ヴラドの臣下
我々がダークエルフの集落へと足を踏み入れると随分と物々しい雰囲気を漂わせ、周囲から警戒心がひどく感じられる。周囲を見渡すと恐らく葬儀の真っ最中だったのだろう、涙を流した老婆が幾人か盛り上がった土の前にたたずんでいる。その様子を眺めている私をダークエルフの兵士たちは我々を一際大きなツリーハウスへと案内する。
「思ったよりもダークエルフというのは残存しているのだな。隠れてはいるがその数は凡そ一万ほどか。これは集落というよりも一つの要塞都市だな」
「かつてはその長い寿命とエルフよりも高い繁殖力で1000万人ほどの人口を誇っていたのです。それから見れば衰退と言って差し支えない」
ジークの説明を受けながらツリーハウスの中へ案内される。
「ルースラ姫、ジーク近衛隊長、吸血鬼アドルフ以外は外で待機したまえ。これより先は族長とそのご令孫のお住まいである」
190cmはありそうな大柄な守備兵から発せられた言葉に普通のゴブリンはおびえている、この対格差であれば納得だな。
ゴブリンの近衛兵達を待機させ、三人で族長との面会のため中へと入る。
守備兵に案内されて客間へと通された我々に「しばし待て」と守備兵はどこかへと消える。
客間には自然由来のもので作られた家具や手芸品が飾られており、建築物と同様にダークエルフの文化を想わせる。
「お待たせしましたな。私は族長のハール。ファミリーネームはございませぬ」
木で作られた車いすを押されて左目に眼帯をした黒髪褐色の老人が入る。
「後ろの娘は誰だ?族長のハールよ。ダークエルフの特徴は褐色の黒い目に黒い髪だったとおもうがその娘は確かに褐色だが私のような白髪を持っているな」
すると娘が目を大きく開く。
その目眼球は確かに黒いが、瞳は赤く、その髪も相まってまるで伝承の吸血一族ヴラドのようだ。
「これは私の孫娘にございます。詳しくは娘自身からお聞きくだされ、ちょうど千年ぶりにございますからな。積もる話もございましょう」
千年ぶりという言葉に引っ掛かりはしたが、族長の孫娘か。族長が自身の足で動けない以上利用価値は十分に高いと踏んでよいだろう。
「私は深淵のシズにございます。かつてヴラド一族のご息女ルナ・ヴラド様に使えさせていただき、正儀礼による血の契約をいただきました。ルナ様が亡くなられ、ヴラド一族が滅びた現在も私はヴラドの臣下にございます」
まるで私に忠誠を誓っているようだが、これはあくまでも本来のヴラド一族に対する忠誠だろう。それに二つ名。いや、これはおそらくそのルナ・ヴラドに貰ったファミリーネームだろうか。その証拠と言わんばかりにこの娘はこちらに対して明確な敵対心を向けてきている。
「そうか。しかしな、私は積もる話というのをしに来たつもりはない。ここは小鬼族と吸魔族の外交の場だ。あくまでも我々はゴブリンの代表として来ているに過ぎない」
空気が一瞬にして重たく変わる。 まるでチェスの戦いのように我々はお互いの駒を進めるが如く、外交が始まった。
「私は世間話が嫌いなのでね、率直に言おう。我々の要求は二つだ。まず一つ目はブラックウルフの上位種とされる黒い牙の災厄に関する調査協力だ。ここに来るまでに幾度かブラックウルフの襲撃を受けたことから考えるに出現の確率は八割強といったところだろう。ブラックウルフ程度であればダークエルフの敵ではないそうだが黒い牙の災厄による死の行軍となれば話は別だろう。お互い協力をすれば被害は最小限に抑えられると私は考えている」
数秒の沈黙が生まれ、族長ハールが右上を向いた後に口を開く。
「たしかに、それは良い案とも思えるが、そのためにわざわざ集落に来られたとはヴラドの末裔は存外お暇なようですね。我々はナイトメアウルフによるスタンピード程度であれば退けられる。深淵魔法だけが我々の長所と考えられるのは調査不足に過ぎないですぞ。属性魔法と補助魔法も森人族と同程度には鍛え上げてある。即戦力は八千強、死の行軍で滅びるのはゴブリンのみだ」
族長は随分と強気な発言だが、それを納得させるような凄みというのが族長にはあった。
「なるほど、私は被害を抑える目的で協力を申し出たといったまで。それにナイトメアウルフの襲撃はいつになるかわからない。棲み処の把握はしておくべきのように感じるが…」
「吸血族、特にヴラド一族は目と耳、もちろん血をかぎ分ける鼻も良いとシズから聞いております。ゴブリンを遣わずにご自身でお調べなさってはいかがかな?我々はナイトメアウルフの襲撃に備えて防御を固めればよいだけのこと。ゴブリンとなるといくら防御を固めようと我々のようにはいかないと思われますがな」
ダークエルフ、いやこの族長は実に強情だ。
しかし、族長の発言にはおそらくいくつかブラフが混ざっている。
ナイトメアウルフによるスタンピードを退けられるというのはおそらく真実、属性魔法と補助魔法が森人族と同程度に鍛えてあるというのも真実だろう。しかし、即戦力は八千強で死の行軍で滅びるのはゴブリンのみというのは嘘だろう。
先ほど葬儀の真っ最中だった様子を見ている。考えられる可能性としてはナイトメアウルフの襲撃を受け、彼らは既に戦力を消耗している。ただそれだけならばこの申し出に協力しない理由はないだろう。
