表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

1-07

天然の塩田を離れ、地面が完全に岩肌になったところで、マルスの動きが、ふと止まった。

「……おかしい」


マルス呟きに、ケイと隊長は顔を見合わせた。


「どうしたマルス」


隊長が問いかけると、マルスは周囲を見回し、訝しげな表情を浮かべた。


「どうも、方向感覚が狂っている気がします。本当であれば、すでに安全地帯が見えいてもおかしくないはずです」


マルスの言葉に、隊長がハッとしたように声を上げた。


「盤星か!」


隊長は吐き捨てるように言葉を続けた。「盤星の擬態魔法だ。塩田に紛れる為に使ってたはずだが、周囲一帯の景色も歪ませる効果があるのかもしれん」


ケイは、足元の岩肌を改めて見つめた。確かに、陽炎のように揺らめいて見える場所がある。視線を上げると、確かに遠くの岩山の輪郭が、常にブレているように見える。まさか、あの微弱な魔力が、これほどまでに影響を及ぼすとは。


(大丈夫か……)


ケイは不安を押し殺しつつ、マルスの方を見た。


「マルス、 正しい方向は分かるか?」


隊長の問いかけに、マルスは周囲を深く観察し始めた。


「……おそらく、あの岩山を正面に見ながら、もう少し左に進むべきです。盤星の擬態に惑わされ、私たちは、わずかに右方向に進んでしまっている」


マルスの言葉に従い、隊長は進む方向を修正した。頭上では、依然として鳥型魔物の群れが襲いかかってくる。




隊長が先頭を歩き出し、マルスがその背を追う。ケイも遅れないように、二人の後を懸命に走った。岩肌は所々滑りやすく、疲労した足には堪える。頭上では、相変わらずけたたましい鳴き声を上げながら、黒い影が旋回し、隙あらばと襲いかかってくる。


しばらく進んだところで、マルスは立ち止まり、背負っていた革製の鞄から白いチョークを取り出した。近くの、人の背丈ほどの岩の表面に、素早く、しかしはっきりと、記号のようなものを殴り書きで描き始めた。それは、撤退中であることを示す、地図士のサインであり、同時に、彼らが来た方向を指し示す簡略化された矢印だった。


「念のためです」


マルスは、チョークを鞄に戻しながら、簡潔に言った。「もし、パトリックが合流できなかった場合、これが手がかりになります」


隊長は、マルスの行動に頷き、再び歩き出した。すると、空から襲ってくる鳥型魔物の種類が、わずかに変化してきたことにケイは気づいた。先ほどまでは、全身が黒く、嘴の鋭い、カラスのような魔物が多かったが、今度は、翼に白い斑点があり、より大きく、鉤爪の鋭い鷲のような魔物も混ざり始めている。その動きも、先ほどの魔物より一段と速く、そして攻撃も苛烈になっているように感じられた。


「キィィィィ!」


一体の鷲のような魔物が、ケイ目掛けて急降下してきた。鋭い鉤爪が、ケイの顔面を捉えようと迫る。ケイは、咄嗟に騎士剣を抜き払い、魔力を込めて横薙ぎに斬りつけた。


「キギャッ!」


魔物は、ケイの剣に胴体を切り裂かれ、黒い羽根と血を撒き散らしながら、地面に墜落した。しかし、すぐに別の魔物が、背後から襲いかかってくる。ケイは、振り返りざまに剣を突き出し、辛うじてそれを撃退した。疲労困憊の体には、連続する高速な攻撃は、大きな負担となる。息が切れ、全身の筋肉が悲鳴を上げ始めていた。


隊長も、新しい種類の魔物の出現に気づいたようだ。これまで以上に集中し、放つ魔力の斬撃の威力と精度を高めているのが、ケイからも見て取れた。それでも、完全に防ぎきることは難しく、時折、隊長の体に魔物の爪が掠めるのが見えた。


そんな中、先頭を走っていた隊長の足が、突然止まった。


「……あれだ!」


隊長は、前方の一角を指差した。ケイとマルスが目を凝らすと、岩が複雑に折り重なった先に、わずかながら開けた空間が見えた。そこだけ、周囲の岩肌の色とは異なり、いくらか緑がかった、小さな窪地のような場所だった。


「あれは……?」


ケイが問いかけると、隊長は息を切らしながら答えた。


「おそらく、小さな安全地帯だ。あそこまで行けば、一旦、身を隠せる。マルス、ケイ! 急ぐぞ!」


隊長の言葉に、ケイは最後の力を振り絞り、再び走り出した。頭上では、依然として鳥型魔物の群れが執拗に追ってくる。しかし、目の前に見えた、わずかな希望の光に向かって、三人は必死に足を動かした。


疲労困憊の体には、その短い距離さえも、永遠に続くかのように感じられた。岩がゴツゴツと突き出した地面を、隊長とマルスの背中を追いかけ、ケイはよろめきながらも前に進む。肺が焼け付くように痛み、心臓が激しく鼓動する。あと少し、あと少しだけ――。その一心で、ケイは意識を繋ぎ止めた。


