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(11)傍から見たら前世持ちも中二病

 その日から、カトリーヌの日常は少しだけ忙しくなった。

 週に一度のミセス・マトローネの講義に加えて、空いた時間は図案集を眺め、まとまった時間が取れそうなら気に入った図案を実際に縫ってみるようにもなったのだ。

 あくまでまだまだ手遊びの範疇。ただの趣味の一環でしかないのだから「忙しい」と言ってしまうのも微妙だが、ここまで熱心に何かに打ち込むというのはカトリーヌにとっては初めての経験で、時間がいくらあっても足りないというこの感覚が忙しいということかと、感慨を覚えるのも無理はなかった。


 しかし問題は、作業に没頭できる場所の確保である。


「まさかカトちゃんがこーんなオタクになっちゃうなんてねー」


 すきま時間に食堂で刺繍の手直しをしているカトリーヌの正面でぼやくのは、もちろんリリア。さっきからなんだか不満そうなジト目でカトリーヌを見据えてくるのだ。

 カトリーヌは深ぁいため息を吐いて作業を止め、リリアを睨み返す。


「あんたさっきからうざい。そのカトちゃんっていうのをやめなさい。あと「オタク」って何?」


「オタクっていうのはぁ、趣味人?みたいなぁ。一つのことにめちゃくちゃ凝っちゃう人のこと全体を言うこともあるけどねー。まーほとんどの場合、アウトドア系とかの健全な趣味じゃなくて、サブカル……家に引きこもってちまちま作業したり空想の世界に没頭したり有名人に貢ぎまくって愛される妄想したりっていう、くっらぁーい趣味に対して使われてたけどね!」


「……あんた今、私のこと遠回しにけなしたわね」


「してないよぉ、遠回しじゃないもーん」


 べーと舌を出すリリア、ピキリとこめかみに青筋を走らせるカトリーヌ。

 リリアのこの面の厚さあればこその現在の関係性である。最近めっきりカトリーヌがかまってくれなくなって拗ねているらしい。面倒な……。


「へー。じゃあノトシュのことだね」


 トレーを持ってやってきたソキウスがカトリーヌの隣の席に腰を下ろしながら言った。トレーの上には三人分の飲み物と間食用の菓子が載っている。

 リリアはちゃっかり菓子に手を伸ばしつつ、猛然と抗議の声を上げる。


「なんでぇ!? わたしそんな暗いシュミないよっ!?」


「え、でもいつも言ってるじゃないか。前世がーとか、ヒロインがーとか、悪役令嬢がーとか。全部空想の世界の話でしょ?」


「えええええそれは違うよぉ!? あ、いや、確かに前世ではゲームだったし、わたしオタクだったけど……で、でも、ここは現実だし! 本当にわたしヒロインだしっ!」


「うーん、信じてもいいけど、信じる根拠がないんだよねぇ。翻訳すると「どうでもいい」ってことなんだけど」


「ソッキュンひどくない!?」


「いやあ、だって。その人が前世持ちかどうかなんて、実のところどんなに頑張っても証明しようがないし。前世の情報が有用なものなら積極的に信じる動機になりうるけど、ノトシュのやつは使い物にならないからさぁ」


「うぐぅっ!」


「しかも今のところ、はずれっぱなしみたいじゃない?」


「にゅぎぃっ!」


「でもそんなに害もなさそうだから、信じても信じなくてもいい、どうでもいいってわけ」


「……ソッキュンには情ってもんがないのかーっ!?」


「あるよぉ。あるから、あーコイツいつもイタイ妄想してんなー、ってニコニコ笑って見てられるんじゃん。なかったら、うわヤバいヤツがいるなーってできる限り関わらないようにしてるって」


「そんなふうに見てたのっ!?」


「うん。で、五股は全然うまくいってないみたいだけど、次はどうするの? 最近城下のちっさい子たちがたまにノトシュみたいなのやってるの見かけるんだけどさ、「身体に封印された闇の力で右目がうずく……っ」とか「私ってぇ、実は魔法の国のお姫様だったんだぁ☆」とかやってみる? やってみちゃう?」


「わっわたしは中二病じゃないいいぃぃぃ……!」


「あはは、また面白そうな単語出た」


 ソキウスがリリア()遊んでいる声を聞き流しながら、カトリーヌは手早く手元の作業をキリのいいところまで終わらせ、ふうー……と大きく息をついた。


「ありがと、ソキウス。助かったわ」

「どういたしまして」

「え、なに? ソッキュンなんかしたの?」

「あんたの相手をしてくれた」

「んんー?」


 クエスチョンマークを目一杯浮かべているリリアは放置して、カトリーヌはソキウスの差し入れに手を伸ばした。貴族の家庭ではおよそ見かけないシンプルなクッキーの、ほどよい甘さが根を詰めた身体と頭に染みる。


