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森で拾ったクソガキが愛を説いてくる

作者: 芳一


森の奥でひっそりと暮らす陰鬱な見た目の男が一人。

血色の悪い唇に、手入れもせずただ伸ばされただけの黄昏色の長い髪。前髪に覆われた瞳は血のように紅く、目の下には生まれつき酷い隈がある。無駄に上へと伸びた身体を包む、裾の長い黒いローブは深い森で姿を隠すのにちょうどよかった。


名をテオ。その顔と雰囲気から魔女の如く忌み嫌われ、爪弾きにされた男だ。


そんなテオは、朝早くに獣たちの騒つく気配を感じて森の入り口付近にまで様子を見にきていた。

森に棲む狼やら木の上で様子を窺うリスやら鳥やらが囲むその中心に『何か』が転がっている。


「何だこりゃ」


眉を寄せながら近寄れば、狼たちも足元に転がるそれに鼻を近付けすんすんと匂いを嗅ぎ始めた。

薄汚い布に包まれたそれは思いの外大きく、加えて臭いも酷い。

腐臭のようなそれではないのだが、とはいえこんなごみを森の中に捨てるとは迷惑なやつもいたものである。

そう思いため息を吐けば、ごみである筈のものがぴくりと動いた気がした。

思わずテオの片眉がぴくりと跳ねる。



足元に転がる薄汚い塊の正体をよくよく見てみると、それは人間の子供(ガキ)だった。









「この子は魔女よ…!」


テオは幼い頃から普通の人間とは違っていた。

妖精の姿が見え、それらの言葉を理解することができたのだ。

テオが何もないところをじっと見ていれば気味悪がられ、物が移動したり宙に浮いたりすれば魔女の呪いだと恐れられた。

それらはすべて妖精の仕業(いたずら)によるものだったが、正直に言ったところで理解はされない。

だからテオは目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤んだ。

周りで何が起きようと見ないふりをして、飛び交う悲鳴や怒号を他人事のように受け流して、これは呪いでもなければ魔女の力でもないという真実を飲み込み続けた。



そんなテオはある日あっさりと両親に捨てられた。


黄昏時のような不気味な髪色をもって生まれた時点で既に嫌われていたのだろう。

故郷から遠く離れた街道の途中に、食べ物すら寄越して貰えずその場に捨て置かれたのである。

そんな時でさえ縋る言葉ひとつテオの口から吐かれることはなかった。唯一思っていることがあるとするならば、ちらちらと視界に入る妖精の羽が鬱陶しいなということくらいだった。


テオは人々の暮らしから遠ざかるように歩き続け、やがて寂れた村の森の奥で暮らすようになった。

大きな木のうろの中を寝床にして、雨風を凌ぎ、森で木の実を拾って食べる。獣に襲われることは不思議となかった。

本来であればこんな森の奥、幼い子供が一人で生きていけるわけがないのに、それでもこうしてしぶとく生きているのは周りをうろちょろとしている妖精たちのせいなのだろうなとテオは思った。


