(48)自分がどうするか、どうしたいか
「──ですから、わたくしは好き勝手にやらせて頂きますわ!」
……唐突に脈絡がぶっ飛んだ。
胡乱な目で見やれば、ヒルデガルトは優雅に重ね合わせた両手を片頬にぴたりとくっつけて、あざとく小首を傾げてみせた。
「生と死の循環は知的生命体の倫理観を嘲笑う構造を成しており、それに抗うことは種の弱体化に繋がります。ゆえに人間は愚かしくもどこかで見たような歴史を繰り返さざるを得ない……ならばこれはもうどうしようもないものと割り切って、あとは結局自分がどうするか、どうしたいかの問題になってくるのですわ」
「まあ……そうね」
「わたくし、とってもムカついていますの」
公爵令嬢の口から出たとは思えないストレートな感情表現に、カトリーヌは胃の腑をきゅっと掴まれるような恐怖を覚えて軽く身を引いた。
ヒルデガルトの態度は穏やかなまま、いやむしろ実に生き生きと楽しそうに──朗らかな殺気を放っている。
「他者を害する人間が、親であるというだけの権利に守られて罰されないなんて腹が立つでしょう? わたくしの力も社会構造をまるごと変革させるまでには至りませんけれど、個々のケースに私怨をもってして私的制裁を加えることはできます、大好きです! リリアさんの言う『ざまぁ』というやつですわっ!」
「そ、そう……」
「まあ、そうは言っても理不尽に派手な罰を与えることはできませんから、裏から手を回して少しばかり厳しめにじわじわ絞る程度ですけれどね。案外それをきっかけに崩れてくれる家も少なくありませんの」
「すでに実証済みなのね……」
「ええ、それなりに」
なんでも、邪な腹積もりでヒルデガルトやジュルダンに粉をかけてきた貴族子女連中の幾人かを、実際に家から切り離した実績があるそうな。
ある時は搦め手で、ある時は公爵家の権威を存分に振るい、子の出世や家の名誉を餌にして子らの独立を誘導し、親側も納得させた上で距離を置かせる。親の影響下から外れた環境で子供側の意識が変わってきたところで、徐々に実家を「絞る」ように計らう。破滅に追い込むわけではない。親の負うべき罪の重さをヒルデガルトなりの秤にかけ、それに比例した圧を恒常的にじわじわとかけて、長期的に苦境から這い上がれぬよう足を引っ張り続けるというやり方である。……たいそう手間のかかる謀だろうに、ここが一番愉しいところだとにこやかに断言するのだから処置なしである。
ともあれ、親側が危機感を覚え始めた頃には後の祭り。我が子に助けを求めようとも、家に対する意識が変わってしまった子供らの反応は鈍く、目を光らせているザルツェイロス公爵家の手前、親の強権を振るって無理やり連れ戻すことも難しい。
あとは自力で苦境を乗り越えられるか、いざという時に周囲に助けてもらえる人望があるか。各々の罪の重さに見合った苦労を積んで這い上がってくるのならばそれでよし、人徳に生かされるならばそれを免罪に加点するのもやぶさかではない。しかし大抵の場合は潮が引くように人が離れていき、むしろ周囲の人間によって現在の地位から引きずり下ろされる結末になりがちだという。家族すら尊重できない人間は、いくら外面がよくとも、結局いざという時に手を差し伸べてもらえるほどの人間関係など築けていないということなのだろう。
ある種、人造の因果応報といったところ。私刑を下された側は、自身の苦境の裏に黒幕がいることになど気づかない。本人にも周囲にも運が悪いとしか見られないため、子供を生み育むリスクには結びつかない。
普段の己の悪徳が巡り巡って自身を苦しめているのではないか……と反省できる親はほんの一握り。だが所詮罪を明らかにして罰を与えたところで納得して改心する人間などそもそも稀なのだからこれでいいのだと、ヒルデガルトは澄んだ笑顔で人間の愚かしさを嘲笑う。
ともあれ、サンドラ、エイミ、メア、そして各々の実家にも、同様の措置が施されるという。
