ハロウィンパニックⅣ
──拳と拳が激しくぶつかり合う音がした。
その音を皮切りに、殴り合い、蹴り合い、掴み合う。
筋肉自慢同士のパワー勝負にも見えたが、放たれる一撃一撃が、尋常じゃなく早い。
「目が回りそう……」
二人の動きを目で追うことすら難しかった。
間に入っていく隙のない、鬼気迫った命のやり取りに一歩後ずさる。
完全に足手まといだし、今のうちに逃げたほうが良いかもしれない。
「オーホッホッホ!! このアタシとやり合える人間がいるなんて、今日は本当についてるわあ」
上機嫌で笑うクリスに大狼 久雄が鋭い右ストレートを叩き込んだ。
「うるせえ」
クリスは頭を素早く下げてその一撃をかわすと、右脇下から突き上げるように拳をねじ込む。
「アタシに触れただけで生気を吸われるんだから、もうヘロヘロなはずよん。どこまで頑張れるかしらねえ。アナタを食べ終わったら、デザートにお嬢ちゃんをいただくの。だから、死力を尽くしたほうがいいわよ」
うふふ、と上機嫌に笑うクリスを見て、不安になった。
でも、わたしじゃどうにもできないから、早く朝陽さんたちを呼びに行かなきゃ──!
そう思って踵を返したところで、腹の底に響き渡るような叫び声がした。
「グウゥゥゥ……ガァッ……ウオオォォオオ──ッ!! オオオオォォォッ!!」
咆哮のような叫び声に驚いて背後を振り返り、わたしは息を飲んだ。
「マスターの体が……」
オカマ淫魔に両腕をつかまれて押されていた体は、メリメリと音を立てて盛り上がり、全身に銀色の毛が生え始める。
マスターは獣のような唸り声をあげ、腕の一振りでクリスを庭園の壁に叩きつけた。
「うっわー……あのオカマ淫魔、わざわざ満月の夜にオオカミさんを呼び出してキレさせたと?」
庭園の扉を開けて入ってきた朝陽さんは、息を切らしながらうなだれた。
汗びっしょりの顔から察するに、階段をつかって1階から11階まで駆けあがってきたのかもしれない。
「はあ、物見遊山もここまでか。本気でやらないと付近一帯が、地獄になるしなあ」
朝陽さんは赤い頭巾を脱ぎ捨てて、銀色の巨大な狼に向き直った。
赤ずきんちゃんVS狼さん、だなんて言葉が頭に浮かんだが、ふざけている場合ではない。
背丈だけでも倍近く違うし、正面から見上げるだなんて、想像しただけで背筋が震える。
「ぐっ……わき腹が……! 朝陽……まさかあれ、大狼さん……なんですか?」
朝陽さんより少し遅れて現れた阿部さんはわき腹を抑えながら、呼吸を整えている。
もしかしたら、オカマさんの一撃を腹に受けたのがきいているのかもしれない。
「レイちゃんは初めてだったっけ。あの状態のオオカミさんに、言葉は通じんから、『命大事に』で頑張り」
朝陽さんが阿部さんに説明している合間にも、銀色の狼がクリスに食らいつく。
「げぶっ!? いったーあい!! 人間とのハーフにしては強いと思ってたけど、まさか狼だったなんて。しかもほぼ原種じゃない!? なんでこんなところにいるのよお!!」
腕の一部をかみちぎられて跳ね飛ばされたように見えたけど、まだまだ元気のようだ。
「原種じゃなくて、先祖返り。満月の日は激高して、原初の姿に戻りやすいから、よっぽどのことがあっても外へ出てこないはずっちゃけどねッ!」
突進してくる巨体を避けつつ、朝陽さんの影が狼の大きな前足をぞぶりと食らう。
しかし、食べた前足は瞬時に──生えてきた、ように見える。
「あー。もう、だから満月の夜のオオカミさんって厄介なんよね。全部食ったら殺しちゃうけど、頭と心臓が残っていたらあっという間に再生するしッと、あっぶな!」
狼は朝陽さんを敵と認識したらしく、鋭い牙で食らいつこうとしている。
「レイちゃん、銀は持って来とる?」
狼の人髪を避けた朝陽さんが叫ぶ。
「ありません! 結界を張りますので、佐江葉さんはこちらへ!」
「はい!」
阿部さんは小さめの和紙に、筆ペンでさらさらと文字を書くと、それをちぎって宙に投げた。
するとその紙が不思議な青い光を放ち、わたしと阿部さんを包み込む。
「目くらましの結界です。佐江葉さん、大狼さんはどうしてこちらへ来たんですか?」
「あのオカマさんが、わたしのスマホでマスターにメッセージを送ったらしくて」
「そうですか。しかし、変ですね。いくら大事な従業員のためだとしても、満月の夜の外へ出て大暴れするなんて。大狼さんらしくありません」
「ええっと、実はですね……マスターはわたしの亡き母のお兄さんなんです」
記憶が多少ぼやけてはいるけど、両親と弟の葬儀に参列してくれたらしく、その時が初顔合わせだったらしい。
今でも、職場の上司だという意識の方が強く、親戚だという感覚はあまりない。
親戚らしい思い出は一つもないが、塞ぎ込んでいたわたしを外へ引っ張り出して、居場所を与えてくれたのはマスターだけだった。
口数の多い人ではないけれど、わたしの体調が悪い時には必ず気付くし、常日頃から色々と気にかけてくれているのだと実感している。
「あー。それはまいりましたね。大狼さんの種族は血族をとても大事にしますので。……どのくらい大事にするかというとですね、一人に手を出したら怒り狂って一族で復讐にくるほどです」
種族ってなに?
