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(17)空気の読めない襲撃者

 最終下校時刻は季節によって変動する。大体は日没が目安だ。

 一応は貴族令嬢であるところのカトリーヌとリリアは、最終下校時刻前、つまり日が沈み切る前に学園を出るよう促される。

 この時ヒルデガルトが先頭に立ち、堂々と二人を引き連れるようにして校門まで移動するのが慣例になっていた。校内での行動を共にし、二人がヒルデガルトの庇護下にあると見せつけることで、生徒会加入に文句をつけさせないための牽制の一環である。(ちなみに初回時、リリアが「ヒルデガルト教授の総回診www」とわけのわからないことを笑い含みに言っていたのでカトリーヌのバッテンマークが発動した)


 ただこの日は、ヒルデガルトはどうしても外せない社交があるとかで、生徒会活動自体を欠席していた。

 とはいえ生徒会執行部に所属してから一月半、カトリーヌもリリアも新たな活動リズムにこなれてきている。いちいちヒルデガルトと行動しなければ立ち行かないということもない。

 ヒルデガルトの庇護があるということと、二人が不埒な目的で執行部に入部したのではないという実感も、全校にそこそこ周知された手応えもある。それでも僻み嫉みは完全には消えないだろうが、その手の輩も今は様子見をしているらしく、直接の嫌がらせや言いがかりはまだない。絡んでくるにしても、日没間近で教員が生徒を追い出しにかかる差し迫った時間帯を選ぶ馬鹿はそうはいないだろう。


 だから二人とも、この時は少しばかり油断していたのだ。


「ごめんお手洗いっ! カトちゃんここで待ってて!」

「嫌よ、ご不浄の前で待つなんて。先に馬車に行ってるから」

「びぇぇぇぇっ!! カトちゃんの薄情者ぉーっ!!」


 嘆きながら便座へと走るリリアを置き去りにして、カトリーヌは夕日の暖かな色に染まった廊下をゆったりと歩く。


 ここのところ必然的に同時に下校するようになったため、カトリーヌとリリアはカドレッド家の馬車に相乗りして帰宅するのが習慣になっていた。先にノトシュ伯爵邸に寄ってリリアを下ろし、その後カドレッド邸に帰宅するという流れだ。父はノトシュ伯爵にいろいろと恩義があるから、この程度のことにはうるさく言わない。むしろここでぎゃあぎゃあ難癖つけてきたらいよいよ救いようがない。

 校門から自宅までは馬車経由のドアツードア。だから、最大限に警戒すべきは校門に至るまでの校内の道のりであり、その警戒も先の通り杞憂に終わる公算が大きい──はずだった。


「……痛ッ!」


 後頭部の頭皮に鋭い痛み。悲鳴混じりの声を上げて、カトリーヌは足を止めることを余儀なくされた。ぷちぷちと後ろ髪の数本が抜けた音が聞こえた。

 一本にまとめて後ろに流した三つ編みが、どこかに引っかかったか……あるいは誰かに引っ張られたか。


「もう、何よっ!?」


 目を吊り上げて鋭く振り返り、当たりをつけた場所を睨みつけると、果たしてそこにいた人物がびくりと肩を震わせた。怒鳴られたことに(おび)えたようにも、自分がしでかしたことに今になって(ひる)んだようにも見えた。


 知らない男子生徒だ。夕映えに浮かび上がる姿にぴんとくるものはない。ありがちなブラウンの髪に瞳。神経質そうにしかめられた、整ってはいるものの印象に残るような特徴もない顔立ち。制服に入っているラインの色から同学年とだけはわかる。平民のような印象を受けなくもないが、身だしなみの整えられ方は貴族のそれだ。


(……貴族の男子が貴族の女子の髪を引っ張る? なんの冗談よ……)


