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金のかかる遊び

作者: 橘小戸

 昨今は世相が殺伐としている、昔はよかった、という言説はいつの時代にも流れていて、その通りだとすると世の中はどんどん悪くなっていくはずだが、


 少なくとも、カンブリア紀やジュラ紀よりは人間にとって住みやすい世の中になっていると感じる。それは冗談としても、世の中はよくなったり悪くなったりを繰り返して進んでゆくものだと言える。


 いつか地球も太陽に呑み込まれて火の海になるという話なので、どうせ消失するものであれば、よくなった悪くなったと、目先の世相を云々するのも近視眼的であろうと思う。


◇ ◇ ◇


 昔は金のかかるあそびをしていたのだが、それは、電車に乗って郊外の町まで行き、適当な駅で降りてそこから当てもなく歩く(缶コーヒーを飲みながら)、というあそびだった。

 まず電車代が数千円かかるし、食費、缶コーヒー代も合わせると一日で5000円は飛ぶと見てよい。金がかかるのでそう頻繁にはできなかった。


 遠くの名所に行ったり、旧跡を訪ねたりするのもよいのだろうけど、何も名物もないと思われる住宅地を歩いていても、それなりに面白みがあるものだと感じる。

 特に、日曜日の午後の、郊外の住宅地を歩いていると、趣深いものがある。いなたい、と言うのか?簡単に言い表すべきでないけど。


 なんでそういうところを歩くのがすきかというと、浮ついた気持ちを抑えることができるからではないかと思う。

 郊外の人気のない住宅地を歩いたり、誰もいない駅前のベンチに座って缶コーヒーを飲みつつ空を眺めたり、誰一人としていない公園を散策しつつ立て札を読んだりすると、生産性から遠く隔たった気分になれる。


 手入れの行き届いていない団地内の公園、例えば草が伸びていて、遊具はペンキがはげており、誰も居らず、掲示板の張り紙は内容の日付が過ぎている、といった具合のところもよろしい。

 そういうところにいると、やる気とか、根性とか、気合とか、前進とか、そういう押し付けがましい雰囲気の対極に位置する気分になれる。


 そういうものを目指すためには、日曜午後に電車に乗って郊外に行き、そこらへんを歩いてみるとよい。

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