(13)前世の証明は無理難題
「なるほど……前世」
適度にカトリーヌが補足を挿みつつ、ヒルデガルトと二人で頭を悩ませ翻訳しつつ。
リリアのわかりにくーい前世云々の説明が一段落すると、ヒルデガルトは思考を熟成させるようにカップをくるりと回して茶の水面を揺らした。
「……それは困ったこと。ノトシュさん、何か前世を証明できるようなものはありますか?」
「え。証明……? ええー……?」
リリアは困惑しきりで百面相をしている。
リリア曰く、前世はこことはまるで異なる、何百年分も進歩した文明の異世界なのだという。そこでは様々な燃料を用いて「デンキ」なるエネルギーを生み出し、都市全体を夜も明るく照らしたり、馬のいらない金属製の車を走らせたり、同じく金属製の「ヒコーキ」とやらを飛ばしているという。
では、そのデンキやジドーシャやヒコーキとやらの具体的な作り方を説明できれば、少なくとも異世界とやらの存在に説得力が出るのでは、と提案してはみたものの、リリア本人がさっぱり知らないというのだから話にならない。
「いやあの! で、電気はね! 確か授業でちょこっとだけ習って、ええっと……磁石と、あのぉ……くるくるくるーって巻いてあるヤツ……な、なんだっけ……」
「あんた、前世でもおばかだったのねぇ」
「うにゅぅっ……で、でもでも、車や飛行機なんかはセーミツキカイの塊だから答えられる人のほうが少ないと思うよっ!?」
「つまり、結局は証明できない、ということになりますわね」
「あぅぅっ……」
「まあそもそもそれが説明できたところで、あんたに前世があることの証明にはならないんだけどね」
「えっそうなのっ!?」
「当然ですわ。そのデンキという技術が、たとえば遠い異国ではすでに実現していて、ノトシュさんはたまたまその知識をどこかから伝え聞いただけ、という可能性は残りますもの」
「「遠い異国」の部分を、あんたの言う「異世界」に置き換えても成立するわね。前世なんて形で繋がりがあるのなら、何かの拍子に知識が流入したっておかしくはないし?」
「ででででもでもでもっ、人から聞いたんじゃないよ、ほんとだよっ!?」
「それを証明はできないでしょ?」
「そりゃあ……だって! そういうのって悪魔の証明って言わないっ!?」
「あんたにしちゃ難しい言葉知ってるじゃない。そういうこと。ソキウスも言ってたでしょ、前世の有無なんて誰にも証明できないのよ」
論理的に証明できない物事を他者が信じるかどうかは、信じたいと思うかどうか。
少なくとも現時点においては、この与太話を信じるほどリリアを妄信している人間に心当たりはない。
なんとも扱いにくいとばかりに、ヒルデガルトはため息をついた。
「はぁ、害があるようなないような……カトリーヌさんはどう思われていますの?」
「……無害とは言いたくないですけど、危険性は極めて低い、くらいでいいんじゃないです?」
「あらそう?」
「確かに予知っぽいことを言い出すこともありますけど、的中率は二割──いえ一割七分がいいところなので」
「あらあら。それは有識者を集めて意見を聞いたほうがまだ当たりそうね」
「しかもその内容も、学園内の特定の男子生徒のどうでもいい個人情報ばっかりで。政治だの経済だの陰謀だのに関わる重大案件は一切聞いたことありませんから、ヒルデガルト様が危惧なさっているような脅威にはなり得ないでしょう」
「そうねぇ。けれど、一介の留学生を、学園に居るはずのない王族と呼び間違えるのは困ったものよねぇ。無用なトラブルを呼んでしまうわ」
「それはどちらかと言えば前世や妄想のあるなしというより、この娘の頭と口の軽さの問題という気がしますね……」
「ひっ、ひどいぃ!」
「……いえ、それよりまず最大の要点を掘り下げなくてはなりませんわね」
穏やかに微笑んだまま、ヒルデガルトの目が鋭い光を弾いた。
「改めて確認させて頂きますわね。──この世界はノトシュさんの前世においては創作物の一種。結末は複数用意されており、読者の介入の如何によってどの結末に到達するかが決まる。『リリア・ノトシュ伯爵令嬢』は読者の介入を直接体現する主人公。主題は異性との恋愛をいかに楽しみ幸福な結末を迎えられるか。恋愛対象となる殿方は複数存在し、いずれも今をときめく美男子ばかり。そして、ノトシュさんはその創作物のあらゆる内容を、複数存在する展開や結末の細部に至るまで網羅している。……ということでよろしいかしら」
「は、はい、そうです、大体あってますっ!」
「ではノトシュさん。貴女はこの学園で、どのような目的のために、その知識を活用しようとなさっているの?」
「──ヒッ」
ヒルデガルトは決して詰問しているわけではない。怒りはなく、責め立てるでもなく、声音も笑顔も穏やかで──目だけが笑っていない。
さしものリリアもここで返答を間違えば明日から学園にいられなくなるであろう気配は拾えたらしい。喉の奥で小さく悲鳴を上げて、真っ青な顔のまま目を泳がせまくっている。何かを訴えようとする口はパクパクとわなないて空回りするばかり。
ヒルデガルトはじっと待ちの姿勢を貫いているが、待つだけ時間の無駄だと判断したカトリーヌは容赦なく代弁してやる。
「五股したいんですって」
「カトちゃぁぁぁぁぁんんんんッ!?」
「ここまでバレてて、そこだけ隠したって意味ないでしょ」
ここで一番問題になる回答は、政治や国家体制に食い込むような野心を示すことだ。たくさんのイケメンとキャッキャウフフしたぁい☆なんていうリリアの浅はかな欲望など、脅威度ミジンコである。
「……詳しく」
五股の意味を十分に咀嚼したらしい間を置いて、静かなヒルデガルトの呟きが響いた。
「その件、もっと詳しく、説明頂けますか?」
有無を言わさぬヒルデガルトの迫力の要求の奥には案の定、状況を分析する慎重さに替わって明らかに面白がる色が滲んでいるのだが、青を通り越して真っ白になったリリアにそれを読み取る余裕はなさそうだ。