03
俺の生活に関係のないものが、なかったことになった時は気づかないこともあった。その日の朝もそうだった。俺は目覚めると、周囲を見回して、なにかなかったことになったものがないか確認するのが日課になった。寝室でも、朝の身支度も、食事の時間も、通勤でも特に問題はなかった。会社にたどり着いて、いつものように個人認証カードを差し込んだ時だった。
ピー。ピー。ピー。
守衛室から警備員が飛び出してきた。
「おはようございます。ちょっとカードの調子でも悪いのですかね」
警備員は俺のカードを受け取って不思議そうな顔をして尋ねた。
「ボールペン販売部。そんな部署があったかな。ボールペンとはなんですか」
俺の部署ごとなかったことになってしまった。俺は仕事を失って途方に暮れた。小学校、中学校、高校、大学とコツコツと勉強し、やっと入った会社だった。真面目に働き、時には上司にゴマをすったり、罵声を耐え忍んでようやく得た役職だった。積み重ねたものが一瞬にしてなかったことになって良いものか。不条理すぎて泣けてきた。
仕事を失って数日がたった。その間も毎日、何かがなかったことになっていった。しかし、もうそんなことにかまっている暇はなかった。このままではローンで買ったマンションがなかったことになる。その内、妻と娘がなかったことになってしまうだろう。俺は再就職に向けて動き出した。
ようやく面接のアポイントが取れた日の朝だった。数日前に電気シェーバーがなかったことになっていたので、カミソリで肌を切らないように慎重にひげをそった。歯ブラシはとっくになかったことになっていたので楊枝で丁寧に歯の手入れをした。朝の身支度に一時間もかかるようになったが身だしなみは肝心だ。スーツに着替えて、ネクタイがないのが不満だったが、気を引き締めて玄関に向かった。
「おい。俺の靴はどうした」
「なーに。あなた。靴ってなに」
リビングから妻のあくび交じりの声が聞こえてくる。とうとう、靴もなかったことになったか。
「いや。なんでもない。面接に行ってくる」
俺はリビングに向かって、そう告げてマンションを出た。裸足で外を歩くと案外、心地いい。歩道が整備されているので靴なんていらないのかもしれない。調子にのって歩いていると、
「あう」
なさけない言葉が口をついてでた。俺は小石を踏んでいた。痛みと一緒に一つのアイデアが浮かんできた。
「待てよ。なかったことになったなら、俺が作ればいい。だれも知らない便利なものを、俺だけが知っている。今なら、発明王にだってなれる」
俺は声を張り上げて笑った。
おしまい。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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