(12)ヒルデガルト・ザルツェイロス公爵令嬢
生徒会執行部は伝統的に、王族、高位貴族、そして王族が選んだ王城従事予定者などで構成される。代によってはその条件に当てはまらない成績優秀者が抜擢される場合もあるが、原則は将来の為政者たちの予行練習としての組織である。
今代は同学年に王族がいるため、第二王子が生徒会長を務めている。以下は現在王子の側近扱いである宰相の息子と、二人の高位貴族のみ。
うち一人、会長に次ぐ副会長の座に任じられているのが、今カトリーヌの目の前で優雅にお茶を楽しんでいるヒルデガルト・ザルツェイロス公爵令嬢である。
白金の波打つ長い髪を後ろに流した美しい容貌。淑女然とたおやかな笑みも相まって、模範的でいて儚げな印象を強く喚起する。
……が、実際に相対してみれば、目の前にいる人間が見た目通りの「可愛らしい」人物でないことは、ただ目を合わせているだけでもひしひしと伝わってくる。
カトリーヌとリリアが連れてこられたのは生徒会室だった。王族と上流階級が役員を務めることを前提にしているだけあって、無駄に広い。調度品も生徒にあてがわれるにしては華美で、よく見れば一級品だとわかるものばかり。
「ごめんなさいね、突然お招きしてしまって」
来客対応用のソファに腰かけたヒルデガルトは、客人に向けて悠然と微笑む。この場合の客人とはもちろん、来客用ソファに並んで座らされているカトリーヌとリリアである。
「そう緊張なさらないで。さ、お紅茶をどうぞ?」
「……お、それ入ります」
馴染みのない人物への警戒心からうっかり「おかまいなく」と答えかけて、カトリーヌはなんとかギリギリで軌道修正し、失礼にならない程度に紅茶を口に含んだ。
学園では生徒は対等である、という建前はあるものの、学園を一歩出れば身分制度は容赦なく降りかかってくる。ともすれば互いに無礼になりがちな学園での振る舞いを、実社会ではどの程度不問にしてくれるかは、結局各々の裁量でしかない。普段から交流のない相手ならなおのこと。
たとえばここでカトリーヌが勧められた茶を固辞した場合、この公爵家の一の姫が「信用してもらえなかった!」などと根に持って、のちのち難癖つけてくる可能性も皆無ではないのだ。
他者に寛容を期待するのは時間の無駄、下位の者が上位の者に気を遣うのは世の常。ローリスクで避けられる面倒事はあらかじめ避けておくに越したことはない。
そうやってぎこちなくも慎重なカトリーヌの姿を、ヒルデガルトは笑みを絶やさずに見つめてくる。
正直居心地は悪い。カトリーヌはカップをソーサーに置き、小さく呼吸を整えた。この沈黙はおそらく、そちらから訊ねてこい、という無言の圧力だろう。
「……とても美味しいお茶です」
「まあ。お口に合って良かったわ」
「……それで、副会長。本日はどのようなご用件でしょうか」
「副会長、というのは少し寂しいわ。もっと砕けた呼び方をしてくださらない? ああでも家名はやめて。仰々しすぎて、同級生に呼ばれると違和感があるの」
……つまり、ファーストネームで呼べと。
いきなりの無茶ぶりだ。初対面とまではいわずとも、面と向かって会話をするのは初めてに等しい相手に、王族以外に上の身分のない公爵家の人間が他者に要求すべき内容ではない。
これといって決まりがあるわけではないが、学園では生徒の名前を家名で呼ぶのが慣習になっている。ファーストネームで呼ぶのは、ほとんどの場合、親しくなった証明と言える。
昨日まで接点もなかった学園の異端児が、貴族の正道を行く公爵令嬢を突然ファーストネームで呼び出したらどれほど悪目立ちすることか。
だが、逆らう余地はない。カトリーヌはかすかに目元をこわばらせながらも答える。
「では、ヒルデガルト様と」
「ありがとう! わたくしもカトリーヌさんとお呼びしますわね!」
……本格的に嫌がらせの匂いがしてきた。今後学内でこの令嬢にその呼び方をされるかと思うと気が重い。
しかし好奇心旺盛に輝くヒルデガルトの瞳には、無邪気さなど毛ほどもない代わり、邪念や悪意の類も一切見えない。それでいて油断ならない知的な思慮の輝き。
たぶん、試されているのではないだろうか。腹の探り合いとか、貴族としての器を問われているというより、そもそもカトリーヌ自身がどういう人となりなのかという根本的な部分を見られているように感じる。
と、そこまで考えて、カトリーヌは例の如くなにもかも馬鹿馬鹿しい気分になって、今度は遠慮のないため息とともに全身から無駄な力を抜いた。
どうせ人生に意味はない。ここで公爵令嬢の不興を買ったからなんだというのだ。追い詰められたら追い詰められたで、その時考えてやる。
