透き通るような晴れ
あれから三日経った。すっかり透き通るような晴天へと変わっている。もう夏が近い。
兄貴はスマホを見ていた。モバイルバッテリーで充電しながらじっと街のカフェで待っていたのだ。
「そっちはどうだ? 桜井さん」
「いえ、なかなか見つかりません」
目の前で同じ作業をしている桜井は溜息を吐きながら言う。
桜井が考え出した方法は至極簡単で、ネットのSNSで情報を集めることだった。できるだけ多くのSNSで『街にピエロの仮面を被った人間』を見かけたかを収集しているようだった。まあ下手に走り回るよりは効率がいいのかもしれない。人間は自分の知識を披露したい生き物だ。けれど殺人鬼を探す方法としてはどうだろうか。仮面のことは既に噂になっているから、ピエロが殺人鬼だと気づく人も居るはずだ。危険なことをしたがらないのも人間という生き物なのだから。
「やっぱ賞金懸けたほうが良かったんじゃないか?」
「そうしたらデマ情報が増えますよ。それに賞金目当てに見つけようとして殺人鬼に襲われる可能性もあります。ま、この方法はそういう可能性を孕んでいますが」
物騒な会話だった。おかわりのカフェオレを持ってきたウエイトレスさんが不思議そうな顔をしながら、私の腹をすり抜けてテーブルの上に置く。そして伝票を置いてその場を去っていった。確かに三日間入り浸っていればそういう顔にもなる。
兄貴はまだ残っているブラックコーヒーを啜りながらスマホを見ている――すると。
「おい。見たって奴が居るぞ! 写真もある!」
「えっ? 本当ですか!?」
兄貴は桜井にスマホを見せた。そこには『ピエロ発見! 路地に入っていった!』というコメントと黒尽くめでピエロの仮面を被った人間が路地に入る姿があった。
「よし。行こう」
「分かりました。場所はどうやら商店街通りですね。この店見たことがあります」
商店街通りはよくあるシャッター通りで活気がなく路地も入り組んでいる。二人はカフェオレを残して、会計を済ませてから走って向かった。
私も着いていく。
数分後。兄貴と桜井は写真の場所に来ていた。そして兄貴は桜井に言った。
「お前はここに残れ。それから警察に電話してくれ」
「日野先輩……一人で行くつもりですか?」
「殺人鬼かどうか分からないが、俺はそいつを捕まえる。お前が関わる必要はない」
「でも……」
「いいから警察に電話だ」
そう言い残して兄貴は路地に入っていった。桜井は不安気な顔をして、それからスマホを取り出した。
路地は次第に薄暗くなっていく。ビルや高い建物が多いからだ。まるで太陽を遮るように覆っている。
早足で路地を進んでしばらくした後、急に足を止めた兄貴。前を見るとそこには黒尽くめの人間がゆっくり歩いていた。ピエロの仮面を被っているのかは分からない。兄貴は慎重に後を追う。
尾行はしているほうが神経を使う。兄貴の額や頬に汗が滲んだ。
黒い人間が角を曲がった。兄貴は急いで角まで走った。
そして――見失ってしまった。
「くそ。どこに行った?」
今は使われていないビル。古びた扉がいくつもある。足元には木材やゴミが置かれていた。
兄貴は扉を開けずに路地を早足で走った。扉には鍵がかかっていると思ってしまったのかもしれない。それに近くに曲がり角があったからそこにいるのだと思ったのだろう。
兄貴は曲がり角を覗き込む。
そのとき、扉の一つがゆっくりと開いた。
ピエロの仮面を被った人間がナイフを持って兄貴に近づく。
曲がり角を見た兄貴は黒い人間が居ないと分かったらしい。何気なく後ろを振り向く。
「――っ!」
兄貴は振るわれたナイフを避けた。しかし左腕にかすってしまったらしい。服に血の筋が滲む。
殺人鬼の追撃は終わらない。そのまま腰を落として兄貴の脇腹を刺そうとする――
「ざけんな!」
短く悪態を吐いて、兄貴は転がるように回避した。そして置かれていた木材を持ち、振り回して牽制する。
殺人鬼はそれを見て踵を返し、扉の一つを開けて中に逃げ込んだ。
兄貴は舌打ちして木材を持ったまま、中に入る。薄暗い中、殺人鬼が階段を上がっていくのを見た。
「逃げるなあああああ!」
大声を出しながら兄貴は階段を駆け上がる。ビルは三階建てらしく、屋上に続く扉は開けた殺人鬼。そして扉を閉められた。
ここで兄貴は冷静さを取り戻したらしい。扉を開けた先に殺人鬼が待ちかねていると分かっていたので扉を蹴って壊した。物凄い音を立てながら老朽化した扉は前に倒れた。
殺人鬼は屋上から別のビルに飛び渡ろうとしていた。兄貴は殺人鬼に向かって走った。
殺人鬼がジャンプして隣のビルに飛んだ。そこを兄貴が飛びついて腰を掴んだ。二人はもつれながら屋上の床を転がる。
初めに起き上がったのは兄貴だった。殺人鬼の上に乗って押さえつけた。
「てめえ、観念しろ! もうすぐ――」
警察が来る。そう言おうとしたんだけど、兄貴は気づいた。
殺人鬼の腹にナイフが刺さっていた。きっともつれた際に刺さったのだろう。
気づいた兄貴は殺人鬼から急いで離れて後ずさってしまった。
殺人鬼は自分の腹に刺さったナイフを見た。そこからゆっくりと立ち上がる。
「おいお前――」
兄貴が何かを言おうとすると、殺人鬼は懐からもう一本のナイフを取り出して、兄貴を近づけさせないように振り回した。そしてゆっくりと下がり、屋上から下る横付けの階段の手すりを掴んだ。まだ逃げるつもりだ。手すりに体重をかけながら、ゆっくりと降りる――
「あ、危ねえ!」
手入れのされていないさび付いた手すりは殺人鬼の体重を支えることができなかった。バキっと音を立てて手すりは折れて――後ろから落ちていった。
兄貴は急いで走ったけど、間に合わなかった。殺人鬼は地面に叩きつけられて、ぴくぴく痙攣した後、そのまま動かなくなった。
兄貴は呆然としながらもスマホで桜井に連絡した。
『日野先輩! 今どこに!?』
「ビルの屋上だ。殺人鬼が死んだ。急いで来てくれ。警察の人も居るんだろう?」
電話を切った兄貴は殺人鬼の元へ向かう。そして死体を見下ろして呟いた。
「俺が殺したようなもんだな……」
私は兄貴のせいじゃないよと言ってあげたかった。でも伝わらないことに気づく。死者は生者に何も言えない。
兄貴はもう一歩だけ殺人鬼に近づいた――すると。
「な、なんだ――」
殺人鬼から黒い霧のようなものが出てきて――兄貴に襲い掛かった。
黒い霧に包まれ――いや吸収させられている兄貴は身動き一つもできずに、なすがまま立ち尽くした。
黒い霧が全て兄貴の中に取り込まれると、気絶してしまった。
警察官が発見するまで兄貴は倒れたままだった。