いやまあ、狼なんだろうけど。
大狼さんがあの狼だなんて。変化の一部始終を目にしていても、信じられない。
「一族だなんていっても、わたしの父や母は普通の人間でしたよ。一般人です」
「そうなんですか。うーん、その辺の事情については、私にはわかりませんが……。あの状態の大狼さんには、家族の言葉も通じないと思うので、気を付けてください」
はい、と返事をする前にわたしの体に激痛が走る。
何がどうしてこうなったのか、全く見えなかったけど、地面に叩きつけられたようだった。
全身が痛い。
「すみ……ま、せ……ん」
阿部さんがわたしをかばうようにして、覆いかぶさっている。
切れた額と、唇から血がにじみ、呼吸も苦しそうだった。
頭に乗っていたネコミミがぽとりと落ちてくる。
「ぐぶッ……このアタシが……食べられるだなんて」
オカマさんは喉笛に食いつかれて、全身血まみれだった。
「このままじゃらちがあかんね。オオカミさんが満月の日にこもるための銀の部屋がどこかにあるはずっちゃけど、エサバちゃん、心当たりない?」
朝陽さんも右腕が折れているらしく、だらりと下がっている。
やばい。
このままじゃ、みんな食い殺されちゃう。
満月。
店休日。
掃除。
いくつかの出来事を必死に思い出す。
「ごめんなさい! わかりません!!」
わたしは役立たずだ!
焦りと申し訳なさで泣きたくなってくる。
「俺たちより早くこの場所についたってことは、この近くのはず……。喫茶店でエサバちゃんが入ったことのない部屋は?」
「──あっ!! 地下の貯蔵庫!!」
朝陽さんの一言でひらめいた。
貯蔵庫だなんていっても、唯一の従業員が一度も入ったことのない、開かずの部屋。
その部屋は喫茶店の店中でわたしが入ったことのない、唯一の場所だ。
「よし! エサバちゃん、喫茶店の鍵は持ってきとる?」
「はい! ここにあります!」
自宅の鍵と一緒に持ち歩いてて良かった!
落としていないか不安になって、ポケットの中を確認すると、キーホルダーにしている鈴がころころと音を立てる。
「俺とレイちゃんが鍵を預かった後、喫茶店に先回りして準備と確認をする。その間、そこのオカマ淫魔とエサバちゃんでオオカミさんを引きつけて、ここいら一帯をぐるっと回った後、喫茶店まで誘導して──」
「やあよ。アタシら淫魔はね、食うか食われるかなの。逃げるつもりはなくってよオオォォッ!!」
食いつかれた喉笛を押し込むように、狼へ頭痛をかまし、クリスが立ち上がる。
自身の血液で全身が真っ赤に染まっていたが、傷はすぐにふさがったようだ。
即座に距離を詰め、狼の鼻面へ強烈な肘うちを叩き込む。
「そんじゃ俺の影が四肢を食らって、残りはオオカミさんの生餌にしちゃるわ」
「アンタ、綺麗な顔して、悪魔のような外道ね!? ……嫌いじゃないけど!! って、後ろから狙うなゴラァッ!?」
大きな口を開けて食らいつこうとする狼の牙。
オカマさんは両足を大きく広げて踏ん張り、両手を突き出すようにして、狼の牙をその場に押しとどめていた。
腕や足に浮かんだ血管が、オカマさんの体にどれだけの負荷がかかっているかを物語っている。
手に汗握る状況にも、朝陽さんは容赦がなかった。
「ま、そういうことで。時間稼ぎよろしくー」
朝陽さんの影がオカマさんへ向かって地を走る──!