テオには愛された記憶がない。故に、誰しもが持っているであろうごく普通の欲求や執着もなかった。

当然、生きることに関しても。

だから死んでも構わないし、死ぬなら静かに死にたいと思って森の奥を選んだ。

それなのに知らぬうちに妖精はテオに寵愛を与えていたらしい。

テオからすれば傍迷惑な話だった。

悪趣味な妖精に寵愛という名の祝福(のろい)を与えられ、怪我もせず病気にもならず。まともな食事など一切していないのに不思議と身体は成長していく。

本来であればゆっくりと眠りにつくように終わっていく筈だった命を、まだ駄目だと言わんばかりに繋がされている気分だった。









「おい、ガキ」


転がっているそれを足で小突けば死んだように閉じていた瞼がのそりと持ち上がった。

薄暗い水底色をした瞳がテオの姿を捕える。

光を失った瞳に、ぼろ布同然の服の下にある傷だらけの汚れた身体。

烏夜のような髪の毛はざんばらで男だか女だかパッと見わからない。


何かを訴えようとしたのか子供の口が僅かに開いたが、はくはくと無意味に動くだけでそこからは何の音も吐き出されなかった。

光のない瞳をしているくせにぶつけてくる視線は強く、感じるそれはまるで生きることに対する執念のように思えた。


『可哀想』

『可哀想』

「おい」

『与えてあげましょう』

『満たしてあげましょう』

「やめろ」


妖精が狼たちと一緒になって子供の周りを群がり始めたのでテオは盛大に舌打ちをした。

シッシッと手で払ってもすぐにまとわりついてきて鬱陶しいことこの上ない。

飢えて死にかけた子供が何を求めているかなど誰だってわかるだろう。

だがテオは、獣たちがうるせぇからここで寝るんじゃねぇと言いたかっただけなのである。手を差し伸べてやるつもりなどさらさらなかった。


…だというのに。


妖精(こいつら)の真似事なんざ俺はごめんだぞ……」


テオは思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。

魔女は自由を良しとする。干渉することもされることも嫌う傾向にある。

テオも全くその通りだと思った。

だが、このままこの子供を放置すればこれ幸いと妖精どもが寵愛を与えるのだろう。テオのときのように。

それはなんというか、癪に障った。


この子供がこのまま死にたいと思ってくれているのならその方がよっぽどよかった。人間のまま死ねるのはある意味で幸福だろうとテオは思う。

それなのに子供は相変わらず目線だけをテオに向けていた。ピクリとも動かず、瞬きも惜しむように。

そう。この子供はテオとは違い、欲している。



「……魔女相手に強請るとは、太々しいガキだな」



テオは深いため息を吐くと転がっている子供のそばに腰を下ろした。

子供の口をこじ開け隙間に指を差し込むと、そのまま指先に意識を集中させ舌を湿らせる程度の水を与えてやる。


テオは妖精から寵愛を受け続けた影響か、人ならざる力を得ていた。

笑い話にすらならないが、本当に魔女になってしまったのである。


渇望していた水気を口内で感じ取ったからだろうか、子供は半開きだった目をパッと見開き飢えた獣のように指に喰いついた。テオの指をわし掴み、もっと寄越せと催促してくる。

歯を立てられたせいで指先にじわりと血が滲んだが、構うことなく水を求められた。


そんな状態がしばらく続き、気付けば随分水を与えてしまっていた。いや、どちらかといえば有無を言わさず持っていかれた感覚に近いのだが。

ほんの僅か施しを与えるつもりだったのに、際限なく引き摺り出されて止め時を逸してしまった。

クソガキが、と思っていれば今度は子供の腹がぐうとなる。

期待するようにじっと見つめられ、テオは思い切り顔を顰めた。


魔女になってからそれこそ食事なんてものは必要なくなったが、小腹が空く感覚はたまにあるのだ。人間だった頃の名残なだけでそんなものはテオの気のせいなのかも知れないが、それでも少量口に入れるものを作って持っていたりする。

テオは腰にぶら下げていた布袋から胡桃の蜂蜜付けを渋々取り出すと、子供に向かって適当に放ってやろうとした。が、その前にまたしても手を鷲掴まれ、子供の口の中に指ごと胡桃が消えていく。


「このガキ……」


そんなテオの怒りと呆れと諦めが混ざったような複雑な呟きは、獣たちの息づく森の中に紛れ消えていった。




そのあと、腹が膨れたのならこれ以上ガキの面倒を見る必要もないだろう、とテオは寝床である木のうろへとさっさと帰ることにした。水同様、胡桃もごっそり子供の腹の中に収まっていったのは言うまでもない。

