これは、俺がヒーローだった頃の話だ。
「この話は、俺が突然ヒーローになった時の話だ。暇だったら聞いて言って欲しい」
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「ごめんタツキ、もう連絡しないでほしい」
スマホに残された文字は、たったそれだけ。
駅のホーム。
冷たい春風が頬を撫でる。
高校1年生からずっと付き合っていた彼女からの返信はたったこれだけ。
1年半の思い出や記憶、恋人関係はたった一つの返信で幕を閉じた。
「恋人契約終了か…。潔いな…」
俺は笑った。
ただ笑った。
覇気のこもっていないかわいた笑い方で…。
この時間の電車に乗り込むと、座席にはパラパラと人がいる程度だった。
サラリーマン、カップル、学生…みんな、自分の帰る場所に向かっている。
俺だけ…。
自分だけが、宙ぶらりんだった。
両親とは死別した。
当然、家もない。
今日、恋人も失った。
居候させてもらっている幼馴染の家には、なんとなく帰りたくなかった。
心が空っぽだった。
「動くな!動いたら、こいつの首を切るぞ!」
電車内で突如叫び声が上がった。
男が刃物をふりかざし、近くにいた女子高生の首元に突きつけていた。
彼女は青ざめ、震えている。
乗客たちは息を呑み、誰一人動けない。
当然俺も体が固まり動けない。
恐怖が、車内に染み込んでいた。
「財布を出せ!スマホもだ!全部床に置け!」
鋭く尖った怒号。
誰かが泣き出した。
誰かが、黙って俯いた。
俺もそうだった。
ただ、下を向いた…。
「はあ…」
無力だった。
しかし、ここで人生が終わるのも悪くないかもな…。
そう思った時だった。
「情けない顔だな。死にたいのか?」
耳元で声がした。
誰だ!?
振り返っても、誰もいない。
だが、首筋に何か触れた感覚と同時に、視界にメッセージが表示された。
《君の脳波、神経、心拍数…最適だ。君にしか、これは着れない》
「は…?」
《君は今日からヒーロになれ!少年!》
気づけば右手に黒い腕時計のようなものがついていた。
金属製で、文字盤には奇妙なマークが刻まれている。
《ダイヤルを押せ》
俺は戸惑いもなくダイヤルを押した。
その瞬間、俺の体は特殊なスーツのようなものに覆われた。
一瞬だった。
普通の服じゃないのは明白だ。
強化樹脂のような装甲と、しなやかな繊維が融合した、まるで軍用アーマーのような構造。
《君が世界を変えろ》
思考よりも先に、体が動いた。
気づけばスーツは自分の体にフィットし、金属と皮膚が一体化するような感覚が走った。
ヘルメットが頭部を包んでいる。
車内の全体像が透けて見える。
なんだこれは…。
熱源、心拍数、刃物の金属探知、全てが視える!
「なんだよ、これ…」
俺が、やれってか…。
俺は静かに立ち上がった。
気配に気づいた通り魔が振り返る。
「なんだテメエ!ふざけ…」
言葉は途中で途切れた。
俺の蹴りは、空気を裂いて襲いかかった。
速度、視力、筋力、反応速度、全てが数倍に跳ね上がっている。
男の体は宙を舞い、車両のドアに叩きつけられた。
ナイフは、遠くへ飛び乗客たちが悲鳴を上げる。
「誰だ…!?あいつ!」
「ヒーローか!?なんかのコスプレか…!?」
「ちょ、動画撮っとけ!」
スマホのカメラが一斉に向けられる中、俺はただ静かにその場を去った。
《記録保存中》
スーツ内に響く機械音。
そして、再び、あの男の声。
「いい動きだ、少年」
「おい、お前誰だ!」
俺は声を荒げた。
「私は、君の可能性に投資する者とでもしておこうか…。そして、私は君の両親と少し関わりがあってね」
その言葉を聞き背筋が凍った。
「父さんと母さんを知ってるのか!?」
「いずれ、話すとき、いや知る時が来るだろう。だが、今は君がこの街いや世界に必要だ」
その声を最後に通信は途絶えた。
ヒーローになど、なるつもりはなかった。
ただ、逃げ出したかった。
けれどその日俺は確かに、誰かを救った。
この時の俺は、今から始まる物語が起きるなんて想像もしなかった。
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「そうこれは、俺がヒーローだった頃の話だ」