眩しいくらい照りつける太陽
一週間が経って。殺人鬼は相変わらず殺人行為を繰り返していた。街の住人たちは戦々恐々としている。
警察は何をやっているんだという声が上がり、自警団が結成された。
しかしそれを嘲笑うかのように桜井を初めとして八人の人間が殺された。
子供も老人も男も女も関係なく、殺しやすい人間から殺されていく。
親の言うことを聞かずに遅くまで遊んでいた子供。
痴呆が進んでいて街を当ても無く徘徊してた老人。
会社の残業を済ませて夜の家路を歩いていたOL。
飲み会で酔っ払って足元もおぼつかなかった中年。
誰も彼も殺人鬼を恐れていた。
いや一人だけ恐れない人が居た。
それは――兄貴だった。
桜井や他の七人を殺しても、兄貴は夜空を見るのをやめなかった。そして誰も居ないとき呪文らしきものを唱えるのもやめなかった。
兄貴はどうなってしまったんだろう。多分、黒い霧が原因だろうとなんとなく分かっていた。あれは一体なんだろう? 人を殺人鬼にする何かだろうか?
分からない。でも分からないなりに私は兄貴をこれからも見守っていこうと思った。
私のために殺人鬼と戦った兄貴。そして殺人鬼になってしまった兄貴。
誰からも味方してくれないのなら、私が見守るしかないじゃないか。
「くとぅ……ふぐるむ……」
ぶつぶつ呟く兄貴の横顔。私は触れないけど寄り添って、見守っていた。
ずっと、傍に居るよ。兄貴。
「日野くん。ちょっといいかな」
兄貴が学校の廊下を歩いていると新聞部部長の春川先輩が話しかけてきた。
「うん? ああ、春川さんか」
「私のことを知ってるのかい? 違うクラスなのに」
「一年のときは同じクラスだったからな」
「そう。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
兄貴は無表情のまま「なんだ?」と短く応じる。
「日野早苗――君の妹さんのために殺人鬼と戦ったって本当かな?」
兄貴が殺人鬼と戦ったのは公然の秘密だった。つまり誰もが知っているけど、誰も兄貴に訊ねたりしなかった。何故なら兄貴は前と違って話しかけづらい雰囲気を醸し出していたからだ。同じサッカー部だった人も、友人だった人も、声をかけない。兄貴は一人きりになってしまった。
いや一人きりじゃない。私が居るから。
でも戦ったといっても殺人鬼が死んで、新しい殺人鬼が暗躍していることは報道されていない。凶器が変わったことすら報道されていない。
「ああ。本当だ」
「……あっさり言うんだね」
「別に口止めされてないからな」
兄貴は周りの生徒の視線を無視して自分の教室に戻ろうとする。すると春川先輩は「ちょっと話したいことがあるんだ」と兄貴の手を取った。
「桜井友香子って知ってるよね」
「ああ。早苗の友人だろ」
「その子が死んだことも知ってるでしょう」
「葬式にも行ったからな」
「その子について話がしたいんだ」
兄貴は振り返って春川先輩の顔を見た。真剣な表情だった。
「今日は難しい。明日なら大丈夫だ」
「どうして難しいの?」
「予定があるからだ。いいからさっさと放してくれないか」
春川先輩はゆっくりと手を放した。
兄貴は緩慢な動きで自分の教室に戻る。
「ねえ。どうして新しい殺人鬼を追わないの?」
「早苗を殺した殺人鬼ではないからだ」
兄貴は振り返らず、そう答えた。
春川先輩は疑惑の目を兄貴に向けていた。
放課後。照りつける太陽の下、兄貴は下校していた。そして家の前に見慣れない一台の車が止まっていた。
「ああ。日野和俊さん。お久しぶりです」
現れたのは猪俣刑事と須藤刑事だった。
「お久しぶりです。何の用ですか?」
「ちょっとお話したいことがありまして。あなたを訪ねたんですよ」
「はあ。お話したいことって?」
「ここではなんですから、中に入れてもらえますか?」
兄貴は少し悩んで「別の場所では駄目ですか?」と言う。
「今、家に居る母はその、警察が……」
「ああ、そうですか。分かりました。では車の中で話しましょう」