子供はしばらくテオの後ろをついてきているようだったが、大人と子供では歩幅の違いがある。

だんだんと距離が空いていき、やがて子供の姿はすっかり見えなくなった。

あの子供がこの森で暮らしていくか、森を出て元の暮らしに戻るかは自分で決めればいいと思った。

それ以上は本当にテオには関係のないことである。


一度だけ背後に視線を向けたが、やはり子供はついてきていなかった。

寝床である木のうろまで戻ってきたテオはそのままもう寝てしまおうと寝転がった。

幼い時と違い、成長した身体ではうろの中は若干狭い。

ある頃から成長がぴたりと止まり、老うことすらなくなってしまったが、それも妖精の寵愛の影響だったのだと思う。

テオは目を瞑り胎児のように丸くなりながら、ふとまだ人間だった頃を思い出した。


自分はあの子供のように一度でも生にしがみついただろうか。

誰かに、何かを求めたりしただろうか。


もしかしたら、テオは最初から人として生きることを諦めていたのかもしれない。


そう考えたら、魔女になったのも必然のように思えて乾いた笑いが漏れた。

テオは自分にだけ妖精が見えることを今まで疑問に思ったことはなかった。

妖精は気まぐれで趣味が悪い生き物なのだと、何となく理解していたからである。

ただ偶然にも妖精に目をつけられてしまった。己の運が悪かった。ただ、それだけ。


テオはそこで思考を打ち消し、そのままゆっくりと闇の中に溺れていくように眠りについた。









「おはよう」

「……………」



テオは自分を褒めてやりたいと思った。よく目の前の『それ』をぶっ飛ばさなかったな、と。


深い森の中ではあまり陽の光は届かない。

普段であれば獣たちの気配で夜が明けたことを感じ取っていたというのに、今朝は間近に異物を感じて目が覚めてしまったのだ。

そう、昨日置いていったはずの異物(ガキ)がテオと向かい合うように寝ていたのである。


「なんでここにいやがる」

「出て行けと言われなかったから」

「そうじゃねぇ、なんで俺の横で寝てやがる」

「ここまで案内してくれたから」

「誰が」

「犬が」


いぬ。


「……狼に案内されたって?」

「違う。ちょっと薄汚れた犬」

「狼だっつってんだろ」


薄汚れたとか、狼もこのガキにだけは言われたくないと思うのだが。


テオはとりあえず目の前の邪魔な子供を指先一本でその辺に放り、うろの中から抜け出した。

得体の知れない力でポイと投げ出されたというのに子供は気にした様子もなく、むくりと起き上がってテオのそばに寄ってくる。

近くに狼の気配はない。まさか妖精どもに誘われたか、とも思ったが周りにいる妖精の存在に子供は全く気付いていないようだった。

もしかしたらこの子供はやたら嗅覚がいいとか聴覚がいいとか或いは野生の勘のようなものがあるのかもしれない。少なくとも水や食い物を貪る姿は野生の獣そのものだった。

そうして偶然にもテオの元まで辿り着いてしまったのだろう。きっと、恐らく。テオは一旦そう納得することにした。


「俺はお前を拾ったわけじゃねぇぞ」

「しってる」

「じゃあどっか行け」


シッシッと手で追い払ってみたが、子供はテオをじっと見上げるばかりで動かない。


「それは出て行けということ?」

「…ここは俺の寝床だ。ここ以外でなら好きにすりゃいい」

「ここ以外じゃ意味がない」

「なんで」


意味がないとは、と眉を寄せれば相変わらず光を通さない水底の瞳で「あなたがいないから」と返された。


「…はあ?」

「あなたといたい」



テオはついに頭を抱えた。





クソガキの名はフォレルというらしい。

ここから少し離れた小さな街で暮らしていたようだが、親や周囲の人々からはまともな愛情を貰えていなかったようでほぼ奴隷のような扱いを受けていたという。

まともな飯も貰えず朝から晩までこき使われ、やれ見た目が気に入らないだの態度が気に入らないなどと文句を言われて手を上げられる。

森の入り口で行き倒れていたのも半ば街から追い出される形で捨てられたかららしい。


テオは憐れには思わなかったが納得はした。

黒い髪はただそれだけで忌避される。その上、人には理解されづらい性格や言動をしていたのならなおのことだ。


「あなたの名前は」


ローブの裾をくんと引っ張られる。

視線を向ければフォレルがテオを見上げていた。


「あ?」

「あなたの名前がしりたい」


