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「ラウド先生には、仲のいい友人がいたの」

 リイシャが言った。

「テイルという名だった。同じ頃にアイン・オソに来て、それからはずっと一緒だったそうよ。でも、テイルの方が先に本舎に行くことになったの。祝福したし、自分もすぐに後を追いかけることができると思いはしたけれど、ずっと心の底では悔しくてたまらなかったのだろうと先生は言っていたわ。本舎に行く前日、テイルは姿を消した」

「きみと同じように」

 トルグはつぶやいた。

「そう、わたしと同じように」

 一年遅れで、トルグも本舎に来たのだった。

 遠くからでは細長い塔を擁く巨大な建造物にしか見えない本舎は、渡り廊下や空中回廊で連結された大小の建物群だった。その一番外側が見習いたちの寮で、自分の個室に身を落ち着けたトルグを、リイシャはすぐさま呼び出してくれたのだ。

 二人は木立の多い寮の前庭をそぞろ歩いた。

 陽は沈みかけ、他の学生たちが寮に帰ってきたり、ベンチに腰を下ろして語らう姿が見受けられた。

 魔法使い見習いの灰色の寛衣を着たリイシャは、薄金色の髪を大きなおさげにして背中に垂らしていた。ふわふわしたほつれ毛が、彼女の顔の輪郭を光のように取り巻いている。

 一年会わずにいるうちに、リイシャはさらに大人び、美しくなった。

 自分はまるで変わっていないのに。

 リイシャを見つめ、トルグはため息をつきかけた。

 こんなに近くにいるのに、リイシャはまだまだ自分の手の届かないところにいるような気がするのだ。

「テイルは見つからなかった」

 リイシャは目を伏せた。

「予備舎では、それから二人の生徒が消えた。二人とも〈力〉はずば抜けていて、誰よりも早く本舎行きを告げられていた。みんなは羨んだでしょうね」

 トルグは頷いた。その心が、犠牲者を引き入れる力を〈穴〉に与えたのだ。

「ラウド先生はそのころには魔法使いになっていて、教師としてアイン・オソに残った。予備舎に住んで、テイルたちが消えたわけをずっと調べていたの。そして、あの空間の存在をつかみだした」

「〈穴〉はもともと自分の一部だとラウド先生は言っていたね」

「テイルへの嫉妬が、無意識のうちに〈力〉を発動させたのだと先生は認めていた。それに気づいたのは、ずっと後になってからだそうだけど。先生の〈力〉は、予備舎に積もりに積もっていた暗い思いを一つに結びつけた。どこかを漂っていたアンシュの呪いの欠片がその闇に引き寄せられて、〈穴〉に似たものを生み出したのよ」

 トルグは黙り込んだ。魔法使いになるためには平常心が必要なのだとトルグたちに教え込んだのはラウドだった。だがその若い時代、彼は自分でも制御できないほどの暗い〈力〉を放ってしまったのだ。

「存在は感じられたけど、〈穴〉にどうやって接触すればいいのか先生はわからなかった。あの空間が〈穴〉を守っていたの。だけどついに、わたしたちが空間の内側から先生に呼びかけた」

 トルグは、はっとしてリイシャを見た。

「先生は、それを望んでた?」

「かもしれない」

 リイシャはあっさりと頷いた。

「これまでも何回か、みなの嫉みのもとになりそうな人間を試したらしいけど、消えたのはわたしだけ。わたしは、人に羨まれる要素が多いのね」

 確かにその通りだ。リイシャはすべてにおいて人より抜きん出ている。みなはそれを認めたくなくて、贔屓だのなんだのと言い立てる。しかし、だからといって──。

「ひどいよ」

 トルグは怒りがこみ上げてきた。もしリイシャを見つけ出すことができず、テイルたちのようになったら、ラウドはどうするつもりだったのだろう。

「そうね。でも、わたしに本舎に来る実力があったことは確か」

「それはそうだけど」

「ラウド先生はわたしに謝ったわ。あなたにもよろしくって」

「先生はどうしているの?」

「わからない」

 リイシャは美しい眉をひそめた。

「ここには、もういないかもしれない。自分でけりをつけたとはいえ、あんなものを創りだしたんだもの。罪は償うつもりだと先生は言っていたわ。〈塔〉の七教授が先生の処遇を決めたと思う」


 アイン・オソの長は、七人の教授たちだった。アイン・オソのすべては彼らの合議によって決められる。魔法使いの認可を下すのも彼らだ。

 教授たちは学生の前に、めったに姿を現さない。教師は本舎で魔法を教える上位教師と、予備舎の生徒を指導する普通教師とがいる。トルグたちは十数人ほどいる上位教師の中から師とする魔法使いを選び、自分に必要なことを学び取っていかなければならないのだ。

「はじめは、いろんな先生の所に行ってみればいいわ」

 リイシャが助言してくれた。

「自分が、どんな魔法使いになりたいか考えるのよ。うまの合う先生を見つけることも大切ね。あなたの良さを引き出してくれるような」

「リイシャの先生は?」

「今はトーム先生。お天気が得意」

 海岸地方で育ったリイシャは海難事故をいくつも目にしている。荒い天気を鎮め、船を安全に運行させることが夢だと、トルグに語ったことがあった。リイシャは自分の夢に向かって進んでいるわけだ。

 自分はどんな魔法使いになりたいのか。トルグは思った。いままでは魔法使いになることだけが目的だったが、ここまできたら、もう少し先のことを考えてもいいのかもしれない。

