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 トルグにとって、めぐるましい日々が続いた。

 魔法使いの見習いに、学ぶべきことは多かった。薬草の種類、人間や動物の身体のつくり、地象のとらえ方、天気の読み方、その他いろいろ。

 裏打ちされた知識がなければ魔法は使えない。教師は本舎の魔法使いたちだ。入れ替わり立ち替わりやってきてはトルグたちに教え込んだ。

 ラウドも教師の一人だった。彼の担当は〈力〉の引き出し方だ。

 魔法使いにとってなにより大切なのは、自己の精神を制御することだという。

 まずは瞑想の方法から。

 雑念を捨て、精神を研ぎ澄まして自分の内の深く深くに沈みこむ。すると、ずっと奥底に、核のようなものが見つかるはずだ。それが自分の〈力〉の源になる。

 トルグたちは、暇さえあればその源を掴むべく瞑想に入った。それらしきものがなんとなく見つかったころ、ラウドは言った。

「自分の中に、ちいさな獣を飼っていると思えばいい」

 縦長の窓から西日の射し込む二階の教室だった。目の荒い石壁や床の板目が陽の光を含んで、室内をぼおっと橙色に霞ませている。同じ時期にアイン・オソにやって来た十人ほどが、ラウドをかこんで倚子に座っていた。

「獣は〈力〉と同一だ。飼い慣らし、育て、大きくする。成長が遅いものや、残念なことにどこかで成長が止まってしまうものもある。その時はさっさと見切りをつけて、魔法使いと違う道を行けばいい。もっといい人生があるはずだから」

 ラウドは淡々と言い、生徒たちは、落ち着かなげに顔を見合わせた。

「怖れなければならないのは、獣の育て方が悪かった時だ。感情が先走ると、時に獣は暴れ出す。未熟な飼い主は破滅する」

「破滅?」

 誰かがつぶやいた。

「精神の崩壊だ。死に等しい」

 ラウドはさらりと答え、皆は息をのんだ。

「だから、冷静で強固な精神力が必要なんだ。魔法使いの一番の敵は自己の欲望だ。欲望は〈力〉を増長させ、ときに制御できなくすることもある。〈力〉だけを大きくしてはならない。なだめすかし、自分との均衡をとりながら、ともに成熟していかなければ」

「先生」

 ラウドの近くにいたリイシャが言った。

 彼女の細い巻き毛が、夕陽を透かして赤く燃え立つように耀いていた。トルグは思わずどきりとした。

「アンシュはどうだったのでしょう。アンシュの〈力〉も、欲望が暴走したもの?」

「いや」

 ラウドは即答した。

「欲望が〈力〉を強大にしたとしても、アンシュにはそれを支配できる精神力があった。彼が狂気だったとしたら、あれほどのことは起きなかったはずだ。最期の時まで正気だったからこそ、戦いは熾烈をきわめた」

 アンシュは、四百年以上も前の魔法使いだった。まだヴェズが一つの王国ではなく、数多くの領主が領土を広げるべく戦っていた時代。領主たちは魔法使いの力をみだし、味方に引き入れた。魔力が交錯する凄まじい戦いが各地で起こった。

 このままでは世界が崩壊しかねない。そう悟った魔法使いたちは、不戦同盟を結ぶことにした。これを拒んだのがアンシュだ。彼は自分自身がヴェズの支配者になろうとしたのだ。魔法使いたちはアンシュと戦い、ようやく彼を滅ぼした。〈力〉と〈力〉がぶつかった凄まじい衝撃は空間の穴となり、〈アンシュの呪い〉としていまだヴェズの各地に残っている。

 アイン・オソは、生き残った魔法使いたちが反省を込めて作った場所だ。再びアンシュのような者が現れないように〈力〉あるものを教育し、掟に従わせた。

 魔法使いは自分のために魔法を使ってはならない。争いを起こしても、加わってもいけない。互いの〈力〉を合わせない。相手に劣るまいと〈力〉が暴走しかねないからだ。

 魔法使いは必要以上の魔法を使わず、自らの欲望を律し、ヴェズに奉仕するためにだけ生きなければいけない。

「アンシュは特別だとしても」

 最後にラウドは言った。

「〈力〉に支配された多くのものは自滅する。魔法使いの一番の敵は、自分自身だ。自分自身を怖れろ、と言うことだな」


 アイン・オソには食糧や日用品がヴェズの各地から届けられた。それでも新鮮な野菜や牛乳卵類は必要で、中州の一角には狭いながらも実り豊かな耕作地と牧場、そこで働く人々の家があった。寮生たちの食事作りはじめ、さまざまな雑事も彼らの役目だ。