まっすぐ見上げて問いかけるフォレルにテオはほう、と感心した。

生きる執念をテオに見せていた時点で薄々感じてはいたが、どうやら物怖じしないガキであるらしい。

大人ですら、こんな気味の悪い長身の男とは視線を合わせることも言葉を交わすことも躊躇うだろうに。それどころか名前を知りたいときたものだ。


「魔女は名前を教えねぇんだ」

「どうして」

「愛しちまうからだよ」


クッと喉の奥で笑うように言えば、フォレルは僅かに目を見開いた。

感情表現が乏しく食欲くらいにしか反応しないと思っていたが、きょとんとした表情はその辺の無邪気な子供と大差なく。

ようやくガキらしい顔をしたなとテオは鼻を鳴らした。


魔女という生き物は自分の名前を教えないという。それは心を明け渡す行為と同じとされるからだ、と。

テオ自身はそんなことを微塵も感じたことはないのだが、些細なものを勿体ぶって出し渋るなんざ魔女らしいなとは思っていた。


フォレルはしばらく何か考えているようだったが、やがて一言「わかった」と言って頷いた。





フォレルが森に棲みつくようになってから早いもので一週間。

結局フォレルはテオのそばに居続けた。

テオがフォレルの一途な思いに根負けした────なんて、そんなわけはない。


単純な話、テオが魔女らしく条件を出したのだ。

自分(テメェ)の今晩の食事を調達できたらそばにおいてやる。ただし獣を狩ってこい、と。

こくんと頷き森のさらに深くへと消えていったフォレルを見て、テオはほくそ笑んだ。

ガキに獣を狩れるわけがない。森には腹を空かせた狼もいるのだ、むしろ襲われるだろう。何なら方角がわからなくなって帰って来れなくなる可能性すらある。

そうなれば万々歳だ、なんて思っていたテオを裏切るように、日も沈みかけた頃フォレルはテオの元へ戻ってきた。

その手に仕留めた兎を持って。


「妖精どもが手を貸しただろ」

「なんの話」


曰く、元より弱っていた兎がいたらしく石をぶつけたらそれが当たって捕まえることができたと。

テオからすればそれはどう考えても妖精の寵愛による結果に思えた。

だが、もしもフォレルがテオのように魔女になってしまったのなら素直な子供のことだ、手から水が出るようになっただの石が宙に浮いただのと言うような気もする。


「本当に自分の手で仕留めたのか」

「そう」

「お前、前世でも野生児かなんかだったんじゃねぇの」


フォレルは意味がわからないと言いたげにテオを見た。

いや、意味がわからないのはこのガキの方だろう。


そんなわけでテオはフォレルがそばにいることを認めるしかなくなった。

約束を反故にしてもいいのだが、それはあまりにも魔女らしくない、もとい大人気ないというもの。

これっきりだとテオは諦めた。


だが、これに味を占めたのがフォレルである。



「私をあなたのお嫁さんにして欲しい」

「無理」


翌朝、まだ目も覚めきってない起き抜けに開口一番フォレルにそう言われた。

しかも真顔で、寝ている相手を見下ろしながら。

状況の意味もわからなければテオにそれを要求しようと思った神経も理解できない。


「わかった」

「いや、わかってねぇだろお前」

「あなたを私のお嫁さんにさせて欲しい」

「やっぱりな、クソガキめ」


それからもフォレルの要求は続いたが、テオは断固として条件を出さなかった。

そもそもテオに嫁だの結婚だのといった概念はない。

魔女と人間では生きる時間が違う。それでなくても誰かと共に生きていくなどテオには想像がつかなかった。

何せ、生きることそのものに執着を見せなかった男だ。


「そんな(なり)のガキが一丁前に魔女を口説くんじゃねぇよ」


めげずにしつこく要求してくるフォレルに対しテオはそう吐き捨てた。

フォレルが諦めるように。

或いは無下にし続けていればいつかフォレルがテオに飽きるかもしれないと期待を込めて。


…期待なんてものはすぐに打ち砕かれるというのに。




数日経った、ある日のこと。


「…お前、それ自分でやったのか」

「?」

「野良犬の方がマシだみたいな毛並みしてただろ」


それは些細な変化だった。

ボサボサでざんばらだったフォレルの髪が整えられている気がしたのだ。

首を傾げるフォレルに整えた自覚はなさそうだったので、もしかしたらテオの気のせいだったのかもしれない。テオもたまに鬱陶しい髪を手櫛で整えたりはする。きっとフォレルもそうだったのだろうとその日は思った。


