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泡立つ甘いかおり

作者: 足立 和哉

第一章 細井満智夫の場合

1 ブドウ糖

 デンプンは六角形の長い鎖状のものだった。ところどころに分岐点を持ち、そこからも再び六角形のものをつながらせていた。デンプンは米や小麦でできた食品の中に多く含まれている。細井満智夫はデンプンの入ったパンを頬張り噛み砕く。細井満智夫の唾液に含まれるアミラーゼはデンプンを途中から切り刻み六角形のつながりを短い鎖状にした。

 砕かれたパンは更に口の奥にある食道へ運ばれ、そのまま胃に落とされる。胃の中では胃酸やらペプシンという酵素が出てきてパンをさらに細かくするが、アミラーゼで砕かれたデンプンに変化はない。やがて胃の内容物はどろどろ状態になって十二指腸に運ばれる。十二指腸では膵臓から出たアミラーゼが待ち構えている。六角形のつながりは更に短く切り刻まれて、二つつながったものがたくさんできあがる。二つの六角形がつながったものは「二単糖」と呼ばれるが、デンプンからできた二単糖はとくに「麦芽糖」と呼ばれる。別名は「マルトース」だ。三つ以上のつながりのものは「オリゴ糖」と呼ばれている。

麦芽糖は他のどろどろになったパンと共に、さらに奥にある小腸へと移動する。小腸にはアルファグルコシダーゼという酵素が待ち構えている。この酵素は小腸の膜に埋め込まれていて、麦芽糖が小腸を通過する時に、この埋め込まれている酵素に触れると一個の六角形のものに分かれる。一個の六角形のものを「ブドウ糖」という。

 私はツーリストとなってブドウ糖と共に旅してみる気になった。アルファグルコシダーゼがある小腸の細胞の壁にはブドウ糖だけが通れる通路がある。「ソディウム・グルコース共輸送体1」という難しい名前のついた通路だ。通称を「SGLT1」という。ちなみにソディウムというのはナトリウムの別称だ。

この通路はブドウ糖単独では通ることができない。ナトリウムという無機物が一緒でないとだめなのだ。だから今回は私とブドウ糖とナトリウムの三人でその通路に入った。

 小腸の細胞の中に入ると、その先にはすでに出口の穴が見えていた。その出口の通路もブドウ糖専用の通路で「ブドウ糖運搬体2」と呼ばれている。通称を「GLUT2」といい、日本語読みで「グルット・ツウ」とも呼ばれている。私はブドウ糖と一緒にその通路を通り小腸細胞の外に出た。そこは間質と呼ばれている空間で水分が満ち満ちている。そしてブドウ糖の他にもアミノ酸や脂質や塩分など様々なものが浮遊していた。

 間質の向こうに大きな壁がみえる。私たちと共にやってきたたくさんのブドウ糖はその壁に向かって移動している。私もブドウ糖と一緒に壁に近づいた。間近にみると壁にはいくつもの隙間が空いている。ブドウ糖やアミノ酸がその隙間から壁の内部へと次々と入っているのが見える。

私もブドウ糖と一緒に壁の隙間から中へ入った。中は赤い液体で満たされ、一定の方向へと流れていた。しかし、赤い液体と思ったのは実は赤い円盤状のものがぎっしりと詰まっていたからで、たくさんの赤い円盤状のものが薄い黄色の液体の中を流れている光景を見て、赤い液体が流れていると思い込んだ。

赤い円盤状のものを「赤血球」と呼び、それが流れている空間を「血管」と呼ぶ。血管の中に流れる液体は「血液」だ。私は多くのブドウ糖と共に人間の体の中で一番大きな臓器である「肝臓」へ通じる血管を進んだ。小腸から肝臓までつながる血管を「門脈」と呼んでいる。

 肝臓の細胞表面にもブドウ糖専用の通路が開いていた。「ブドウ糖運搬体2」というタイプの通路だ。先ほども小腸細胞から間質に出てきた際に通ったのと同じ通路だ。ここを通らない連中もいるが私は肝臓の細胞の中にブドウ糖と一緒に入ってみることにした。肝臓の細胞の中はさまざまな「酵素」と呼ばれる蛋白質で満ちていた。酵素とはある物質を別の物質へと構造変化させる働きを持った蛋白質で、体の重要な働きを任せられている。臓器によって共通する酵素もあれば、ある臓器に特別に存在している酵素もある。

 私が肝臓の中で最初に出会った酵素は「解糖系」とよばれるブドウ糖が数種類の物質に次々と変化していく時に利用される数種類の酵素たちである。解糖は「かいとう」と呼び、ブドウ糖を分解するという意味だと思って良いだろう。これまで行動を共にしたブドウ糖が解糖系のシステムによって変化していくのだ。ブドウ糖は六個の炭素原子、十二個の水素原子、六個の酸素原子でできているが、解糖系で三個の炭素原子からなる物質に変換され、最終的に「ピルビン酸」という物質になる。

 私はさらにピルビン酸と行動を共にすることにしたが、彼も直ぐに姿を変えてしまった。彼の行く道は二つに分かれている。一つは「乳酸」という酸へ変化する道、もう一つは、これが重要なのだが、「クエン酸回路」への道である。ピルビン酸は一旦「アセチル・コーエー」(アセチルCoA)へと変化してからクエン酸回路に入って行く。

 回路という名前が付いているのは反応がぐるりと一回りするからである。たとえば物質Aから物質Bへ変化し、次に物質Bから物質Cへ変化する。さらに物質Cから物質Dへ変化し、そして物質Dから物質Aへと戻り、再び物質Aから物質Bへと繰り返し進んでいく反応である。クエン酸回路の場合は一回りすることで体に必要なエネルギー物質が得られるのだ。このエネルギー物質を「アデノシン三リン酸」と呼んでいる。通称は「ATP」(エーティーピー)だ。

 一方で私はピルビン酸の末路を見た。確かにATPというエネルギー物質を引き出してくれたが、本人は最終的に「二酸化炭素」と「水」に変化してしまうのだ。これはブドウ糖の末路でもあるわけで、ブドウ糖が二酸化炭素と水となり、二酸化炭素は肺から呼吸とともに外界へと排出され、水は尿となって外界へと排泄される。

 行動を共にしたブドウ糖が水と二酸化炭素になってしまったのを見届けた後、私は肝臓の細胞から抜けだすため再びGLUT2通路へ向った。

 その途中で私は不思議な光景を見た。肝臓の細胞内で分解されたはずのブドウ糖が、なぜか生き返っているのだ。三個の炭素で構成されていた物質が六個の炭素物質となり、やがてブドウ糖に逆戻りしている。まわりの環境次第でブドウ糖が再生されるようだった。これを「糖新生」と呼ぶ。そして、新生ブドウ糖は肝臓の中から血液の中へと飛び出していくのだ。

 私は肝臓の働きの多様性に驚きを隠せなかった。さらに私はブドウ糖の行く末に別の道があるのを見てしまった。先ほどの解糖系に進むブドウ糖の他に、ブドウ糖同士が再びつながりあう現象が一部で起きていたのだ。ブドウ糖同士をつなぎ合わせる酵素があり、デンプンとは少しつながり具合が違っている六角形のつながりを作っていたのだ。これを「グリコーゲン」と呼び、体が飢餓状態になった時のためのエネルギー源として肝臓細胞の中に蓄えられる。

 グリコーゲンを作り出す酵素は外側からの信号を受けて活発に働くらしい。肝臓細胞の壁の一部に外側からの信号を受け取る装置が備わっていて、その信号が大きいほどグリコーゲンを作り出す働きが強いようだ。私は信号を受け取る装置の細胞の外がどのようになっているか気になりGLUT2通路を抜けて血管の中に戻った。


2 インスリン

 内部で信号を受けている装置のちょうど外側にあたる部分をみると巨大なヘリポートのような窪みが確認できた。窪みは特有の形をしていた。折しも血管の上流から巨大な物体が近づいてきた。大きさにしてブドウ糖の三十倍以上はあるだろうか。二本の直線状の連なりが複雑にからみ合った状態で血液の流れにまかせて近づいてくる姿は不気味ですらある。

 その物体に意志はないので何かの偶然だろうか、たまたま物体から突き出た部分が肝臓細胞表面にあるヘリポートの窪みにぴったりと着地した。するとヘリポート自体の構造が少し変化した。おそらくその微妙な変化が内部の装置に信号となって伝わるのだろう。巨大な物体は「インスリン」と呼ばれ、そのヘリポートを「インスリン受容体」と呼ぶ。インスリンはいつまでもその受容体に止まってはいなかった。やがて受容体から飛び立ち血管の下流へとふわふわと流れて行った。インスリンはグリコーゲンの製造に深く関わっているようだった。

次に私は肝臓細胞の中に入らないブドウ糖たちと行動を共にすることにした。彼らは意志を持たない物質なので語りかけても何の返事もしてこない。もし言葉がしゃべれるなら何と言うのだろうか興味がある。肝臓の中にある多くの血管は合流して太い血管へとつながっていく。この太い血管を「大静脈」と呼び、私たちは一旦、心臓へと運ばれる。静脈内の血液の流れは緩やかである。ゆったりとした気分で私はまわりにいるブドウ糖をはじめ赤血球、白血球、アルブミン、アミノ酸、塩分など多数の物体と共に心臓への旅を楽しんだ。

私たちは、まず心臓の右心房に入る。そして、「三尖弁」という弁の関所を抜けて右心室に入る。そこから「肺動脈弁」の関所を抜けて「肺動脈」に移動する。そこからは「肺」という臓器に入って行くが、細かく血管が枝分かれする。かなり細い血管になるので私も縮小率の限界まで体を縮める必要があった。ここで詰まってしまうと「肺塞栓」という呼吸ができない状態となり細井満智夫を窒息死させてしまいかねないので慎重な行動が必要となる。

肺の中には体の外側に向かうと鼻につながる「気管支」がある。その終点には「肺胞」という小さな袋が無数にある。そして、肺胞の周囲には細い血管がまとわりついている。肺胞の中にある「酸素」が近くにある細い血管の赤血球の中にある「ヘモグロビン」という鉄を含んだ蛋白質に移り、代わりに血液や赤血球内に溶け込んだ「二酸化炭素」が肺胞の中に放出される。肺胞という場所で体内に出来た老廃物としての二酸化炭素と新鮮な酸素を入れ替える作業が行われるわけだ。酸素をたっぷりと含んだ赤血球は鮮やかな赤色をしている。

私は少しその入れ替え風景を眺めていた。どうしてこのような複雑な工程が生物進化の中で出来上がってきたのだろうか。生命の神秘と言えるだろう。

次第に血液の流れが速くなってきたので私はブドウ糖たちと一緒に先に向かった。肺胞からは「肺静脈」に入り、そこから心臓に戻る。心臓の左心房という場所にまず入る。「僧房弁」の関所を通り、さらに左心室に入る。ここでの心臓の収縮は強烈だ。なにせ全身に血液を送り出すくらいの勢いをつけなければならないのだから。「大動脈弁」の関所を通り大動脈へと勢いよく押し出された私たちは直ぐに上半身へ行く道と下半身へ行く道の分岐点に出た。私はとりあえず上半身の腕につながる血管を選択した。

血流に身を任せていくとやがて腕の「筋肉細胞」に到着した。筋肉は活発に動く必要がある場所なのでエネルギーもしっかり取らねばならない。つまりエネルギー源となるブドウ糖を最も必要としているはずの組織だ。しかし、私が見る限り筋肉細胞の表面にはブドウ糖を取り入れる通路が開いていないように見えた。肝臓細胞では、その表面にぽかっと開いていたブドウ糖専用のGLUT2通路がないのだ。

私と共に行動しているブドウ糖たちも口には出さないが筋肉細胞の中に入れないので戸惑っているようだ。しかし、それは無用な心配だった。

血管内を浮遊していた例のインスリンが私たちに近づいてきた。私は筋肉細胞の表面に肝臓にもあったヘリポート、つまりインスリン受容体があるのを見つけた。案の定、インスリンはインスリン受容体に上手に着地した。そして受容体は少し形を変化させた。おそらく筋肉細胞内部に何らかの信号が送られているのだろうが、細胞の表面には何の変化も起こらなかった。しかし、急に筋肉細胞表面にぽっかりと通路が開いた。ブドウ糖専用の通路である。周辺にいたブドウ糖たちが喜び勇んでその通路から中へと飛び込んでいくのが見えた。私も彼らと共にその通路を通った。その構造はGLUT2とは少し異なっているように見える。いずれにせよインスリンにはブドウ糖専用通路を開ける働きもあるのだと知った。

筋肉細胞内ではやはり解糖系とクエン酸回路が活発に動き、盛んにエネルギー物質ATPを産生して、筋肉が活動しやすいようにとATPを効率よく筋肉の作業場に補給している様子が見えた。


3 GLUT4

私は筋肉細胞ではブドウ糖専用通路がどのようにして開通のしたのか、その仕組みを知りたくなった。インスリン受容体に相当する細胞の内側部分には肝臓と同様に外部からの信号を受け取る装置が設置してあった。外部からの信号を筋肉細胞内の色々な場所に伝える伝令係がいるのだが、そのうちの一人の伝令係は筋肉細胞の奥へと向かっていた。細胞の奥にはいくつもの大きな格納庫があり伝令係はそこにたどりつくと格納庫のカギを開けて、扉を開いた。すると格納庫の中にあった物体がするりと外に出てきて自動的に細胞の表面に浮かび上がり通路としてセッティングされた。インスリンからの信号があって初めて出てくるタイプのブドウ糖専用通路は「ブドウ糖運搬体4」だ。通称「GLUT4」と呼ばれているもので、肝臓にあったGLUT2とは異なる通路だったのだ。

繰り返しになるがインスリンが細胞表面の受容体に結合して初めて、内部に格納されていたGLUT4が細胞表面に浮かび出し血液中のブドウ糖を細胞内に引き込む仕組みは、後で話がでてくる「糖尿病」と深く関わってくる。ブドウ糖が血液内にたくさんある状態を「高血糖」と呼ぶ。糖尿病という病気ではインスリンの働きが弱くなっているため、血液中のブドウ糖が細胞内に取り込まれにくくなる。その結果、血液の中にブドウ糖がたくさんある状態がずっと続くのだ。

私はGLUT4が次々と細胞表面に浮かび上がる現象を呆然と眺めていた。これも生命の神秘であろう。私と一緒に筋肉細胞内に入ったブドウ糖たちはあっという間にエネルギー物質に変換されて、筋肉作業用に利用されてしまったようだ。

ところでクエン酸回路でぐるぐると作業が回転していく間にエネルギー物質ATPができてくるのだが、実はこの時、「酸素」が必要になる。酸素が無いと十分なATPができないわけだ。筋肉が働き過ぎて血液からの酸素の補給が追い付かなくなったらどうなるのだろうか?私は筋肉細胞内で激しく作業が行われる光景を見ながら考えた。

酸素の補給量が筋肉の働きに追い付けなくなると、酸素を必要とするクエン酸回路の動きが鈍くなってくるはずだ。すると解糖系で作られてきたピルビン酸はクエン酸回路へと行きづらくなる。ピルビン酸の生きる道はもう一つあった。それは乳酸への道だ。十分な酸素が与えられない状態で筋肉運動を続けると筋肉内に乳酸がたまってくるだろう。乳酸は酸だから筋肉に痛みを与える。筋肉運動をやり過ぎると筋肉自体の損傷による痛みもあるが、乳酸による筋肉痛も起きてくるわけだ。この乳酸は世に言う「疲労物質」でもあるし、後で出てくる糖尿病の治療薬の一つでは副作用の原因にもなっているので覚えておいて欲しい。

私はGLUT4がまだ通路として開いている間に筋肉細胞から血液中へと移動した。今度はどこへ行こうかと血液の中を浮遊している内に「脂肪細胞」のある場所にたどりついた。細井満智夫はスリムな体型でどちらかと言えば筋肉質タイプ、いわゆる細マッチョだ。そのせいか脂肪細胞は全体的に小ぶりである。

人が太った時に脂肪が体のいろいろな場所に付着しているようなイメージを持っている人がいるが、実際には脂肪細胞というりっぱな細胞の中に油分がたまっていくのである。細胞だから内部には核があり、核の中には遺伝子もある。遺伝子があるから脂肪細胞特有の蛋白質だって作られている。

栄養を取り過ぎると脂肪分が脂肪細胞にたまり脂肪細胞が巨大化していく。さらにその数も増えて行くので、どんどんと肥満体へとつながっていく。今の細井満智夫は肥満体とはほど遠い存在なので、脂肪細胞も小ぶりなのである。