「ちょおおっとまったあ! いいわ! 協力する!!」
いくらアタシでもそんな死に方はイヤッ! とオカマさんは、待ったをかけた。
「へえ?」
「オカマに二言はないの!! そうと決まったら、そこの物騒なイケメン! こいつの四肢をやっちゃいなさい!」
「はいはい」
朝陽さんの影が、瞬時に狼の四肢を包み込む……ところまで見えたが、わたしと朝陽さんと、阿部さんの三人は気づけばクリスの腕の中で空を飛んでいた。
急上昇からの急降下で、即座に広場に下ろされる。
急転直下のジェットコースターのようで、一瞬意識が飛びそうになった。
「エサバちゃん、鍵!」
「あ。はい!」
パッと差し出された朝陽さんの手に、喫茶店の鍵を乗せる。
「よし! 喫茶店に来る前に必ず地下道を通っといて。大きさは自在のはずだから、扉が通れるサイズになってから来るように誘導してきて欲しいっちゃん」
「私もついていったほうが……」
「レイちゃんはうっかりだからダメ。今回致命的なミスをしたら、死ぬし。余計なこと考えてる暇があったら、これをつけて、死に物狂いで走り!」
朝陽さんから手渡されたネコミミを見て、阿部さんは瞳を輝かせる。
「そ、それは!? 拾ってくれたんですね! これがあれば……! 朝陽、何をしているんですか、行きますよ!」
駆け出す阿部さんを追って、朝陽さんも走り去る。
「あ。オカマさん、地下街はこっちです」
わたし達が走り出すのと同時だった。
ウゥゥォォォオオオォォォ──ンン!!
脳天から足のつま先まで、全身がびりびりと痺れるかのような咆哮が夜空を震わせる。
空に影が差し、頭上から……銀色の……狼が──!!
「ぼーっとしてるんじゃないわよ! 人間の足なんかじゃすぐ追いつかれちゃうんだからッ!!」
何を言う間もなく、わたしはオカマさんの小わきに抱えられていた。
ものすごいスピードで景色が通り過ぎていく。
「そこの階段を下りてください!」
首がガックンガックンと上下左右に揺れ、舌をかまずにしゃべるので精いっぱいだった。
「ガッテン承知よおお!!」
「なんでそんな言葉を知っているんですか!?」
「もちろんオカマ仲間から教えてもらったに決まっているじゃない!」
「いや、あなた淫魔でしょ!?」
「淫魔でオカマなの!!」
「あっ、そこは左です!!」
「オッケーよ!」
駅の地下街を通り抜け、なるべく幅が狭い通路で、なおかつ喫茶店に近い出口へ向かう。
なるべく遠回りをして向かうようにとのことだったけど、あまり時間をかけるとマズいかもしれない……。
「あの、クリスさん、気づいていると思うんですけど、すぐ後ろまで来てるっぽいです!」
背筋が震えるような咆哮と、地下街の石畳を蹴る爪の音がすぐ後ろから聞こえる。
「言わなくってもわかってるっつの!!」
どすのきいた声で返事をして、クリスさんがスピードを上げる。
「右手に見える、次の次の階段を上がって、すぐ左の喫茶店です」
「ッシャオラ! スパートかけるわよおッ!!」
飛ぶようなスピードで駆けていたクリスさんは、階段の一歩目で十段を飛び越え、正面の壁を蹴って地上へ一気に飛び出した。
地下街から地上へ出ると、すぐに喫茶店が見える。
全開の扉から滑り込むように入店すると「こっちです!!」という阿部さんの声が耳を打つ。その声のする方向へ向かい、奥の階段を一気に飛び降りた。
わたしは目の前に移る景色がなんであるのかを判別するだけで、精いっぱいだ。
「中に佐江葉さんの身代わりをおいていますので、お二人は扉の前で待機して、狼が来たらよけてくださ──きます!!」
阿部さんの言葉に、クリスさんが頷く。
正面に銀色の塊が見えたと思ったら、目の前の景色がぶれる。
「……ッ!? ……おしりが、いたい……」
起き上がるとわたしは黒い部屋にいた。
天井からぶら下がる白熱電球に照らされた室内は、壁も床も黒ずんでいる。
真白な光に照らされた黒い床は、何かでひっかいたような傷がついている部分だけ、銀色に鈍く光っていた。
「もしかして──」
床から顔を上げると、目の前に、銀色の狼がいた。
あ、これ。
やばいやつだ。