 予備舎の生徒が、交代で手伝いをした。日当たりのいい畑で土を耕し、種を蒔くことは、トルグにとって瞑想や勉強ばかりの毎日のいい息抜きになった。

 それに、リイシャ。

 寮でも学舎でも、リイシャの明るい金色の髪はすぐに目に入った。だが彼女はたいてい女の子たちや同じ年頃の連中と一緒にいるので、トルグは遠くから眺めるだけだ。

 畑当番の時だけは別だった。トルグはリイシャと同じ班なのだ。この時だけは、生き生きしたリイシャを間近で見、言葉を交わすことが出来る。

 とはいっても、リイシャは変わらずトルグを子供扱いしていたが。

 陽射しが強くなってきた初夏の朝だった。トルグたちはエンドウ豆の摘み取りをしていた。支柱にのびのびと蔓を這わせたエンドウ豆はトルグの背丈くらいあって、畑の中は瑞々しい緑に耀くようだった。

 トルグはリイシャと同じ畝に入った。生徒は男も女も細めの長ズボンに地味な色のチュニックで、いまは皆麦わら帽子をかぶっていたけれど、一目でリイシャだとわかる。

 実の厚い豆を選んでは籠の中に入れていたリイシャは、トルグが近づくまで同じ場所を動かなかった。

 リイシャは、トルグより頭ひとつぶん背が高い。いまに追いつくだろうと思っていたが、はじめて会った時よりもさらに差がついてしまったようだ。

 トルグは麦わら帽子の下のリイシャの顔を見上げた。網目模様の影の中で、リイシャは微笑んだ。

「トルグ」

「なに?」

「あなたに一番はじめに伝えたくて。わたしね、本舎に行くことになったの」

「本舎に?」

 トルグは、ぽかんとしてつぶやいた。

 たしかに、リイシャの学科での成績は飛び抜けていた。〈力〉の発動も、誰よりも早くこつを掴んでいた。なにしろ、アイン・オソに来る前から風をおこせていたというリイシャなのだ。

「すごいな、リイシャ」

 トルグはようやく言った。

「アイン・オソに来てまだ一年過ぎたばかりなのに、ほんとうにすごいよ」

「ありがとう」

 リイシャはトルグの肩に片手をかけ、優しくゆさぶった。

「あなたも、もうすぐよ、トルグ」

「そうかな」

「そうよ。自分の力を信じなさい」

 リイシャはにっこりと笑い、豆畑からも見える〈塔〉に目をはせた。

「何が待っているのかしらね。楽しみだわ」

 リイシャの本舎行きは、その日のうちに知れ渡り、皆は羨望を籠めたまなざしで彼女を眺めた。本舎に行くには試験があるわけではなく、教師たちに認められた者が時期を問わず指名される。最終的に判断するのはラウドだということだった。

「彼女はラウドのお気に入りだからな」

 大部屋に帰ったタラックが、ぼそりとつぶやいた。彼は、あいかわらず予備舎にいる。

「ラウド先生は依怙贔屓するような人じゃないよ」

 トルグは、むっとして言った。

「ふん、わかっているさ」

 タラックはため息をついた。

「そろそろおれも、潮時かもな」

 夜、寝台に横になりながらトルグは考えた。リイシャにあって、タラックや自分に足りないもの。

 知識だけなら、タラックたちの方がすでに上だ。彼らは教室も別で、もっと専門的なことを学んでいる。魔法使いになれずとも、どの領地でも必要とされるように。

 重要なのは、やはり〈力〉か。

 トルグは目を閉じ、自分の〈力〉をまさぐってみた。いまではトルグも、自在に〈力〉を発動できる。近くのものなら手を使わずに動かせたし、壁の向こうをぼんやり透視することも、小さな虫を仮死状態にして、また甦らせることもできる。だがそれは、ささやかな力だ。もっと大きな〈力〉を得るためには、自分自身の精神をその入れ物として耐えられるような堅固なものにしなければならないことはわかっている。

