第370話 決裂
私が悪意の依り代になって、神の座に至る?
「な、何を言っているの!? エリック!!」
私は思わず声をあげる。エリックの言う私の悪意を凝集させたような力とは、間違いなく、私に憑りつく存在の事を言っているのに間違いない。しかし、アイツに更に悪意を集めて力を増すと言うことは、私が一番恐れている、アイツの解放に他ならない。それだけは、絶対に出来ない!!
「今更、何を仰っているのですか? レイチェル嬢、その様な悪意の存在は、単なる特定の誰か個人に対する感情ではありえない! 前世での世界の理不尽さに怒りを覚えて、その様な力を付けられたのではありませんか? 貴方だって、前世で突然に死んで、この世界に飛ばされてきたのでしょ? 貴方は前世の理不尽さ…すなわち神の所業の被害者の一人のはずだ!」
エリックは勝手に私の身の上や考え、感情を想像して、その上で自分の都合の良い考えを話している。まるで話が通じないストーカーにでも付きまとわれている様だ。
「貴方が言うような、世界の理不尽さなんて、私は一欠けらも思っていないわ!! 確かに、前世に残してきた母や友人の事は気がかりだけど、そんな事は良くある話で、死んでこの世界に転生した事が、自分が特別不幸だとは思っていないわ!!」
「では、どうしてその様な悪意の塊を背負っておられる!! それこそが怒りの象徴ではないのか!!」
エリックは私を指差す。
「こ、これは違うわ!! この力…いや、この存在は、私が生まれた時…いや、生まれる前のもっと昔の…それこそ、これまでの繰り返される人生に於いて、私にずっと付きまとってきた存在なのよ! 私の思想や感情から生み出されたものでもなければ、自分の意志で手に入れた力ではないのよ!!」
「なん…だと!? それは貴方の意志によるのもではないのか?」
エリックの私を指差す指の先が、萎れた枝のように垂れさがり、唖然とした表情をする。
「だから言っているでしょ! 私の意志ではないって! ただ私に復讐しようと付きまとっている存在なのよ! だから、私がどうこうできるものではないわ!!」
「そ、そうか…貴方の意志ではないのか…」
エリックは私を指差していた腕をダラリと戻して、俯き加減で押し黙る。その姿はまるで、クリスマスにサンタからプレゼントを貰えなくて落ち込む子供の様に見えた。
「エリック…私は貴方を神の座に連れていくことは出来ないわ… だから、自分の力で神の座に至るか、もう前の世界での事は忘れて、この世界で幸せに過ごせばいいわ…」
私はエリックが神の座に至る計画を諦めてくれたらよいと思い、子供の優しく諭すように声を掛ける。エリックはその私の言葉に反応するようにピクリと動く。
「…忘れるだと…?」
エリックはポツリと呟く。
「前の世界の事は忘れて…この世界で幸せに過ごすだと…?」
エリックの声と身体が小刻みにわなわなと震えているのが見える。
「忘れるなんて出来る訳がないだろう!!!」
エリックは激高して顔を上げ、鼓膜が破けるような雄たけびの様な大声をあげる。
「なっ!」
私はその大声に驚いてたじろぐ。
「私が天界に囚われているあの御方の事を忘れて、一人ぬけぬけと幸せに過ごす事など出来ようはずもない!! レイチェル嬢! 貴方も前世に母や友を残してきたと言っていた! もし、その母と友が不遇な扱いを受けていると知ったとしても、その事を忘れて、この世界で幸せに過ごす事なんて出来るのか!? 貴方にとって、その母と友とは忘れてもよい人間なのか!?」
エリックはそう怒声をあげて、激しく私を攻め立てる。
「そ、それは…出来ないわ…」
母の事を持ち出されると、私はエリックの言葉を否定することは出来なかった。
「そうだろう!! 貴方にとっての母や友がそうであるように、私にとってのあの御方がそうなのだ!!」
「で、でも! もう神の座に至る方法なんてないじゃないの!!」
私も負けじと言い返す。
「いや…道はある…」
エリックは私を見据えてポツリと言う。
「レイチェル嬢…貴方は先程、その力の存在が、貴方に復讐するために憑りついていると言っていたな…」
エリックは私を見据えたままニタリと笑う。私のその笑みに得も言われぬ嫌悪感を感じて鳥肌が立ち始めた。
「ならば、その存在とやらに力の源となる悪意を与えて、復讐を遂げさせれば良い…そうすれば、私の願いを叶えてくれるやもしれぬ…」
エリックはニタリと笑いながら、私に向けて足を一歩踏み出してくる。私はエリックのその姿に恐怖を感じて、後ずさる。
マズイ…最初に立てていた計画が破綻した為、思い付きで考えた事だと思うが、その思い付きは、私にとって最悪の事態だ。アイツに力を与える事は、アイツが力を取り戻して鎖を断ち切り、解放されることに他ならない!
