噂は本当に成り得るか
『そこ入れ!』
すぐ側の扉に無我夢中で飛びつき、崩れ落ちるようにドサっと転がり込む。
指示に咄嗟に反応しただけだからドアプレートの確認なんて当然していない。
階段を駆け上がってとにかく走って、それ以上階段はあがっていないから2階にいるってことは分かる。
呼吸がきつい、いくら空気を吸い込んでも酸素が足りない。学校行事ですらこんなに必死に走ったことはないと思う。
どこだ、ここは。視線だけでもキョロキョロと動かした。
視界をかすめたドアに内鍵がついていることに気付いて、無理矢理に体を引きずってなんとか施錠する。
カチッと閉まった音を聞いた途端、息をするのが楽になった。
とは言えまだ荒くて、落ち着いたわけではないけれど。
『運がいいなあ!さすが相棒』
「どれについて、言ってるのか、場合によっては、窓から放り投げる……あと相棒じゃない」
『そうカッカするなよ。入って早々アレに会えるなんて相当の……待て待て待て取り出すな持ちあげるな投げる準備は止めるんだ』
制止の声に腕を降ろしてもなおギリギリ握り締めつつ、で?と話の続きを促すとラジオは咳払いをした。
『あれは"フカミさん"だ』
「フカミさん?」
一般的な名前だし知り合いか?と思ったがどうやら違うらしい。
ラジオはあーとか、えーとか、しばらく口籠ってから苦笑いの混じった声で続きを話し始める。
『この病院の噂とか怪談ってやつだ。見た目は肌が青白くて手足が長いガリガリの身体、目が飛び出てて人間離れした顔つき……とまあ、結構ありがちな感じだ。髪の毛は長いらしいが男って話す奴も女って話す奴もいる。その辺はハッキリしてないっぽいな』
「噂話がマジだったってことかよ。お前知ってて連れてきてるよな?」
『そんでその噂のフカミさんが何するかってところだが』
「おい」
雑な誤魔化し方をされるが、内容は非常に気になるのでここは黙るしかない。
ラジオによれば、フカミさんは出会った人間に呪いをかけるそうだ。
具体的にどういう呪いなのかというと"関節を伸ばされる"……引きちぎられるとかではなく、伸ばされる。
「それくらいなら、万が一なっても病院で何とかなったりするんじゃないか?外れた骨戻せばいいんだし」
『だとしたら怪談にならないだろ?例えば伸ばされたのが腕なら、腕の長さが2倍になる程伸ばされる。不思議と皮膚と血管はあわせて伸びるが、脂肪や筋組織と骨は含まれない』
「じゃあくっついたまま中で肉と骨がバラバラに?治すにしても一度切断しないと……うわ、想像したくないんだけど」
『首でなったら救急車より先に霊柩車かもな』
ゾッとした。
命の危険はさっき遭遇した時点で感じていたけど、それを具体的に理解すると恐怖の輪郭が鮮明に浮かび上がってくる。
思わず身体のあちこちを確認するが、痛みもないしどこも伸びていない……さっき会ったのはセーフだったようだ。
ホッとしかけたがしている場合じゃないことにすぐ気づく。
どうするんだよ。
頭がそれ一色になった。
現在地は2階のどっか、会ったのは1階の廊下、俺はこの病院の構造に詳しくない、他の出入口なんて知らない、っていうか原付は受付の出入り口の横……
「どうするんだよ」
今度は口に出した。マジでどうしたらいいか分からない。
詰んだんじゃないか?だとしても死にたくない。情けないが視界が潤んで滲んできた。
確かにこんな夜中に外出して、多少痛い目に合うかもしれないとは思った。
だけど死ぬなんて全く想定していない。
『俺がいるだろ、相棒』
「へ?」
しばらく黙っていたラジオが、不意に言った。
声は明るいが、不思議とふざけている様子は感じられない。
『俺がいる。俺はお前を死なせるためにここに来るよう言った訳じゃない』
ただの古ぼけた……何なら塗装も剥げてて角とかもちょっとかけてるし、喋れば人を小馬鹿にしてくるようなムカつくラジオだ。
でもその時は俺は不覚にも、そんなラジオを頼もしいと思ってしまっていた。