 学園に通う貴族の所業とは思えない。普通は一桁歳のうちに矯正しておかねばならない()()()だろうに。どんな意図があるのか考えたくもない。


 ただひとつ確かなのは、これが好意的な行為では絶対にありえない、ということだけだ。


「……放してくださらない?」


 固く冷たい声音で問えば、男子生徒は慌ててカトリーヌの三つ編みを放り捨てた。まるで汚いものに触っていたと今気づいたかのような勢いに、カトリーヌの目が物騒に細まる。


「それで。なんのご用なのかしら?」


 改めて男子生徒に正面から向き直り、完全に「敵」を迎え討つ気構えに切り替わったカトリーヌの声が、地の底から這いずるように男子生徒に絡みつく。

 男子生徒は大いに怯えた様子を見せたが、あちこちに視線と思考を彷徨わせたのち、なんらかの屈辱に思い当たったかのように顔を歪めて、感情的な目でカトリーヌを睨みつけてきた。


(……この男、お父様の同類だわ)


 一連の男子生徒の感情の動きをつぶさに読み解き、カトリーヌは頭痛を覚える。

 自分は正しい人間だと根拠のない自信を持って強引な行動を取り、他者から指摘されて初めてそのまずさに気づいて一度はうろたえる。しかし直後に「他人から欠点を指摘された」という事実に屈辱を感じて腹を立て、さらにその相手が自分より下だと見下している存在ならば──


「ノトシュをいじめてる女が生意気な口をきくな!」


 ──強い口調と攻撃的な態度で論点をずらして、相手の問題にすり替える。

 すなわち、逆ギレというやつである。

 父はさすがにもう少しばかり取り繕うのが上手いが、根底の気質は非常に似ている。


 カトリーヌはもはや極寒にまで冷え込んだ視線で相手を射抜き、一切怯むことなく受けて立った。


「私が、何をしたと仰って?」


「……っ、だ、だから……ノトシュをいじめて……っ」


「いじめ? 具体的に何をしたことがいじめだと、あなたは判断したの?」


「い、いつもノトシュのことを怒鳴りつけて……」


「いつもじゃないわ、必要な時だけよ。それにリリアだって散々人前で私のことを罵倒しているわ。あの子のほうが声が大きいし、頻度も高い」


「さっ、最近は、なんかこう……怪しげな黒い紙切れでノトシュの顔を叩いて……!」


「叩いているのではなくて貼り付けているの。そもそもあれはザルツェイロス副会長のご意向よ」


 まあ生徒会室の外でもたまにやっているのはカトリーヌの自己判断だ。ヒルデガルトの目がない(ように見える)状況が一番リリアの気が緩む瞬間だから定期的に引き締める必要があるし、バッテンマークの刑を周知することで劇的な生徒会執行部加入に対する周囲の悋気を多少は緩和できるだろうという目論見もある。


 男子生徒はいちいち言い返してくるカトリーヌの気の強さにたじたじになりながらも、敵愾心を失う様子はない。


「そっ……それに! ……トイレぐらい、待ってやればいいだろ!!」


「はあ?」


「あんなに不安そうに「待ってて」って頼んでるのに! トイレを待ってやるなんて大したことじゃないのに、なんでそれくらいしてやらないんだ、この冷血女っ!」


 カトリーヌは頭痛がいよいよ気のせいでは済まない強度になってきたのを感じてこめかみを押さえた。

 ツッコミどころは多々あるが……ここは論点を散らしたくない。深呼吸に近いため息を吐きながら思考を整えたのち、ギロリと男子生徒を睨みやる。


「その理屈で言うのなら、待っててもらえないこと()()()大したことじゃないわよねぇ……?」


「なっ……へ、屁理屈だ!」


「どこが? 私は「先に馬車に行く」と宣言したわよ。本当に置いていくわけじゃない。待たなくてもお互い死ぬわけじゃないし」


「で、でも、女の子一人でほうっておくのは危険……」


「確かにそれはそうね。でもこの場合、私だって同じことだわ。むしろ廊下で一人ぽつんと待たされる私より、個室に籠もっている時間があるリリアのほうが安全まであるわね。……実際、今まさに変な輩に絡まれてるのは私のほうだわ」