そんな事態になれば、私がかつて見たあの悪夢が再現されてしまう!! いや、その前にディーバ先生が私に刻んだ魔法陣が最終の安全装置として働いたとしても、ディーバ先生はアイツを封印するために、その存在が鎖となってしまい、私は死の呪いが作動して、折角、友人に成れたみんなと、折角慣れ始めて愛着を持ち始めたこの世界に、別れを告げて、またどこの世界に辿り着くか分からない転生をしなければならない…
では、どうする!? エリックは何をしてくるのか分からない…
私も説得できると思い込んで、何も準備をしてこなかった…
では…私に出来る事は…先生…ディーバ先生を呼び出す事?
ダメ! それはダメだ… ディーバ先生は今、私のコンサートを成功させるため、魔力を使い切っている。コロンの特製ドリンクがあれば魔力も回復できたであろうが、それも尽きており、ディーバ先生は魔力を回復することが出来なかった…
そんな先生を呼び出しても、むざむざとエリックに殺されるだけだ…
私は無力で、ディーバ先生にも頼ることが出来ない…
逃げる…この場は逃げて時間を稼ぐしかないのか? そもそもエリックから逃げ延びる事はできるのか!?
「レイチェル嬢…逃げようとお考えですね… まぁ、逃げたければ逃げても良いのですが… 後悔なされますよ…」
エリックは不敵な笑みを見せながら余裕の表情を見せる。
「ど、どういう意味よ…」
「メッセージカードにも記しておきましたでしょ? 逃げた場合は友人や大切な方が不幸になると… そうですね…手始めに帝都の街に災いを振りまくのはどうでしょうか? まぁ、貴方に悪意を集める方法として、最初から準備をしていたのですけど…」
エリックは自分の後ろに広がる帝都の街並みを背景に、両腕を広げる。
「なっ! なんて悪辣な!!」
エリックは元々帝都の人々に何らかの方法で不幸をまき散らし、それに寄って私に悪意を集めるつもりだったのか… 帝都の人々を人質…いや、生贄にしようとしていたとは…
どうする… なにをすればよい… このままエリックに大人しく従う?
いや、どちらにしてもアイツが解放されてしまう…
あぁ…そうか…この方法しか残されていないのか…
マリスティーヌ様は自分と同じ過ちをして欲しくないと仰っていたが、でも、私にはその方法しか残されていない…
それは、すなわち自殺である…
私が死ねば、私諸共アイツも次の転生先へと送られる。この世界に残るのは、魂の抜けた私の死体だけだ。でも、エリックの目的を果たす為に使われる悪意の依り代は失われ、この世界に危機は訪れない。
私は左右を見る。まだ屋上の端まで距離はあるが、ここからでも結構な高さがある事がわかる。避けなければならないのが、湖に落ちて生き永らえる事である。
端に辿り着いた時に、勢いを付けずに、下に向かって飛び降りれば即死することが出来るだろうか…
そして、転生する前に、マリスティーヌ様とも再び会えるだろうか…
その時は彼女に怒られるかも知れない…でも、分かってもらえそうな気もする。
私は、夕日は沈み切ったが、まだ地平線の端が赤く滲む方角を見つめる。
「レイチェル嬢、何を考えておられるのかな? そちらに逃げ場はございませんよ」
「でも、世界の危機から逃れる道は、あるわ…」
私はゴクリと息を飲み、胸元に手を当てる。
その時、私の背後から物音が鳴り響く。
「レイチェル!!!」
私はその声に振り返る。
「ま、間に合った…」
そこには肩で息をする、マルティナ、コロン、オードリー、ミーシャ、テレジアの姿があった。