そして、ついに、隊長の指し示す、岩の裂け目のような小さな窪みが、目の前に現れた。



息は絶え絶えで、ケイに至っては、足がもつれるようにして、その場にへたり込んでしまった。全身の筋肉が悲鳴を上げ、肺は焼けるように熱い。しかし、外で響いていた鳥型魔物のけたたましい鳴き声は、まるで遠い世界のものになったかのように、急に小さくなった。


その安全地帯は、畳三枚分ほどの広さしかない、小さな岩の隙間の小さな場所だった。足元は、細かい砂利と、奇妙な白い結晶体で覆われていた。その結晶体は、まるで綿菓子のようにふわふわと宙に漂っており、微かに光を反射して、幻想的な光景を作り出している。


「はぁ……はぁ……なんとか……」


ケイは、荒い息を吐き出しながら、地面に手をついた。全身から力が抜け落ち、指先一つ動かすのも億劫だった。隣ではマルスも、肩で息をしていたが、周囲の警戒は怠っていなかった。隊長も、魔力の使用が多かったせいか、流石に疲労の色が見えた。


三人がその小さな安全地帯に身を潜めてしばらくすると、けたたましい鳥型魔物の鳴き声が、徐々に遠ざかっていくのがわかった。先程まで、頭上を覆い尽くしていた黒い影は、いつの間にか姿を消し、代わりに、静寂が戻りつつあった。


「……行ったか」


隊長が、警戒を解かずに呟いた。


「不思議ですね……」


ケイは、ようやく少し落ち着きを取り戻し、周囲を見回しながら言った。


「あんなに執拗に追いかけてきたのに……」


確かに、彼らがこの小さな窪地に入った途端、あれほど猛威を振るっていた鳥型魔物の群れは、まるで何か見えない境界線に阻まれたかのように、ピタリと姿を消したのだ。どこに行っても足元に転がっていたヒトデの魔物も、いつの間にか見当たらなくなった。


周囲の緊張感から解放され、身体の力が抜けるような、不思議な安堵感に包まれた。



◇◇◇


小さな安全地帯の中心には、地面に生えている他の結晶体よりも大きい、淡い光を放つ白い拳大の結晶が、ゆらゆらと宙に浮かんでいる。

まるで小さな月がそこだけ重力から解放されたかのように、静かに回転していた。


ケイは、その不思議な光景に目を奪われた。こんな光景は、迷宮に入ってから初めて見る。


「あれは……?」


ケイが、指をさしながら隊長に問いかけた。


隊長は、少し息を整えると、ケイの指差す先を見つめ、頷いた。「ああ、あれか。初めて見るか?」


ケイが首を横に振ると、隊長は、携帯食料の入ったポーチを開けながら説明を始めた。


「迷宮の各エリアの境界には、安全地帯が存在するのはお前も知っているな?」


ケイは、以前に隊長から説明を受けたことを思い出し、頷いた。各エリアの境界にある安全地帯は、広く休憩や簡単な治療を行うのに適していると教わった。


「だがな、エリアの内部にも、こういった自然発生的な安全地帯が出現することが、そこそこよくある。」


隊長は、手のひらサイズの乾パンを取り出し、一口齧った。「発生のメカニズムは、解明されていないが、どうやら、あの中心に浮かんでいる、結晶がコアとなって安全地帯になるらしい。」


ケイは、中心に浮かぶ結晶を静かに見つめた。淡い光を放つその物体は、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。


「エリア内部の安全地帯は、あのコアと呼ばれる結晶を中心に形成される。そして、安全な範囲の大きさは、コアのサイズに比例するんだ。あれくらいの大きさのコアなら、せいぜい、この畳三枚分程度の広さにしかならないだろうな」


隊長は、そう言って、腰に下げた水筒の蓋を開け、一口水を飲んだ。ケイも、隊長の言葉を聞きながら、同じように携帯食料の肉を取り出し、咀嚼した。喉の渇きを潤すために、水筒から少しずつ水を飲む。疲労困憊の体に、水分と僅かな塩分が染み渡っていくのがわかった。


硬い肉をゆっくりと噛み砕きながら、ケイは隊長の言葉に耳を傾けた。疲労はまだ消えてはいないものの、座って休憩しているうちに、幾分か楽になってきた。心臓の鼓動も落ち着きを取り戻し、呼吸も楽になりつつある。


「しかし、本当に不思議ですね」


ケイは、再び周囲の白い結晶体を見回しながら言った。ふわふわと漂う小さな結晶と、中心で静かに回転する大きなコア。この小さな空間だけが、迷宮の過酷な法則から解放されているようだ。




しばらくすると、マルスは背負っていた革製の鞄から、いつもブリーフィングで使っているものよりもずっと小さい、A4サイズ程度の黒板を取り出した。それは、彼が個人的に持ち歩いている、より詳細な記録用のものなのだろう。マルスは、慣れた手つきでチョークを取り出し、黒板の上に何やら数字と、見慣れない複雑なマークをいくつか書き始めた。