その脂肪細胞の周りにも血管が存在している。脂肪細胞も生きて行く上でエネルギーが必要だから、当然、ブドウ糖を取り込む通路があるだろうと私は予想した。筋肉細胞と同様に脂肪細胞の表面にブドウ糖の入り口らしき通路は見つからなかった。しかし、インスリン受容体がしっかりと設置されているのを発見した。きっと筋肉細胞と同じようにGLUT4タイプの通路が内側から出てくるのだろうと見当づけた。やがてインスリンが血流の動きに任せてやってきて受容体に着地した。

予想した通りに、しばらくしてからGLUT4タイプの通路が開くと、近くにいたブドウ糖たちは我先にと脂肪細胞の中に入って行くのだった。私は中に入るかどうか迷っていた。筋肉細胞と同じ作業現場しか見られないのではつまらないと思ったからだ。

しかし、脂肪細胞は今まで見てきた細胞と容貌が違うので、せっかくだからと思いブドウ糖たちと一緒に中に入ってみた。中に入ってみて驚いた。何となく全体がゆったりと動く感じでのんびりムードなのだ。作業をしている酵素は確かに働いているのだが、筋肉細胞のような激しさは感じられない。それに作っているものもこれまでとは違っていた。解糖系から作られたピルビン酸からアセチル・コーエーという物質に変化して、クエン酸回路に入るところで、何やら別の酵素が働いている。アセチル・コーエーから「脂肪酸」を作っているのである。もちろんクエン酸回路へのコースも開かれている。

脂肪酸というのは十八個前後の炭素原子が直線状につらなった酸である。さらに細胞内で作られるグリセリンというアルコールの一種と結合して「中性脂肪」という物質を作り上げる。この中性脂肪がいわゆる「脂肪」である。この脂肪の詰まった袋がいくつも細胞の中に浮かんでいる。それらがまるで風船のように揺らめいている光景は、どこかのおとぎの国に来たようだ。この中性脂肪が血液中に多く存在すると「高トリグリセライド血症」と呼ばれる脂質異常症の一つのタイプとなる。「トリグリセライド」とは中性脂肪の別名だ。

脂肪酸の大きな特徴は分解する時に、ブドウ糖が分解する時よりも大量のエネルギー物質ATPを作りだせる点である。中性脂肪は脂肪酸のストック型と言えるだろう。人が生きて行く上で必要であれば、中性脂肪から脂肪酸を切り離し、それを血液中に放出して他の臓器のエネルギー源になるように供給しているのである。脂肪細胞が中性脂肪を蓄える働き自体は人にとってとても役に立っていることなのだ。

中性脂肪が蓄積されていく風景を興味深く眺めていたが、その作業工程とは別に細胞の奥深い所にある核の付近からブドウ糖の百倍以上もある大きな物体が浮遊してくるのを見た。大きな袋状のものに包まれていて細胞表面の内側に結合すると中身が外に飛び出すような仕掛けになっているようだ。

私は、早速、血液の中へ戻った。先ほどの物質は中身を露わにして、ちょうど脂肪細胞から血液中へ離れていくところだった。見ているとその大きな物体は、やがて同じ物体同士が合わさり巨大化していった。十五個前後のものが合体して、ついにはブドウ糖より千五百倍以上の大きさにもなってしまった。

私はその巨大な物体が血液の流れに任せて去っていくのを呆然と眺めていた。体内の旅は驚きの連続だ。話には聞いていたが、あれが「アディポネクチン」という物体で脂肪細胞が作り出す「善玉物質」と言われているものだ。あまりにも巨大な物体だったので開いた口が塞がらなかった。

脂肪細胞が小さいあいだはアディポネクチンをたくさん作りだしているのだが、栄養過剰になって脂肪細胞の中に脂肪がたくさんたまるに従い、つまり肥満体になるに従いアディポネクチンの産生が減少していく。これが実は後に話す糖尿病の「インスリン抵抗性」に深く関わっているのである。

さてこれからどこへ行くか。ブドウ糖はこれまでの間に色々な細胞に取り込まれて私の周囲からは少なくなってきている。みんな色々な臓器の栄養源となって活躍してくれているのだ。私はインスリンが作られている「膵臓」という臓器へ行くことを思い立った。しかし、血管の中の血液は一方向にしか流れていないので私はしばらく細い静脈を通り、大静脈へ出てから心臓に入り、さらに肺に移動して二酸化炭素と酸素の交換風景を尻目にしながら再び心臓へ戻り、再び大動脈の血流に乗って、やっと目的の膵臓へとたどりついた。膵臓はおなかの奥深くにある臓器のため体表から触れることができない。かと言って背中側からは背骨などが邪魔をして触れられない。これが膵臓が癌になっても中々発見できない理由でもある。


4 ベータ細胞

インスリンという二本の直線状の物体が入り混じった巨大な物体は膵臓の「ランゲルハンス島」という部分の中のさらに「ベータ細胞」という細胞で作られている。私はそのベータ細胞にからみついた血管に入った。

ベータ細胞の表面にはGLUT2というブドウ糖の通路があらかじめ開いていた。肝臓のブドウ糖の通路と同じタイプだ。血液中のブドウ糖の数が多ければ多いほど、たくさんのブドウ糖がベータ細胞内に入り、また少なければ少なりの量しか入らない。要するにベータ細胞内に入るブドウ糖の量は血液の中に存在するブドウ糖の量によって左右されるわけだ。

血液の中のブドウ糖の量を現わす言葉に「血糖値」がある。これは糖尿病の患者が一番気にかける検査値でもある。血液一デシリットル当たりにブドウ糖が何ミリグラム入っているかで表現され、単位は何mg/dLとなっている。一デシリットルとは百ミリリットルのことである。

私は他のブドウ糖たちと一緒にGLUT2の通路からベータ細胞内に入った。多くの臓器の細胞がそうであったようにここでも解糖系とそれに続くクエン酸回路の酵素が連鎖反応する工場があった。そして、ブドウ糖が最終的にATPというエネルギー物質を生産して自らは二酸化炭素と水になるという作業が繰り返されている。私と共にベータ細胞の中に入ってきたブドウ糖たちも直ぐに消えてしまった。悲しむいとまもなく私はベータ細胞内でのATPの使われ方に注目した。

私の足元近くにぽっかりと穴が開いていた。その穴はブドウ糖が通るには、はるかに小さな穴で、むろん私でも通ることができない穴だった。しかし、ベータ細胞内にある「カリウム」という無機物質だけはそこを通れた。その穴を通して細胞の中から細胞の外へ常にカリウムという物質がちょろちょろと出続けているのだ。

カリウムというのは電気的には「プラスの電気」を帯びている物質なので、彼らが周辺から出ていくと周辺は「マイナスの電気」を帯びた環境になる。ベータ細胞内が電気的にマイナスの状態だとベータ細胞の内部の動きは鈍くなる性質がある。

電気的にプラスになるかマイナスになるかはプラスチックの下敷きと髪の毛を擦ってやると髪の毛のマイナス電気を持つ電子が下敷きに移るため下敷きはマイナスの電気を帯びて、逆に髪の毛は電子がなくなったのでプラスの電気を帯びるというのと同じ原理だと思えばいい。

ベータ細胞周辺の血糖値が高くなり、たくさんのブドウ糖が細胞内に、ざあーと入ってくるとATPが大量発生するということは先程も書いたが、実はこのカリウムの通り穴は、このATPがたくさんあると閉じてしまう性質があるのだ。これも生命の神秘だろう。この穴の正式な名前は「ATP依存性カリウムチャネル」で、チャネルとは通路のことだ。

私の足元にあるカリウムチャネルもATPが増えるに従い閉じてきた。するとプラスの電気を帯びたカリウムが細胞内に増えてきたため周辺の電気的なマイナスの環境はプラスの環境へと変化してきた。まあ、この程度の変化では私自身には何の影響も与えないのだが、細胞内ではこの程度の電気的な変化でも劇的な変化を与えるようだ。面白いことに別の場所にタイプの違う穴が開き始めたのだ。

私から離れた場所に空いた穴はカリウムが通る穴よりも少し大きいようだった。穴が開き切るとベータ細胞の外側から「カルシウム」という無機物質が細胞の中に入ってきた。この穴はカルシウム専用の通路なので「カルシウムチャネル」と呼ばれる。カルシウムというのは骨の成長に良いとされるあのカルシウムだ。

カルシウムもプラスの電気を帯びた物質だが入って来るなり細胞の中にある大きな格納庫に向かった。格納庫の扉にはかぎ穴があり、カルシウムはそこにガチャとはまった。すると重そうに扉が開き、中に入っていた巨大な物体がいくつも出てくるのが見えた。私は彼らが血液の中へどんどんと放出されている様子をただ茫然として眺めていた。

その大きな物体とはインスリンであった。インスリンは血液の緩やかな流れの赴くままに下流に向かって進んで行くのだった。

再び血管に戻った私はインスリンの旅立ちを見送りながらベータ細胞の周囲を見て回った。するとインスリンの受容体とは違う形をしたヘリポートを発見した。私はこのヘリポートも何かの受容体だろうと想像した。しばらくの間、ここに何が降り立つのかを観察することにした。私もヒマを持てあましている訳ではないのだが四時間ほど経ってようやく大きな物体がヘロヘロした動き方で血液の中をこちらに向かって来るのが見えた。ブドウ糖の二十倍程度の大きさだ。しかし、追手からの攻撃を受けており、かなりの手傷を負っているようにも見えた。その大きな物体は徐々に近づき例のヘリポートになんとか着地した。インスリンの受容体の構造が変化したように、そのヘリポートも構造が変化してベータ細胞内部に何らかの信号を送ったようだった。

私は急いでGLUT2通路から細胞内に入り、例の受容体の内部付近に近づいた。そこにはタイプの異なる受信装置があり専任の伝令係もいた。信号を受け取った伝令係は近くにあった、これまた別のタイプの大きな物体に近づいた。この大きな物体を「アデニルシクラーゼ」という。アデニルシクラーゼは伝令係からの信号を受け取るとエネルギー物質ATPの形を輪っか状のものへと変化させた。輪っか状のものは「サイクリックAMP」と呼び、「cAMP」と略して「キャンプ」と呼ばれる。

cAMPはカルシウムというカギがインスリン格納庫の扉を開けやすくするように働く潤滑油のようなものだ。カギがたやすく開錠されるので扉もするりと開いて、インスリンも直ぐにベータ細胞の外へ出ることができる。

しかし、伝令係の影響は周囲にどれだけカルシウムがあるか、どれだけATPがあるかによるので、カルシウムやATPが少ない時に、いくら外からこの信号が来て伝令係がアデニルシクラーゼに働きかけてもインスリンはベータ細胞の外には出て行こうとはしない。

周囲にカルシウムが少くなる現象が起こるのは、先ほどの道筋を逆にたどれば分かる。つまりカルシウムの入ってくる穴が閉じている→カリウムが細胞内に貯まっていない→カリウムの出ていく穴が開いている→ATPが周辺に少ない→ブドウ糖のベータ細胞内への流入量が少ない→血液中のブドウ糖が少ない。つまり血糖値が低い状態の時は先ほどの伝令係が何を働きかけようとインスリンは血液中に放出されにくい状態になるということだ。このあたりは後に詳しく述べることになるだろう。

私の体内ツアーもそろそろ終わりにしようと思うが、問題は細井満智夫の体内からどうやって出て行くかである。とりあえず腎臓から尿と一緒にでることにした。


6 GLP‐1

私はベータ細胞のGLUT2通路から血管内に出た。血管内に戻ると悲惨な光景を目にすることになった。ヘロヘロになりながらもヘリポートに着地した例の巨大な物体が追手の攻撃を受けている最中だった。追手の大きさは巨大と思っていた物体より更に三十倍近い大きさがあり、ヘリポートに着地した物体に覆いかぶさるようにしながら、巨大なハサミのようなものを起用に動かして獲物のほころびやすい部位を選別しながら刻みを入れていた。すでに半分以上が解体されている状態で、生物であれば死んでいる状態だ。

どこからやってきたのか分からないが、ボロボロになってしまった物体は血液を浮遊中も常に追手の攻撃に怯えていたようだ。

ベータ細胞のヘリポートに着地した物体を「グルカゴンライクペプチド‐1」という。長い名前なので「GLP‐1」(ジーエルピーワン)と略して読む。したがってヘリポートの名前は「GLP‐1受容体」という。追手は「ジペプチジルペプチダーゼ‐4」という。これまた長い名前なので「DPP‐4」(ディピーピーフォー)と略している。ぼろぼろになったGLP‐1ではあるがたくさんのアミノ酸が連なったものなので分解されて浮遊し始めたものはアミノ酸だ。彼らはどこかの細胞で蛋白質となって生まれ変わるか、さらに分解されてしまうかだ。体内でも弱肉強食の世界があり、負けたものは体内で資源として再利用されるわけだ。体の中の小さな輪廻がそこにある。

さて、腎臓にたどり着くには再び静脈に乗り、一旦心臓を経由して動脈に移ってから腎臓に行かねばならない。面倒くさそうに私は血液の循環を書いているが、心臓から出て再び心臓に戻ってくる時間は実は平均1分間程度である。行く場所によって多少時間に差は出るだろうが、大同小異である。言ってみればあっという間に腎臓にたどり着けるのだ。

腎臓につくと血管は複雑な枝分かれをしながら次第に細くなって、やがて「糸球体」という小部屋に着く。その小部屋の入り口につながる血管を「輸入細動脈」と呼ぶ。小部屋に入るとその直ぐ先には出口の穴が見えている。出口からは「輸出細動脈」という血管がつながっている。入口の大きさは広めで出口の大きさは狭めになっているので、この小部屋内の圧力は若干高めだ。足元の床は網目状になっており、小さな物体は小部屋内にかかる圧力もあるので網目を通して落ちていく。

観察しているとサイズの大きな蛋白質や赤血球などは網目に落ちることなく向かいにある出口から出ていく。いつも行動を共にしているブドウ糖は素通りして出口から出ていくのもいるが、その大きさは網目より小さいので、多くのブドウ糖が網目を通して落ちていく。そのほか、塩分、水分、アミノ酸、尿酸、尿素、使命の終わった薬などなど、体で不要になった様々な物質がここの網目を通して下に落ちていく。この網目の下からは「尿細管」という管になる。つまり、網目の下からの液体は「尿」になる。通称、おしっこや小便と呼ばれるものになるわけだ。

私は近くにいたブドウ糖と一緒に網目をくぐり尿細管へと移動した。ここでは赤血球が存在しないので遠目から見ると液体の色は薄い黄色を帯びた透明の液体だ。腎臓は一対あり両方合わせて、一日にろ過される尿量は一六〇リットルにもなるが、尿細管の途中で九十九%の水分が周辺にまとわりついている血管の中へと吸収されるので最終的な一日の尿量は一.五~二リットル程度になる。他にも途中で血液の中へと戻ってしまう物質もある。つまり、尿細管は体に必要そうな物質を再度利用するための最終の拾い集め器官ともいえるだろう。尿細管の先には「膀胱」がある。膀胱まで落ちてしまえば後は外に排出されてしまうだけだ。

私は尿細管の途中にブドウ糖専用の通路があるのを発見した。このように体の最後の方にまでブドウ糖を回収しようとする生体の貪欲さに驚かされた。その通路は小腸にあったSGLT1通路に似ていた。しかし、全く同じではない。「SGLT2」と呼ばれるもので、尿細管にあるこの手の通路の九割はSGLT2で、残りの一割は小腸と同じSGLT1である。行動を共にしているブドウ糖たちは皆がみなその通路を通って血液中に戻って行った。この現象を「再吸収」と呼んでいる。

私は再び体内に戻る気も無かったので、ブドウ糖専用通路には入らずに、尿の流れに任せて下流へと流された。やがて、膀胱の広い部屋に到着する。膀胱内に三百ミリリットルくらい尿が貯まると細井満智夫は尿意をもよおして放尿する。私は尿と一緒に便器に放出された。


第二章 原野太志の場合 

1 インスリン抵抗性

 ある晴れた晩秋の朝。窓の外を見ると庭の日々草の葉の表面になにやら白いものが一面に付いている。初霜だろう。昨夜は飲み過ぎたのだろうか頭が珍しく痛む。傍らには二人の男性が眠っている。午前さまで泊まる場所も無くなった彼らを私の家に泊めたのを思い出した。

 二人のうちの原野太志はかなりの肥満体だ。年齢は五十歳前後だが老けて見える。腹は太鼓腹で皮下脂肪や内臓脂肪が結構ありそうだ。今はいびきを立てながら深い眠りの中にいる。健康診断では何もひっかかっていないと嘘ぶいているが、彼の検査票を見たわけではないので真相は不明だ。私は彼の寝顔を見ているうちに悪戯心が湧いてきて、体をできる限り縮小して原野太志の口の中に飛び込んだ。

 アルコールで荒れたように見える胃の中を通過し細井満智夫の時と同様に小腸にあるブドウ糖専用通路であるSGLT1通路から小腸細胞内に入り、さらに血液内に入る。血液内に入って驚いた。ブドウ糖の数が異常に多かったのだ。細井満智夫の二倍から三倍の密度があるように見えた。糖尿病のレベルではないだろうかと思ってしまう。前回と同様にブドウ糖と共に行動することにした。小腸から進入すると必ず肝臓内を走る血管を通過しなければならない。今回、私は肝臓内へは行かずに他の臓器の様子を見に行くことにした。

 筋肉細胞の近くにきた。私の周辺には相変わらず無数のブドウ糖たちが右往左往していた。筋肉細胞の中に入れずにいたのだ。ヘリポートと呼んでいたインスリン受容体周辺にはインスリンはいなかった。まだ到着していないらしい。細井満智夫の時ならすでに何個ものインスリンが来ていたはずだ。

筋肉細胞表面には無数のインスリンの受容体があるが、インスリンがいないのでは何とも寂しい風景だ。やがて血管の上流の方からインスリンがゆらゆらと近づいてきた。細井満智夫と比べるとやってくるインスリンの数は少ないが、無いよりはましだ。いくつかのインスリンは受容体に結合したが、別のインスリンは受容体に結合せずにそのまま血管の下流へとふらふらと流れて行った。押し合いへし合いしているブドウ糖たちと私はじっとGLUT4通路が開くのを待った。

しかし、待てど暮らせど通路が開くことはなかった。他のいくつかの通路は開いたのだが、多くの開通するべき通路が現れなかったのである。インスリンが受容体に着地した時、確かに受容体の構造に変化が見られた。従ってインスリンが到着した合図は確実に細胞内の伝令係に届いているはずだった。それにも関わらず通路が開かない。一体、細胞の中で何が起こっているのであろうか?

