1-13
どれくらいの時間眠っていたのだろうか。ふと、鼻腔をくすぐる、香ばしく美味しそうな匂いに意識が引き戻された。同時に、まぶたの裏が、オレンジ色というよりは、もっと明るい光で照らされているのを感じる。
(朝か……)
匂いに誘われるように、ケイはゆっくりと体を起こした。寝袋から顔を出すと、外は思っていた以上に明るかった。巨大な石柱の上に広がる空は、すでに真っ青で、日が高く登っているのが分かる。どうやら、寝ずの番を終え、交代してから、かなり時間が経っているようだ。
匂いの元を探して、ケイは天幕から這い出した。朝の冷たい空気が肌を撫でるが、清々しい。そして、すぐに匂いの元が見つかった。
焚き火のそばだ。
昨日集めた薪で起こした焚き火の上で、パトリックが何かを調理していたのだ。黒い鍋から立ち上る湯気と、食欲をそそる匂い。パトリックは、鼻歌交じりに鍋の中身をかき混ぜている。
(朝ごはん……)
空腹を自覚し、ケイの胃が小さく鳴った。
パトリックが料理をする焚き火から少し離れた場所では、隊長とマルスが、広げた地図を囲むようにして話し込んでいた。真剣な表情で、何かを指差したり、頷いたりしている。どうやら、今日の採掘作業の段取りや、遺跡地帯の詳細な地形について、会議をしているようだった。マルスが時折、小さな黒板に筆記をしているのが見える。
ケイは完全に天幕から出て、パトリックの方へと歩み寄った。
「おはようございます、パトリックさん」
ケイの声に、パトリックが顔を上げた。彼の顔には、夜間の警戒任務と朝早い料理の準備による疲労の色はほとんど見えず、いつもの明るい笑顔を浮かべている。
「おう、ケイ! おはようさん。よく寝てたな!」
パトリックはそう言って、鍋の中身を再びかき混ぜた。鍋の中には、ぶつ切りにされた肉のようなものと、いくつかの野菜が入っているのが見える。
隊長とマルスも、ケイが起きてきたことに気づいたようだ。隊長がこちらに視線を向けた。
「おはよう、ケイ。よく眠れたか」
隊長の言葉に、ケイは頷いた。
「はい、おかげさまで。ぐっすり眠れました」
隊長は、軽く微笑んだ。
「こちらこそ、助かったよ。やはり睡眠を取ると体軽い。そうだ、朝、いい鳥を仕留められたのでな。お前も食べて、今日の作業に備えろ」
隊長の言葉に、ケイは思わず隊長の持っている騎士剣を見た。朝、隊長が一人で鳥を狩りに行ったのだろうか。巨大な石柱の周りに、魔物の気配はほとんど感じられなかったが、迷宮はどこに魔物が潜んでいるか分からない。
パトリックが、用意していた木製の皿に、鍋からスープをよそってくれた。湯気が立ち上り、温かそうなスープだ。
「熱いから、ゆっくり食えよ」
「ありがとうございます」
ケイはパトリックから皿を受け取り、焚き火のそばに腰を下ろした。皿の中には、骨付きの肉と、見慣れない根菜のようなものがいくつか入っている。スプーンでスープをすくって口に運んだ。
温かいスープが、疲れた体に染み渡る。鳥の肉から出たであろう、濃厚な出汁の味と、野菜の優しい甘みが口の中に広がる。塩加減も絶妙だ。昨夜から何も食べていなかったせいか、その美味しさは格別だった。
「うまい……」
思わず、ケイから賛嘆の声が漏れた。
「だろ? 俺様の特製スープだからな!」
パトリックが得意げに胸を張る。
「朝からこんな美味しいものが食べられるなんて、思ってませんでした」
「まあ、隊長が良い獲物を見つけてきてくれたおかげだけどな」
パトリックはそう言って、隊長の方を見た。隊長はマルスと話し込みながらも、時折こちらに視線を向け、二人の会話を聞いているようだ。
隊長に会釈をすると、隊長は柔らかい笑みで手を振ってくれた。
「そうだ、ケイ。カチカチパンもこんなかに入れるとだいぶ柔らかくなるぜ」
「少し勿体無い気もしますね」
隊員が迷宮の中で毎日食べることになる、限界まで乾燥させたパン。通称カチカチパンは、普段であればナイフでちぎって口の中に入れて唾液や水分でふやかして食べることになる。
無論スープに入れれば柔らかくなり、美味しく食べられるだろう。
(せっかくのスープにカチカチパンを入れるのもなぁ)
「スープはおかわりあるから、遠慮なく食えって」
「せっかくなので、2杯目からふやかすようにします」
ケイのそんな反応を見て、パトリックは笑った。
パトリックの作った温かいスープで腹を満たし、今日の採掘作業への活力を得たケイは、身支度を整えた。夜間の寝ずの番も、朝の穏やかな時間で疲労も回復し、体は軽い。隊長とマルスも会議を終え、必要な荷物を背負い直している。
隊長の号令と共に、小隊はキャンプ地を後にした。
朝の光が遺跡地帯を照らしている。巨大な石柱は、朝日を受けて影を長く伸ばしている。
遺跡の奥地へ向かう。昨日通った廃村のような場所だ。朝の光の下で見ると、土に埋もれた建物の残骸や、朽ちた木材は、さらに荒涼とした雰囲気を増している。風が吹き抜けるたびに、土埃と枯れ葉が舞い上がる。
廃墟の合間を縫って進んでいく。昨日ゴブリンに奇襲された場所を通りかかると、無意識のうちに周囲への警戒を強めた。ゴブリンの死骸は、他の魔物によって処理されたのか、あるいは迷宮の法則に従って消滅したのか、すでに跡形もなくなっている。
しばらく進んだ頃だった。かすかに、しかし確かに、何かを打ち付けるような音が聞こえてきた。
カン、カン、カン……
それは、金属が硬いものに当たるような、一定のリズムを伴った音だった。いくつもの音が重なり合い、遠くから響いてくる。
(採掘の音……?)
