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その他の雑文

もしも谷崎潤一郎が靴屋だったら

作者: 桜井あんじ

「あっ」

 

 危うく躓きそうになったぼくは、思わず声を上げた。

 片足を上げて、しげしげと眺める。


「靴って、壊れるんだ……」


 履いていたスニーカーの底がぺろんと剥がれ、踵のところでかろうじてぶら下がっている。

 高校の入学祝いで叔父さんに買ってもらったスニーカーだから、もう2年履いている事になる。だいぶボロくなってはいたけど、底が抜けるなんて。

 ぼくは軽く溜息をついて、辺りを見回した。家に靴を履き替えに帰っていたら、待ち合わせの時間に遅れちゃう。仕方ない、どこかで適当な靴を買おう。

 うまい具合に、靴屋がそこにあった。


『ファッションシューズ タニザキ』


 いかにも、しょぼい商店街によくあるしょぼい靴屋っぽい店だ。『閉店セール タニザキ冬の靴まつり』と書かれたノボリが立っている。


 カランカラン


 ぼくが入り口のドアに手をかけたまさにその時、中から女の人が勢い良くドアを開けた。取り付けられた鈴が大きな音を立てる。


「あ、すいませ……」


 女の人はぼくの言葉に耳も貸さず、早足で去ってしまった。


「いらっしゃいませー!」


 振り向くと、店員がそこに立っていた。『足のエキスパート 谷崎*1』と、胸の名札に書かれている。

 谷崎さんの笑顔は、振り返ったぼくを見た途端消えてしまった。


「なんだ男か……」

「えっ」

「あっいえ何でもありません。今日は何をお探しでしょうか」

「えーと、実は靴が壊れちゃって。とりあえず出掛けなきゃいけないので、何か適当な靴を……」

「それはいけません」

 

 谷崎さんは、キッとした表情で言った。


「足というのはですね、お客様、人間の身体の中でも特に重要な部分なんですよ。その足に履く靴を適当なもので良いなどと」

「はあ……、そうですか……。でもぼく、お金もあんまり持ってないし……」


 ぼくは、財布にいくら入っていたか思い出そうとしつつ答えた。


「お任せ下さい。私はシューフィッターの資格も持っております。歩きやすくて足に合い、かつリーズナブルな靴をお選びします!!」


 谷崎さんは妙にキラキラした目でぼくを見つめて言った。


「はあ……、まあ、じゃあお願いします」


 ぼくはちらりと腕時計を見ながら答えた。まだ待ち合わせ時間までだいぶあるし、どうせ新しいスニーカーを買わなきゃいけなかったんだ。せっかくシューフィッターとかいう人がいるんだし、この機会にちゃんと選んでもらおうかな。


「では、こちらにどうぞ」


 ぼくは谷崎さんに促されて椅子にかけ、言われるまま、壊れた靴と靴下を脱いだ。そして、裸足の足を足台の上におずおずと乗せた。


「こ、これは……!」


 ぼくの片足をうやうやしく両手で持ち上げた谷崎さんの顔に、驚きの表情が浮かんだ。


「えっ」

「なんと素晴らしい足でしょうか。こんな足は見たことがない。いやまじで。女性ですら、こんな美しい足の持ち主はそういません」

「え、そ、そうですか……?」

「この肌の艶……。硬すぎず柔らかすぎず、適度なモチモチ感のある足の裏。上品な、低めの甲。そして華奢な指と……、見てください、この桜貝のような爪」

「は、はあ……」

「お世辞でなく、お客様、これは千人いや一万人に一人の足と申し上げて差し支えないでしょう」

「そ、そうですか」

 

 セールストークと解っていても、わりと単純なぼくは褒められて悪い気はしない。


「これなら男でもいいや……」

「えっ」

「いえ何でも。しかしお客様、特に素晴らしいのは……」


 谷崎さんはそう言って、ぼくの足をさらに高く持ち上げた。


「この指先です。ほら、まるで朝露に濡れる葡萄の粒のようにぷっくりとして……思わず……」


 谷崎さんは僕の足の親指を、口に入れた。途端に、ヌメッとした生暖かい感触が脳に伝わる。


「ちょ、ちょっと!何してるんですか!」

「ごひんふぁいなく」

 

 谷崎さんは指をしゃぶったまま言った。


「てぃすひんぐです」

「は?ティスティング?」

「そうれす。あひのことをひるには……」


 谷崎さんは仕事に集中している。

 シューフィッターって、大変な仕事なんだなあ。谷崎さんの真剣な様子に、ぼくも思わず黙り込んだ。邪魔しちゃ悪い。


「ああ、堪能した……」


 ようやく足指を口から離した谷崎さんは呟いた。


「え?」

「いえ、何でも……おや」


 谷崎さんはぼくの足先を持ったまま首を傾げた。


「ずいぶん、冷たいようですねえ」

「あ、ぼく末端冷え性なんです」

「それはいけませんね。最近、大分寒くなってきましたからねえ。……ではこうして」


 そう言うと谷崎さんは、スーツの胸元にぼくの足をそっと入れた。温かい。


「あ、あの……」

「ああ、冷たい足だ。冷たい、冷たい……」


 いつの間にか谷崎さんは、ぼくの足に頬ずりをしていた。

 これで、足の事が何か分かるんだろうか。ぼくの冷え切った裸足の足に、谷崎さんの妙に熱い頬の熱がじんわりと伝わった。


「実はですね、ここ2、3日、虫歯が疼いて眠れなくて。ほら、こうして冷やすとちょうど良い……」

「ちょ、ちょっと!」


 ぼくは思わず大声を出した。


「ぼくの足を、そんな事に使わないで下さいよ。てっきり足の診断をしてくれていると思ってたのに。ひどい」

「……ご気分を害されました?」

「……はい。少し」

「……お怒りですね?」

「いや、それ程では……」

「腹を立てていますね!?」

「いや別に」

「さあ!思う存分恨みを晴らして下さい!この足で!どうぞご遠慮なく!」

「いやちょっと。まさか顔を踏めとでも……」

「そんな、まさか。ご冗談を」

「そ、そうですよね」

「蹴るんです!」

「蹴るの!?」

「そうです!さあ思い切りどうぞ!」


 ぼくは慌てて椅子から立ち上がった。


「何なんですかもう!変な店だなあ。そんなんだから、流行らなくて閉店するんじゃないですか!?」

「それは違います」

「じゃあどうして」

「地震が怖いから関西に引っ越すんです*2」

「ダメだこりゃ」



おしまい。



*1 谷崎潤一郎(1886~1965) 

 足フェチだけど素晴らしい美文を書く、日本を代表する文豪。足フェチだけど三島由紀夫ら後の作家に多大なる影響を与えた。


*2 実話。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだか新しい試みの小説ですね!!!
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