【第4章 第6話】最終の門、通すための一太刀
最終の扉をくぐると、空気が冷たく変わった。
広いのに、音が吸い込まれる。床も壁も薄い灰。天井からは細い光だけが落ちている。
黒いコートの男が、中央に立っていた。
仮面はない。けれど——切り口の気配は、たしかに同じだ。
「ここが最終の門だ」
男は指をひと振りする。
空中に、細い線が何本も走った。目に見えるか見えないかの断ち線。
——触れると“動きだけ”切られる見えない刃だ。
「問う。何を通す。誰を通す。いつ通す」
(答えは、決めている)
「いま。俺たち。人を生かす瞬間だけ、切る」
「なら、見せろ」
線が一気に増えた。床、壁、胸の高さ、足首……歩く道そのものがバラバラにされる。
(真正面から斬り合えば、削り合いになる。——通して進む)
「いまだけ」
セレネの指先が触れ、胸の重さが半拍ぶん軽くなる。
《命響》——触れている間だけ負荷を分け合う、小さな綱。
クロは一歩目を遅らせて置いた。
“断ち線”は動きを切る。ならば——動きを作らず、流れだけ変える。
「《時蝕・封鎖》——点」
指先で“線の芯”を弾く。刃は形のまま、進みだけを失う。
二歩目、クロは止まった線の縁を面でなぞり、刃の腹に体重を預けて渡る。
(奪わない。止めて、通す)
男の視線が少しだけ動いた。
次の瞬間、線は高さを変えて襲う。膝、肩、こめかみ。
(高さをずらして、間合いをずらすつもりか)
「——《斬時・クロノブレイク》」
クロは一箇所だけ、線と線が交わる“縫い目”を斜めに切った。
切るのは空間の継ぎ目だけ。線そのものは壊さず、道の形だけを変える。
生まれた隙間に体を滑らせる。肩が刃を押し返し、靴が床を離さない。
『いい……“奪わずに進む”の形になってる』ノアの声が静かに支える。
線が渦になった。
巻き込み、遅らせ、前後の時間差で足をもつれさせる罠だ。
(ここで踏み外せば、戻り線に切られる)
「セレネ、三拍目で重ねる」
「わかった——いまだけ」
一拍目、《封鎖》で渦の回りを止める。
二拍目、靴裏で止まった水面を押して滑りをつくる。
三拍目、セレネがリリンクで負荷を肩代わりし、体を軽くする。
クロは軽くなった体を横へ切り込み、渦の外へ抜けた。
男のコートが、かすかに揺れた。
「“奪わずに、道を作る”。——門の意味を掴んだな」
応える代わりに、クロは前へ出た。
距離はあと三歩。ここからは、相手の「刃」そのものが来る。
黒い指先が空をなぞる。
一条だけ、純度の高い線が走った。
(これは止められない——“芯”が深い)
「ノア、どの層?」
『三層目。“動き”のさらに下——判定の層。通過フラグそのものを落とす刃』
(なら——判定だけを通す)
クロは胸の奥で、刻限の熱を感じる。
——だが、まだ切らない。切るのは“鍵”を掴む時。
「《時蝕・封鎖》——判定」
ほんの一瞬、リングが熱く鳴る。
寿命も、力も奪わない。通る/通らないの判定信号だけを撫でる。
刃が落とした「通れない」が、「通っている」へひっくり返る。
足が前へ出た。
一歩、二歩、三歩——男の懐へ。
黒い手が胸元に触れようとした瞬間、
クロは右掌をこちらの胸へ当てた。
「俺は奪わない。通る権利だけ通す」
刃は来ない。
男の動きが止まり、長い沈黙が落ちた。
やがて、ゆっくりと手が下がる。
「——終印可」
天井の光がひとつ、柔らかく増える。
足元の床が静かに開き、小さな台座がせり上がった。
そこには黒い欠片。先ほどのものと同じ材質、違う紋。
《鍵片:Ω-3/記録庫β 深層アクセス権》
『これで“記録庫β”の最深部に入れる。……クロ、リング温度、戻った。よく堪えたね』
セレネがほっと息をついた。「……いまだけの限界、少し超えたかも」
「助かった。あとで大きく返す」
男は背を向けかけて、ふと止まり、短く言う。
「通した責任を忘れるな。刈り取りは一人ではない」
「わかってる。守るために、ここまで来た」
クロは鍵片を握り直し、次の扉へ視線を向ける。
扉の上に、新しい文字が灯った。
『記録庫β——観測者ノア 深層記録』
ノアが小さく息を呑む。
『……ありがとう。ここからは、私の過去だ』
クロは頷く。
刻限は、まだ切らない。
切るのは——鍵を掴んで、本当に通すべきものが目の前に来た時だ。
「行こう、セレネ」
「うん。一緒に」
二人は光へ向かった。
扉が、静かに開く。