 お前のことだぞ、と眼力(めぢから)にめいっぱい込めて凝視してやると、男子生徒は屈辱に顔を真っ赤にした。


「へ、変だと……!?」


「ご自覚がおありにならない? 声をかけて呼び止めるでもなく、肩を叩いて引き止めるでもなく、女性の髪を引っ張って無理やり振り向かせる殿方を、世間はどう評価するか、想像くらいつくのではなくて?」


 言葉に詰まる男子生徒を、傲然と顎を上げて容赦なく見下す。そろそろカトリーヌの堪忍袋の緒も限界だった。


「リリアは待っててほしい、私は待ちたくない。この場合、選択の権利があるのは頼みごとをされたほうよ。両者の意見が対立しているのなら、選択権のある側が決定を下すのは当然でしょう? おわかり?」


「っ……おまえみたいな生意気で可愛げのない性悪女、見たことねーよ!」


「……」


「ノトシュみたいな可愛い子は、その……男に狙われたり、騙されたりとか……とにかくおまえみたいな性悪と違って弱いし、いろいろ危ないんだよっ! おまえ友達ならちゃんとノトシュを守ってやれよ、おまえならその気の強さでなんとでもなるだろ!?」


「……言いたいことはそれだけかしら?」


 男子生徒の言葉を聞けば聞くほど、カトリーヌの心は冷え冷えと凍りついていく。

 それでいて脳内は活発に思考を巡らせながら、どろりとした暗い衝動に染まっていく。


 ──この男の、逆鱗の在り処がわかる。

 どこをつつき、どこを踏めば、傷を刻めるのか、手にとるように──


「あなたの言い分を要約すると、「可愛げのない女は可愛い女の子の犠牲になるべき」ということになるわね」


「だからなんだ!?」


「では、あなたが私に向けてそう断言したことを、全生徒の前で暴露してもいいかしら?」


「は──」


 男子生徒は絶句した。次いで、その顔色が真っ青に変色する。さすがに自身の発言がまずかったことに気づいたのだろう。

 多かれ少なかれ男の本音というものがそこにあるにしても、口に出したら身の破滅だ。女子からは白眼視されるだろうし、男子も大体は関わり合いにならないことを選ぶだろう。ここでよくやったとばかりに称賛してくる馬鹿どもとつるむようになったら、たぶんいろいろ詰んでいる。


「ご自分がどれほどの暴言を吐いているか、ご自覚頂けたかしら?」


 冷え切った声を投げつけてやれば、男子生徒は顔を引きつらせながらも脊髄反射の反発を返してくる。


「お……おまえなんかがいきなり何言ったって、みんな信じやしないさ!!」


 ……それは、踏んではいけない虎の尾。

 カトリーヌではなく、彼自身の。


 冷え冷えと凍りついていたカトリーヌの口許を、艶めく笑みがゆるりと溶かす。

 その両眼には、蔑みと……間違いようのない、愉悦を乗せて。


 確かにカトリーヌは学園では規格外の変人のような扱いで距離を置かれている。そんな女が突然誰かを声高に非難したところで、聞く耳を持ってくれる人間はごくわずかだろう。それが人間社会における信用というやつだ。

 だがそれは何も、カトリーヌだけの話ではないはず。


「……なら、あなたは?」


 問い返した瞬間、男子生徒は硬直した。

 彼の両眼がじわりと見開かれていくその様子をじっくりと愉しむように眺めて、カトリーヌは彼自身の核心へと、言葉を斬り込む。



「あなたの言葉には、皆は耳を傾けてくれるのかしら?」



 ……目前で、暴力の形に握りしめられた男の手が振り上げられるのを、カトリーヌは微笑みを維持したまま、ただ何もせずに見つめ続けた。


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