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 目ざめたのは薄暗い部屋だった。

 トルグは寝台に横たわっていた。

 部屋は狭く、帳もない小窓の外は闇だった。

 夜らしい。

 石壁の窪みに置いた蝋燭が静かに炎をゆらしていた。

 寝台の脇に、リイシャが立っていた。

 蝋燭の明かりを背に、見て取れるのはふわりとした金色の髪だけだったが、はっきりと彼女だとわかる。

「リイシャ」

 トルグは、がばりと身を起こした。脇腹に疼痛がはしった。

「急に動いちゃだめよ、トルグ。まだ傷が治っていないわ」

 リイシャは、トルグの頭を優しく枕に押し戻した。

「ここは?」

「〈塔〉の中」

「ぼくは……」

 トルグは必死で思い出そうとした。

 あの時。

 頭上からのしかかる巨岩、崩れ落ちる足元──混沌の中、トルグは闇に吸い込まれ、意識を失ったのだ。

「あなたの怪我はひどくて、魔法で治せるのもこのくらいが限度なの」

「きみは?」

「大丈夫。たいしたことはなかった」

「ラウド先生とデュレン教授は?」

 リイシャは黙り込んだ。彼女の表情は、影になって読み取れなかった。

「何が起きたんだろう、リイシャ。ぼくはわけがわからない」

 自分は、はじめから途方に暮れるばかりだったのだとトルグは思った。リイシャは謎を残して去っていき、今こんなに近くにいても彼女の心はつかめない。

「デュレン教授は死んだわ」

 やがてリイシャは言った。

「あの空間もろとも消滅した。本当に、一瞬だったのよ、トルグ。魔法を使う隙さえなかった。あそこはやっぱり、古の魔法使いが創った罠だったのだと思うわ。〈力〉を求めすぎた魔法使いをおびき寄せ、排除する。楔を抜けば、空間ごと崩壊するしくみだったのでしょう」

 二度とアンシュのような者を生み出さないという、古の魔法使いの強い意志だったのか。デュレンのような者が現れると、彼らは予見していたのか。

「でも」

 トルグはつぶやいた。

「ぼくたちは生きている」

「ええ」

「ラウド先生は?」

「先生が、わたしたちを助けてくれた」

 リイシャは言い、静かに息を吐き出した。

「デュレン教授にラウド先生のことを聞いたとき、驚いたわ。ラウド先生には生きる希望もなかったし、死ぬことすらできなかったの。ただ、自分の罪を悔いながら、自分の中の〈穴〉と戦っている日々よ。ひどすぎる。わたしは、先生を助けたかった。アンシュの〈力〉ならばできると思った。先生の〈穴〉を消滅させることが」

「リイシャ……」

「あの手はアンシュのものに違いなかったけど、そんな〈力〉は持っていなかった。アンシュの存在を示して馬鹿な魔法使いをおびきよせるものでしかなかった。むしろ、アンシュに反応して、先生の〈穴〉は大きくなった」

 リイシャは口をつぐんだ。その沈黙で、彼女がどんなに悲しみに耐えているかがわかった。

「わたしのせいよ」

 リイシャはぽつりと言った。

「わたしは先生に楽になって欲しかったのに、かえって苦しみを与えてしまった。先生は、わたしたちを助けるために自分を〈穴〉に明け渡したの」 

「〈穴〉に」

 トルグは、はっとした。

 アンシュの〈穴〉は空間を穿つ。魔法使いの罠に出口はなかった。ラウドは自ら〈穴〉になることで、リイシャとトルグを元のアイン・オソに帰したのか。

「先生は?」

「わからない。〈穴〉の一部になってしまったのは確かだけれど、先生としての意識がまだ残っているのかどうかもわからない。わたしたちがここに戻ったのは先生の意思が働いたからだわ。でも、その後はどうなの」

 リイシャは両手で顔をおおい、肩を震わせた。

「考えると、どうしようもないの、トルグ。〈穴〉に先生の存在が残っているとしたら? 先生は不死だったけど、人間の身体があった。でもいまは、意識だけ? それとも、何もかも〈穴〉に呑み込まれてしまったのかしら」

 ラウドは、自分たちを助けるために〈穴〉に身をゆだねたのだ。

 ラウドの存在は、〈穴〉に呑み込まれ、消えてしまったのだろうか。

 それならばまだ、救いがあるような気がした。しかし、意識ばかりが残っていたら? アンシュの呪いの一部として、永遠にヴェズをたゆたっていなければならないとしたら?