ケイは立ち止まり、耳を澄ませた。音は、この遺跡のさらに奥の方から聞こえてくるようだ。他の小隊が、すでに採掘作業を開始しているのだろう。
隊長もその音に気づいたようで、立ち止まり、音のする方向をじっと見つめている。マルスも、手元の地図と周囲の地形を見比べながら、何かを確認している。
「早いな」
隊長が小さく呟いた。
音のする方へ、慎重に進んでいく。廃墟の隙間から、他の小隊の姿が少しずつ見えてきた。数十メートル先に、複数の騎士たちが集まっているのが分かる。彼らも、採掘作業をしているようだ。鶴嘴を振るう姿が見える。
隊長は、他の小隊との間に、魔物を誘引するリスクを考慮し、適度な距離を取るよう指示した。ケイたちの小隊は、彼らからそれなりに離れた場所で立ち止まった。
隊長が右手を大きく上げると、他の小隊の隊長とやり取りを始めた。距離があるため、大声で呼びかけるか、手信号を使うしかない。
迷宮では非常時以外大きな声を上げることは好まれない。そのセオリーに従って、隊長は迷宮探索で使われる基本的な手信号を使いながら、相手の隊長に話しかけているようだ。
(右に2回手を振って、左手で輪っかを作る……面白そうだし、今度教えてもらおう)
教練で教えられた時は、手話のようで成績にも関係なかったため、興味はそそられ無かったが、こうして実際に伝達するのを見ると、原始的な通信のようで、ケイの好奇心を大きく煽った。
ケイには内容は分からないが、挨拶と、互いの状況確認をしているのだろう。
やり取りによって、ケイ達の野営している巨大な石柱よりも、少し遠いところにある別の石柱で、彼らが野営しているらしいことが分かった。この遺跡地帯には、巨大な石柱がいくつか点在しており、それぞれが野営地や目印として使われているのだろう。
情報交換がある程度進んだところで、他の小隊の隊長が、腕を組んで何かを考え込むような仕草を見せた後、再び手信号を送った。
「彼らが、今後の連絡手段について提案している」
隊長がマルスに小さく説明する。
「昨日のようなこともあるから、他の小隊がどこにいるかも含めて『狼煙』を定期的に上げることとなった。緊急の連絡はもちろん、信号弾になるが」
「了解しました」
マルスが頷く。これで、必要に応じて情報交換ができる。
情報交換を終えると、互いに軽く敬礼のような仕草を交わし、隊長はケイたちに振り返った。
「よし。情報交換はこれくらいにしておこう。あまり近い距離に長居するのは、強力な魔物を呼び寄せる可能性がある。彼らも採掘を再開するだろう。我々も、採掘を開始する場所へ移動するぞ」
小隊は、他の小隊から距離を取り、昨日確認した採掘予定地の窪地へと向かった。岩肌の斜面を降りていくと、窪地の底に広がる白い塩の結晶が見えてきた。朝の光に照らされて、さらに眩く輝いている。
「ここだ」
隊長が言った。
ケイは、背負っていたリュックを下ろし、採掘の準備に取り掛かる。腰の騎士剣を鞘に収め、リュックから鶴嘴の柄の部分を取り出す。
そして、慣れた手つきで、体内の魔力を柄へと流し込む。
『生成』
短い詠唱と共に、金属の輝きを放つ鶴嘴の穂先が、柄の先端に生成される。朝の光の中で、新しく生成された穂先がキラリと光った。
パトリックも隣で、同じように鶴嘴を生成している。マルスは、塩を詰めるための布袋やシャベルを用意している。隊長は、窪地の縁に立ち、周囲の警戒にあたる。
「では、開始!」
隊長の号令と共に、採掘作業が始まった。ケイは鶴嘴を構え、窪地の底に固まった塩に振り下ろした。
ガンッ、ガンッ……
硬い塩を砕く音が、遺跡の奥地に響き渡る。
◇◇◇
しばらく作業を続けていると、隊長から休憩の指示が出た。ケイは鶴嘴を下ろし、大きく息を吐いた。全身の筋肉が悲鳴を上げているようだ。
パトリックはタオルで顔の汗を拭い、大きく伸びをしている。マルスは手元の黒板に、今日掘り出した塩の量を記録しているようだ。
隊長は、周囲の警戒を怠らず、遠くの廃墟や丘の上、そして他の小隊の方向を注意深く見つめている。
ケイは、隊長のそばに歩み寄った。少しでも体力のある隊長が、休憩中も警戒にあたっていることに、申し訳なさのようなものを感じる。
