77.陽動(2)
長く艶やかな真っ黒な髪が魔力の風で大きく躍動する。
それはまるで御伽噺に出てくる悪い魔女の様だ。
禍々しい魔力の気配、しかし気配自体は決して大きくない。
彼女から発せられる気配は、火口の底にある勇者の封印に込められた魔力の10分の1以下しか感じ取れない。
こんな魔力で結界をどうこうできるとは思えない。
意図の見えない魔法がメーガンをより一層不安にさせる。
紫の魔法陣が発動し、空間に溶け込んでいた透明なガラスのようなものが割れる。
中から出てきたのは多種多様なおびただしい数のモンスター。
そのモンスターは黒い魔法陣によって、まるで軍隊の行進の様に統率の取れた、淀みのない動きで火口へ飛び込んで行く。
飛び降りたモンスターは底にある結界に衝突し、爆ぜる。
しかし、飛び降りてくるモンスターは後を絶たず、銀色の神聖な結界の一部が、大量の血液とバラバラになった死骸で汚されて行く。
そして、その死骸の山をクッションにして生き残るモンスターが1匹、2匹、と現れ始める。
生き残ったモンスターは怪我の痛みはお構い無いに一心不乱に結界への攻撃を開始した。
「そこの人」
いきなり話し掛けられたメーガンは驚きの声を必死に押し殺す。
「ここは危ないから逃げた方がいーよ」
その女はまるで友達に話し掛けるような軽々しい言葉を投げかけると、何事も無かったかのように山を降り始めた。
「待って!何処へ行くの!」
投げ掛けられた言葉も、彼女の魔法も何一つ理解できないメーガンが出来たのは去る女の背中へ叫ぶ事だけだった。
「どっ、どうすれば..」
メーガンは急い火口へ近寄り下のモンスターを見る。
(落ち着け、大丈夫、この程度で壊れる結界じゃない)
これまで約600年、邪神を封印し続けた結界。
モンスターの攻撃で壊れるような代物ならとっくに壊れているはず。
メーガンは腕輪に魔力を込め、緊急時、助けを呼ぶ魔法を発動させる。
(今、私に出来る最善は...私にしかできない事は.....)
メーガンは後ろを振り返り、走り出した。
ーーーーーーーーー
魔族の目撃情報を目指して走っていたシルバー達は、人の様な痕跡を見つけ追っていた。
「こっちです!」
人より高い知覚能力を持つアガットが先導し道のない森を走る。
「これは.....」
アガットが足を止める。
アガット達の前にあるのは大きな魔法陣。
「ついさっき使われた魔法陣です」
アガットが手を触れ、魔力を込める。
「アガット?何やってるんだ?」
「この魔法陣が消えないよう固定します」
「そんな事が....」
「この魔法がなんの魔法か分かる人はいる?」
後ろから、苦々しい顔でエメリアが声をあげる。
「多分....」
「これって...」
「ああ....」
アガット、タンザー、シルバーもまた、苦々しい顔で呟く。
「やっぱり、転移魔法」
ここと、ここじゃない何処を繋げる魔法。
便利な魔法だがその構築難易度はトップクラス、世界に数えられる人程しか使えない魔法。
そんな魔法使いが敵にいる。
しかも、罠かもしれない。
シルバー達には、目の前の魔法陣が地獄の入口の様に見えていた。
「敵の場所とか規模感とか、どんなに小さい情報でも今は喉から手が出る程欲しい。
多分、人ひとりの命の引き換えなら十分お釣りがくる」
まるで、鉄の様に冷たい声で、シルバーが呟く。
「なっ、シルバーお前何言ってんだ?」
理解し難い、したくない、そんなニュアンスでタンザーがシルバーを睨めつける。
「通信しながら、誰かひとりだけ転移させる」
「何言ってるか分かってんのか?」
普段の優しい声とは違う、怒りの込められた声。
一触即発の雰囲気が二人の間に流れ始めた。
「魔法陣の固定は出口でもできる? 転移してすぐ帰る見たいなのはできないの?」
1人、冷静にエメリアが、アガットへ話し掛ける。
アガットの目が淡く輝き出す。
「見た感じ、一方通行の魔法ですね...」
「そう...アガットはこの魔法陣が正確に読めるのね」
「はい..でも知識が無くて...全てを理解出来る訳ではありません」
魔法陣は魔法を発動する為の計算式、そして機械を動かすプログラミングの様な物である。
つまり、魔法陣だけでこれがどんな魔法なのか把握する事ができる。
しかし現代では、魔法陣から魔法を悟られない様な偽装が施される事が多く、アガット以外の人間にはごちゃ混ぜになっている様に見えている。
その妨害は例えるなら、英語のテストでよくある、単語ごとに区切り、ごちゃ混ぜにした問題の様なイメージだ。
その妨害方法は英語のテストの様に、単語の数が多い程、難しい熟語が多い程、解読難易度は高くなる。
つまり、転移魔法の様に習得難易度の高い特殊な魔法程、解読するのは難しくなっていく。
しかし、アガットの魔眼は魔力の流れからその順番を読み取れる、つまり、入れ替え問題の正解は分かるのだ。
ただ、アガットは単語の意味が分からず文の意味は分からない。
「私がこの魔法陣に手を加える、一方通行ではなく、双方向に、妨害魔法に対抗出来るほど強く、転移までの時間も削減する。
罠と分かったらすぐ帰れるように...」
エメリアは返事を待たずに目の前の魔法陣に手を加え始めた。




