【第4章 第1話】灰雨の追走(9/16 修正版)
3章13話と振り返りを修正しました。
すでにお読み頂いてる方は、3章振り返りを読んでいただくことで、4章も違和感なく読んでいただけるかと思います。
——仮面の男が残した黒い欠片は、指の腹に熱を灯しながら、ひとつの座標だけを指していた。
《クロノハブβ/管理室Ω》。そこが次の扉だ。
街に降るのは、灰をひと匙まぜたような細い雨。
滴が肌に触れるたび、ライフリングの表示が「00:00:00:01」だけ痩せる——灰雨。長居は命取りだ。
『左へ三本。監視網の重なりが薄い』
ノアの声がリングの底で震える。
「了解。セレネ——」
「いまだけ。必要な分だけね」
指先が触れ、短い熱が往復する。
《命響》が細く結ばれ、クロの負荷がわずかに肩代わりされる。
廃工場の裏口。無骨なスキャナが縦に赤線を走らせ、侵入者の“残寿命パターン”を照合している。
クロは呼吸をひとつ落とし、指先をフレームに添えた。
「《時蝕・封鎖》——二拍」
——一拍、撚る。二拍目に“流れ”だけを断つ。
赤線は形を保ったまま、動きだけを失い、扉が無音で浮く。
「奪わず、通す。……いい選び方」
セレネが小さく笑う。
『でもリング温度、上昇中。限界を越えれば、“奪う側”に引かれる』
「わかってる。刻限は貯める。切るのは“鍵”を掴む時だ」
通路の向こう、雨粒だけを真っ直ぐ断つ黒い線が壁に一本——乾いた音で、空気が軋む。
(……切断痕。やっぱり匂いが残ってる。門番が近い)
「先回りされる前に抜けよう」
セレネの声にうなずいたその時、頭上の天窓がコツ、と鳴った。
栗色の髪の青年が、無造作に顔を覗かせる。
「三十秒、やる。走れ」
指のリングが淡く灯り、通路を満たしていた監視の“未来”がずれ落ちる。
《時与》——見張りの視線予定に穴を開ける技だ。
「助かる、レオ」
「あとで請求する」
青年はそれだけ言って影に消えた。開いた穴は三十秒で閉じる。
クロとセレネは灰雨を切り裂くように駆けた。
角を曲がるたび、黒い断ち線が別の壁面に顔を見せる。
切られたのは雨と空気だけ。だが、その線は「ここから先は切る」と無言で告げていた。
『接敵回避で右。橋脚下の“静域”から内部配線に乗り換えて』
ノアの指示に合わせ、二人は橋の影へ滑り込む。
灰雨の粒が天井で弾け、音が一段落ちる。静域——監視音の届かないくぼみだ。
「……見えた」
灰雨の帳の向こう、低い建物群の奥で、四角い箱がわずかに浮かんでいる。
外壁は鈍い灰、窓はほとんどない。《クロノハブβ/管理室Ω》——
時の配線を束ねる“中枢の端末室”。仮面の男の欠片が示した扉。
「ここから先は、切られる前に“通す”しかない」
「うん。だからいまだけ、貸す」
セレネが手を伸ばす。クロはその手を受け、短く頷いた。
リングが熱を訴え、皮膚が焦げるように痛む。それでも、足は止まらない。
(刻限は切らない。切るのは“鍵”を掴む時。いまは——通す)
灰の雨脚が強くなる。
二人は影と影の合間を渡り、鈍色の箱へと距離を詰めた。
扉の前、空気がわずかに歪んだ。
雨が空中で斜めに割れ、刃のような境目が数ミリずれて戻る。
(迎えられてる。……でも、行く)
クロはセレネの手を握り直し、低く言った。
「生きて、辿り着く」
灰雨の線が、二人の肩でふたつに割れる。
管理室Ωの薄い光が、正面から彼らを待っていた。
——次話へ。