だが、結果的に言えば気のせいではなかったのである。

フォレルの烏夜のような髪はいつしか艶めいたものになり、汚れた肌も磨いたように美しくなっていった。

骨皮だった身体にも肉がつき、ボロ布だった服はいつの間にか小綺麗になっている。鼻につく臭いも消えていた。

ごみのように捨てられていたせいで気付かなかったが元より顔立ちのいい子供だったのだろう、生気が戻ったフォレルは正直言って美形だった。

これで着ているものがドレスだったならどこぞの下位令嬢のガキくらいには見えたに違いない。


そう、テオが見ていない隙を狙って妖精たちがフォレルに施しを与えたのだ。


テオはすっかり生まれ変わったフォレルのその姿を見てようやく性別に気付いたが、そんなことはもはや些細な話だった。

ガキなりに一丁前な形になったフォレルはさも条件を満たしたとばかりに毎日テオを口説くようになり、愛まで囁き始めたのだ。

あんなもんが条件なわけあるか、妖精の施しを自分の手柄にしてんじゃねぇ、とテオは文句を言ったがそれらはすべて無視された。



「愛しているよ」


やかましすぎる。






フォレルとの毎日は着実にテオの大事なものをすり減らしている気がしたが、それでも日は昇り沈んでいった。

森での暮らしもフォレルからの面倒な要求を除けば今までとそう変わらない。

テオは腹が殆ど減らないし、生きる執着がないので特にやることもない。眠るか、森の中をふらりと散歩するか、獣どもが騒ついていたら様子を見に行くか、その程度だ。


フォレルはまだ人間のままだった。

たまに妖精たちの施しを得て身綺麗にしたり髪を切ったりしているようだったが、それ以外の寵愛は与えないようにテオが極力注意していた。

そのせいか、最悪何も食わずに生きていけるテオと違ってフォレルは決まった時間にきちんと腹を空かせている。

条件をつけずともフォレルは獣を狩って食べた。本当に野生児だったのではというほどに森の暮らしに順応している。

テオはフォレルの腹がぐうとなるたびにいつも少しだけ安堵した。


魔女として生きると時間の感覚を度々忘れる。

年月の経過は徐々に伸びているフォレルの背丈を見て実感した。

あとは寝床である木のうろの中がフォレルのせいで窮屈になったなと不満に思うくらいで、これまでと同じように永遠とも思える時間を過ごすのだ。


相変わらず愛を訴えるフォレルにはそれはただの依存だと言い聞かせ続けた。

テオはフォレルを縛る気もフォレルに縛られる気もない。

だから諦めろ、と。


それでもフォレルはテオに求め続けた。


フォレルは普段テオの言ったことに対して簡単に納得をするくせに、何故かこれに関してだけは一度も「わかった」と頷かなかった。









「フォレル」


テオがフォレルを呼べば、何故か物凄い勢いで振り返られた。

目を見開いて凝視してくるフォレルの姿を見て思わずテオの身体が仰け反る。

もう十年近くの時間がここで経とうとしていた。

テオの腰ほどしかなかった身長も随分と伸びたものである。


「何だよ」

「……用があるのはあなたのほう」

「確かに」


呼んでおいて「何だよ」はなかった。

テオは腰掛けるのにちょうどいい岩の上に腰を下ろすと「お前さ」と切り出した。


「街で王子サマでもひっ掴まえてこいよ」


そう言ってテオはフォレルの様子をちらりと窺う。

突然のテオの言葉にてっきり驚くか首を傾げるかすると思ったが、フォレルは瞬きひとつせずじっとテオを見つめていた。

まるでテオの心の奥底まで覗き込むような、探るような目だ。


「そうすればお嫁さんになってくれる?」

「まだ言ってんのかそれ」

「私をお嫁さんにすることは無理だとあなたが言った」


だからと言ってテオが嫁になる話にはならんだろう。

だがこれを本気で言うのがフォレルだ。


「…家族ごっこくらいは考えてやる」


何年経ってもフォレルのこの要求だけは変わらない。

少しの沈黙の後、珍しくもテオの方から出されたその条件にフォレルはこくりと頷いた。