 私はかろうじて開いていたGLUT4通路の一つから筋肉細胞内に入ってみた。何か様子がおかしいと私は感じた。細井満智夫の筋肉細胞内の様子を知っているだけに、原野太志の筋肉細胞内の様子は明らかに奇妙だった。なにやら活気が無いのである。GLUT4通路が開いていないのでエネルギーの素になるブドウ糖が入ってこないせいもあるだろう。絶対的にATP生産量が不足しているので、筋肉の活動もやり切れていない様子だ。それと細胞の奥にあるGLUT4の格納庫からGLUT4が出てくる気配が全くないのである。扉が閉じたままなのである。インスリンが受容体に着地すると伝令係が格納庫の扉を開くはずなのに、どうやらここではそれが実行されていない様子だ。伝令係は一体何をしているのだろうか?

 私はインスリン受容体に相当する細胞の内側にある受信装置付近を訪ねてみた。受信装置ではちょうど外部からのインスリンの信号を受け取ったばかりだった。そこにいた伝令係は席を立ち、自分の与えられた使命を果たすべく細胞内を歩き始めた。私は伝令係の後をつけて様子をみることにした。彼が受信装置を離れてまもなく見かけない物体が現れ、彼の前に立ちふさがった。見かけない物体は伝令係を攻めたてているようだった。伝令係は何も抵抗できずに、すごすごと元の受信装置の所まで戻ってしまった。GLUT4の格納庫の扉を開く役割をもった伝令係が途中で役割を放棄するようでは、外に大量に残されたブドウ糖たちはたまったものではない。しかし、伝令係にあのように強気にでた見かけない物体に私は興味を持った。見ていると同じような物体が次々と現れるので私は彼らの出所をたどってみることにした。するとインスリン受容体の細胞の内側にある受信装置と同じような装置が見えてきた。

 どうやら外部から何らかの信号がそこに送られてきているようなのだ。そこの信号を受け取った別の伝令係が近くの細胞の膜の部分から例の見かけない物体を切り出していたのだった。異様な光景に私は思わず声を上げたようだ。その伝令係が私をきっと睨みつけたのだった。しかし、それだけで事は収まった。外界から来た私は自分の仕事には実害はないと判断したのだろう。後で聞いた話だが、見かけない物体の正式名称は「セラミド」だそうだ。セラミドとは油分の一種で保湿成分としても有名だが、細胞内ではインスリンの伝令係の阻止をする役割を果たしていた。

 同じ細胞なのに異なる受信装置がいくつもあるのが私には不思議であった。


2 TNFα

 ところで、セラミドを切り出せと言う信号を出す受信装置の表側にはどんなヘリポートが存在しているのだろうか? 私はそちらの方が気になりだした。たまたま近くに開いていたGLUT4通路から外に出てみると、インスリン受容体とは別の形をした受容体に異様な巨大物体が着地していた。それはブドウ糖の約100倍近い大きさで正式名称は「腫瘍壊死因子アルファ」、通称は「TNFα」(ティーエヌエフアルファ)と呼んでいるものだった。

 TNFαは名前からして癌細胞を壊してくれる良い者だと思われがちだが、一般には人に炎症を引き起こす蛋白質で、たとえば関節リウマチ、皮膚病の一種の乾癬かんせん、骨粗鬆症に悪影響を及ぼすため、その意味では悪者でもある。原野太志の血液の中には、このTNFαが異常なほど大量に浮遊していた。これも細井満智夫の血液の中では無かった風景だ。

本来、インスリンがあるとブドウ糖が細胞の中に入るため血糖値は高くならないのだが、原野太志の体の中ではインスリンがあってもTNFαがたくさんあるためにブドウ糖が細胞の中に入れず血糖値が高いままになっている様子だった。これを「インスリン抵抗性」と呼んでいる。

 このTNFαは一体どこから来ているのだろうか? 私は血液の流れに逆らって上流に進んでその出所を確かめる旅に出た。やがてTNFαがぽこぽこと湧き出ている細胞が出てきた。それは細井満智夫の時にも訪問したことのある脂肪細胞だった。しかし、原野太志の脂肪細胞は巨大だった。細井満智夫の脂肪細胞の五倍くらいの大きさに膨らんでいた。その巨大な細胞の表面から次々とTNFαが湧きだしていたのだ。さらにTNFαとは別に「脂肪酸」と呼ばれる炭素が直線状に十八個前後並んだ酸も脂肪細胞から次々としみ出していた。その一方で細井満智夫の時に見られた「アディポネクチン」という蛋白質はどこからも放出されていなかった。

 原野太志の肥満がかなり進んでいるのは体型からも分かっていたが、ミクロの世界でも劇的な変化が現れていたのだと私は改めて驚いた。それにしてもアディポネクチンが放出されなくなると体にどのような悪影響を与えるのだろうか? それと巨大化した脂肪細胞から放出されている脂肪酸は一体どのような悪影響を及ぼすのだろうか? それを知るためには私は再び筋肉細胞の中を探索しなければならなかった。

 アディポネクチンの働きを知るために私は筋肉細胞の表面に着目した。一般にアディポネクチンのような大きな蛋白質は細胞内に簡単には入れない。それだけ細胞の表面は大きな物体の侵入を阻止していると言って良いだろう。その代わりにインスリンやTNFαの時もそうだったが、細胞表面にある専用のヘリポートつまり受容体に着地することで細胞内に信号を送って細胞内部の環境に変化を与えられるのだ。アディポネクチンも恐らくそういうシステムで何らかの働きかけを筋肉細胞の内部にしているのではないかと思ったのである。

 原野太志の血液中のアディポネクチンは少なかったが、かろうじて一つのアディポネクチンが私の近くに現れてくれた。そして今まで見たこともないヘリポートに着地した。アディポネクチン専用の受容体だ。受容体がある限りその細胞の内側に受信装置があるはずだ。そう思い立った私はさっそく筋肉細胞表面にかろうじて開いていたGLUT4通路を通じて再び細胞の内部に潜入した。アディポネクチン受容体の裏側にある受信装置にいた伝令係は早速行動を開始していた。その伝令係は驚いたことにGLUT4を格納してある倉庫へと移動していた。そして、格納庫の扉をなんとかして開けようとしていた。その伝令係の仲間が多かったらGLUT4の格納庫の扉は十分に開いていたであろう。しかし、今、その伝令係の仲間はいなかった。結局、格納庫の扉は開かなかったのである。

 私はアディポネクチンの働きをここにきてやっと理解することができた。アディポネクチンの量が十分にあればインスリンの働きとは独立して、GLUT4の格納庫の扉を開き、GLUT4通路を細胞の表面に浮かび上がらせブドウ糖を細胞の中に引き込ませて、血糖値が下がる方向に働かせるのだ。従ってアディポネクチンの量が増えればインスリンの抵抗性も回復できる可能性が広がる。肥満になるとアディポネクチンが減るということは、逆にいうと肥満を解消すればアディポネクチンの量を増やせて血糖値を下げるのに有効だという説も真実味がでてくる。

 もう一つ問題があった。巨大化した脂肪細胞から出てくる脂肪酸の働きである。筋肉細胞の内側にいた私は内側の壁面の一部から脂肪酸がぽろぽろと転げ落ちてくる風景を見た。どうやら血液と細胞内部をつなぐ脂肪酸専用の通路があるようだ。私は専用通路を通じて筋肉細胞に入ってきた脂肪酸のゆくえを追ってみた。するとインスリン受容体からの信号を受け取った伝令係に働きかけて、GLUT4の格納庫への道とは別の道に行くように誘導していたのである。それではインスリンがどれだけ働きかけてもGLUT4は細胞表面に浮かびだせずブドウ糖が血液中にたまったままになってしまうわけだ。つまり血糖値が高い状態が続くのである。

 私は思うのだった。肥満はいくつかの手段でインスリンの働きを弱めてしまうのだと。専門的な用語を使うと「肥満はインスリン抵抗性を高める」というのだそうだ。 

 原野太志の肥満体は高い血糖値を持続させるのに十分な条件となっているようだった。自称、健康体というのはますます怪しいと私は思った。

 いろいろと細井満智夫と比べてしまうのだが、異なる点としてインスリンの数が少なかったことがあげられる。そこで私はインスリンを作り出しているベータ細胞のある膵臓へと歩みを進めた。

 そこは殺伐とした荒野という表現が適切なのだろうか。私は体内に入ってここまで荒れた風景をみたことがなかった。細井満智夫の時にみた膵臓の活き活きとした風景はそこには無かった。幾多ある膵臓の細胞の中で私はベータ細胞を探した。やがて、ボロボロになりかろうじて生き残っているベータ細胞に出会った。途中すでに死んでしまったベータ細胞が残骸となり体の免疫機能によってごみ処理のように廃棄されている風景もみた。

 私が発見したベータ細胞はボロボロになりながらも健気にインスリンを作りだし血液の中に送り出していた。原野太志のインスリンを作り出す能力は絶対的に不足状態になりつつあったのだ。インスリンの量的な不足とインスリン抵抗性の二重苦で原野太志の血糖値は高い状態になっていたわけである。


3 糖尿病三大合併症

 血液の中でブドウ糖がたくさん増えすぎると実際にはどういう悪影響が出てくるのだろうか? 糖尿病は高い血糖値が持続する病気だと医学界でも定義されているが、本当のところどんな悪影響があるのだろうと私は不思議に思った。血糖値が高いと健康診断で言われても、実際には痛くもかゆくもなく、気分が悪いわけでもないと言っている人が多いからだ。論より証拠とばかり、私はもうしばらく大勢のブドウ糖たちと一緒に原野太志の血管の中を巡ることにした。

 体は様々な部品で構成されている。それらが生きていくには栄養分と酸素が必要だ。血液は豊富な栄養分と酸素を体の様々な部分にまで送り届ける役割をもっている。そして血液が流れる血管は体の隅々にまで張り巡らされている。体の先にいくに従い血管はかなり細くなっていく。縮小した私の体がかろうじて通過できるくらいだ。

 細い血管ならどこでも良かったのだが、今回は眼に行くことにした。眼には網膜という外の風景を映し出す膜がある。網膜の下には無数の細い血管があり網膜に栄養と酸素を補給している。血糖値の高い状態の血液とはどういうものだろうか。中に溶け込んでいるブドウ糖の量が多いのでサラサラ感はない。おおげさな表現を許してもらうならドロドロした状態である。そのような血液が極めて細い血管の中を通るとどうなるだろうか。本来ならサラサラと流れていた血液が停滞気味になってしまう。場所によっては詰まってしまう場所もあるだろう。眼の網膜に栄養と酸素を補給しにくい状態になるため、これまた生命の神秘というのか、新しい血管を作り出して栄養と酸素を補給しだすようになる。ところが、作り出したは良いのだが、この新生の血管はもろくて直ぐに破れてしまうという弱点がある。血管が破れると出血して、網膜がボロボロの状態になってしまう。その症状が進めば失明にすらなる。これを「糖尿病網膜症」と呼んでいる。

 このように糖尿病で怖いのは高い血糖値が持続した後に起こる合併症なのである。私は原野太志の網膜の状態が危ない一歩手前であることを知った。私は体外に出たら彼に健康診断どころか糖尿病の専門医への受診を強く奨めようと思う。

 今回、血管内をブドウ糖たちと一緒に旅して感じたことがある。細井満智夫の時にはあまり気になっていなかったのだが、六角形をしたブドウ糖が、まれに直線型になるのだ。原野太志の場合は周囲にあまりにもブドウ糖が多いのでついつい直線型になったブドウ糖の存在が気になったのかもしれない。さらに私は直線型のブドウ糖が時々蛋白質の特定の部分と結合して離れなくなる現象も見た。

 ひとことに蛋白質と言ってもいろいろなものがある。肉や豆の中にも蛋白質があるが、それは食品として人間様の口に入ってくる。そして胃や膵臓の消化酵素によってアミノ酸にまで分解されて体の中へ吸収される。体内では必要に応じて体外から入ってきたアミノ酸を利用して体に必要な蛋白質に作り直して体の役に立たせている。重要な蛋白質としては酵素や伝達機能をもつ物体などがあったのはこれまでにも紹介してきた。その蛋白質の一部分や多くの部分に直線型のブドウ糖がくっついてしまうのである。昔の人なら分かるだろうが田んぼの水に足をつけるとヒルが何匹も足に吸い付いて離れなくなる状況と似ている。

蛋白質の構造の中でも本当に重要な部分という場所がある。その本当に重要な部分にブドウ糖がくっついてしまうとどうなるか? その蛋白質の働きが無くなってしまうという事態に陥るのである。これは体にとって相当のダメージになる。このようにブドウ糖が直線型となって蛋白質と結合する現象を「糖化」と呼んでいる。こじゃれた言葉を使えば「グリケーション」という。

 話は脱線するようだが、味噌や醤油の色が焦げ茶色をしているのは味噌や醤油に含まれるブドウ糖と蛋白質が結合した糖化の結果である。つまり高血糖状態の人の体内では味噌や醤油の中で起こっている反応が同じように起きているのである(むろん、体内で味噌や醤油は作れない)。

 糖化した蛋白質の代表例は「ヘモグロビンエーワンシー」である。略して「HbA1c」と書く。糖尿病患者にとってはおなじみの検査値でもある。赤血球の中には酸素を運んでくれる「ヘモグロビン」という鉄を含んだ蛋白質がある。蛋白質である以上、糖化の対象となるわけだ。HbA1cとは「糖化したヘモグロビン」という意味で、ヘモグロビン全体のうち何%が糖化されているかを示しているのである。高血糖の状態が長く続いていればブドウ糖とヘモグロビンの出会う機会が増えてHbA1cの割合が大きくなるという訳だ。ちなみに正常とされるHbA1cの割合は六.二%未満である。

 糖尿病網膜症になるのは濃いブドウ糖濃度で血液がドロドロになるのが原因だと書いたが、糖化という原因も忘れてはならないだろう。

 これだけ細い血管に影響を与えるのだからと私は「神経」の方へと歩みを進めることにした。神経は人間にさまざまな動きをさせるよう命令を出す大元「大脳」からの信号を末端の臓器に伝える通路のようなものだ。分かりにくいかもしれないが、その通路の中では「電気的な信号」が伝わっている。神経も細胞の一つなので活動するにはブドウ糖というエネルギー源を必要としている。そして、ブドウ糖を供給するのは、もちろん神経の周辺に存在している細い血管である。

ここまで書けば私が何を言いたいか分かって頂けるだろう。糖尿病の場合、神経へとつながる血管の中身はドロドロ状態で、まともに酸素やブドウ糖を神経に伝えられない可能性がある点、さらにブドウ糖が神経細胞の中に入ったとしても、健康な時よりも多くの量のブドウ糖が神経細胞に入るので糖化の問題が捨てきれないという点である。それらの影響で神経がダメージを受けて、「糖尿病神経障害」という合併症を引き起こす。神経障害は糖尿病になってから比較的早い時期に発生すると言われており、また症状もいろいろでバリエーションが豊富である。ざっと並べると、両足のしびれや痛み、逆に感覚のマヒ、立った時の低血圧・めまい、痛みのない心臓発作、自覚のない低血糖、消化機能低下による吐き気・便秘・下痢、膀胱の機能低下で残尿・尿もれ、勃起不全などなど枚挙にいとまがないくらいだ。

