第243話 マリアナの憂鬱
今、私はマルティナの一番下の妹のインガと手を繋ぎながら、本館に向けて皆と歩いている。
「さ、先程は差し出がましい事を行ってしまい、大変申し訳御座いませんでした…」
隣にマルティナの下から四番目の男の子エーギルト、三番目の女の子エーヴァと手を繋ぎながら歩いているマリアナさんに、私は頭を下げて謝罪する。
「いいのよいいのよ、マルティナにはあれぐらい言わないとダメだから」
マリアナさんは笑いながら答えてくれる。
「マルティナお姉ちゃん、昔から忘れっぽい」
私と手を繋いでいる、幼女になったマルティナみたいなインガちゃんが声を上げる。なんだか、ぬいぐるみの様で本当に可愛い。
私はふと思う。これぐらいの歳からちゃんと躾をすれば、真面目なマルティナに育つのではないかと…
「インガちゃんは勉強頑張っている? お姉ちゃんが教えてあげようか?」
私は思わずインガちゃんに言葉を掛ける。
「いらない、教えてもらうなら、かっこいいのオスカー様がいい!」
振られてしまった…しかし、小っちゃくてもやはり、女の子か…かっこいい男の子の方がよいのか、しかし、オスカーとは誰だろう?
「オスカーってだあれ? お兄ちゃんかな?」
私は振られても笑顔でインガちゃんに尋ねる。
「うふふ、オスカーと言うのは、マルティナが入学する時に、皆で言ったオペル座の演劇の主人公の事よ」
隣のマリアナさんが答えてくれる。
あぁ、オードリーが演じていた、あのベルリンの薔薇を題材にした演劇の事か…入学時という事は、オードリーが演じていた時とは違うのかな?
そして、マリアナさんはインガちゃんに顔を向ける。
「こら、インガ、ダメでしょ!」
ちゃんと先程の事を叱るのかな?
「オスカー様はじゃんけんでお母さんのものって決まったでしょ」
「はぁい…アンドリューで我慢します…お母様…」
えっ? 何それ…そっちを叱るの?しかもインガちゃんも納得しているし…これがマルティナのジュノー家か…
「でも、今は新しい役者さんがオスカー様を演じているそうね…見てみたいわ…」
あぁ、やはり、オードリーのオスカーは見ていない様である。
「 新しいオスカーは、トゥール家のオードリー様が演じておられるのですよ」
「まぁまぁまぁ! そうなの! あのオードリーちゃんが!? だったら是非とも見てみたいわぁ~」
やはり、マリアナさんはオードリーをご存じのようだ。しかも小さい時から知っている様である。
マリアナさんも子供たちも微笑んでいる。
私はその様子を見て考える。
私は自分が想像していたマルティナの家庭状況と全く異なっていて驚いている。私の想像では、マルティナは一人っ子で、親はマルティナに物理的な欲しい物だけを与えて無関心な家庭状況だと思っていた。
でも、現実にはマリアナさんは面白くて、気さくで良い母親に見えるし、マルティナ自身も仲が良さそうだ。兄弟に関しても、皆、マルティナを慕っており、仲良くしている。現に私の前を歩くマルティナは、最初に出会った下から二番目の男の子のヘルゲ君を肩車して、両手に下から六番目の男の子のビリエル君と、5番目の女の子のベルタちゃんと手を繋いで楽しそうに歩ている。
では、元のマルティナはなんで我儘娘のかまってちゃんになってしまったのであろう…理由が分からない…
「レイチェルちゃん」
考え込んでいた私にマリアナさんが声を掛けてくる。
「はい、なんでしょうか?」
私がマリアナさんに視線を向けると、マリアナさんは先程の笑顔とは異なり、憂いを含んだ表情になっていた。
「あの子、学園で皆に迷惑をかけていないかしら?、我儘をいってないかしら? 荒れていないかしら?」
マリアナさんの口から次々とマルティナを心配する言葉が飛び出してくる。
「特に荒れた様子はありませんでしたよ、いつも機嫌良く、学園生活を楽しんでいましたよ」
私は、私の部屋で、駄菓子を食べながら本を読んでいるマルティナの姿を思い出しながら答える。