 自分自身を怖れろとラウドは言った。トルグは、大きな〈力〉を引き出すことで自分が壊れてしまうのが怖かった。だから、手探りするように恐る恐る〈力〉を使う。

精神と〈力〉の均衡なのだ。

 トルグは思った。予備舎にとどまっている者は、まだその兼ね合いを探しあぐねている。

 リイシャには〈力〉を扱う勇気と、それにふさわしい精神力があるのだ。みごとに均衡を保ちながら。

 眠られず、朝方ようやくうとうとした。

「トルグ!」

 リイシャの声ではっと目が醒めた。

 あわてて身を起こしても、射し込む夜明けの光の中で皆がまだ眠っているだけ。

 トルグは顔をこすり、ため息をついた。リイシャが本舎に行くのは今日だ。まだ寮にいるにしても、こんな所に来るはずがない。

 心語とも違っていた。相手の脳内に思念を流し込む心語は声を形作らない。だがいまのは、はっきりとリイシャの声の響きを持っていた。

 なにかを訴えているような。

 まさか。

 トルグは苦笑し、また寝台に横になった。空耳にちがいない。

 幻聴については勉強したばかりだ。あんまりリイシャのことを考えたものだから、頭の中が勝手に彼女の声をつくりだしたのだ。

 だが、空耳ではなかったことがやがてわかった。

 リイシャが姿を消したのだ。

 朝、同室の者が起きた時、リイシャの寝台は空だった。寮を出るためにまとめていた荷物も、着替えもそのまま残されていた。

 朝食の時間になっても、リイシャは戻って来なかった。寝間着一つの姿で、どこに行ったと言うのか。

 生徒たちはざわついた。みなで手分けして学舎中を捜した。〈力〉でリイシャの気配を探ってみようとした。だが、リイシャはどこにもいなかった。

「なぜ姿を消す必要があるんだ?」

 タラックが怒ったように言った。

「晴れて本舎に行けるという日に」

「魔法使いになるのが、急に怖くなったとか」

 と、誰か。

「まさか」

 アリザが首を振った。

「夕べ、変わったことなんてなかったわ。リイシャは楽しそうに荷造りしてた」

「リイシャの意志じゃないよ」

 トルグは、不安で胸が潰れそうになりながらつぶやいた。

「リイシャに何か起きたんだ」

 報告を受けたラウドは、執務室から出てこなかった。

 いつものように教師がやって来て、授業をはじめた。天体図を広げながら、気もそぞろなトルグたちを眺め回し、

「魔法使いに最も必要なのは平常心だ。忘れないように」

「でも、先生」

 トルグは思わず言った。

「リイシャが消えたんです」

「ラウドが調べている。彼にまかせなさい」

 とはいえ、いてもたってもいられなかった。

 トルグは授業の合間にひとり寮に戻った。誰もいない二階の廊下を通り、リイシャがいた女子部屋に入った。

 まぎれもない規則違反だ。後ろめたさを追いやって、トルグは心を澄ました。

 今朝のリイシャの声は、トルグへの呼びかけだったのだ。リイシャはトルグに救いを求めている。また聞こえるかもしれない。そうしたら、きっとリイシャの居場所をつきとめてみせる。

 部屋の中をゆっくりと巡り、またがらんとした廊下に出た。縦長の窓から射し込む陽の光が、床に等間隔の四角い模様を作っていた。光と影を交互に渡りながら、トルグは〈力〉を四方に発動し、リイシャを追い求めた。どんなことでもいいから手がかりが欲しかった。リイシャの行った先を辿ることができるなら──。

「トルグ」

 トルグははっとした。

 リイシャの声だ。

 それは天井から聞こえた。

「トルグ」

 さらに、窓の下の方から。

 天井を見上げ、窓から外をのぞき込んだ。なぜ誰もいない場所から声がするのか。

「リイシャ」

 トルグは必死で呼びかけた。

「どこ?」

「トルグ」

 弾んだ声が、すぐ耳元で、

「よかった。つかまえたわ、あなたを」


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