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アクアリウム・オブ・サドネス

「……ニンジャなんだから」


 瞬間、ハジメの右脚が後ろに跳ね上がった!


「イヤーッ!」

 

 アンブッシュめいたノーモーション・ソバット!背後に放たれたそれは、がま口ミニショルダーを引き裂いた!だがそれのみ!志乃がいない!いや、いる!天井だ!


「ハジメっ!?ナンデ……!?いや、あなたも!?」


 握力だけで天井にぶら下がった志乃が、驚愕に目を見開く。ハジメは質問に答えず、志乃を見上げて手を合わせた。その口元と片頬のみを覆うメンポに浮かぶのは、決断的ショドーで刻まれた「始」の一文字!


「ドーモ、スタートです」


 それこそが答えだった。

 ニンジャは戦う際、アイサツを欠かしてはならない。古事記にもそう書かれている。

 ハジメ……いや、スタートにアイサツを返すため、志乃は床に降り立った。その顔にはいつの間にか、泣き顔の能面めいた悲哀のメンポが装着されている!コワイ!


「ドーモ、スタート=サン。サドネスです。……なぜ分かったの?」

「隠しているつもり?気配無く後ろに立つニンジャ隠密力、暗闇で人の顔を見分けるニンジャ視力、そして背後の私に気付くニンジャ察知力……!」


 スタートはビシリと志乃……サドネスを指差した。


「お前だな!?私の親友を偽りのユウジョウで騙し、殺したのは!」

「親友?……ああ、分かった。ジ・エンド=サンのことね?」

「その名を呼ぶな!あの子はただの人でありたかったんだ!なのに……」


 顔を歪めたスタートに、サドネスが歓声を上げた。


「おおお、イイ!イイよ!その悲しみ、スゴくイイ!()()()()だね!」

「……なに?」

「騙してなんかいないよ!本当にユウジョウを築いたの!私もあの子が大好き!だから殺した!ああ、思い出すだけで悲しい!あの子が死んで、私も悲しいの!もっと悲しくなりたい!」

「……」

「だからスタート=サン、いや、ハジメ!私と仲良くなろうよ!休憩は終わり!次どこ行く?そろそろお茶にしよっか?」

「……狂人め!」


 スタートの脚が床を蹴り、反動跳躍!


「イヤーッ!」

「グワーッ!」


 カジキの突進めいた鋭いトビゲリが、サドネスを吹き飛ばした!その身体が背後の水槽に叩きつけられる!深海水槽無残!


「アバーッ!?」


 だが水槽の残骸に埋もれ悲鳴を上げたのは、サドネスではない!


「なにっ!?」

「アイエエエ!?もうすぐ登録者一万人だったのにーっ!?」


 スタートの足元には壊れたサングラス……水槽に叩きつけられたのは先ほどのシノビ配信者!その身体が無数のハサミについばまれる!水槽を壊されて怒り狂った殺人タラバガニだ!


「ああ、なんてことするの。シノビ配信、もう見られないじゃん……」

「!?」


 声と同時、背後から側頭部への衝撃!


「ンアーッ!?」


 吹き飛ばされたスタートはウケミを取って体勢を立て直す。ガードが遅れていれば、首の骨を折られていただろう!

 視線の先ではサドネスが片膝を高く上げ、マワシゲリ・キックの残心を取っていた。ミモレ丈スカートを持ち上げる少女の脚は、オニのトゲトゲクラブめいたカラテ凶器に他ならない!


「ねえ止めようよ。私は実際ハジメより強いんだよ?戦いたくもないし。いつも寂しそうなあなたと、仲良くなりたいだけなのに」

「黙れ!お前は仇だ!」


 剥き出しの敵意に、サドネスは両手で顔を覆ってノースリーブの肩を震わせる。

 

「どうしてそんなこと言うの?楽しく水族館を回っていたじゃない。そうだ、今度一緒にダンジョン配信を見ようよ。シノビ配信者はカニのエサになってしまったけど、他にも死にそうな配信者をたくさん教えてあげる!イイネ中毒者の末路を見るのは、ただ殺すよりもずっと哀れで、面白いよ!」

「……そして仲良くなったら、私も殺すのか!?」

「ええ!?何言ってるの?」


 震える肩がピタリと止まり、顔を覆っていた手が下がる。悲哀のメンポが、深海水槽の赤い光に照らされた。


「……当たり前じゃない」


 言うやいなや、サドネスの目が不気味に光った!ウカツ!心臓を掴まれたような不快感!スタートの心拍と呼吸が異常に高まり、全身からパニック症状めいて汗が噴き出す!