「苦労してるみたいだねぇ」


「ほんとにね。どこもかしこも人目があって珍獣扱い。それだけならまだしも、教室に居残りしてもこのおばかに見つかるし、妥協して食堂に移っても見つかるし。手芸室はいつも空いてるわけじゃないし、理由が理由だけに空き教室を借りるのもね……」


 あまり目立つことはしたくないというのが本音だ。刺繍のために空き教室を借りようとしたところで即問題行動とは見做されないだろうが、もともとカトリーヌの非社交性を問題視している教員あたりが、それを期に侯爵家におせっかいな働きかけをする可能性は否定できない。わずかでも家に連絡される可能性のある行動は極力避けたかった。


「自習室は?」


「使いたい時に限ってほぼ満室。それに、勉学以外の用途で使うのはいい顔されないから、ちょっと使いづらいのよね」


「んん? そんなことある?」


「ええ。管理人にもやんわりお断りされたわ」


「……うーん。それはなんかおかしい気が……」


 なにやら歯切れ悪く考え込んでしまうソキウスだが、カトリーヌが追求する前にリリアからの横槍が入る。


「っていうかぁ、家でやればよくない?」


 言われた瞬間、カトリーヌは自分の両目の瞳孔がキュッとすぼまるのを感じた。


「……あんた、うちの家庭環境知っててよくもまあそんなことが言えるわね……」


「え……あれ。おじさん、そういうのもうるさいの……?」


「……いろいろあるのよ、面倒ないろいろが」


 カトリーヌが刺繍をやっちゃいけないなんて法は、カドレッド家にもない。むしろ貴族令嬢としての慎ましさが身につけられるとみなされるだろう。

 が、今回の特別講義参加を多少強引にねじ込んだことで、父は少なからず不審に思っているはずだ。カトリーヌが何か企んでいないか、奇行をしでかさないか、そこはかとなく警戒されている気配がある。

 想定外の行動を子供に許す器量など、あの父にはない。

 出された課題をちくちく家で片づけるぐらいなら問題ないが、自主的に難しい題材に取り組んでいるところを見られれば、確実に首を突っ込まれ話がこじれる。裁縫道具の中身をチェックされるのもアウトだ。なにぶんカトリーヌも思いつきの遊びの延長でやっている自覚はあるので、問い詰められれば撥ねのけるのも難しい。

 だから、趣味は学内で完結させておく必要がある。持ち帰れない道具類も許可を得て手芸室に置かせてもらっている。どうやら教員側からも手芸に対するカトリーヌの態度は勤勉に見えるらしく、許可をとった時の感触も悪くなかった。


「なーんか、カトちゃんちってキュークツだよねぇ……」


「そうよ。知ってたでしょそんなこと」


「この際、おじさんにいっぺんがつーん!と……」


「言ってなんになるのよ。その場では言い負かせたとしても、あとあと陰湿な報復が来て余計に自由が絞られるだけよ。あれでも一応うちの大黒柱なんだから」


「モラハラとパワハラのハイブリット男すぎる!」


「わかる言葉で話しなさい」


「男尊女卑の俺様人間ってこと!」


「貴族の家じゃめずらしいことでもないでしょ。うちの場合、肝心の家長が自己評価の百倍無能なのが問題なんだけどね」


「っあーもう、カトちゃん物分かりよすぎ! もっと頑張って運命変えようよ! 手始めに、これから自習室にこもる私にコッソリ嫌がらせしにくるとか!」


「あーそれを頼みに来たのか」


「例の『イベント』とかいうやつ? おことわり」


「びぇぇぇぇっ!! カトちゃんのわからずやーーーっ!!」


 いつもの捨て台詞を叫んで食堂から走り去るリリア。深刻に泣き叫んでいるような声に反して手はガッチリと残りの菓子を鷲掴みにして奪い去っていくのだから、厚顔無恥とはこのことだ。


「物分かりがいいのかわからずやなのかどっちなのよ」


「っていうか自習室が空いてないって話したばっかなのに鳥頭だなーノトシュは」


 しかしながらあの鋼のメンタルは、少しは見習ったほうがいいのかもしれない。




 ……とはいえ。

 徹頭徹尾こんな調子のリリアが問題を起こさないはずもなく。


「少し、よろしいかしら、カドレッドさん?」


 ある日の放課後、いつものように刺繍をする場所を探して放浪していたところを、鈴を転がすような声に捕まった。

 振り返って、カトリーヌは顔の全表情筋がまともな表情の形成を完全放棄したのを、どこか遠くに感じていた。


 そこにいたのは、近年稀に見る嘘泣きではない涙目のリリア……を引き連れた、麗しき白金の髪の美少女。

 ヒルデガルト・ザルツェイロス公爵令嬢──またの名を、生徒会副会長、その人だった。


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