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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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幻想の屋上

 僕は放課後、こっそりと学校の屋上へ足を踏み入れる。

 左手には、秘密裏に拝借してきた屋上の鍵を。

 右手には、暇潰し用の文庫本を携えて。

 今日は雨が降っているから、屋上に入ってすぐの軒下に腰を落とし、僕は本を読み始める。僕のこれは雨が降っていようと関係ない。雨天決行なのだ。

 この禁断の習慣が始まったのは、去年の夏のこと。

 周囲の環境が煩わしくなって、気まぐれに屋上へ逃亡してきたのだが、そこには先客が居た。

 先客は視界の端に僕を認めると、くるりと振り返りながら、

「こんにちは。わたし、ここの幽霊なの」

と言ったのである。

 ふわりと揺れた黒髪は、とても艷やかで。夏用の制服も染みひとつない綺麗なものだったから、僕ははじめ、幽霊なんていうのは冗談かなにかだと思った。

 しかし、その身体はどうしようもなく半透明で、触れることは叶わないとなれば、否応なしに幽霊という存在を認めざるを得なかった。

 屋上の先客であるところの幽霊は、生前の記憶がないから名前がわからないと言った。だから僕が彼女に「レイ子さん」と名づけた。幽霊の女の子だから「レイ子」さん。安直にもほどがある。このときほど、己のネーミングセンスのなさを呪ったことはない。


 恐らくレイ子さんは、屋上から飛び降りて亡くなった生徒なのだろう。

 そう思った僕は、彼女の死因について深く言及するようなことはせず、日々のなんでもない雑談ばかりをしていた。

 たとえば、その日の授業の内容。

たとえば、教室に飾られている花のこと。

 たとえば、クラスメイトの頓痴気な行動のあれこれ。

 それらをレイ子さんは、全て笑って聞いてくれた。

「あはは! 今ってそんな感じなんだ。おもしろ~」

 軽い感じでそう言って、他にもっと面白い話はないのか、と僕にねだってきたほどである。今思い返すと恥ずかしい限りだが、当時の僕は得意になってあれこれと話をしたものだ。


 レイ子さんが屋上に現れなくなったのは、夏の終わり頃だっただろうか。

 幽霊に温度なんて関係ないだろうから、レイ子さんは夏にだけ現れる幽霊なのだと思った。頭ではそう理解しつつ、僕は秋も冬も春も、屋上でレイ子さんを待ち続けた。

 だって、僕にはレイ子さんくらいしか話し相手が居なかったから。

 またレイ子さんに会えるのなら、僕は多少の苦行には目を瞑ろうと思った。

 だから、どれだけ罵倒され殴打され足蹴にされ侮辱され強請られ脅迫されようと、僕の心が折れることはなかった。

 レイ子さん。

 僕は、貴女のことを、好きになったから。

 それが、夏が視せた幻だったとしても。

 それが、たとえ一瞬の幻想に過ぎなかったとしても。

 僕がレイ子さんを好きになったこの気持ちに、変わりはない。

 幻でも幻想でも、また会えるのなら、僕は――


「あは、まだ居たんだ。もの好きだねえ、君も」

 声がして、本に栞を挟むことすら忘れて、顔を上げる。

 すると、そこには確かにレイ子さんの姿があったのだ。

 去年と全く変わりないその姿に、思わず目頭が熱くなる。

 会いたいと恋い焦がれてきた人に会えると、人はこんなにも感情が昂ぶるのか。

 レイ子さん。

 レイ子さんレイ子さんレイ子さん。

「あはは、そんなに何度も呼ばなくても大丈夫だよ」

 夏にしか姿を現せないレイ子さん。

 だけど、もう僕に何度も名前を呼ばずとも大丈夫だと言う。

 その理由を、僕は聞かずともすとんと理解できた。


 ざあざあと、雨が降りしきる。

 僕は軒下から出て、迷いなく足を進める。

 濡れたって構うものか。

 そうしてフェンスに手を掛け、登り、その向こう側に降り立って。

 僕は、自由落下に身を委ねた。

「これでずっと一緒に居られるね、悠人(ゆうと)君」

 くすくすと楽しげなレイ子さんの声が聞こえて、僕は笑った。




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