「わかった」


普段と変わらない声だった。

それからすぐにフォレルは森の外へと出て行った。


自分から仕掛けたことであるのに、何故かテオの方が驚いていた。

まさか森から出ていくことをこんなにあっさり了承するとは思わなかったのである。

何せ街で王子サマになんぞ会えるわけがない。テオの出した条件を満たすことなど無理だと、フォレルも察していた筈だ。


(俺への執着は勘違いだったか?それともそれなりの年月を過ごして満足したか)


こんなことならもっと早くこの条件を突きつけてやればよかった。

テオはそこまで考えてふうと息を吐いた。

森の外、煌びやかな街や人の活気を目の当たりにすればフォレルも思い出すだろう。

陰鬱な森の中ではなく、陽の下で暮らすのが人の生き方だ。

例えフォレルが故郷で耐え難い苦痛を味わっていたとしても、人であるフォレルは人の中で生きるべきである。


真っ先に人として生きることを捨てたテオが何を言うのかと文句を言われるだろうか。

それとも人の生き方を勝手に決めるなと嗜められるか。

だが、所詮魔女なんてそんなものだろうとテオは思う。


外の世界で生き続けていけばいつか髪の色や瞳の色に惑わされない人間に出会うことだってできる筈だ。

流石に『王子サマ』は冗談だが、成長したフォレルは美形に磨きがかかっている。

だから、どうか戻ってくるな。


「…潮時だ、クソガキ」


どうしたって魔女と人は違う。一緒に生きてなど、いけないのだから。





そんなふうに思っていたのにフォレルはたった五日で帰ってきた。

テオの心境としては「はあ?」である。

まさかやっぱり街で王子サマに会うことなんてできないと諦めて帰ってきたか?と思えば。


「王子を(とら)えることはできなかった」

「だろうな。というかお前、まさか言葉のまんま受け取ったんじゃねぇだろうな」

「…?つかまえるとは手足を拘束するという意味ではないの?」


きょとんと首を傾げたフォレルにテオは口元をひくつかせた。

このガキは言葉通りにしか受け取らねぇ。


「後をつけて捕えようとしたら邪魔をされた」

「…色々言いてぇが、まあいいや。誰に邪魔された」

「知らない。目つきが悪くて大柄で、路地に王子(えもの)を引き摺って行こうとしていた」

「…………で?」

「邪魔だったからその大柄な男を背後から襲った」


要するに、たまたま街にお忍びで来ていた王子が破落戸に拐かされそうになっていたところをフォレルが助けた…と?


フォレルに人の生き方を思い出させようとしただけなのにどうしてこうなった?

王子に偶然出会うとかどんな奇跡だよ。出会うことを想定してねぇよ。そんでそのまま何事もなく帰ってくるんじゃねぇ。というか何だその身体能力。野生児だからか?それともやっぱり妖精どもの寵愛か?


テオは深くため息を吐いた。

今のフォレルは見た目がいい。高位貴族のような煌びやかさこそないが、単純に面がいいのだ。

そんなフォレルが街で王子と会い、しかも命を救ったという。

厄介なものを引き当てたかもしれないとテオは嫌な予感を覚えたが、その事実には知らないふりをして今夜はさっさと寝ようと心に決めた。








「森の魔女よ、彼女を解放するんだ」



魔女の予感というものは当たる。

フォレルが王子と出会したその一週間後、また森の獣どもが騒ついていたのでテオはうんざりしながら森の入り口へと足を運んだのだ。

フォレルには絶対に着いてくるなと言い聞かせて。


そうしてやって来た森の入り口で、テオの姿を見るや否や一方的に要求された。

恐らくこの国の王子なのであろう。美しい銀の髪を靡かせながら翡翠色の瞳でテオを射抜くように見つめてくる。

そんな彼を守るように背後にはずらりと騎士が並んでいた。


「彼女をこちらに引き渡して貰おう」

「彼女ってどちら様?」

「黒百合の姫だ。彼女を拐いこの森に捕えているのだろう?」


すべてわかっている、と言いたげな王子の態度にテオは遠い目になった。

本当に誰の話してんだ?