 ひょっとしたら原野太志は理由が分からないままに奥さんと夜の性生活ができずにいて人知れず悩んでいるのかもしれない。

 私は原野太志のどうしようもない位の肥満体を思い浮かべ、やるせない気持ちになった。これ以上、彼の体の中を旅するのも忍びない。私は腎臓にまわって体外に出ることにした。

 腎臓の糸球体や尿細管付近にも細い血管がびっしりとまとわり付いている。当然、数多くなったブドウ糖は腎臓の血管にも必要以上のダメージを与え、腎臓そのものにも障害を与える。これを「糖尿病腎障害」と呼んでいる。糖尿病が原因で起こる神経障害、網膜症、腎障害を特に「糖尿病の三大合併症」と呼んでいる。合併症が起きる順番は、まず神経障害、次に網膜症、十年くらい遅れて腎障害となる。何度も書くが糖尿病で怖いのはこれらの合併症やその他いろいろな合併症なのである。

私は腎臓の中にある糸球体の網目を通り、尿の中に入り込んだ。周囲には大量のブドウ糖たちがひしめき合っている。血液の中のブドウ糖が多いのだから、当然のように尿の中のブドウ糖も増えてくるのは道理だ。尿細管の中にあるブドウ糖専用の通路SGLT2を通って再び血液の中に戻れば、ブドウ糖たちとの付き合いも終わるはずだったのだが、どうやらその通路を通るにも定員があるらしい。尿の中のブドウ糖の数があまりにも多くて、専用通路を通れずに尿の中に取り残されるブドウ糖が出てきてしまった。結局、私は彼らと一緒に膀胱へと下りるはめとなった。

目覚めて直ぐにトイレに行ったらしい原野太志の放尿に合わせて私とブドウ糖たちは便器へと落ちて行った。尿の中に居残ってしまったブドウ糖たちのことを「尿糖」と呼んでいる。血糖値の高くない健康な人であれば大抵の場合は尿細管でブドウ糖のほとんどが再吸収されるので尿糖は出ないが、糖尿病の人たちでは尿糖が出てしまうのである。便器の水に放出された尿はブドウ糖があるために泡立ち、ほのかに甘い香りが漂う。人によっては異臭と感じるようだ。ちなみに尿が砂糖のように甘くなるというのが糖尿病の語源だ。

原野太志の場合は膀胱を制御する神経に障害が出てき始めているので、中々放尿が終わらず出し切れない様子だった。原野太志がトイレから部屋に戻ってきた頃には私は体の大きさを元に戻して彼を迎えていた。もう一人の連れはまだ眠っていた。

私は冗談がてら「最近、奥さんとやってるの?」と聞いてみた。「何をだ」と原野太志はとぼけていたが、次第に私の話にのめり込んできて、奥さんとの関係改善に向けても一度糖尿病の診察を受けてみるとまで決心してくれたのであった。


第三章 糸野蓉子夫人の場合 

 糸野蓉子夫人は六十歳そこそこの裕福な家庭の未亡人である。他界されたご主人は資産家だったため、なに不自由のない生活をしている。根っからの美食家のため、最近まで身長百五十五センチであるにもかかわらず体重が七十キログラム近くあった。肥満度を示すBMIは二十九で超肥満体型といえた。

その糸野蓉子夫人が数年前から糖尿病の診断を受けて治療を開始したが、最近みるみる痩せてきて現在は体重が四十五キログラムになっているそうだ。BMIにして十八、まあ一見痩せて良さそうに思えるが、「急激な痩せ」は糖尿病の典型的なパターンでもある。

 糸野蓉子夫人は美形でもなく、私も特に個人的に興味もないのだが、夫人は注射薬以外のすべての種類の糖尿病の飲み薬を利用しているというので、彼女の体内巡りをしてみる気になった。私に言わせれば、すべての種類の薬を飲むというのも馬鹿げていると思うのだが・・・

 例によって私は小腸のSGLT1通路経由で糸野蓉子夫人の血管内に進入した。糖尿病の人はたとえば先ほどの原野太志のように肥満体というイメージがある。しかし、糸野蓉子夫人は昔は肥満体だったが、今はむしろやせ型になっている。何故、そのような変化が起こるのかを知ろうと筋肉細胞へ移動することにした。

血液中には、今まで見なかったような様々な化学物質が浮遊していた。それらは糖尿病のための治療薬であった。薬と言ってもしょせん化学物質なので、他の物質と同じように血液の流れに任せて移動している。

 筋肉細胞では原野太志と同様にインスリンの到着が遅れていた。ただ、治療薬を飲んでいるせいかやってくるインスリンの数は多いようだ。私はブドウ糖専用通路のGLUT4を通り細胞の中に入ってみた。痩せているというのは栄養状態が不十分だということだ。インスリンの働きが少ないと筋肉細胞内へのブドウ糖の取り込みも少なくなるので筋肉細胞の栄養不足につながる。ブドウ糖をエネルギー源として利用しにくくなるため、人は代わりに何かを分解してエネルギー物質のATPを作りだすようになる。もっとも効率よくATPをつくり出してくれるのが「脂肪酸」である。

脂肪酸は炭素という原子が何個か直線状につらなった酸である。先ほども書いたが通常は十八個前後の炭素原子が連なる酸だ。脂肪酸が一個分解するとブドウ糖が分解するより数倍も多いATPを生産してくれるのだ。筋肉細胞内でブドウ糖の代りに脂肪酸がどんどんと分解されていく様子を私は観察していたが、では脂肪酸はどこから来るのだろうか?

ブドウ糖によるエネルギー確保が難しいと判断した細胞は自分が飢餓状態であるとの信号を大脳へ送り込む。すると大脳は伝令係を神経という通路に送り込み脂肪細胞に次のような命令を下す。命令とは『脂肪細胞の中にある中性脂肪を脂肪酸とグリセリンに分割させよ』だ。分かれて出てきた脂肪酸が血液中に出てきて筋肉細胞などで利用されてエネルギー源となるのだ。つまり、脂肪細胞の中の脂肪も減るため、体全体としては痩せてくるという現象が起こる。糖尿病患者の特徴として、肥満体となった後、一転して痩せてしまうのはこのような背景がある。

 ところで鼻の効きの悪い私は直ぐには気が付かなかったが、筋肉細胞内で何やら臭気が漂う。「アセトン」という揮発性の化学物質の匂いだ。さほど強い匂いではなかったがやはり気になる。それに周囲の液体も酸味が漂う。見かけない二つの物質が漂っていたが、どうやら彼らのせいらしい。

彼らは脂肪酸が分解される時に一時的に出てくる物質なのだが、ブドウ糖が利用しにくい状況で、盛んに脂肪酸が分解されている状況では、普段は一時的に出てくる物質であっても意外と貯まってくる。

アセトンは血液中に溶け込んで肺から吐く息と混じって体の外へ出ていくが、他の二つの物質は筋肉細胞から漏れ出て血液の中に入って行く。彼らは血液を酸性に傾けるため、あまり数が多くなると体に悪影響を与える。この二つの物質は「アセト酢酸」と「ベータヒドロキシ酪酸」という。構造上の特徴から「ケトン体」とも呼ばれ、これらによって血液が酸性状態になることを「ケトアシドーシス」と呼んでいる。

 糸野蓉子夫人の場合は薬による治療も始まっているのでケトアシドーシスにまでは至っていないようだった。そのように薬によってある程度まで糖尿病の治療は可能だ。しかし、「食事療法」がしっかりと行われていないと「薬物療法」も意味をなさない。食事療法というのは肥満にならないように一日に食べるカロリーを制限して標準体重を維持するための療法だ。そして、「運動療法」も適宜くわえていく。運動療法はインスリン抵抗性を改善すると言われている。

 そうは言っても一旦狂ってしまった体の仕組みの歯車を基に戻すことは容易なことではない。薬による治療を続けて正常な血糖値を保ち、合併症の発生や悪化を防ぐことが大切である。合併症には先に書いた三大合併症以外にも大きな血管の障害で起こる「心筋梗塞」や「脳卒中」などもあり、結構怖いのだ。さらに最近では「歯周病」や「認知症」も糖尿病の合併症として知られるようになってきた。

 私は失礼して一旦糸野蓉子夫人の尿と共に便器に排泄されてから、今一度、薬と一緒に糸野蓉子夫人の体内巡りをすることにした。


第四章 アルファグルコシダーゼ阻害薬の場合

 この種類の薬は現在、三種類ある。糸野蓉子夫人は「ボグリボース」という錠剤を服用している。この錠剤は食事をする直前に飲む薬だ。私はボグリボース錠と共に朝食の直前に糸野蓉子夫人の口の中へ入った。ボグリボース錠は口から食道、胃へと移動するにつれて、崩れてばらばらになり錠剤の態をなさなくなる。ばらばらになったボグリボースたちは小腸に来るとアルファグルコシダーゼという酵素に取り付く。アルファグルコシダーゼというのは「細井満智夫の場合」でも書いたが、麦芽糖をブドウ糖に変換させる酵素である。近くにはブドウ糖専用の通路SGLT1の入り口が開いている。私はしばらく彼らの働きを見守ることにした。彼らはただひたすらアルファグルコシダーゼに取り付いているだけだった。動かなくても良いのだから楽な仕事だ。

やがて糸野蓉子夫人が朝食をとったらしく、いろいろな食物がばらばらになり、ドロドロになって小腸に流れ込んできた。その中にはデンプンから分解されてできた麦芽糖やオリゴ糖が混ざっていた。すでにボグリボースがアルファグルコシダーゼに取り付いているために、麦芽糖はアルファグルコシダーゼに近けずに戸惑っていた。このままでは麦芽糖からブドウ糖をつくることができない。つまりブドウ糖の血液への流入が止まるわけで、血糖値の高まりが弱まることになる。

 食事をした後は、一気にブドウ糖が血液中に流入するため血糖値が特に高くなりやすい。これを「食後血糖値」と呼んでいる。血糖値が高くなると血糖値を低くしようとしてベータ細胞はインスリンをたくさん放出する。その結果、血液内のブドウ糖が様々な臓器の細胞に取り込まれて血糖値が下がる。この時のインスリンの放出をインスリンの「追加分泌」と呼んでいる。そして、血糖値が下がるにつれてベータ細胞からのインスリンの放出量も減ってくる。この時、インスリンの放出量はゼロにはならず、チョロチョロと放出される状態になる。これをインスリンの「基礎分泌」と呼ぶ。また血糖値もゼロにはならずにある一定の値になるように調整されている。この時の血糖値を食事をしていない空腹時の血糖値ということで「空腹時血糖値」と呼び、血糖値のベースラインとなる。

 糖尿病になる手前の予備軍の人はベータ細胞が少しずつ弱ってきているので、インスリンを放出しにくい状態になりつつある。つまり血糖値を下げにくい状態になっているわけだ。そんな状態の時に食事をすると血糖値が健康な人よりもぐんと高くなってしまう。高めになるとベータ細胞にインスリンをもっと放出しろという命令が下される。しかし、命令されてもベータ細胞も弱ってきているので、予定どおりのインスリンを放出できるわけがない。そのため血糖値をまともに下げられなくなる。ベータ細胞に過重労働を続けさせれば、ますますベータ細胞は疲れ切ってインスリンの放出量を減らしてしまう。やがて食事をしていない時間帯のインスリンの放出量も減るので、空腹時の血糖値も上昇してくるようになる。ベースラインの空腹時の血糖値が上昇すると、食後の血糖値はさらに高くなるようになる。食後の血糖値が高くなるとまたまたベータ細胞が働き過ぎて弱り、空腹時の血糖値が高くなる・・・という悪循環が生じる。この悪循環を「糖毒性」と呼んでいるが、糖尿病へ一直線という悪循環といえる。

 ボグリボースは先に書いたように食後におこる急速な血糖値の上昇を防ぐ役割を持っている。つまり糖毒性という悪循環を解除するための薬なのだ。私はボグリボースがいつまでもアルファグルコシダーゼに付着していないのを見た。くっ付いては離れるという動作を繰り返しながら小腸を下って行く。そしてボグリボースが付着していない合間に麦芽糖がアルファグルコシダーゼに触れてブドウ糖になり、血液の中に入る。少しずつブドウ糖を血液に入らせるため急激な血糖値の上昇を抑えている。緩やかな血糖値の上昇に切り替えることでベータ細胞の過重な労働を和らげてやっているのだ。

 私はボグリボースと共にゆったりと小腸を下って行った。ボグリボース自身は小腸から血液の中に入って行かないようだった。麦芽糖もゆっくりではあるが、ほとんどがブドウ糖に変化していくようだ。これなら栄養不足にもならないだろう。

 そんな中で私は多くの「腸内細菌」という名前の細菌たちと出会うことになった。小腸の奥に行くに従い、種類も数も増えてきて、更に大腸に移ると急激に腸内細菌の種類も数も増えてきた。小腸の中は「胆汁」に含まれる「胆汁酸」のきつい作用があるため腸内細菌もさすがに生きていくには厳しい環境のようだ。

腸内細菌の種類は百種類を超え、数は百兆個にもなるという。一人の人間の細胞数が六十兆個だから、いかにその数が多いかが分かる。この腸内細菌の多種多様性は人間の健康に様々な好影響も与えているが、ここではその詳細は省いておこう。

 アルファグルコシダーゼから逃れられた麦芽糖はブドウ糖に代わる前に、腸内細菌に捕獲されるものもいる。そして腸内細菌の栄養となり、かわりに老廃物としてガスや酸を放出する。そのガスは小腸や大腸をふくらませる「腹部膨満」と呼ばれる症状を引き起こす。またガスはそのまま大腸から肛門を通って外へでると「放屁」となる。いわゆるおならである。私は小腸の途中からガスと一緒に行動を共にすることになった。私たちは小腸から大腸へと移り、さらに肛門から放屁となって外へ飛び出した。その時、糸野蓉子夫人の「私じゃないわよ。いやだわ」という甲高い声が上の方で響いていた。

ボグリボース錠をはじめとするアルファグルコシダーゼ阻害薬は食後の急激な高血糖を抑える役割があるが、代表的な副作用として放屁や腹部膨満があるのだ。まれに「劇症肝炎」を引き起こすという報告もある。


第五章 グリニド薬の場合

 これも食後高血糖を抑える薬で現在三種類の成分が販売されている。先ほどのアルファグルコシダーゼ阻害薬とは働き方が違っている。彼らは小腸から吸収され血液中に移動すると膵臓のベータ細胞に働きかけてインスリンを短時間だけ放出させて、その後すぐに血液中から消えてしまう薬である。食事の直前にこの薬を飲むことでインスリンの追加分泌に相当する時間帯にインスリンを放出させて食後の過剰な血糖上昇を抑えるわけである。そして自分自身はあっという間に血液中から消えてしまうので空腹時間帯の血糖値を下げ過ぎないようにしている。糸野蓉子夫人もこの薬を夕食後だけ服用しているようだが、この「グリニド薬」のすばやい動きに私はついていけないので、お話だけにさせてもらう。

 代表的な副作用はインスリン分泌による低血糖である。ところで、これまでに何度か副作用について書いたが、副作用とは何だろう?