「で、なんの用なんですか。もったいぶらずに単刀直入にお願いしたいんですけど?」
「あら、それが素でいらっしゃるのね。面白い方」
ヒルデガルトは案の定不快を表すでもなく興味深げに笑って、ようやく本題へと切り込んできた。
「今回お招きしたのはそちらの、リリア・ノトシュ伯爵令嬢の件ですわ」
「でしょうねぇ」
「……っっっ」
二人分の視線を同時に浴びて、さっきからカトリーヌの隣で借りてきた猫のように大人しくしていたリリアが、冷や汗をだらだら流しながら身をすくめた。何かしでかした自覚はあるらしい。
「ノトシュさんは以前から、執行部の殿方と交流を持とうと、ずいぶん積極的に働きかけていらっしゃいましたわ」
「ああ……」
第二王子に宰相子息、それにヒルデガルトの弟である公爵子息。リリア曰くの攻略対象が、生徒会には三人もいるわけだ。
「我々としても身分の垣根なく交流を持つことは望むところですので、少しばかり厚かましい相手でも邪険にするのは憚られます。接触された殿方も適度に対応し適度にあしらっているようでしたので、わたくしからは何も申すことはないと静観していたのですが……少々、看過できない事態が発生いたしまして」
「何したのあんた」
「ひぇっ! え、ええとーあのーそのぉ……ね?」
「フェネロ・クルククという生徒をご存知?」
ヒルデガルト嬢にとってはすでにリリアは適度に無視していい存在になっている模様。実際リリアにかまけていたら話が進まないので、カトリーヌもさっさと思考を切り替える。
「確か、隣国からの留学生ですね。ザルツェイロス公爵家の遠縁とだけ聞いていますけど」
「ええその通り。我が公爵家が身許を保証している、正式な留学生です。我々執行部の面々とも交流がありまして、生徒会室にも出入りすることも少なくないのですけれど……そちらのノトシュさんは、ふとした拍子にクルククを変わった名前でお呼びになったのです。──「フェルディナン殿下」、と」
カトリーヌは不意を打たれて目を瞬いた。貴族としての基礎知識が脳内でくるりと巡る。
「フェルディナン……隣国の第五王子……?」
「あらっ、本当ですわ! わたくしとしたことがうっかり忘れていました……! けれど不思議ですわぁ。クルククを王族と取り違えるなんて。まさか彼がそのような名を名乗ったはずもございませんし」
ヒルデガルトの芝居がかった戯言はさておいて。
カトリーヌはヒルデガルトと同時に、再びリリアに視線を注いだ。びくぅ!とひときわ大きく肩を跳ねさせるリリア。
……なるほど。偽名を使ってお忍びで留学していた隣国の王族の名前を言い当てたわけか。偽りの身分を提供している公爵家としては、それは見過ごせないだろう。言うなれば国家機密が漏洩したに等しい状況である。
「……そういえば昔なんか言ってたわね。隣国の王子がなんとか、フェルディナンさまがなんとか……」
「かっカトちゃんそれは……っ」
「あらそうなのですか? 以前からそういったことを?」
「ええ、この娘、時々妄想じみたことを言うことがあって。大概は荒唐無稽な話なんですけど、それがごくたまに的中することもあるんです」
「ちょっ、カトちゃん!?」
さらりとぶちまけるカトリーヌにぎょっとするリリア。
しかし今さら取り繕ったところでどうにもなるまい。リリアは普段から前世云々をオープンに明かしてきたのだ。幼馴染であるカトリーヌはもちろん、何かと絡むことの多いソキウスも大体の事情を把握している。この迂闊な娘のことだ、他の生徒にも漏らしている可能性は高い。というかそもそも学園内でカトリーヌたちに大声で絡んでいる時点で、周囲の野次馬にもわりと筒抜けである。そういった目撃者たちに事情聴取して回るだけでも、リリア・ノトシュ伯爵令嬢の奇行の内容はおおむね把握できるだろう。
……むしろ、ヒルデガルトはすでにある程度調査を済ませて当たりをつけたうえで、こうして知己であるカトリーヌを巻き込んで白黒はっきりさせようとしているのではなかろうか。
「そう……興味深いわ」
ヒルデガルトは目を細め、極上の笑みでリリアに微笑みかける。
「ノトシュさん? そのあたりの事情を、洗いざらい話していただけますか? ああ、ザルツェイロスが嫡女ヒルデガルトの権限において、貴女に拒否権は与えませんので、その点はしっかりとわきまえた態度をよろしくお願いしますわね?」
語尾はことごとく疑問形だが、是非を問う意図は初めからない。これら全て決定事項である。
真っ青になっているリリアを横目に、権力とはこうやって使うのだなぁと感心しながら、カトリーヌは悠々と紅茶を口に含んだ。