あの野生児のことを黒百合の姫だと言ってるなら正気を疑うし、本気で可哀想だと思っているなら正義感に酔いすぎだ。

声を荒げず冷静に魔女と会話するところを見るに、決して直情的ではないのだろう。短絡的ではあるかもしれないが。


「…本当にあのガキを連れ去ってくれる気概があったんなら、よかったんだがなあ」


そもそもフォレルの居場所を突き止めたということは、そうなるに至った事情も理解している筈だ。

それなのにこの発言ということは、フォレル自身をどうにかしたいわけではないのだろう。

テオも、フォレルを連れて行きたいなら好きにすればいいと思っていた。

そもそも王子サマをひっ掴まえてこいと言ったのはテオであり、いつか髪や瞳の色に囚われない人間に出会えるだろうとも思っていたのだから。

まあ、いつかがこんなに早いとは思っていなかったし、相手が本当に王子だったことも想定外ではあるのだが。


だが蓋を開けてみれば、この王子は魔女というわかりやすく忌むべき存在がそこにいたから原因をすべて魔女に押し付けただけだった。

自分が悲劇のお姫サマ(可哀想な生き物)を救うために。感謝されるために。正義感に浸るために。

そのためだけに、手を差し伸べようとしている。

それはまるで───…


「どっかの妖精そっくりだ」







その後、正義の英雄よろしく森に入ろうとした王子ご一行には指先で丁重にお帰り頂いた。

フォレルの元へ案内しても良かったが、少し離れたところで身を隠していた狼たちが何やら腹を空かしているようだったし、妖精に魅入られたらあの手の人間は面倒臭そうだったからだ。


寝床である木のうろにまで戻って来れば、根本に腰掛けたフォレルと視線が合った。


「お前、もしかしてあの王子サマに名乗らなかったのか?名を聞かれただろ」


お帰り頂くまでの間、王子は黒百合の解放をひたすらに訴えていたのだが、結局一度もフォレルの名を口にしなかったのだ。

格好つけたいお年頃かとも思ったが、何となくそうではないと感じた。


「教えてない」

「教えりゃよかったな。似合わねぇ二つ名つけられてたぞ」

「あなた以外には教える意味がない」


前にも似たような会話をした気がする。

意味がない、と言われて。それに対してテオが眉を寄せて。

懐かしい記憶を辿るように思い出していれば、テオの目の前にフォレルが立った。


「私が名前を教えるのは後にも先にもあなただけだよ」

「何だって?」

「あなたが言った」



──魔女は名前を教えねぇんだ

──どうして


『愛しちまうからだよ』




「………お前」


まさか心を、愛を明け渡しているのだと、そう言いたいのか?