 薬は病気を治すためにとか、病気の症状を弱めるためにとか、病気が悪くなるのを遅らせるためにとかに使われる。そのように薬は私たち人間にとって良い働きをしてくれる一方で、悪影響を与える場合がある。この悪影響を「副作用」と呼んでいる。もっと厳しく「有害作用」と言う場合もある。どのような薬でも副作用はあると言ってよいくらい良い効果と副作用は切っても切れない関係がある。

 薬を使う以上、程度問題だが副作用と付き合う覚悟は必要だ。我慢できる位ならそのまま使っても良い薬もあれば、直ぐに薬を中止しなければならない副作用もあるので、副作用に対応するのも大変だが、何か普段と違うなと思ったら、次の受診前でも良いので医師や薬剤師に相談してもらいたい。親切に対応方法を教えてくれるはずだ。

 ところで副作用にもいろいろな分類方法がある。ここではその一つについて書いてみよう。副作用を三つの分類に分ける方法だ。

 一つ目は、薬の作用の延長上にある副作用。本来の良い作用が強く出過ぎた場合がそれにあたる。糖尿病の薬であれば低血糖がそれだ。後から出てくるビグアナイド系薬であれば乳酸アシドーシス、SGLT2阻害薬であれば尿路感染症などがそうだろう。これらの副作用の場合は飲む量を減らしたり、効果の弱めの他の薬に切り替えたりして続けられる場合がある。

 二つ目は、薬の毒性による副作用。毒というと気持ちが悪いが、薬が直接臓器に傷をつけてしまう副作用と言った方が分かりやすいかもしれない。飲み薬の場合では肝臓が薬の入り口になるし、腎臓は薬の出口になるので、それら二つの臓器は特に薬と接触する機会が多い。薬を飲む期間が長ければ長いほど薬自身が臓器に何らかの傷をつける場合がある。普通は修復作業が行われるが、その作業が追いつかなくなると副作用として現れる。肝障害や腎障害は薬が直接傷つけた副作用が原因となる場合がある。薬は少なめにするか中止という扱いが妥当であろう。

 三つ目は、アレルギーによる副作用。これは薬に対して人の体が起こす拒否反応である。体の防衛隊である「免疫」が薬を排除しようとして起こる激しい反応と言ってよいだろう。皮膚におこる湿疹やじんましん、肝臓、腎臓、肺などでおこるアレルギー反応も知られているし、アナフィラキシーショックと言って全身に症状が現れる死に至るかもしれない危険なアレルギー反応もある。アレルギーによる副作用が起きたら直ぐに薬を中止するのが原則で、今後、同じ薬は絶対に飲まないようにしないといけない。


第六章 スルホニル尿素薬の場合

 「スルホニル尿素薬」は昔からある薬で古典的な薬ではあるが、血糖値を強力に下げる力をもっている。「スルホニルウレア薬」とも呼ばれ、略して「SUエスユー薬」とも呼ばれる。この系統の薬は現在六種類あるが、糸野蓉子夫人の場合は「グリベンクラミド」錠を飲んでいる。

 私はグリベンクラミド錠と一緒に朝食後に夫人の口から入り、小腸から血液の中に入った。小腸から肝臓へとつながる門脈の中を通り肝臓への道筋をたどるのはブドウ糖の場合と同様である。

グリベンクラミドは肝臓の細胞の中に入ると大きな物体に捕まってしまった。実はこれは薬の持つ宿命とも言える現象である。その大きな物体は「薬物代謝酵素」だ。「チトクロームP450」とも呼ばれている。体は自分にとって不要な物質を外に出すためのシステムを持っている。薬物代謝酵素はその中心的な役割を担っている。

この酵素には薬を水に溶けやすいように変化させて、腎臓から出しやすくするという特徴がある。ほかに薬を外に出す方法として肝臓から胆汁という液体に混ぜ込んで十二指腸へと放出し大便と共に排泄するルートもある。

 グリベンクラミドはチトクロームP450の中でも「CYP3A4」や「CYP2C9」と呼ばれる酵素により変化を受ける。この変化を「代謝」と呼び、代謝によってできた物質を「代謝物」と呼ぶ。チトクロームP450は構造が少しずつ違った酵素の集まりである。その構造の違いを現わす記号がCYP3A4やCYP2C9で、CYPは「シップ」と読む。

グリベンクラミドは代謝物M1とM2に変化する。もちろん酵素の攻撃を免れるものもいる。私は変化を受けなかったグリベンクラミドとM1とM2の三人と共に肝臓から出て大静脈へと進んだ。

私たちの目的地は膵臓のベータ細胞である。血糖値が高い状態が続いてベータ細胞もかなりお疲れモードなのだが、彼らはそのベータ細胞を叱咤激励しにいくのである。何だかベータ細胞が可哀想な気持ちにもなる。お疲れモードのベータ細胞を叩いたところでどれだけ効果があるのだろうか疑問だ。

 やがて私たちはベータ細胞にたどり着いた。M1もM2も一緒だ。代謝物とは言え、彼らもグリベンクラミドと比べて弱いながらも薬としての作用を持っていた。実は代謝されると薬としての作用を失う場合が多いのが普通だ。逆に代謝されて初めて薬としての作用を持つ薬もあるので知っておいてほしい。

 私は彼らの働きぶりを見ることにした。ベータ細胞の表面にはカリウムが内部からポコポコと湧き出してくるカリウムチャネルという通路があった。この状態の時はインスリンの放出が弱い時だった。血糖値が上がるとベータ細胞内へのブドウ糖の移動が盛んになり、なんやかやでATPが細胞内で増えるとこのカリウムの通路が閉じて細胞内部が電気的にプラス方向に傾いていき、最終的にインスリンが放出されるというのは既に書いた。

 このカリウムの通路の出口のすぐそばに奇妙な形をしたレバーのようなものがあった。グリベンクラミドはそのレバーのようなものに取り付いた。そしてレバーが動くと徐々にカリウムの通路が閉じ始め、やがて通路が完全に閉じるとカリウムは外に出て来なくなった。M1とM2も近くにあるカリウムの通路のレバーを動かしカリウムの通路を閉じていた。カリウムが出ていない間はベータ細胞からインスリンが放出され続けているわけだ。このレバーは「スルホニル尿素薬受容体」と呼ばれている。通称、「SU受容体」である。

既に過重労働を強いられているベータ細胞にとってはスルホニル尿素薬からの叱咤激励はかなり辛いだろう。かつ彼らの働きは結構長く続く。一日一回飲むだけで血糖値を下げる効果は十分なのだ。しかし、絶えずインスリンを放出し続ける薬というのはどうなのだろうか?人の体も時間によっては血糖値の下がっている時間もあるだろう。そんな時もこの薬によってインスリンは放出され続けているわけだ。一定数量のブドウ糖が血液中には必要なのだが、場合によっては基準を下回るようなブドウ糖の数になってしまう可能性もゼロではない。グリベンクラミドの最大の良くない作用は血糖値を下げ過ぎることにあるのだ。血糖値が基準以下になる状態を「低血糖」と呼び、それを放置しておくと生命の危機にもなりかねない危険な状態になる。

 低血糖状態になると『血糖値を上げよ』という指令が大脳から発せられる。人の体の中で大脳の働きはとても重要だ。インスリンは血糖値を下げる唯一のホルモンと呼ばれるが、それに対して血糖値を上げるホルモンは体の中に数種類が存在している。ノルアドレナリン、ヒドロコルチゾン、グルカゴン、成長ホルモンなどだ。このうちノルアドレナリンは「交感神経」という大脳から出ている神経の末端から放出されるホルモンで、体のいろいろな臓器に働きかけることができる。たとえば肝臓に働きかけてブドウ糖を再生産するコースを活発にさせて肝臓細胞からブドウ糖を血液中へと放出させる働きを持つ。以前にも書いたが「糖新生」だ。また血管に働きかけて収縮させるため、外から見ると血液の赤さが目立たなくなり顔の色が青白くなる。心臓に働きかけてドキドキ感を増す。筋肉に働きかけて手や指を細かく震わせる。例外的にアセチルコリンという別の物質になるが、汗を出す腺に働きかけて冷や汗を流させるなどの症状が現われる。これらの症状は低血糖の初期段階で出て来るので、低血糖の良い目印になる。この目印に気が付いたら早めに「甘い物」を食べて低血糖状態を改善する必要がある。

 甘い物と書いたが、甘い物の中にはたいてい「砂糖」が入っている。砂糖というのは「ショ糖」とも呼ばれ「ブドウ糖」と「果糖」という二種類の単糖が二個くっついた二単糖である。アルファグルコシダーゼ阻害薬ボグリボースも服用している糸野蓉子夫人が低血糖を起こした時に砂糖の入った甘いものを食べたらどうなるのだろうか?

 実は血糖値がなかなか上がってくれない危険性があるのだ。つまりボグリボースによってアルファグルコシダーゼを予め働けないようにしてあるわけだから、そのような時に低血糖を治療するための二単糖を飲んでもブドウ糖になってくれず血液の中にも入りづらくなり、結局血糖値も上がりにくくなるのだ。ということでアルファグルコシダーゼ阻害薬を服用している患者が低血糖を起こした時には直接ブドウ糖を飲む必要がある。低血糖治療用のブドウ糖は治療薬をもらった医療機関や薬局で分けてもらえる。

 ところで、近ごろ甘味だけがきつい化学物質「人工甘味料」入りの飲料が出ているが、砂糖やブドウ糖ではないので低血糖の回復には効果はないというのは理解して頂けるだろう。

さて、さらに低血糖状態が続くと体の動きの司令塔でもあった大脳を中心とする「中枢神経」と呼ばれる部分が麻痺してくる。中枢神経の細胞にはGLUT1というブドウ糖専用通路が開いており、ブドウ糖はそこから中枢神経に入ってエネルギーを与える役割をしているのだが、実は中枢神経のエネルギー源はブドウ糖のみなのである。従って、ブドウ糖の量が減ると中枢神経は麻痺状態となる。その結果、頭痛、空腹感、目のかすみ、眠気、生あくびなどの症状が出てきた後、意識が薄れてきて異常な行動をしたり、全身に痙攣が起こったり、あげくのはては昏睡状態になってひどい時は植物人間状態になることすらある。そこまで行くと救急車対応である。救命救急室で五十%の濃いブドウ糖を注射することになる。処置が早ければ直ぐに目を覚ます。

 私はグリベンクラミドたちが盛んに自分たち専用のレバーをいじくりまわしている内にどれだけのインスリンが放出されているか様子を見に行くことにした。常に開口しているGLUT2通路から私はベータ細胞の内部に入った。内側から見るとカリウムの出口がしっかりと閉じているのが見える。カリウムがたまって周辺を電気的にプラスの方向にしているのも確認し、その後、カルシウム専用の通路が開いてカルシウムが細胞内に入ってきているのも見えた。しかし、カルシウムがインスリンの入った格納庫の扉のカギを開いてもインスリンの出かたは悪かった。格納庫に収納されたインスリン自体の数も少なくなっていたのだ。私が入ってきたベータ細胞はかなり衰弱しているのを知った。

 これがグリベンクラミドなどスルホニル尿素薬の力の限界かもしれない。グリベンクラミドでベータ細胞を刺激すると最初はインスリンが放出されていても、刺激し続けている内にベータ細胞が疲れ果ててインスリンが放出されてこなくなる場合がある。この現象をスルホニル尿素薬の「二次無効」と呼んでいる。

 私は糸野蓉子夫人にこの「二次無効」の状態が近づいている予感がした。


第七章 チアゾリジン薬の場合

 この系統の薬は「ピオグリタゾン」という一種類の薬しかない。糖尿病の薬としての位置づけはインスリン抵抗性改善である。つまりインスリンが血液中にあってもブドウ糖が筋肉細胞などに取り込まれていかなくなる状態を改善するのだ。私は再度、糸野蓉子夫人の体外に出てからピオグリタゾンと共に口から食道、胃を通り小腸から血液の中に移動した。ピオグリタゾンは血流に乗って全身を巡っていく。しかし、働ける場所は限定されている。私はピオグリタゾンと一緒に脂肪細胞に到達した。その脂肪細胞は巨大化しており細胞の中に多量の脂肪を含んだ細胞になっていた。

細胞表面からはTNFαや脂肪酸が次々と放出されていた。これらの物質は原野太志の時にも説明をしたが、インスリンへの抵抗性を高める物質であった。ピオグリタゾンは巨大な脂肪細胞の中へと入り込んで行った。私も負けじと彼のあとを追った。彼は細胞の中に入ると周囲にある脂肪の入った大きな袋には目もくれず、細胞内の特殊な部分に向かった。そこには「ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体ガンマ」と呼ばれる蛋白質がいた。訳の分からない位の名前なので通称、「PPARγ」と呼ばれている。

ピオグリタゾンがどのようにPPARγに働きかけたのかは分からなかったが、PPARγは細胞核内にある遺伝子の一部分に働きかけた。すると私の周囲にある構造物がいきなり崩れ出してきた。中には溶けるように崩れて行くものもあった。私は身の危険を感じ、いち早く脂肪細胞の外へ出た。肥大化していた脂肪細胞は見る見る小さくなり、生きている雰囲気が無くなってしまった。これから先は体内の防衛隊である免疫細胞がそれらを異常な細胞だと思って処理してしまうのだろう。

 どうやらピオグリタゾンは脂肪細胞の中にある自殺に追いやるボタンを押したようだ。細胞が自ら死を選び細胞を壊していく現象を「アポトーシス」と呼んでいる。

 私はもう一つのピオグリタゾンの働きを見つけた。脂肪細胞は元になる細胞から発達してくる。それを「前駆細胞」と呼んでいる。ピオグリタゾンは前駆細胞のPPARγに働きかけて、小さいタイプの脂肪細胞への進化を加速させたのだ。小さいタイプの脂肪細胞はインスリンの作用を増強してくれるアディポネクチンを放出する働きがあるのは以前にも話をした。まとめるとピオグリタゾンにはインスリン抵抗性の原因となる物質TNFαや脂肪酸を放出する巨大化肥満細胞を自殺に追い込み、インスリンの作用を増強する小さい脂肪細胞を増やすように働き、差し引きインスリン抵抗性を改善しながら血糖値を下げてくれる薬になる。

 私は他の薬の動きを確認しようと血液を浮遊して全身を回ることにした。全身を巡るうちに私の周囲にある水分が多いような気がした。足の血管を回った時にそれを実感した。血管の中にたまり過ぎた水分が大量に血管の外へと流出しているのがみえた。これは外からみると足のむくみとなって現れているはずだ。すねの部分を指で押すと指の跡が残って、しばらく元に戻らない状態だ。

血管内の水分量が増えると実は心臓へも相当負担がかかる。心臓は血液を全身に送り出すポンプだが、送り出す量が多くなると心臓がより力を入れるため、それだけ負担がかかり心臓が弱ってしまう可能性がある。これは腎臓にあるPPARγにピオグリタゾンが働きかけるためとされている。つまり、ピオグリタゾンには血管内の水分量を増やしてしまうという副作用があるわけだ。女性はむくみやすい体質なのでピオグリタゾンを飲む場合は通常の半分の量から飲み始める。また心臓の弱い人にも使ってはいけない。

何年か前にピオグリタゾンを服用している患者で「膀胱癌」の発生率が一.二倍ほど高くなるという報告が外国であった。日本人での話ではないのだが、膀胱がんの人には利用しないことはもちろん、その他の人も利用にあたっては医師と十分に相談したうえで使うのが良いだろう。海外の調査だが女性で骨折が増えるという報告もある。


第八章 ビグアナイド系薬の場合

 糸野蓉子夫人の血管の中を浮遊している内に私は「メトホルミン」という薬に出会った。糖尿病の薬の中でビグアナイド系薬と呼ばれる仲間の一つだ。

 私はメトホルミンと共にまず肝臓の細胞の中に入っていった。肝臓という組織はすでに何回もでてきている。それだけ薬にさらされ易い臓器だと言える。糖尿病の薬に限らず薬の副作用で肝臓障害の報告が多いのは薬にさらされやすいという点にあるというのは以前書いたとおりである。

肝臓では相変わらず解糖系などを利用してブドウ糖がエネルギー物質ATPを産み出している。さらに糖新生といって解糖系を逆流するコースを使ってブドウ糖を再生して、それを血管内へと放出もしている。

私はメトホルミンが解糖系の流れでは無く、糖新生の作業にちょっかいを出している風景を目の当たりにした。メトホルミンによって糖新生は止まってしまった。それによって肝臓から血液に出ていくブドウ糖が減り始めるため、血糖値が下がり、糖尿病患者には好影響を与えることになる。

しかし、糸野蓉子夫人は肝臓の機能が衰えてきているようだった。肝臓の中にある解糖系から連なるクエン酸回路の動きも今一つ迫力がない。血糖値が高いため血液から肝臓へのブドウ糖の流入は止らない状態だ。だから解糖系はなんとか動いてピルビン酸がどんどん出来上がっている。しかし、その先のクエン酸回路の動きが鈍いせいでピルビン酸が余り気味になっている。

私はメトホルミンによって解糖系の逆コースである糖新生の流れが途絶えているのをすでに見ていた。残されたピルビン酸の行ける道はただ一つだけだった。乳酸へと変化する道だ。見ていると案の定、乳酸の量が次第に増えてくるのが分かった。しかし、それが血液へと流れ込む量は大したことはなかった。もし大量に乳酸が血液に流れ込むと血液が酸性になってしまう。すると吐き気や腹痛がして、体がだるい感じになり、筋肉痛が起こり、過呼吸も起こるという。症状の重い状態が続くと死にも至るこわい状態が血液の酸性化だ。乳酸による血液の酸性化を「乳酸アシドーシス」とも言う。血糖値が高すぎる時に起こるケトアシドーシスも血液が酸性に傾く状態を現わすが、酸の種類が違っている。

糸野蓉子夫人の場合は肝臓の働きが弱くなっているが、かろうじてその働きが保たれているので重大な症状にならずに済んでいるのだと私は思った。

 メトホルミンの働きの一端を知ったので、私は再び血液の中に出て、他の薬の動きを見極めようとした。しかし、途中の筋肉細胞の表面で再びメトホルミンと出会ってしまった。メトホルミンは筋肉細胞の中にも入り込んで何かしでかしているようだ。私はたまたま傍に開いていたGLUT4通路から筋肉細胞の中に入った。インスリン抵抗性の状態が続いているようだ。インスリンが筋肉細胞のインスリン受容体に着地しても内部からのGLUT4の細胞表面への移動は緩やかだった。これではブドウ糖がなかなか細胞内に入っていけない。

私はメトホルミンの目的地に目を向けた。自身の大きさの九百倍もある巨大な物体にメトホルミンは向かっていた。あのような巨大な物体に戦いを挑もうというのだろうか?