 学生寮は、食堂と学生図書館を挟んで男女の棟に別れていた。図書館前は植え込みが美しく整えられた広場になっており、中央にほっそりと高い鐘楼が建つ。朝昼晩、鐘楼の下に住む鐘守が時刻を知らせるために鐘を打つ。鐘の音は高く深くアイン・オソ中に響き渡る。

 鐘楼を通り過ぎると、横長の実験棟と二階建ての講堂。そして、〈塔〉。

 見上げるばかりに高い塔は、七教授が住む重厚な六角形の建物を基部にしており、そこ全体が〈塔〉と呼ばれていた。ヴェスのすべての本の写しが収められているという大図書館が、長い年月にあらゆる方向に増築を重ね、幾本もの脚を持つ巨大な守護獣さながら、〈塔〉のかたわらにうずくまっている。

 〈塔〉の向こう側は上位教師の教室が入る大小の建物と、教師たちの居住区になっていた。

 灰色の寛衣をまとったトルグは、リイシャに言われた通り、ひととおりの教師のもとに足を向けた。予備舎で学んだことをもっと深く追究し、どんな風に魔法に結びつけるかを教えてくれるのはどの教師も同じだ。効率よく〈力〉を引き出して魔法を操つる方法は、座学からはじめる教師もいれば実践重視の教師もいる。それぞれに得意分野はあったが、結局のところ最終目的は、いかにヴェズの人々の役に立つ魔法使いになるか、なのだ。

「魔法に頼るのは最後の最後だ」

 それがランフェルの口癖だった。

「土地を肥やしたいなら、仕込みが大切、まずは耕して上質の堆肥を与えることだ。荒れた天気は雲と風であらかた予想できるから、災害に備えればいい。子供に熱が出たら、解熱剤を飲まして様子をみる。へたに治しては免疫力がつかん」

 小柄で痩せたランフェルは、魔法使いの紺色の寛衣がだぶだぶで、引きずっているようにも見えた。わずかしかない髪の毛は襟足と頭頂部だけに白くかたまり、肌の色は褐色に近い。年齢不詳の皺深い顔の中で、琥珀色の目が生き生きと耀いていた。

 トルグはこの上位教師になんとなく惹かれ、気がつけば彼の教室の一員になっていた。

 ランフェルのところにいる学生はトルグを含めて五人ほどだ。

「まあ、たいていの連中は山ほどの魔法を求めているからな」

 ランフェルは言った。

「魔法は教えてもらうものではなく、自分で生み出すものだ。ものたりない者は、さっさと出て行ってよし」

「学生が多いと面倒だからでしょう、先生」

 笑いながらリフが言った。黒い髪に黒い目、いつも優しげに微笑んでいるような彼は、五人の中では最古参だ。

 ランフェルは教室よりも自分の住処で学生たちに囲まれることを好んだ。

 上下二戸づつ、二階建ての建物が連なっているのが教師たちの居住区だ。それぞれに独立した玄関と外階段を持っているので遠慮無く出入りできる。ランフェルの住居は奥まった棟の一階。二間つづきで、簡単な台所が付いていた。南向きの日当たりのいい居間で揺り椅子にとっぷりと座り、ランフェルはトルグたちの質問に答えたり、魔法の手ほどきをしたりする。みなで食事を作り、夜までそこで過ごすことはしょっちゅうで、トルグにとっては居心地のいい空間だった。

「トルグが来て一人増えたと思ったが、また同じになるな」

 夕食後、香草茶を飲みながらランフェルがひとつ大きく息を吐き出した。

「リフ、そろそろ認定試験を受けなさい。願書は出しておく」

「先生」

 リフは驚いたように目を見開いた。

「そんな、急に……」

「急ではない。ここでおまえの学ぶことはもうないよ。アイン・オソを出る時だ」

「でも」

「やってみろ」

 魔法使いの認定試験は、七教授立ち会いのもと塔の最上階で行われる。受験生は塔に上り、教師としてアイン・オソに残ることを選んだ者以外は、合格者も不合格者も還ってくることはない。〈塔〉には秘密の地下道があり、彼らはそこを辿って川向こうに出、アイン・オソを去ると言われていた。

 教師になった者が試験の内容を語ることは禁じられている。自分で塔に上らないことには、何が行われるのか知ることはできないのだ。

「不安ではあるな」

 ランフェルの所から帰りすがら、リフがつぶやいた。

「どんな試験なんだろう」

 トルグは思わず塔を見上げた。空気の澄んだ秋の夜で、冷たい星々のきらめきの中に、塔は明かり一つもらさず、くっきりと濃い影を落としていた。

「認可されなければ、〈力〉を封じ込められてしまうと言うよ。これまでの修練がみんな無駄になってしまうんだ」

「でも、先生はリフさんなら大丈夫と思っている」

「そうだね」

 リフはトルグに微笑んだ。

「行くしかないな」

「魔法使いになったら、どうするの?」

「なれたら、故郷に帰るよ。父が待ってる」

「そう」

 トルグも故郷に戻りたかった。しかしトルグの村にはサザがおり、新しい魔法使いはまだまだ必要なさそうだ。はじめは、知らない土地に行くのも悪くない。いろいろな場所を旅して回って──。

 魔法使い見習いになったばかりだというのに、気が早すぎるな。

 トルグは、自分の思いに苦笑した。

 いまはただ、焦らずじっくりと魔法を学ぶとしよう。

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