馬鹿な。あれは魔女が名前を教えるのを勿体ぶっただけの、ただの冗談だ。



そう鼻で笑ってやろうとして、できなかった。

フォレルの目が、テオを見つめる水底の瞳が、どこまでも本気だったからだ。

それに気付いてしまったテオは咄嗟にこの場から姿を消そうとした。

少し離れるだとか遠出するだとかそんなものではなく、決してフォレルが後をついてこれないように遠く離れた異国の地まで。

初めて自分から妖精の寵愛を借りて逃げようと思った。



だが、それはできなかった。

言うまでもなくフォレルがテオの腕を掴んでいたせいである。


「頼む、放せ」

「無理」

「お前、もう俺から離れた方がいい」

「どうして」


口端がひくつく。そんなもの、嫌な予感がするからに決まっているだろうが。

魔女の予感は当たるのだ。

これ以上聞いては駄目だというのに、フォレルが腕を掴んでいるせいで耳を塞げなかった。



「私の世界は、あなたがすべてなのに」




その言葉にヒュッと喉がなった。

顔どころか全身から血の気が引いていく。


他の誰でもないテオが、あの日、あの時、死にかけのフォレルの命を繋いでしまったから。

フォレルをテオという世界に縛り付け、執着心を与えてしまったのは───…




「俺のせいじゃねぇか」



テオは思わずその場にしゃがみ込んだ。

自分の迂闊さに頭を抱えそうになる。テオはこれまで何に対しても執着してこなかったし、執着されてこなかった。そのせいで判断を誤るとは思ってもみなかったのだ。

やはり妖精の真似事などするべきではなかった。


「あなたでよかった」

「…何もよくねぇ」

「ふふ」


テオは思わずフォレルを見上げた。

十年も経っているのにフォレルを見上げるなんてこれが初めてだった。

テオがまじまじと見つめれば、フォレルもあの瞳でまっすぐに見つめてくる。


「あなたは気付いてる?」

「何をだ」

「私の望みは、あなた自身が叶えているということ」

「は…?」


テオは口を半開きにしたまま間抜けな顔を晒した。


「森の中にいた(おおかみ)が案内してくれたとき、狩りをしたこともなかった私が兎を捕まえられたとき、私の(なり)が一丁前になったとき、街で王子を捕え……損ねたとき。他にもきっと、たくさんある」

「…それはただの偶然、いや、妖精どもが……」

「あなたの元へ導いてくれた、そばにおいてくれた、口説かせてくれた、お嫁さんになって……」

「…ねぇよ」

「すべてあなたが叶えてくれている」


フォレルの言葉にテオは困惑した。

否定したいのに、そんな馬鹿なと何故か笑い飛ばせない。

気付けばテオの周りに妖精たちが集まっていた。


『気付いた』

『やっと気付いた』

『素直じゃない』

『あなたが望んでいることなのに』

『魔女の力』

『あなたがずっと使っていたのに』

「………はあ!?」


テオが驚愕の目を向ければ妖精たちはくすくすと笑っていた。

妖精どもは何を言っている?

それではまるでテオ自身がそうなって欲しいと願い、テオ自身が魔女の力で願いを叶えていたと。そう言っているみたいではないか。


フォレルをテオの元に導きたかった?

フォレルをそばに置いておきたかった?

フォレルに愛を囁いて欲しかった?

フォレルに………


そんなわけが。



「だから、離れろなんて言わないで」


テオの腕を握ったままフォレルは笑った。

まるで離れるなとでも言うように。


「…魔女と人間は、一緒に生きられねぇんだよ」

「あなたがそのうち叶えてくれる」

「お前は俺のせいで勘違いしてるだけだ」

「だったらずっと勘違いしたままでいよう」

「俺という狭い世界で生きる必要はねぇ」

「二人で暮らすにはちょうどいい狭さだね」

「いいわけねぇだろ……」


思わず掌で顔を覆いながら唸り声を上げてしまう。

何なんだこいつ、十年経ってもクソガキのままじゃねぇか。


「どうして?」


穏やかな声が聞こえる。

出会った頃より幾分か大人になった、落ち着いた声。


溺れそうなほどに深い水底色の瞳はいつだって真っ直ぐにこちらを向いていた。

こちらだけを、見ていた。

愛とはそういうものでしょう?と説くかのように。


「あなたがいる、私がいる。それで十分だ」



クソガキのくせに。




「お前、魔女の俺よりタチ悪い(執念深い)な」







執着なんてないと思っていた男に執着はあったし、生に貪欲な子供は愛した男にも執念深かったという話。


ここまでお読み下さり、ありがとうございました!


魔女であるテオは成長が止まっているものの不死ではありません。

ただ寿命がある人間のフォレルと生きるのは難しいと考えていて、だからこそフォレルの愛を頑なに拒否していたところもあるのだと思います。

だからと言って一緒に生きるためにフォレルを自分と同じ魔女にさせてしまうのも違うよな、と。


しかし結果的にはテオも無自覚で執着していたし、フォレルの執念も凄まじかったのだった…。

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