「ウ、グッ……なんだ……!?何をしたっ!?」

「エモシンクロ・ジツ。私の悲しみを教えてあげるね」

「お前の悲しみ……だと?」

「ええ、私もあっ……ああっ!スゴイ!スゴイよハジメ!これがあなたの悲しみ!?なんて深くて、心地良いの!?この喪失感!たまらない!」


 震え悶えるサドネスに、スタートは血が滲むほど両手を握り締めた。


「なら、これも分かるだろう!この怒り!憎悪!あの日、あの子の血に塗れたこの腕を、お前の血で染め直してやる!」

「ナンデ?ハジメも分かったでしょう?私も実際悲しいの!あの子を失った悲しみを共有できるのは、世界で私とあなただけ!私がハジメを慰めてあげる!あっ、ねえお昼何にする?私特製サメサンドが食べてみたいな!」 

「……やはりお前は狂人!ここで殺す!私が殺す!今殺す!」


 スタートは暴れる心臓を無理やり押さえ込み、両手を床に付けた。片足を曲げ、反対の足を伸ばし地に這うようなその姿勢は、懸命な読者諸兄ならばお分かりだろう!古代ニンジャコロッセオで猛威を振るったとされる残酷無比な突進技、クラウチング・チャージの構えだ!


「イヤーッ!」


 スタートの脚に縄のような筋肉が浮き上がり、全身を弾丸めいて高速射出!直撃すればサドネスのニンジャ耐久力であろうとオタッシャ重点!

 だが、見え見えの突進を受けるサドネスではなかった!


「ヤバレカバレ!?ハジメらしくないよ!」


 後方宙返りで跳躍回避!螺旋軌道を描くその脚が狙うは、通過するスタートの首!アブナイ!


「エッ!?」


 サドネス困惑!スタートではない!ブラフ!それは高速低空水平移動する殺人タラバガニ!実際カニに首は無い!死神のサイスめいて振り抜かれたサドネスの脚は空振り!殺人タラバガニ健在!通過!

 巨大水槽に直撃した殺人タラバガニは、数十センチ厚のアクリル板を破壊!大量の水が溢れ出す!イワシ流出!ヒラメ流出!タコ、ウツボ、全て流出!


「アイエエエ!」

「ナンデーッ!?」


 逃げ遅れた客たちがタコ混じりの濁流に呑まれていく!


「あああ酷い、水槽を壊すなんて……予算が足りなくなるよ……」


 クモめいて背面から天井に張り付いたサドネスは、スタートを探す。

 当然、スタートも濁流から逃れて機を伺っているはずだ。そんな無意識が、サドネスに一瞬の隙を生んだ!


「イヤーッ!」


 水中からイルカめいて飛び出したスタート!その右手がサドネスのノースリーブニットを貫き、天井にまで達した!サブマリンカラテのヒサツ・ワザ、ブリーチング・ツキだ!


「ア、アバッ……」

「ウッ……!」


 悲哀のメンポから血が溢れ出したと同時、スタートの首からも血が噴き出す。ほんの一瞬遅ければ、サドネスのチョップがその首を撥ねていたであろう!恐るべきニンジャ反射神経……まさにゴジュッポ・ヒャッポ!


「終わりだ。ハイクを詠め、サドネス=サン!」

「と、とても悲しくていい気分……名前、呼んで欲しかったよ……ハジメ……」


 血の混じった涙がスタートのメンポに垂れ落ち、「始」の文字を赤く染めた。

 スタートは腕を引き、浅くなった水面にサドネスを打ち捨てた。血の匂いに誘われた凶暴なバイオジンベエザメがその身体に食らいつく。


「サヨナラ!」


 サメに振り回されたサドネス……志乃の身体が、しめやかに爆発四散した。

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