ケイは、マルスの手元を覗き込んだが、それが何を意味するのか、すぐに理解することはできなかった。しかし、おそらく、ここまでの彼らが辿ってきた経路と、現在地の情報を記録しているのだろうと推測した。几帳面なマルスのことだ、後で地図と照らし合わせるために、詳細なデータを残しているに違いない。


一方、隊長は興味深そうに足元の白い結晶体を手に取って観察していた。手のひらに乗せられた結晶は、微かに光を反射し、角度を変えるたびに、キラキラと輝いた。隊長は、その結晶を指先で弄び、鼻に近づけて匂いを嗅いでいる。最後に舌先乗せて味を確かめた後、つぶやいた。


「……塩だな」


その声には、確信の色が滲んでいた。


ケイは、驚いて隊長を見た。


「塩、ですか?」


隊長は、頷き、手に持った結晶を見つめた。


「ああ、間違いない。」


そして、隊長の視線は、ゆっくりと中心に浮かぶ、少し大きめのコアへと移った。その白い光を放つ物体を、しばらくの間、じっと見つめていたかと思うと、隊長の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「……ふむ。どうやら、このコアからも、塩が生産できるらしいな」


隊長のその言葉に、ケイはさらに驚きを隠せなかった。


「このコアから、塩が?」


隊長は、先程までの疲労の色を忘れ、少し嬉しそうな表情で説明を始めた。


「エリア境界のコアは、コアを維持するためのエネルギーしか持っていないが、こういうエリアに発生した安全地帯のコアは何かしらの資源の生産能力を持っている」


マルスも、黒板への書き込みを終え、隊長の方を向いた。


「私たちの都市も、元々は自然発生した安全地帯のコアが元となっているんですよ。水、鉄、銅、土、そして最後に熱源。他にも合ったはずですが、大きな7つのコアを使って都市を維持しています。まあ、流石にそれは知っていますよね」


隊長の言葉と、マルスの補足によって、ケイは、この不思議な安全地帯の成り立ちについて、ほんの少し理解できたような気がした。魔物を寄せ付けない特殊な魔力場を作り出すだけでなく、貴重な資源である塩まで生み出すとは。迷宮とは、本当に奥深く、そして不可解な場所だと、改めてケイは感じた。


隊長は、満足そうに頷いた。


「ここを離れる時には、この塩のコアを持っていこう。うちは持っていなかったはずだ。かなり喜ばれるはずだ」




その時、遠くの空が、一瞬、鮮やかな緑色に染まった。「ドーン!」という、腹に響くような破裂音も、遅れて聞こえてきた。


「緑色の信号弾……!」


マルスが驚くような声で呟いた。彼の丸眼鏡の奥の瞳が、音と光の方向を捉え、 するように細められている。


「間違いない……あの方角だ」


マルスは、指で空の光が消えた方向を指し示した。


「安全地帯に先に居なかったから、パトリックが打ち上げてくれたみたいだな。」


隊長は、空を見上げた後、力強く頷いた。「よし。休憩はここまでだ。エリア境界がわかるなら合流を急ぐぞ。この安全地帯もいつまで続くか分からない。長居は無用だ。」


ケイも、立ち上がった。疲労はまだ残っているものの、先程の休憩で、いくらか体力が回復したのを感じる。仲間の無事を示す緑色の光は、ケイの心に、新たな希望の光を灯してくれた。


「了解」


ケイは、騎士剣を握り直し、力強く言った。



「念のため、周囲の状況を確認してくる」


隊長はそう言うと、小さな安全地帯の岩の切れ目から、さっと身を乗り出した。鋭い視線を周囲の岩場や上空に向け、魔物の気配を探っている。しばらくの間、微動だにせずに周囲を観察していたが、特に危険な兆候はないと判断したのだろう、やがて安全地帯の外へ出ていった。


その間に、マルスは手際よく行動を開始していた。革製の鞄から、やや厚手の、丈夫そうな布袋を取り出すと、宙に浮かぶ白いコアに近づいた。慎重な手つきで、コアの周囲を布で包み込み、ゆっくりと布袋の中に収めていく。コアは、布に触れても特に抵抗する様子はなく、まるで意思を持っているかのように、おとなしく袋の中に収まった。


ケイも、マルスの行動を見て、自分にできることを考えた。足元に散らばっている、小さな白い結晶体も、何かの役に立つかもしれない。


「マルスさん」


「回収しておいてください」


どうやらこの地面に散らばる結晶もコアとして機能するらしい。ケイは、自分の持っている一番大きな布袋を取り出すと、地面に落ちている結晶体を、できるだけ多くかき集めて中に入れていった。ふわふわとした結晶は、見た目以上に嵩張り、すぐに布袋は一杯になった。


やがて、隊長は安全地帯の中に戻ってきた。


「よし。特に問題はないようだ。このまま、エリア境界の安全地帯を目指すとしよう」


隊長の言葉に、マルスはコアの入った布袋をバックパックにしまい、ケイは結晶体の詰まった布袋を肩に担いだ。三人は、緑色の信号弾が上がった方向へと、歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