「そう…それなら良かったわ…私ね、マルティナが意識を失って倒れていた事を、マルティナが意識を取り戻してから、その話を聞いて、肝心な時に側にいてやれなかったのよ…」
私はマリアナさんのその言葉にはっとする。あの時、マルティナはほっとかれた訳でもなく、無関心を決め込まれた訳でもなかった。ちゃんとマリアナさんはマルティナの事を思っていて、会いに行けなかった事を後悔しているのだ。
「あの子は小さい時から、次々と兄弟が生まれて、私があまり構って上げられなかったのよ… それなのに、大きくなってからは兄弟たちの面倒まで見させてしまって、寂しい思いのさせてしまったの…それなのに、私はあの子の大変な時に会いに行けなかったから、私の事を恨んでいるのではないかと…」
なるほど… 子供思いの母、仲の良い兄弟に恵まれていたとしても、必ずしも十分に親子の時間を持てるわけではないのか… マルティナが倒れた時の事にしたって、ちゃんと倒れた時にマリアナさんに連絡が届いていたとしても、マリアナさんは妊娠中だし、小さな子供も一杯いるし、マルティナに会いに行くのは困難だったであろう…
でも、物理的に行けないというのと、心情的に行きたいというのは別問題である。マリアナさんとしては、マルティナの事を考えればすぐにマルティナの元へ駆けつけたかった。しかし、出来なかった。その事が喉に刺さった魚の骨のようにずっと心の奥底に残っているのであろう。
しかし、マルティナ本人はどう思っているのであろうか? 転生していない素のマルティナなら、マリアナさんが自分の元へ来なかった事は非常に寂しく、そして辛く思うであろう。でも、あの時のマルティナは、スズキ・マリコという人物が転生して、しかもスズキ・マリコの性質が多かった状態である。その様な状態の上、本来のマルティナの寂しいという思いより、スズキ・マリコという人物の混乱している状況が強かったと思う。
でも、安定している今はマルティナはどの様に思っているのであろうか。マルティナの中では本来のマルティナとスズキ・マリコが未だに分裂している状況なのであろうか?それとも、本来のマルティナとスズキ・マリコが融合して一つの人格として統合されているのであろうか…
私は本来のマルティナという人物についてはゲームの中のキャラとしてしか知らない。だから、私の目には今のマルティナが本来のマルティナとは違って見える。しかし、他のコロン様やオードリー、ミーシャやテレジアの態度を見ると、普通にマルティナとして接している。
結局の所、マルティナの事はマルティナ本人にしか分からない。
私はマルティナと一緒にいる時間が多いはずなのに、マルティナの心の内を聞く事は殆どしてこなかった。本当はマルティナだって胸の内では色々と思い悩んでいたはずなのに…
「私はね、あの子が学園に入る前に、ロラード家のコロンちゃんにお願いしたのよ。あの子は色々と難しい所があるから、見守って欲しいって…娘と同い年の女の子に娘の事を背負わせてしまって迷惑を掛けてしまったのよ… 私がマルティナが倒れていた事を知ったのもコロンちゃん経由なのよ…」
あの時、確かにコロン様はマルティナの所へ足繫く通っていた。でも、それはマリアナさんに頼まれていただけではなく、コロン様がマルティナの友人として通っていたような気もする。
私は、憂いているマリアナさんにふっと微笑む。
「コロン様も迷惑なんて思っていませんし、マルティナは恨んではいませんよ」
「本当かしら…」
「だって、見て下さいよ」
私はそう言って指差す。そこには先に玄関に辿り着いたマルティナが笑顔で手を振っている。
「お母様!!」
マルティナがあの頭のてっぺんから出している様な、オクターブ高い声で母親を呼んでいる。
「私、マルティナのあんな嬉しそうな声、初めて聞きましたから」
その姿を見て、マリアナさんは嬉しそうに微笑む。
「そうね…でも、あの子が恨んでいなくても、ちゃんと謝って、会いに行けなかった分を甘やかして上げないとね」
私たちはマルティナたちの待つ玄関へと駆けていった。