 ラウドのことを想い、リイシャは悲嘆にくれている。自分自身を責めている。古の魔法使いの罠に落ちてしまったことを。

 慰めることもできなかった。トルグはリイシャの弟にすぎず、彼女はもっと大きなものを失ってしまったのだ。

 トルグには入り込めない結びつきが二人にはある。

「ごめん、リイシャ」

 重い胸の痛みを感じながら、トルグはつぶやいた。

「ぼくがデュレン教授を連れて行きさえしなければ」

「いえ、同じことだわ」

 リイシャは、きっぱりと首を振った。

「わたしたちだけでアンシュの手を見つけても、楔を抜けばあの空間は崩壊したのよ。ラウド先生は〈穴〉を開いてわたしを助けたでしょう」

 あるいはアンシュの手を見つけられないまま、リイシャが力つき骨と化したとしてても、ラウドはあの鍾乳洞の中で独り生き続けなければならなかった。

 トルグは目を閉じた。

 どちらも悲しすぎる。

「トルグ」

 ややあって、リイシャは言った。静かに落ち着いた声だった。

「あなたは、いつもわたしを捜してくれた。嬉しかったわ」

「リイシャ……」

「ほんとうよ。いつもあなたの存在を感じて、心強かった」

 リイシャは、ほっそりとした手をトルグにさしのべた。

「ありがとう、トルグ」

 トルグは、その手を両手につつんだ。

 か細く、冷たい手だった。

「わたしは、行くわ」 

 リイシャはそっとトルグの手を押し戻し、毛布を掛け直してくれた。

「もう少し眠って、トルグ」

 衣擦れの音をたてて、リイシャはトルグの寝台から離れた。

 扉に向かう一瞬、彼女の美しい横顔が蝋燭の炎にくっきりと浮かび上がった。

 まっすぐに前を向き、何かを追い求めるような表情だった。

 その横顔はすぐに薄暗がりの中に消え、リイシャは部屋から出て行った。

 

 次に目ざめた時はもう昼で、小窓から薄い陽の光が射し込んでいた。

 昨夜のリイシャのことは夢だったのか、現だったのか。トルグがぼんやりと考えていた時、扉が叩かれた。

 魔法使いの寛衣を着た初老の女性が入ってきた。銀色の髪をおさげにして両肩に垂らし、若いころの美しさをとどめた顔に穏やかな笑みをたたえている。

「気分はどう? トルグ」

 聞いたことのある声だ。

 トルグは思い出した。塔での試験で、トルグに子供の人形を見せてくれた女性の教授だ。

 教授たちは七人。しかし三人がデュレンによって排除され、デュレンがいなくなり、残りは三人だ。彼らはデュレンの言いなりになっていた。

 トルグは思わず身構えた。

「大丈夫よ、そのまま横になっていて」

 彼女は起き上がりかけたトルグを制した。

「ジーマです」

「ジーマ教授」

「ええ」

 彼女はうなずき、深々と頭を下げた。

「まず、あなたに謝らなければいけないわね。何が起きたか、すべてリイシャが話してくれたわ。教授陣は不甲斐なさすぎた。デュレンの言いなりになっていた」

 トルグはジーマを見つめた。彼女の顔は、偽りのない悲しみに曇っていた。

「はじめはわたしたちも、デュレンと同じ考えだったのよ。魔法使いの〈力〉は、もっと解放されるべきだと。ほんとうに〈力〉ある者たちが魔法使いになれないなんて、どうかしている。あなたやリイシャのような魔法使いを生み出して、アイン・オソは徐々によりよく変化していくはずだった。でも、デュレンは力ずくだったわ。彼の野望はやすやすとアンシュの呪いに同調してしまった。意に添わない教授たちまで殺した。わたしたちは彼の様子を探りながらも、彼に従うしかなかった」

 ジーマは深いため息をついた。

「ミトルが何か起きそうだと知らせてくれたわ。リイシャとラウドは姿を消して、デュレンからあなただけを呼び出すように命じられたと。デュレンとあなたも消えてしまった」

 ミトルはデュレン側の魔法使いではなかったのか。

 トルグは、少し救われたような気持ちになった。彼はデュレンの動向をジーマたちに伝えていたのだ。

「でも、わたしたちは何もできなかった」

 しようともしなかったのだとトルグは考えた。

 ただの傍観者にすぎなかった彼ら。

 デュレンがあの空間で死ぬことなく、アイン・オソに君臨していたらと思うとぞっとする。魔法使いの世界を作るのだと言っていた。ヴェズはめちゃくちゃになったことだろう。古の魔法使いの罠だけが、ヴェズを守ってくれたのだ。 

「これから」

 トルグは言った。

「どうなさるおつもりですか?」

「アイン・オソを立て直さなければならないわね。今回のことでまた保守派が力を持ちそうだけれど、折り合いはつけていくつもりよ」

 ジーマは顔を上げ、低い、が力強い口調で言った。

「魔法使いの〈力〉は抑圧されるべきではないわ。けれど、行き過ぎた者を出してもいけない。ほどが大事ということをわたしたちは学んだ。何がよくて、何がだめなのか、掟よりも強いしっかりした法を作る必要があるわ。保守派ともども、考えていかなければ」

 デュレンのことは過去になり、ジーマは未来を見据えている。

 昨夜のリイシャのまなざしも、トルグを通り越し、前へと向けられていた。

 リイシャのことを考えると、静かな悲しみが押し寄せてくる。

 リイシャは何を求めているのか。

「それから、トルグ」

 トルグの心を見透かしたようにジーマは言った。

「今朝方、リイシャはアイン・オソを出たわ。あなたによろしくと言っていました」

 トルグはジーマを見つめたまましばらく何も言えず、やがてかすれた声でささやいた。

「どこへ?」

「聞いていない」

 トルグは目を閉じ、深く息を吐き出した。

 自分はもう、リイシャを捜すことはないだろう。

 彼女がそれを望んでいないから。

 トルグは、はっきりと悟った。

 リイシャとは、二度と会えないのだ。 


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