 メトホルミンが巨大物体の一部に触れると巨大物体は静かに動きだした。自らの体の一部から触角のようなものを伸ばしたかと思うとGLUT4が収納されている格納庫に向けて、ボーガンの矢のようなものを発射したのだ。格納庫の扉の上部にピッと音を立てて矢が突き刺さると同時に扉はバカっと開いた。すると中に待機していたGLUT4が次々と飛び出してきた。そして細胞の表面に通路を作るために浮上していった。やがて筋肉細胞の外で待機していたブドウ糖たちが新しくできたGLUT4通路を通って大量に入ってくるのが見えた。メトホルミンが触れた巨大物体は「AMPキナーゼ」という。

 ここで私はメトホルミンのもう一つ働きを理解した。つまりインスリンがあろうがなかろうがGLUT4の格納庫の扉を開いて、最終的に血液中のブドウ糖を筋肉細胞の中に取り込むコースがあり、メトホルミンはそこを刺激して血糖値を下げるのだ。脂肪細胞でも同じような現象が起きているに違いなかった。言い換えればメトホルミンはインスリンがあるのに血糖値が下がらないというインスリン抵抗性を改善してくれる薬とも言えるのだ。

 私は体の中をもう一周することにした。心臓に一旦戻り、今度は大動脈から小腸へとつながる血管へ移った。ここの血液の中には小腸から吸収される物質が大量に含まれている。私は糸野蓉子夫人が食事をした後であろう時期をねらってここに来たのだが、何故かブドウ糖の数が少ないようだった。物言わぬブドウ糖たちなので理由を尋ねるわけにもいかない。

私はここで離れ業を使うことにした。血管の外へと出てさらに間質を通り小腸細胞の中へと行く通常とは逆コースをたどったのだ。するとここにもメトホルミンがいた。食後に飲んだメトホルミンがこんな所に居座っていたのだ。そして、何やらブドウ糖が小腸細胞の中に入ってくるのを邪魔している様子だ。

ブドウ糖が血液に入って来られないのだから当然血糖値も下がってくる。メトホルミンの働きは多様だと感心した。メトホルミンが小腸でも活躍しているせいかどうかは分からないが、この薬では吐き気や嘔吐、食欲不振、下痢など腸にまつわる副作用がでやすいようだ。副作用がらみで言うと、この薬の働きはインスリンの動きには無関係なのでメトホルミンを単独で利用している時は低血糖という副作用がほとんど起こらない。

 せっかく小腸まで来たので、さらに小腸細胞の外にでて大便と一緒に外に出ようと思ったが、出た後の始末が大変になるので、もう一度私は血液の中に戻ることにした。そして、ぐるりと体を一周して今度は腎臓の糸球体の中を通る血管の中にいた。糸球体は血液の中から水分を漉して尿にする場所だった。

 私が見たところ濃いブドウ糖のせいで糸球体の血管も詰まり気味で、かつぼろぼろになっている感じがある。ろ過装置もなんだか網の目が壊れて広がっている。だから本来なら素通りするはずの大きめの蛋白質も平気で尿の方へと落下している。なかでも比較的小さめの蛋白質であるアルブミンは結構な量が落ちて行く。このような尿を「アルブミン尿」と呼んでいる。糖尿病で腎臓の細かい血管が障害を受けてしまった状態を「糖尿病腎障害」と呼ぶが、その障害程度の良い目安になっている。少しのアルブミンしか流れ出ていない状態は「微量アルブミン尿」と呼ばれ、まだ軽い程度の腎障害を意味している。

腎障害が進み過ぎるとこのろ過装置自体が変性して機能しなくなる。そうなると尿が作れなくなり、本来なら尿と一緒に外に出て行かなければならない体内の老廃物が体に溜まり、さまざまな症状を引き起こす。これを「尿毒症」というが、水だって体内にたまってしまうと有害物質になってしまう。たとえば水がたまり体中がむくんでしまうと心臓に負担をかけて心臓病の人は症状を悪化させる。そこまでいくと「人工透析」をしなければならなくなる。人工透析とは血液を管を通じて一旦外に出して人工的に作ったろ過装置に通して、水分や老廃物を取り除き、きれいになった血液をまた体の中に戻してやるやり方だ。人工透析の装置とは「人工腎臓」と呼んでもよいだろう。

 糸野蓉子夫人の場合はそこまでは行っていないようだが、しっかりと正常な血糖値を維持しておかないと腎臓の障害程度が後戻りできない状態にまでなってしまうかもしれない。腎臓の機能は年齢と共にも悪くなっていくので、病気などで余計な負担をかけると後戻りできない時期が早くきてしまうわけだ。

 私は足元で尿細管へと落ちて行く微量なアルブミンとメトホルミンを見ていた。メトホルミンは大部分が腎臓の糸球体でろ過されて尿に混ざって体外へと排泄されていくようだった。メトホルミンのように腎臓から出ていきやすい薬は、腎臓の血管が詰まり気味になり血液が通りにくくなり、さらに周囲が破壊され網目も詰まった状態になると血液の中に残ったままになる。すると血液の中で増えすぎたメトホルミンのため効果よりも副作用が出やすい状態になってしまう。乳酸アシドーシスという例の血液が酸性に傾くやつだ。つまり、メトホルミンを飲む場合は肝機能に障害をもっている人に加えて腎機能に障害をもっている人にも注意が必要なのだ。

 この系統にはメトホルミンの他にブホルミンという薬もある。さらに言えば欧米では糖尿病の薬物治療にはまずこの系統の薬から使うことになっている。


第九章 DPP‐4阻害薬の場合

 糸野蓉子夫人はいろいろな糖尿病の治療薬を飲んでいる。こんなに飲んでいたらインスリンの注射をした方が良いと言われかねない。今回は特別な例としてお許し願うとして、私は次の飲み薬と行動を共にすることにした。現在、この系統の薬は九種類もある。比較的新しい薬だが、あっという間に九種類にも増えてしまった。画期的な新薬が出てくると製薬メーカーはどこでどう情報を仕入れて来るのか、同じ系統の薬をほぼ同じ時期に次々と発売してくる傾向がある。薬は開発を始めてから世の中に出てくるまでに十五年から二十年かかるから、今次々と発売されているということは実は二十年前頃から、既に製薬企業間で情報合戦があったことを意味している。

 今回付き合うのはシタグリプチンという名前の薬だ。私は朝食のパンと一緒に糸野蓉子夫人の口から体内へと入った。食物は消化されドロドロなって胃から小腸へと運ばれた。デンプンの残骸やブドウ糖などが入り混じった消化物が小腸のある細胞に触れた。周りの小腸の細胞と明らかに姿が違っているその細胞は「L細胞」と呼ばれているものだった。私はその細胞の中に入ってみた。中ではひも状の物体が出来ていたが、直ぐに血液の中に入って行った。私もそれに付いて行った。

 このひも状の物質は細井満智夫の場合で説明した「GLP‐1」である。GLP‐1は食物が小腸を通る刺激によって血液中に出てくるインスリンの放出を助ける小型の蛋白質なのである。食事をとるとその中にあるブドウ糖が血液の中に入る頃にはインスリンが出てきて効率よくブドウ糖を筋肉細胞などの中に取り込んでしまえるというわけだ。

しかし、GLP‐1はジペプチジルペプチダーゼ4(DPP‐4)によっていち早く分解されてしまう。人間はGLP‐1は血糖値を下げる物質として糖尿病治療に有用だと判断したが、直ぐに分解されるようでは薬としては利用できなかった。では、どうすれば良いのか。そこでDPP‐4の働きを邪魔してやればGLP‐1が生き延びられて働きが継続して薬として利用できるのではないかと考えた。そして、DPP‐4を阻害する薬が糖尿病の治療薬の一つの地位を占めることになったのだ。

食後三十分ほどしてからシタグリプチンは糸野蓉子夫人の口から入り血液の中で待っていた私の前に現れた。いくつかのシタグリプチンは早速GLP‐1に近づいた。彼らはまるでボディーガードのようにGLP‐1の周囲で待機しながら血液の流れに身を任せていた。一つのシタグリプチンが突然前方へと急ぎだした。前方にはDPP‐4の姿があった。DPP‐4はいろいろな細胞から血液の中に放出されるが、細胞表面に埋め込まれて獲物がかかるのを待つタイプもある。今目の前にいるDPP‐4はすでに大きなハサミのような触手を振りかざしてGLP‐1を切り刻もうと待ち構えていた。

シタグリプチンはその開いたハサミの刃の付け根部分に自らの硬い部分をあてがった。GLP‐1はその傍を何事もなかったかのように通り過ぎた。後から追ってきたDPP‐4に対しても他のシタグリプチンが同じようにハサミを使えない状態にしてGLP‐1の動きを守っていた。そうしてGLP‐1はボロボロになることなく目的地である膵臓のベータ細胞にある受容体へとたどり着くことができた。

これから先のことは「細井満智夫の場合」にも書いたが、再確認の意味でしつこいようだがもう一度簡単に触れながら旅をしてみよう。

私はGLP‐1の受容体への結合後の細胞内での効果を確認するべく、ベータ細胞内に入った。シタグリプチンの働きはあくまでGLP‐1を無事にベータ細胞へと送り届けることでベータ細胞の中に入ってまで仕事はしない。受容体の裏側付近にくるとやはり受信装置があった。その形はインスリン受容体の受信装置とも違っていた。受信装置に待機していた伝令係は近くにいるアデニルシクラーゼという名前の酵素を活発にさせるように働きかける。

 アデニルシクラーゼというのはエネルギー物質ATPをサイクリックAMPという輪っか状の物質に変化させる酵素でサイクリックAMPはcAMPと略されるのだった。

 cAMPはカルシウムというカギがインスリンの格納庫にある扉を開けやすくするように働く潤滑油のようなものだった。cAMPがあることでインスリンが血液の中にでやすくなるのだ。

 私はGLP‐1の働きの優れている点が分かってきた。つまりこうだ。血糖値が高い時は血液中からGLUT2通路を通じてブドウ糖が大量にベータ細胞内に入ってくる。解糖系やクエン酸回路を利用してATPが増産される。

大量に増産されたATPのいくつかはGLP‐1のからの影響を受けてcAMPに形を変える。そしてATPの量が多ければ多いほどcAMPの量が増えて、カルシウムのインスリン格納庫への取り付きがやりやすくなりインスリンの放出が増強される。インスリンの放出量が増えれば血糖値も効率良く下がる。一方、血糖値が低くなるとベータ細胞内へ入ってくるブドウ糖の量も少なくなる。先ほどの行程とは逆で、cAMPの量も減少し、インスリンの放出量も減る。インスリンの放出量が減ると血糖値の下がり具合も減るという道理だ。シタグリプチンによってGLP‐1が受容体を絶えず刺激して、アデニルシクラーゼが常に活発に働いていたとしてもベータ細胞内にあるATPが少くなければcAMPも少なくなるため血糖値を下げ過ぎないのがシタグリプチンなどのDPP‐4阻害薬の特徴だ。まとめると、この薬は血糖値が高い時は効率よく血糖値を下げるが、血糖値が低い時は血糖値を下げない。つまり低血糖という副作用を起こしにくい薬という点で重宝がられているのだ。

スルホニル尿素薬ではこうはいかない。血糖値が高かろうが低かろうが常にインスリンを放出し続けようとするため、他の薬と比べて低血糖と言う副作用が起こりやすい。

 私はベータ細胞内でそこまで見届けると再び血液の中に戻った。見ているとシタグリプチンの護衛を受けたGLP‐1がベータ細胞に着地せずに血液の中を漂っている連中がいた。彼らはこれからどこへ行くのか追ってみた。

私は膵臓近辺の血管の中を散策しながら全体の雰囲気の変化をみていた。長年にわたる血糖値の上昇はベータ細胞を疲れさせ、ベータ細胞の数を減少させる。しかし、GLP‐1が膵臓細胞のどこに働きかけるのか分からないが、着実にベータ細胞が増えているのを見た。疲れ果てた中高年のベータ細胞の中に新鮮でぴちぴちの若いベータ細胞が増えているというわけだ。これでインスリンの放出力も改善されて、糖尿病治療にも好影響を与えるだろう。

 膵臓にはベータ細胞の他にもいろいろな細胞があるが、その一つに「アルファ細胞」がある。そこから「グルカゴン」と呼ばれるホルモンがでてくる。実はこのグルカゴンは血糖値を上げてしまうホルモンなのだ。したがってグルカゴンがたくさん放出されている状況は糖尿病にとっては良くない。私が周囲を見渡している限りGLP‐1はどうやらこのグルカゴンの放出をも押えてくれているようなのだ。

 私は膵臓を離れGLP‐1の集団と共にいくつかの組織へ移動した。彼らはいろいろな組織で善行を施していた。

脳に行っては食欲を減らし食べ過ぎを防ぎ、ひいては肥満を防ぐ。さらに神経を保護するように働き神経障害の合併症の発生を防ぐ。心臓に行っては心臓から吐き出す血液量を増やし心臓の働きを援助する。筋肉細胞へ行ってはインスリンの抵抗性を回復させる。肝臓細胞に行っては糖新生を押えて血糖値を上がらないようにする。血管細胞に行っては血管に傷がつかないように働きかける。胃に行っては胃の内容物を直ぐに十二指腸へと送り込まないようにしてブドウ糖の急な吸収を抑えて食後の血糖値の急な高まりをおさえる。なんと多彩な能力を持っているのだろう。私は正直驚いてしまった。

これだけ作用が多彩だから、さぞかし副作用も多いことだろうと思い、私は一旦糸野蓉子夫人の体外にでてシタグリプチンの解説書を読んでみた。出やすい副作用としては、他の糖尿病の薬と一緒に使用した場合の低血糖。その他には便秘、空腹感、お腹が張った感じなどだ。意外と副作用は少なさそうだ。しかし、中には重い副作用もある。皮膚にまで影響のでる激しいアレルギー反応、肝臓への障害、腎臓への障害、肺への障害など使用例が多くなるに従い、いろいろな副作用も報告されるようだが、これらの重大な副作用は極めて出にくいらしくあまり気にしないでもよさそうだ。

 シタグリプチンをはじめとして多くのDPP‐4阻害薬は腎臓から体の外へ排泄されるタイプの薬なので腎臓の働きが衰えてくると薬が体の中にたまりやすくなり副作用発生の危険性が高まる。腎機能の低下した人は薬の量を減らさないといけない。

 この系統の薬で最近「トレラグリプチン」と「オマリグリプチン」という二種類の薬が販売されたが、他の薬が毎日飲まなければならないのに対して、この二つの薬は一週間に一回飲めばよいという薬だ。毎日飲むというのはついつい忘れがちになるので、このような薬は飲み忘れがちな人にとってはうってつけの薬なのかもしれない。しかし、一週間効果が続くということは、もし副作用が出た時は、その副作用も消えにくいという点も考えなくてはいけない。


第十章 GLP‐1類似薬

 糸野蓉子夫人には利用されていないが、GLP‐1に関連した注射薬がある。GLP‐1はDPP‐4によって直ぐに分解されてしまうので、薬としては役に立たたなかった。DPP‐4で分解されにくい形に変形すれば薬になるのではないか?そうやって開発された薬がある。GLP‐1はアミノ酸が連なった小型の蛋白質だが、そのアミノ酸の一部を変更してやるのだ。「エキセナチド」はそうやって人工的に作られたGLP-4に似た薬で、DPP‐4に分解されにくくなっている。

 蛋白質を飲み薬として使うと胃や膵臓から出てくる消化酵素によって血液の中に入る前にバラバラになってしまい薬としての意味もなくなってしまうので、エキセナチドは注射薬として体の中にいれる。皮下に注射することで徐々に血液中に移動させるのだ。

 DPP‐4阻害薬は体が本来もっているGLP‐1を温存させる治療薬であるため、その効果は体の中にあるGLP‐1の量に限定されてしまう。しかし、DPP‐4に分解されにくくなったGLP‐1類似体は、外から注射薬としていくらでも量を入れられるので、GLP‐1が本来持っている多彩な作用をより効果的に引き出せる可能性があるのだ。