「隊長、お疲れ様です」
ケイが声をかけると、隊長は視線をケイに向け、軽く頷いた。その顔にも疲労の色は見えるが、表情は穏やかだ。
「お疲れ、ケイ。順調に掘れているな」
「はい。思ったより硬いですけど、結構な量が取れてます」
ケイは積み上がった塩の布袋を見た。午前中と午後の作業で、すでにかなりの量が確保できている。
「そういえば、この遺跡地帯に集まっているのは、俺たちの小隊以外にも、いくつか小隊があるんですよね」
休憩中に、ふと気になったことをケイは尋ねてみた。他の小隊の存在は、魔物誘引のリスクを伴う。彼らがどれくらいの規模で活動しているのか、そして、その活動範囲はどの程度なのか、把握しておきたかった。
隊長は、ケイの質問に少し考え込むような素振りを見せた後、答えた。
「ああ。今回の塩の採掘と運搬任務には、複数の小隊が投入されている」
隊長は、指を折りながら説明を始めた。
「採掘を担当しているのは、我々を含めて三つの小隊だ。そして、都市への運搬を担当しているのが、四つの小隊」
「ということは、計七隊がこの任務に当たっているということでしょうか?」
ケイが確認すると、隊長は首を横に振った。
「いや、正確には九つの小隊だ」
「九つ、ですか?」
予想よりも多い数に、ケイは少し驚いた。
「採掘と運搬の他に、二つの小隊が安全地帯の捜索とコアの回収を担当している」
隊長が補足した。安全地帯の捜索と、コアの回収。昨夜、自分たちが小さな安全地帯で塩のコアを見つけたことを思い出す。資源生産能力を持つコアは貴重であり、それを専門に捜索・回収する小隊がいるのだろう。
「安全地帯は、一度見つければ地図に記載されるが、新たな安全地帯が出現することもあれば、既存の安全地帯が消滅することもある。だから、確認が必要なんだ」
隊長の説明に、ケイは頷いた。迷宮は常に変化しており、その変化に対応するためには、常に最新の情報を把握しておく必要があるのだ。
「この遺跡地帯以外にも、常に複数の小隊が活動してるんですね」
ケイが確認すると、隊長は頷いた。
「そうだ。採掘、運搬、そして安全地帯とコアの捜索。それぞれの役割分担がある」
ケイは、ふと懸念に思ったことを口にした。昨日のブリーフィングで、大人数が集まることが魔物誘引のリスクを高めるという話を聞いたばかりだ。
「となると……この遺跡に集まるのは、常に最大で四隊くらい、ということでしょうか?」
採掘の三隊と、塩の引き渡しに来る運搬の一隊。あるいは、運搬の隊が複数同時に来る可能性も考えられるが、一度に四隊以上がこの狭いエリアに集まるのは、あまり良くないのではないか。
しかし、隊長はケイの言葉に、少し意外なことを言った。
「いや、最終日の昼が一番多いんだが、その時は計六隊がこの付近にいることになる」
「六隊、ですか!?」
ケイは思わず声を上げた。六つの小隊が、同じエリアに集まる。それは、昨日魔物の大群を誘引した状況と、非常に近いのではないか。
「採掘の3隊に、運搬が2隊、最終日だけ散策の小隊も回収として加わるからな」
「それは……あまり良くないですね」
ケイは率直に言った。魔物誘引のリスクが高まるのではないか。昨日の恐怖が蘇る。
隊長は、ケイの懸念を理解した上で、落ち着いた口調で答えた。
「ああ。リスクがないわけではない。だが、そのための対策は取られている」
隊長は、採掘作業中の他の二つの小隊が野営している石柱の方向を見た。
「まあ、うち以外の採掘の二隊は、塩の引き渡し中は、それぞれの拠点近くの安全地帯に避難することになっている」
塩の引き渡し中は、採掘を中断し、安全地帯に避難する。そうすることで、一時的にこのエリアに集まる小隊の数を減らし、魔物誘引のリスクを軽減するのだ。
「なるほど……」
「運搬の隊も、到着時間を調整して、一度に集まる数を減らすようにしているはずだ」
隊長が付け加えた。
休憩時間は終わりに近づいている。隊長は立ち上がり、周囲を見回した。
「よし。休憩終了だ。作業に戻るぞ」
隊長の言葉に、ケイも立ち上がった。
ケイは鶴嘴を手に取り、再び窪地の底へと向かった。他の隊員たちも、それぞれの持ち場に戻っていく。
ガンッ、ガンッ……