メアはすでに公爵家預かりの使用人になっているが、サンドラとエイミも各々に適切と見込まれる高位貴族の家に奉公に出されることが決まっている。名目は花嫁修業。二人の将来性を見込んだ(ということになっている)ヒルデガルトの口利きで公爵家が縁談を用意すると確約し、その条件として奉公に出して良縁にふさわしい教育をしっかり施しておくという方便だ。その間実家からの口出しは一切認めない。労働の賃金は実家には入れさせず、本人が嫁入りする時の持参金の一部として、ヒルデガルトが責任を持ってプールしておく。
この条件ならば、大概の家は断らない。実際、シーニス、キルナーは諸手を挙げて乗ってきた。娘を溺愛するアンハイムは多少渋ったらしいが、結局口八丁で丸め込まれたようだ。キルナーに関しては、まだ家に残っている他の子もまとめて面倒を見てくれるとあって、子供に手をかけたがらない子爵は大喜びだったという。もちろん子爵のためなどではなく、子らを家から逃がすための措置なのだが。
かくしてあっけなく親子の物理的切り離しは成功した。あとは折を見て実家を「絞る」のみ。
加えられる圧は、ヒルデガルトの尺度における罪深さの軽重に比例する。溺愛が過ぎて娘を嫌われ者に育てたアンハイム家は、比較的軽度な不幸が長く続くだろう。不条理な理由で娘を冷遇したシーニス家は、元凶である祖父母世代を中心にきつめに絞ることになり、強きに流された親世代もそれなりの苦境に叩き込まれそうだ。
法律上の犯罪を犯していないだけでその実問題だらけのキルナー家は、子爵個人を相手取って強力な制裁が課される。夫人も巻き込まれる計算になるが、事なかれ主義で夫に対抗することもなく、子供らの負担を見て見ぬふりをしたことを精算させる意味で、しばらくは放置、十分に堪えたであろうところで夫人のみ救済という流れだそうな。もっとも、その段階まで子爵家がもつかどうかは保証できない。そこは当人らの努力次第だ。
一方で、救済する対象である子供らは実家の没落から完全に切り離した上で、心を入れ替えた者には実際に良縁を用意する。本人が望むのならば適切な職を斡旋することもある。性根が変わらなければまたそれなりの措置を考える。子には手厚く、親には手厳しく。それがヒルデガルト流だ。
……偏執的なまでに徹底している。公爵家の力に王家の後ろ盾、さらに本人の能力が突出しているからこそできる所業とはいえ、こんな手間も労力もかかる無償労働、できるからといって普通はやらないだろう。動機としては被害者への情よりも加害者への怒りが強そうだが、そこに駆り立てるほどの正義感や私怨も感じない。
個々を指向する恨みやわだかまりとは違う、もっと大枠の何かに対する、熾烈な怒り……
「あんたの親も……?」
独白に等しいカトリーヌの疑問をしっかり拾って、しかしヒルデガルトは笑顔で拒絶する。
「その話はまた今度。さあ、佳境ですわよ」
促されて視線を返した舞台上では、物語が終盤に突入していた。
……家を飛び出し、旅の一座の下働きとして頑張る主人公。降りかかる数々のトラブルをなんとか乗り越えて、どうやら演者にまで上り詰めたようだ。
しかし時代は戦時へと突入する。故国では腐敗にまみれた王侯貴族に対する民衆の不満に軍部が呼応しクーデターが発生、周辺諸国にも小競り合いが飛び火したという話が風のうわさで飛び込んでくる。
捨てた国とはいえどうしても気を揉んでしまう主人公だったが、遠く離れた他国では何をすることもできない。それどころか、戦火は一座を追いかけてくるように驚くべき速度で広がっていく。
やがて一座が身を寄せている国にも戦争の影響が及び始める。金銭的にも精神的にも余裕をなくした人々は、次第に一座を相手にしなくなっていく。収入が減った上に物流の乱れも追い打ちをかけ、一座は物資の調達にも苦心する羽目になる。