第十一章 SGLT2阻害薬

 糸野蓉子夫人はSGLT2阻害薬の一つ「イプラグリフロジン」も飲んでいる。これまで紹介した薬の中では最も新しい分野の薬である。

ところで、「SGLT2」とはどこかで聞き覚えのある名前だ。実は「細井満智夫の場合」の最後の方に出て来ていた。腎臓を巡るブドウ糖は糸球体でこされて尿となって尿細管の中を運ばれる。しかし、尿細管にはブドウ糖専用の通路があり、そこからブドウ糖は血液中へと戻されて、最終的に尿の中にはブドウ糖は残らない。という話だったが、そのブドウ糖専用の通路がSGLT2である。

「ソディウム・グルコース・共輸送体2」が正式な名前だ。ソディウムというのはナトリウムのことで、この通路はブドウ糖と共にナトリウムも血液中へと戻す通路だった。尿細管のSGLTは九割がSGLT2であるが、残りはSGLT1である。SGLT1は実は小腸に多くあって、ブドウ糖の体内への取り込みに一役買っていることも「細井満智夫の場合」に書いた。

 イプラグリフロジンの血糖値を下げる原理は簡単明解だ。SGLT2通路を閉じてしまうのだ。すると尿細管の中にあったブドウ糖は血液へ戻れなくなり、そのまま尿に溶け込んだまま尿細管から膀胱、膀胱からおしっこになって便器へ放出という道筋をたどる。ブドウ糖が血液に戻れなくなる分、血糖値も下がるという具合だ。さらにブドウ糖の体への補給が減るので、脂肪細胞へのブドウ糖の補給も減って、体重の減少も期待できる。

 イプラグリフロジン自身はほとんど尿中にはでてこない。尿中には再吸収されなかったブドウ糖で満ち満ちている。私はブドウ糖と一緒に尿細管を下ることにした。尿の中のブドウ糖が濃いため、それを薄めようとして水分も血液に戻されず一緒に流れてくる。だから普段以上に尿の全体量も増える。イプラグリフロジンを飲んでいる人はトイレへ行く回数も多くなっているはずだ。逆に体から大量に水分が出ていくので脱水症状にも気を付けねばならない。夏場は要注意だ。これがSGLT2阻害薬の副作用の一つだ。

私が尿細管から膀胱に到着すると、そこには大勢のブドウ糖が貯まっていた。尿糖は血糖値が高い糖尿病患者の目印になるが、イプラグリフロジンは尿糖を出さざるを得ない薬になる。しかし、尿中のブドウ糖が豊富な状態がとんだ悪影響を及ぼす場合がある。ブドウ糖は体の細胞にエネルギーを供給する栄養分の最たるものだ。それは人間以外の生物にとっても同様であり、微生物も例外ではない。

微生物とは一個の細胞でも単独で生きていける生物だ。病気の原因となる病原菌と言われる細菌も微生物だ。この病原菌がおしっこの出口付近にあるブドウ糖を多く含んだ尿の乾いたところを見逃すわけがない。さらに病原菌はブドウ糖という餌を求めて尿道を登ってくる。私は尿道に通じる膀胱に開いた一個の穴からゾワゾワと何ものかが近づいてくる音を聞いていた。やがて大きな細菌がもぞもぞと穴から顔を出した。そいつらは次々と穴から飛び出してきた。かなりの数だ。私は身の危険を感じて尿細管に戻り、さらに腎臓へ向かった。下では細菌に体の防衛軍である免疫系の細胞たちが戦いを細菌たちに挑んでいた。やがて戦いの場の周囲は熱を帯びて腫れてきた。これを「炎症」という。

糸野蓉子夫人はさぞかし痛みや痒みを膀胱付近に感じているだろう。さらに彼らは尿細管を登ってくる可能性がある。膀胱でとどまっていれば「膀胱炎」、腎臓までくると「腎盂腎炎」などと呼ばれるようになる。さらに糸球体から血液中に細菌が侵入すると「敗血症」という状態になり、死に至りかねないくらいの重症である。いずれの場合の治療にも細菌を殺すための「抗生物質」が使われる。

 同じような意味でおしっこの出口付近にある性器も細菌がとりつく可能性が高くなる。そのためイプラグリフロジンの副作用に「尿路感染症」や「性器感染症」もあるのだ。

私はほうほうの態で糸球体のろ過装置の網目から血液に戻った。すると何やら血液に酸味が加わっている。

血液の酸味が強くなる現象をアシドーシスと言ったが、これまで二種類のアシドーシスがあった。ビグアナイド系薬の副作用で出てきた乳酸アシドーシスとインスリンの作用が不足してブドウ糖が細胞内に入って行けないため脂肪酸を代わりにエネルギー源として利用する際にでてくるケトアシドーシスだ。

 イプラグリフロジンの場合は尿細管からのブドウ糖の血液中への回収がなくなるので、体内のブドウ糖が不足状態となる。するとエネルギー源として脂肪酸が利用されるようになる。脂肪酸がエネルギーに変換される中で、アセト酢酸とベータヒドロキシ酪酸などの酸性物質が血液中に出てきて血液を酸性に傾けるのだった。しかし、糸野蓉子夫人は血液の酸味は薄く、特に対応の必要なレベルではないようだ。これまで書いてきた副作用はイプラグリフロジンに限らずSGLT2阻害薬が共通してもっている副作用であることは言うまでもない。

 どんな薬も病気を治してくれる良い点と体に悪影響を与える悪い点を持っていることを改めて知ることになったが、たくさんの薬を使っているとそれだけ副作用を受ける機会も増えてくるので不必要な薬は止めるよう努力する必要がある。

たくさんの薬を使うことを「ポリファーマシー」と呼んでいる。高齢者が増加し、色々な病気も併せもっていると薬の種類も増えてくる。超高齢社会の到来でポリファーマシーによる副作用問題も医療の世界では話題になっているところだ。


第十二章 段野細男の場合

 段野細男は2型糖尿病である。1型糖尿病というのはインスリンを作り出すベータ細胞が遺伝的に、または自己免疫的に少ない、もしくは破壊されている状態で、インスリンが絶対的に不足している糖尿病だ。2型糖尿病は生活習慣の影響で血糖値が徐々に高くなり、やがて下がらなくなった糖尿病である。世の中には2型糖尿病が圧倒的に多く九十五%を占めている。2型糖尿病の場合は飲み薬で治療が可能である。食事に気を付けたり、運動をしたりして糖尿病を悪化せずに済ますこともできる。しかし、完全に治るかというとなかなか難しいと言われている。

 2型糖尿病の場合、軽症の場合はインスリンが十分に放出されているが症状の進行に伴い、十分なインスリンが出て来なくなってくる。これまでに紹介した薬を飲んでいてもなかなか血糖値が下がらなくなってくる。そういう場合には遺伝子工学を駆使して製品化されたインスリンを注射して血糖値を下げる手段が取られる。ちなみにインスリン治療が開始された当初の時代は豚や牛などの家畜のインスリンが利用されていたが、遺伝子工学の発達により人のインスリンを大量に製造することが可能になってからは人のインスリンが治療に利用されている。

「細野蓉子夫人の場合」では多くの種類の薬を飲んでいた。たくさんの薬を飲むよりインスリンの注射に切り替えた方が体には優しかったかもしれないような例だった。今回紹介する段野細男はインスリンを一日四回注射している。何故四回も注射をするのだろうか? もう一度インスリンの動きについてみてみよう。

 インスリンは食事をとらなくても絶えず膵臓のベータ細胞から放出されている。血糖値を下げ過ぎない程度の少ない量が放出されている。このインスリンの出方をインスリンの基礎分泌とよんだ。この話は第四章の「アルファグルコシダーゼ阻害薬の場合」でも取り上げた。食事をとるとブドウ糖が血液内に一気に流入してくるため血糖値が急激に上昇しようとする。それを防ぐためにベータ細胞からはインスリンの大量の放出が行われる。これをインスリンの追加分泌とよんだ。一日に三回食事をとるとすれば、一日に三回インスリンの追加分泌が現れる。そして食事をとっていない空腹時間帯がインスリンの基礎分泌に相当する部分になる。

 これで段野細男が何故インスリンを一日四回注射しているか分かっていただけだろう。基礎分泌を担当する持続性のあるインスリンを一日に一回、追加分泌を担当するインスリンを毎食事ごとに三回注射する。それで合計四回となる。

 インスリンはアミノ酸で構成される小型の蛋白質である。GLP‐1と同じように飲み薬として使うと消化酵素によってバラバラにされるのでインスリンも注射薬として利用する。段野細男は朝食を食べる直前に「グルリジン」という名前のインスリンをお腹の皮膚の下に注射した。インスリンは毎日注射する必要があるので、自分自身で注射しなければならない。

 私はこのグルリジンと一緒に段野細男の皮下に入り込んだ。グルリジンはこれまで見てきたインスリンと構造が少し違っているのを発見した。インスリンはアミノ酸が直線状につながったものが二本からみあった構造になっている。グルリジンもインスリンのアミノ酸の並びとほとんど一緒なのだが、二か所だけアミノ酸の種類が異なっていた。皮下の部分は血液がなく細胞の間が黄色い液体で満たされていた。グルリジンは一個一個にさあーと分かれて近くにある血管に向かった。実は人間と同じタイプのインスリンの注射薬があるのだが、それを皮下に注射をすると、初めはインスリンが六個集まった状態になっている。そして二個集まったものに分かれ、最終的に一個になって血管の中に入って行く。つまりグルリジンの方がインスリンの原型よりも早く血管の中に入れるわけだ。そしてインスリンの働きをいち早く発揮できるようになる。食事をする直前にグルリジンを注射することで食後に起こる高血糖状態をいち早く下げられるわけだ。最近はこのような超速効型とよばれるインスリンが多く使われるようになってきている。

 グルリジンの後を追うことにしたのはよいが、近くには別のタイプのインスリンがいるのを見た。これもアミノ酸の一部が変っており、おまけに端に長いヒモ状のものが飛び出している。そのためか六個のインスリンがさらに連なった形になっている。複雑怪奇な恰好をしており一個一個のインスリンに分かれて血管の中に入って行くまでにはかなりの時間がかかりそうだった。

 私は変わった形のインスリンを置いてグルリジンと共に血液の流れにまかせて血管の中を進んだ。途中の血液の中では、本来の姿のインスリンもいた。しかし、その数は極めて少なかった。これほど少なくては血糖値をなかなか下げきれなかっただろう。さらに先ほど皮下でぐずぐずとしていた長いヒモ付きのインスリンも浮遊していた。但し、こちらの方は長いヒモが血液の中を流れるアルブミンという蛋白質に巻き付いているのもいた。彼らは「デグルデク」と呼ばれる人工のインスリンだ。アルブミンに巻き付いている限り、デグルデクはインスリンとしての働きはできない。いずれヒモが切れアルブミンから別れてからインスリンとして働き始めるだろうと思いながら進むうちに、筋肉細胞の表面にあるインスリンの受容体が見えてきだした。

 グルリジンはそのインスリン受容体に見事に着地した。そして受容体の構造が少し変化する。細胞の内部に信号を伝えたようだ。やがて細胞表面にGLUT4通路が浮かび上がってきた。周辺にたむろしていたブドウ糖たちが一斉に、その通路を通り筋肉細胞の中へと入っていった。良く見る風景だ。グルリジンは本来の姿のインスリンとなんら変わることのない働きをしている。グルリジンはすぐに受容体を発進し、次の目的地へと向かい始めた。

私はグルリジンと共に血液に乗って全身をまわったが、腎臓を通過する際に大きな事件が起こった。大きな物体がグルリジンに近づいてきて、ぶつかったかと思うとグルリジンはあっと言う間もなく粉々になったのだ。この大きな物体はインスリン分解酵素という。薬としてインスリンを注射しても、この分解酵素のためにインスリンはいつまでも体の中で活躍はできないということなのだ。皮下に注射されたインスリンのうち六割近くは腎臓にいるインスリン分解酵素で分解されてしまう。残りの四割は肝臓やその他の場所にいるインスリン分解酵素で分解されると言われている。インスリン分解酵素の攻撃をかわしたグルリジンのみが次の働き場を求めて全身を回れるのだが、いずれにせよ血管内を巡って何度も腎臓や肝臓を通るうちに、彼らの攻撃を受け続け、やがて血液の中から消えて行くのだ。

 私は行動を共にしていたグルリジンがバラバラの残骸になった姿をみて何ともいえない感傷にとらわれた。バラバラになってできた残骸はアミノ酸である。それらは体の中で再利用されて別の蛋白質として生まれ変わるだろう。うまく再生されて活躍することを祈るばかりだ。

 私はまだ腎臓の血管内にとどまっていた。そこにアルブミンにくっ付いた状態のインスリンの仲間、デグルデクが血液の流れに身を任せてやってきた。すぐ近くにはインスリン分解酵素の大きな塊がある。目の前で起こるであろうバラバラ事件を思い、私は思わず目を閉じてしまった。しかし、何の音もしなかった。

 目を開けると何事もなかったかのように二つの塊はすれ違っていた。どうやらインスリン分解酵素はアルブミンに巻き付いたデグルデクを攻撃できないらしい。現に、近くにいて長いヒモが取れてしまいアルブミンと離れて単独行動をしているデグルデクは分解酵素の攻撃を受けてあっと言う間にバラバラになってしまった。

デグルデクは皮下組織から血管の中への移動時間が遅く、さらに血液の中ではアルブミンに巻き付いて分解されにくくなるという特徴をもったインスリンの変形バージョンだというのが理解できた。従って、かなり長い時間、体の中に残り続けてインスリンの働きができるというわけだ。

 段野細男はデグルデクを寝る前に注射する。そして、グルリジンを朝昼夕の食事の直前に注射する。つまり、体の中で通常起きているインスリンの放出現象を注射薬で再現させているのだ。デグルデクは一日中血液の中で存在し続けるので、インスリンの基礎分泌にあたる。グルリジンは血液の中に直ぐに現れて去っていくので、食事のたびに増加するインスリンの追加分泌にあたる。

 一日四回もインスリンを注射する方法は、人の自然なインスリンの出かたを忠実に再現させようとしたものなのだ。このようなインスリンによる治療法をインスリンの「強化療法」と呼んでいる。

 しかし、一日四回も注射をするのは何とも面倒である。と言って毎日注射しないと血糖値が高い状態となり様々な不都合な事態がおこる。治療方法を理解して、積極的に残された人生を生きようという意識が強く、かつまめな人でないとなかなか続けられないかもしれない治療方法だ。

 私は周囲の血液の中からグルリジンがいなくなっているのに気が付いた。デグルデクは相変わらず一定の比率で血液の中に存在している。もうすぐ昼食の時間になっていた。段野細男は五十代半ばの会社員である。営業のため外回りをしている。昼の時間は取り引き相手先に左右されて不規則である。今日は午後二時過ぎに段野細男は牛丼屋のチェーン店の駐車場に車を停めた。仕事用のバッグの中からグルリジン注射のセットの入った小袋を取り出した。主治医から指示された単位を注射器にセットして腹部に押し当てて注射した。

インスリンの薬の量は「単位」と呼ばれる。「一回十単位使ってください」というような指示が医師からでる。単位というのはインスリンの効果を示す指標で、二十四時間絶食した体重が約二キログラムのウサギにインスリンを注射した時に、血糖値が下がって三時間以内にけいれんを引き起こすインスリンの量をいう。なんだか残酷で分かりにくい表現だが、現在ではインスリンの一ミリグラムが二十六単位というように整理されている。つまり量の指標と効果の指標が換算されるようになっているのだが、注射する際には効果の指標である単位が使われている。

 段野細男は駆け足で牛丼屋に入って行った。注射は食事をする直前と言われていたからだ。そうしないと牛丼の米から変化してくるブドウ糖が血液内に入る前に超即効性のグルリジンの効果が出てしまって低血糖を引き起こしかねないからだ。

 段野細男は小ぶりの牛丼と野菜サラダを注文した。野菜サラダが直ぐに来た。サラダにはドレッシングをかけずに食べる。ドレッシングは結構にカロリーが高いので気を付けているのだ。生野菜は繊維質が多く腸内で糖分や脂肪分などの食品とからまって小腸からの吸収を遅らせる効果がある。

 アルファグルコシダーゼ阻害薬のようにブドウ糖の吸収を遅らせて食後すぐに起きる血糖値の上昇を抑えてくれるので野菜サラダを先に食べるのは血糖値上昇を抑えるのに良い影響を与える。

 私は血液の中にいて、まずグルリジンがさあーと入ってくる風景を眺めていた。十分な量のインスリンが血液内に入り筋肉細胞などに働きかけてGLUT4通路を開かせている状態だ。まもなく大量のブドウ糖たちが入ってきた。ブドウ糖たちは予め開いていた通路に効率よく入って行った。つまり食後の血糖値の大きな上昇は防がれていた。

