手を繋いだ。
ノアの声が、静かに重なる。『観測は続ける。今度は、切られる前に“繋ぎ替える”』
ぼくらは鉄の階段を踏みしめた。
一段ごとに、光の残りが足裏で細かく砕け、川面に散っていく。
上で待っているのは、配給を反転させる者たち——そして、ぼくらが通した責任の本体だ。