否応なく問われる、戦時における娯楽の存在意義。人心は荒れ、一座の中でも言い争いが頻発するようになる。しかし戦地で足を止めるわけにはいかない。不和を抱えたまま、不安な道程をひたすら進むしかない。
そして結局、安全な国へと移り住むことも叶わぬまま、一座は戦火に呑み込まれた。
公演準備中に、他国から突然の急襲。敵軍は辺境都市に火を放ち、民間人も構わず惨殺していく。一座の仲間からも幾人か犠牲に。主人公は残された仲間とともに大聖堂に避難するしかなかった。
広大な聖堂の暗澹たる薄暗がりの中で身を寄せ合い、迫りくる戦いの音に怯える人々。
不安と恐怖に心を染めながら、主人公は思う。これまでの人生を。演劇の世界に飛び込んだ選択を。観客の笑顔を。──自分自身の、願いを。
そして彼女は立ち上がる。折しも今日予定されていた公演は彼女の初主演。全身には艶やかな真紅の衣装を身に纏ったまま。
──大聖堂の大扉をくぐったその瞬間、役者が入れ替わった。若手女優が姿を消して、代わりに、熟練の踊り手の美しい立ち姿が逆光に映える。
同じ真紅の衣装に身を包み、透ける布の頭巾で顔を隠した踊り子が、大聖堂前の大階段の上に立つ。
彼女は踊る。街を呑み込む戦の混乱を眺めやりながら、鮮やかな真紅が翻る。戦いの凄惨さなどそこに存在しないかのように、争い合う人の愚かしさを見下すように、悠然と舞姫が舞う。
やがて暴力は大聖堂へと押し寄せる。射掛けられた矢が舞姫の間近を過ぎ、時に衣装や肌をかすめて裂いた。
それでも彼女は毅然と踊る。踊る喜びに目覚めたように。……舞台を降りることを決意した彼女が、目の前の戦ごときで最後の演舞を諦めるはずがない。
進退窮まったのならば、あとはもう、自分が何をするか、何をしたいかの問題なのだ。
彼女は、踊ることを選んだ。
舞姫の踊りを見上げる敵兵たちが、次第に困惑に染まっていく。誰かが剣を下ろし、誰かが弓を引くのをやめ、誰もが大階段を駆け上がるのをためらう。呆然とした幾多の眼差しが彼女を一心に見つめる。
命をなげうつ舞踊。一切の余計なものを削ぎ落とし、表層の人格を脱ぎ捨て、本性を剥き出しに曝け出して。
役者人生の全てを賭して、何もかも燃やし尽くすかのように。
全身から炎の如く溢れ出す生命力が、見る者を魅了せずにはいられない。
……彼女の舞が敵兵を骨抜きにしていられたのは、きっと十分にも満たなかっただろう。
だがその数分間が、運命を分けた。
にわかに敵の増援が駆けつけ、問答無用で舞姫の肩を射った。呆けていた兵士たちを叱咤しながら大聖堂への突入体勢へと移行、直ちに進撃を開始。軍勢が大階段を駆け上がり、暴力を手に舞姫のもとへ迫る──その寸前。
敵襲を告げる角笛の音が兵士たちの耳をつんざいた。
侵略の動きを察知し隣町に詰めていた防衛軍が、戦場に到着したのだ。
舞姫が倒れた隙に、役者はまた入れ替わっていた。
一座の仲間に抱き起こされながら、主人公は撤退していく敵軍の姿を満足げな笑みで見送る。
舞姫の踊りが大聖堂の人々の命を守ることになったのは、結果論でしかない。主人公はそこまで深く考えて舞台に立ったわけではない。
だが、戦争という不条理に呑みこまれず、己のやりたいことを通したことで得られたのがこの奇跡であるのだから、これが最上の結末に違いない。
万雷の拍手と物語の終わりを告げる軽やかな音楽隊の演奏に包まれて、役の顔を脱ぎ捨てた役者たちがにこやかに舞台上を練り歩く。
その中にひときわ目を引く真紅を翻す舞姫の姿を、カトリーヌはじっと見つめる。やり遂げた者の、輝くような笑顔を。
今日この日、彼女は舞台を降り、新たな人生を始める。
(……結局は、自分がどうするか、どうしたいか……)
それはきっと、万人に問われている人生の至上命題。
手を差し伸べる側だけではなく、救いを必要としている子供たち自身にも。
きっとこの先命が続く限り、問われ続けるのだろう。