 そして、グルリジンはいつの間にか私の周囲から消えていた。しかし、デグルデクは依然として残っていた。彼らの生き残り方の違いには驚くべきものがあった。

 やがて段野細男が夕食を食べる時間がきた。午後八時を過ぎていたが妻の手料理だ。夫の病気を知っている妻の栄子は段野細男の標準体重から一日にとるべき食事のカロリー数を計算していた。栄子は夫の昼食が一体何カロリーになるかが分からなかった。しかし、外食のおおよその一食分のカロリー数を夫に伝えていたので、夫がそれに合わせて食べていると信じていた。

 私は段野細男が昼食で入った牛丼屋での注文を血管の中から聞いていたが、しっかりと奥さんの言いつけを守っていた。

 段野細男の標準体重は六十キログラムである。かつては九十キログラムほどあったが減量に成功していた。段野細男の仕事は営業で歩きまわることも多い。六十キログラムを維持するためには体重一キログラムあたりの一日摂取カロリー数は三十位だ。すると一日一八〇〇カロリーを食事からとると大体六十キログラムを維持できる。その一八〇〇カロリーを三分割するように食べればよいのだ。段野細男は朝食で食パン二枚、冷凍食品の鳥の空揚げ二個、牛乳コップ一杯で五六〇カロリー、昼食で五二〇カロリーを食べたので残りの七二〇カロリーが夕食分になる。栄子は大体七〇〇カロリーを目標に献立を考えて段野細男に与えた。ご飯を茶碗に一杯で二〇〇カロリー、鮭の切り身の一切れ分で一六〇カロリー、豆腐とじゃがいもを含んだ味噌汁で一〇〇カロリー、ゆで卵とツナ缶と大根の和え物で一六〇カロリー、ビール中ビン一本で一六〇カロリー合わせて七八〇カロリーである。一日一八六〇カロリーで六〇カロリーオーバーだが、今日はビールのおまけ付きということで目をつぶる。料理をつくる奥さんは毎日のことなので大変である。

 段野細男は夕食のテーブルにつくと早速グルリジンの注射をした。そして美味そうに栄子さんの手料理を食べ始めた。私は血管の中で待機していると直ぐにグルリジンがやってきた。引き続いてブドウ糖の登場だ。グルリジンがいち早く血糖値を下げる効果は血管の中にいち早く登場することで可能になるのだと改めて思い知らされた。

やがてグルリジンが周囲から消えて行くころ、今度はデグルデクの数が減り始めてきた。アルブミンとからみついているデグルデクもいなくなり始めていた。

「あなた。起きて。注射の時間よ」栄子の声が聞こえてきた。どうやらビールのせいで段野細男はうたた寝をしていたようだ。

 段野細男は指先に細い針のついた小型の採血用針を刺して、小さな血のかたまりを押し出した。すかさず血糖値測定センサーという小さい細い板を挟んだようなものの隙間にその血液を吸い込ませた。その根元についた小型の機械の表示窓に113という数字が浮き出た。この器具は自分で簡単に血糖値を測定できる器具である。

自分の血糖値を測定することを「血糖自己測定」といい「SMBG」とも呼ぶ。本来なら一日四回血糖値を測定して注射するインスリンの量を加減することも可能なのだが、段野細男は寝る前だけにしている。測定している暇がないというのが本人の理由だが、インスリンを注射している人は注射前に血糖値を確認した方が安全だ。血糖値が低いのにインスリンを注射すると低血糖になって意識障害を引き起こし危険だからだ。特に風邪を引いたりして体調の悪い時などは血糖値が高くなる傾向がある。そのような日を「シックディ」と呼んでいる。そのような日にどのようにインスリンの量を調節するかは予め医師と相談しておく必要がある。寝る前に段野細男が血糖を測定するのは夜中寝ている時に低血糖で意識を失うと発見が遅れてしまうからだ。寝ている時の血糖値を予想するためにも寝る前の血糖値測定は欠かしたことはないのだ。

 段野細男の血糖値は一一三mg/dLであった。基準値の上限が一一〇mg/dLなので、ほどほどの血糖値だろう。段野細男は寝る前にもう一回注射を打とうとした。本日四回目の注射である。ほどなくデグルデクが皮下の中に打ち込まれた。先にも書いたが、デグルデクはインスリン本体に長いヒモが付いた形をしており、さらに六個が一つの集団をつくったものが、いくつも連なった形をしている。それが皮下の中に入ってくるのだから、なかなかほぐれて血管の中に入って行けない状態になっていた。

 これがデグルデクの一日に渡って活躍できる理由の一つだというは朝の部でも書いた。おまけにほぐれて血管の中に入っても長いヒモがアルブミンにからみついて離れず、インスリン分解酵素からの攻撃から身を守っているのだ。そして徐々にヒモがインスリン本体から離れて、さらにアルブミンから本体が離れ、筋肉細胞などにあるインスリン受容体に降り立ちGLUT4を細胞表面に浮かび上がらせ、ブドウ糖たちが細胞の中に入るのを手助けする。その結果、血糖値が下がるわけだ。

 なかなかのテクニックを駆使するものだと私は感心した。今日は一日に渡って段野細男の体内にいたのでさすがに疲れてしまった。腎臓の働きも弱ってきているようだが、私は例によって尿中へと移動し、放尿によって体外へと脱出したのである。


第十三章 ローラ深見夫人の場合

 第十二章までに現在糖尿病で利用されている治療薬を一通り紹介したが、インスリンを使うまでいくとなかなか手間もかかる。手間というよりもインスリンを使うようになると糖尿病も末期だと思ってしまい、がっくりくる人もいるようだ。確かに糖尿病も重い状態になってくると病気と付き合って、なんとか健康な人の暮らしに近い暮らしをしていけるような治療法や養生をする必要がある。

「スルホニル尿素薬の場合」で「二次無効」という言葉を使った。これはスルホニル尿素薬がインスリンを作るベータ細胞をまるで鞭をうって作業をさせるように働くため、ベータ細胞が疲れ切ってしまいインスリンを作れなくなってしまう現象だ。このような場合、スルホニル尿素薬を一旦中止してインスリンの注射をしてやると、ベータ細胞が休息できる。こうやってしばらく外からインスリンを補給しているうちに、やがてベータ細胞が元気になってきてインスリンの補給が必要なくなり、再び飲み薬だけで糖尿病を治療することが可能になる場合がある。だから「インスリン注射をしましょうか」と医師から提案されても必ずしもがっくりする必要はない。

 インスリンの注射もやりやすくなった。昔はバイアル状の薬瓶から液を注射筒に吸い上げて、ピストンで一回量にメモリを合せる。そしてピストンを押し込んで注射する。今はインスリンが詰め込まれたペン型注射器になっている。細い針を先端に付けて、反対側にあるダイアルをカチカチと回して一回量を合せてから親指で注入ボタンをくいっと押しこむ。操作はとても簡単だ。針も細いので痛みも少ない。この二十年の間でとても便利な製品がでてきた。

 今回のローラ深見夫人は七十四歳。夫は十年前に膵臓がんで亡くしていた。糖尿病の合併症である腎障害が進行して最終段階である人工透析を受けている。介護が必要な女性でもあり普段は車いす生活をしており、認知機能は低下傾向にある。息子夫婦と同居しているが、共働きのため日中の介護ができない。そのため日中は近くにある施設のディサービスを利用している。週三回必要な人工透析も施設職員による通院介助を利用している状態だ。

 人工透析とは、ほとんど働くなった腎臓の替わりに血液の中に出てきた体に不要なものを取り除いてくれるものだ。人工透析には血液透析と腹膜透析の二種類があるが、日本では九割以上が血液透析だ。

 私はローラ深見夫人の血液の中に入り、透析を体験してみることにした。まず腕の動脈に移動した。すると動脈には手の先に行く前の途中で静脈と交差する部分があった。人工透析器へつながる管はこの交差した部分の近くにある静脈につながれていた。体の中にある全ての血液をきれいにするのが人工透析の役目なので、できるだけ多くの血液を早く透析器につなぐ必要がある。静脈の流れはゆったりとしているが、動脈のそれは早い。そのことを利用して腕の動脈の一部を静脈につなげて静脈の血液量を増やす工夫がされている。この交差した部分を「シャント」と呼んでいる。

 私は動脈からシャントを経由して静脈側に移り、そして透析器につながる管の中に血液の流れに乗って入った。管の先にはポンプが装着されており強制的に血液が吸い出されている。結構なスピードなため私は目が回りそうになった。目も慣れてきた頃、周囲を見渡すと、体の中にはいつまでも居続けてはいけない連中がたくさんいた。

 いわゆる老廃物という連中だ。これらを一まとめにして「尿毒素」と呼んでいる。尿酸や尿素やアンモニアといった聞き慣れた連中、インドール硫酸やメチルグアニジンなどと言った聞き慣れない連中、一見害の無さそうな水やカルシウムやナトリウムと言った連中も腎臓から出て行かないと体に有毒な尿毒素となる。

 私はバリエーションに富んだ連中と管の中を流れ、やがて「ろ過装置」という場所に入った。このろ過装置を「ダイアライザー」ともいう。

ろ過装置に入ると何本もの細い管に分かれていたので、その一つに入った。そこでは血液の流れと逆方向に流れる透明な液体とが薄い膜を境にして隣り合っていた。透明な液体は「透析液」と呼ばれる。

薄い膜は「透析膜」と呼ばれ細かい網目状になっており、例えて言えば茶こしのようなもので、血液の中にある赤血球、白血球、蛋白質など大きなものは透析液には移動できず、細かなサイズの尿毒素は網目を通して透明な液体の方へと移動できるようになっていた。必要なものは血液の中に残ったまま、過剰で不要になったものは透析液へ移動するという仕掛けだ。

私自身は血液の中にとどまって尿毒素の連中が次々と透析液へと移って行く風景を眺めていた。それにしてもここの流れは早い。流れに逆らって止まっているのも辛くなったので私はろ過装置から出て再び静脈へと戻った。そうやって約四時間、体の血液をろ過装置に繰り返し通してやることで血液をきれいにしていくわけだ。この透析を週に三回するのだから時間的に随分制約をうけてしまう。

 そのような生活環境の中でローラ深見夫人はインスリンの注射をしなければならない。一日四回のインスリン注射は介護をする人の負担もありなかなか出来ない状況だ。そこでインスリンの注射も一日二回にして生活の中で負担の無いようにしている。それで何とかなる程度だといえばそうなのだろう。段野細男の場合、一日四回の注射だったが、ローラ深見夫人の場合はそこまで治療の必要が無いという判断が下されたのかもしれない。これが良いのか悪いのか私には分からない。

ともかく午後五時にはきっちりと仕事が終われる嫁は毎日の朝食と夕食を途切れることなく作っていた。注射は夫婦で分担して朝食前の注射は息子が、夕食前の注射は嫁がやっている。

 私はふたたびローラ深見夫人が利用している注射薬の中に忍び込んでみた。中に入ってみて驚いた。段野細男の時は血液の中で二種類のインスリンもどきに出会ったが、それぞれ別の注射器から入ってきていた。

ところが今回の注射薬の中には二種類のインスリンもどきが最初から入っていたのである。一つは例のやたらと塊りの大きなデクルデク、今一つはこれまで見たことのないタイプのインスリンもどきであったが、「アスパルト」という名前だった。本来のインスリンと一カ所アミノ酸が違っているだけだった。段野細男の時に使ったグルリジンは初めから一個のインスリンの状態だったが、アスパルトは六個が集まった状態で存在していた。このように超速効型と持効型を組み合わせた注射を混合型という。

私はこの二種類のインスリンもどきと共に朝食直前にローラ深見夫人の皮下の中に入って行った。もちろんローラ深見夫人の息子が注射してくれたのだ。

皮下に入った時のデクルデクは相変わらず絡み合った状態で、その存在を誇示しているかのようだった。私は彼にはすでに興味を失っていたので、新しく見つけたアスパルトに注目した。アスパルトは始め六個が集まった状態だったが、皮下に入ると急速に一個ずつに分かれて行った。段野細男の時のグルリジンは初めから一個だったので、血管の中への入り具合はアスパルトはやや不利なのかもしれない。アスパルトも超即効型に分類されているので、実際使ってみると大同小異といったところだろう。

私はアスパルトと一緒に血液の中に入った。彼らも朝食後の血糖値の急な上昇を抑えるために投入されたインスリンだ。

やがて嫁さんの作った朝食から出てきたブドウ糖たちがやってきた。しかし、アスパルトがうまい具合に彼らを細胞の中に引き込み、急な血糖値の上昇を抑えていた。その後、例によってデクルデクたちがゆったりとアルブミンに絡み付きながら血液の中を流れて来た。アスパルトは血液の中に早く現われる分、血液から消えるのも早かった。十分にインスリンの追加分泌に対応できているようだ。食事と食事のあいだの空腹時期のインスリンの役割はデクルデクたちが十分にその任を担っていた。

昼はデイケアの施設での昼食だ。周囲にあるのはデクルデクたちのみしかいない。彼らは食後高血糖には対応できないだろう。私はローラ深見夫人の血管の中でこれから何が起こるのかを静観することにした。

施設の職員の介助を得ながらローラ深見夫人はゆっくりと食を進めた。ゆっくりと食べるのも食後の急な血糖値の上昇を防いでくれているようだ。しかし、ブドウ糖はゆっくりとだが、確実に血液の中で増えてきた。昼にインスリンを注射しないので、昼食後の血糖値の上昇は十分に抑えきれないかもしれない。よく見ると朝に注射したアスパルトが少し残ってくれているようだった。

人工透析をするくらい腎臓が悪くなっているということは老廃物を排泄する以外の腎臓の機能も落ち込んでいる。インスリンは腎臓でその六割がインスリン分解酵素によって壊されるが、そのインスリンを分解する働きも低下してくる。従って、朝のアスパルトが残っていてくれても不思議ではなかった。

食事も朝夕食と比べて昼の量が少なめに設定してあるのかもしれない。夕方までの間に、私は徐々にブドウ糖の量が増えてきたのを見ていた。やがてローラ深見夫人は夕食の直前に、嫁さんによって混合型インスリンが注射がされた。

アスパルトが即座に血液内にやってきた。そして、インスリンの三つの標的細胞である肝臓、筋肉、脂肪の細胞へと進んでいくのを見送っていると間もなくブドウ糖の一団が血液の中に入ってくるのが見えた。彼らは効率よくそれぞれの細胞の中に取り込まれていくだろう。

デクルデクもアルブミンに絡まった状態で血液の中を浮遊している。ローラ深見夫人の場合は一日二回の注射だけで、昼食後の血糖値が高くなる傾向はあるものの長い目でみれば平均的な血糖値は適切にコントロールされているようだ。

糖尿病になるといろいろな合併症が出てくるのが問題となる。合併症の症状を改善するために薬を使う場合もある。すると糖尿病の薬に加えて、飲む薬も次第に種類が増えてくる。飲む薬が増えてくると副作用のでる可能性も高くなってしまう。糖尿病にならないことが大切だ。しかし、自分でも気が付かないうちに糖尿病になってしまうところが厄介なところだ。生活習慣病と言われる所以でもある。病気の兆候を事前に知るためには健康診断が有用だ。一年に一回は健康診断を受けるようにしたい。

まずは糖尿病にならないように予防するのが大切だが、糖尿病になってしまった場合もくじけてはいけない。食事療法、運動療法そしてさまざまな薬で日常生活を健康な人のように暮らすことは可能だ。可能だがそれなりの努力も必要になる。毎日飲まなければならない薬、毎日気にしないといけない食べ物のカロリー、それと適度な運動。毎日のことなので時には挫折しそうな気持になるかもしれない。気持ちの折れそうになる時は医師、看護師、栄養士、薬局の薬剤師などと話をしてみることだ。少しでもよりよい人生を送ってもらえるようにそれぞれの専門分野での話をしてくれるはずだ。何度も同じ話を聞かされて困ると思う患者もいるかもしれないが、何度でも言われないと治療もついついおろそかになってしまうこともある。

私はこれまで糖尿病の治療を受けている糸野蓉子夫人、段野細男氏、ローラ深見夫人の体の中に入って旅をしてきたが、どの人も人生を生き生きと楽しんでいた。病状を放置せずにうまく付き合っている人たちばかりだ。病気が完全に治らないにしても、生きていくことを諦めないことが病気とうまく付き合っていく上でのコツだろう。

再びローラ深見夫人の人工透析の日がきた。私はもう一度人工透析の旅をしてみようと彼女の血液の中にいた。しかし、どこでどう間違えたのか私は透析装置内の透析液エリア側に移っていた。薄い膜の向こう側に赤い血液が逆方向に流れているのが見えている。

私は透析液の流れに逆らいながら泳いでいたが、周囲に増えつつある尿毒素たちの運命がこれから先どうなるのだろうかと思いにふけっていた。その思考が腕の力を一瞬弱めさせたのかもしれない。私は透析液の強い流れに抗えなくなり、尿毒素たちと共に暗い闇の中へと吸い込まれてしまった・・・ 

(終わり)


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