兄貴は制服姿で鞄を持ったまま、助手席に乗り込んだ。運転席には須藤さん。後部座席には猪俣刑事が座った。私は猪俣刑事の隣に座った。
そして車は発進した。
「そろそろ話してもらえますか?」
五分間ほど車を走らせた後、兄貴は二人に訊ねた。猪俣刑事が口を開く。
「単刀直入に言います。あなたは第二の殺人鬼に関わっていませんか?」
「関わる? いえ、俺はもう追ってませんよ」
「それはどうしてですか?」
「妹を殺した殺人鬼じゃないですからね」
すると須藤刑事は「結構ドライですね」と言う。
「家族のために動いた人間をドライ扱いですか?」
「ええ。あなたなら第二の殺人鬼と関わっていると思いまして」
須藤刑事はそう言いながら運転に集中した。
「それが訊きたいことですか?」
「いえ。あなたに訊きたいのはそれだけじゃないです」
猪俣刑事が言う。
「今回の殺人鬼は前回と同様に無差別に殺しています。しかし一人だけ違う犯行の被害者が居ました」
「誰ですか?」
「桜井友香子さんです」
兄貴はぴくりと反応した。
「桜井さんは友人に『待ち合わせしているからバレー部の練習に参加できない』と言っています。つまり誰かに呼び出されてたんです。そして――その呼び出された人間に殺された」
「それで?」
「呼び出した相手は友人も知らなかったですが、スマホの通話記録にあなたの番号がありました」
「ええ。会話しましたよ」
「呼び出したのはあなたですか?」
兄貴は躊躇することなく「そうです」と答えた。
「……お認めになるんですね」
「月曜日。俺は桜井さんを呼び出して、告白して、そして振られたんです。その後のことは知りません」
猪俣刑事は「ほう。振られた?」と不思議そうに言った。
「どうして断られたんですか?」
「あまり思い出したくないですけど、今はバレーに集中したいとかなんとか言ってました」
「しかしバレー部の練習を休んでまで、あなたに会いに行ったじゃないですか」
「それなら桜井さんは嘘を吐いてたかもしれません。別の理由があったのかも」
兄貴は嘘を吐いている。しかし猪俣刑事も須藤刑事も疑っているが確証はないらしい。
「もしかして振られたことが原因で殺したと思ってます?」
「いえ。しかし、あなたが好きだった女性を殺されても動かない理由ってなんですか?」
「前回、父に絞られましてね。もう危険なことはしたくないんですよ」
これも当然嘘だった。
「そういえば、あなた日曜日に金づちをホームセンターで購入されてますね」
「だからなんですか? 殺人鬼が撲殺しているから、金づちを買っただけで――」
すると素早く猪俣刑事は言った。
「どうして撲殺していると知っているんですか? 報道もされてないのに」
そうだ。兄貴は殺人鬼が別の人間、つまり兄貴になったことは知っていてもおかしくないけど、殺害方法が変わっていることを知っているわけがない。
つまり嵌められたんだ。
「どうして知っているのか。それは――死体を見たからです」
しかし兄貴は焦らずにそう言って鞄のジッパーを開けた。
「さっきは嘘吐いていましたが、第二の殺人鬼を追っているんです」
「追っている? それは――」
「そこで重要な証拠を見つけたんです。ちょっと待ってください――」
猪俣刑事は鞄を見ようとシートベルトを外して覗き込む。それを見た兄貴は――鞄から金づちを取り出して、須藤刑事の頭を殴りつけた。
「ぎゃあ!」
須藤刑事は思わずハンドルを右に切ってしまった。スピードが出ていた車はカードレールにぶつかる。猪俣刑事は前の運転席に頭を突っ込んで動かなくなった。
辺りは殺人鬼の影響で誰も居ない。
一人だけシートベルトをしていた兄貴は大した怪我も負わずに助手席から出ようとする。
「……待て、待ってくれ」
兄貴の手を掴む猪俣刑事。頭を怪我しながらも必死の形相で言う。
「どうして……殺人を……」
兄貴は答えずに金づちを振り上げて、猪俣刑事の頭を叩いた。
車を離れて、兄貴は歩きながらぶつぶつと呟く。
「まだ足らない……満ち足りない……」
私はおかしくなった兄貴を見守るしかないのだろうか……