この申し出を受ければゴブリンを駒として調査を行うことは可能。これを断る理由として最も妥当な可能性を含んだ考えとして、彼らは既にナイトメアウルフの棲み処を知っている。それならば情報の対価を釣り上げて討伐にゴブリンを捨て駒にした作戦立案によってダークエルフの被害のみを最小限にすることが目的。
そう考えるのが最も妥当だろう。
しかし、それはこの族長との会話と葬儀を行っていたという事実のみで考えられる推測だ。
もし、棲み処を抑えているのならばその情報を先に出し、そこから交渉を始めるのがスタンピードまで猶予のない今の最善策のはずだ。それに、あの異様と言って差し支えない集落全体の雰囲気。調査済みと考えると被害が発生したことも気がかりだ。
「なるほどな、お前たちはナイトメアウルフの棲み処を知っている。いや、ナイトメアウルフの討伐を既に完了している。そのためこの交渉にそもそも応じる必要がない。違うか?」
すると族長ハールは大きく目を見開いた後、大きな声で笑う。
「ぶわっはっはっはっは!!!なるほどなるほど、あなたは随分と察しが良い。よく気が付かれましたな。私も5万年は生きていますが、私の手の内に気が付いたのはあなたで8人目でございます。ここ千年は気がついた者はおりませんので正しく千年に一人の慧眼だ。あなたのおっしゃる通り、ナイトメアウルフの討伐は既に完了している。数日前のことでしたが、100匹規模の群れを率いたナイトメアウルフの襲撃に遭いましてね。その時に犠牲はいくらか出しましたが我が孫娘シズのおかげで最小限と言って差し支えないほどの死者でことは終わったわけです。あまり賢くない個体のようでしたので一斉侵攻に至らなかったのでしょう。恐らくは昨晩まで続いた遠吠えはブラックウルフにある戦士に対する哀悼と敬意示す習性に他なりません。恐らく今日までは続きますが明日からはまた静かな夜に戻ります」
「なるほど、それで先ほどの態度になっていたわけだな。ところで、まだ我々の要求は…」
「まあ良いではありませんかアドルフ閣下よ!今日はダークエルフに伝わる美酒にて乾杯しましょう。ゴブリンとダークエルフ、ヴァンパイアは同じ穴の狢でございますからな!!」
ハールのあまりの勢いに気圧されてしまい、そのまま五人で乾杯をすることになった。
「…シズさん、隣良いですか?」
シズが頷くとルースラはゆっくりと隣の席に腰を下ろす。
「ルースラ姫、あなたは何故あのような魔性の者を連れまわしているのです。我々が協力すれば生き残ることは可能なはず」
シズは目線の先にアドルフを見て警戒と怒りのこもった声がルースラの耳に届く。
「…そうですね、よくわからないというのが結論でしょうか。すべてはジークとアドルフさんに決めてもらいました」
「それは謀反ではないのですか!?明らかに近衛隊長の権限を超越しています!」
怒りで声を荒げようとするシズをルースラがなだめる。
「まあまあ落ち着いてください。ジークは近衛隊長であると同時に世話役、ゴブリン族の宰相としての権限も持ち合わせています。もちろん経緯などはすべて教えていただきましたから納得はしています」
「しかし…!!それを考えてもアドルフと名乗る贋物に乗っ取られているのですよ…!!」
「確かにそのとおりです。シズさんの言っていることは正しい。ただ、我々はもう時間がないんです」
「時間…ヒューマン共の大森林調査のことですか…」
ルースラはこくんと頷く。するとシズは何も言えずに拳を握りこむ。
「ダークエルフは外の世界では外縁にある砦をすべて破壊したときに滅びたことになっている。いくら我々が協力したとしてもダークエルフは彼らに見つかれば一巻の終わり。もはや我々は生き残るためすべての手段を使わなければならない。誇りを捨てても、たとえ悪魔に魂を売ったとしても生き残り、我々を生かすために戦い散った同胞に報いるためにも」
「…ルースラ王女。あなたはもう、決めたんですね。私は二千年を生きても未だに千年前の主人のことが忘れられず、現実に向き合えていない。永久にも感じるエルフの寿命は、私の傷を化膿させるには十分で、祖父が病に侵されている今でも種族を存続させる長として未来を生きることができない…」
「ルースラでいいですよ。シズさんはダークエルフですから、我々ゴブリンとでは時間間隔が違います。それにシズさんは千年もの間忠義に生きているのですから、それはきっと素敵なことでしょう」
「ルースラ…わたしは…」
鼓膜が壊れそうなほどの大きな遠吠えの後に外から爆発音が聞こえる。
「音の方向は正門か、ジーク、ルースラ外へ出るぞ。族長はここに。その足ではここにいるべきだろう」
「ああ気遣い痛み入るよ。シズ、私の代わりにアドルフ閣下についていきなさい。ここの奥にはナイトメアウルフの亡骸がある。私がここを死守するから正門へと向かいなさい」
「しかし、お爺様!!」
「私もシズほどではないがかつては魔王軍の幹部に名を連ねた将軍だ、ナイトメアウルフ程度物の数ではないさ」
シズは歯を食いしばり、外へと向かう。
「族長…無様に死ぬことは許さんぞ」
私とジーク、そしてルースラはシズの後を追って正門へと向かった。