旅
「やめろ、もう何回目だ」
ファウはラーザが首に当てていたナイフを無理やりに奪い取った。これが一回目ではない。この程度で死ぬことはできないと知っていながら、何度も繰り返しているのだ。
ファウの手の中にあるナイフを見ながらうっすらと笑った。
「死なせてくれたっていいだろう?」
「これでは死ねないだろ」
「そうだな」
「ならやめろ」
そう言ってファウはナイフを懐にしまい込んだ。しばらく睨み合うが、責める目に耐え切れなくなったラーザはポツリとこぼした。
「約束を……していたんだ」
「約束?」
「そう、あいつとね。一緒に世界を旅しようと約束をしていたんだ。私が国に縛られていたということはしっているか?」
「ああ」
「見たもんな」
記憶を読むなんていい趣味をしている、と呟くラーザに、はやく話せと視線で促した。
「何回か、片手で数えられるような少ない回数なんだが城を抜け出すことができたんだ。そのとき、船乗りが集まる酒場にいくことがあったんだ。そこで、国の外の話を聞いて、外の世界には城よりも大きな木や砂の海、浮かぶ大陸、流れる岩とか一度も見たことがないものがたくさんあると聞いたんだ」
とても懐かしむような声で続けていった。
「私はそのとき船乗りの持っていた地図が欲しくなって、頼みに頼み込んで譲ってもらったんだ。それを持って帰って、身代わりをしていたあいつに話したんだ。……とても楽しそうに話していたんだろうな、私は。すべて話を聞き終わったあと私に約束を持ちかけてきたんだ。この戦争が落ち着いたら時間を見つけて世界を旅しに行こう、と。終わるはずないのになぁ…………何千年も続いた戦争が、普通の人間に戻れなくなるほど魔力を使っているあの戦争が」
子どもだったんだ、というラーザの頭をファウはそっとかき混ぜた。
「でも、いまは終わっているだろ?」
「世界が滅ぶことでな」
「……お前は自由だ。最後に残されたおまえが生きているなんて信じている人は誰一人いないだろ」
「死んだと思われているだろうな、死ぬつもりで使った魔法だから」
「いまなら、好きに旅することを誰も責めない」
「そう簡単じゃない、簡単にはいかないんだ。私の心はあいつと共にあった。一人で夢をみたんじゃない、あいつと一緒でなければ意味がなかったんだ」
ファウの胸元を掴み、見えない涙が滲む声でラーザは叫んだ。
「でも…………彼は死に、私は生きている。死ぬべきだったのに、死にたかったのにまだここに居るんだ…………」
お前のせいで、とつかんだ手を放し、しゃがみこんで膝を抱えた。
「オレは死なせるつもりなんてこれっぽちもないからな」
「それをお前に言われたら、私はさらに死ねなくなる」
「なにか言われたか」
「生きろ、と」
「竜の呪いは強いからな」
命を削ってかけたものならなおさらそうだろう、とファウはうなずいた。
「なあ、オレと”約束”をしろ」
「どんな?」
泣きそうな顔で見上げる。
「死をやる。だから、それまで生きろ」
「殺してくれるのか……?」
「ああ、名前に誓って」
「……なあ、知ってるか?希望は、馬の前に釣り下げられた人参と同じなんだぞ?お前はいったいどこまで私を走らせるつもりだ……?」
ラーザは見上げた先にある赤い目に真意を探すよう除きこんだが、何も読むことはできない。けれど聞かないわけにはいかなかった。
「オレが生きるのに飽きるまで」
それはいつまでになると言うんだ。その、長い時間を思うと気が遠くなった。が、この孤独な彼がひとりぼっちでずっと闇の中で佇んでいることを想像すると、迷ってしまうのだった。
「そうか……うん、生きるということにするよ、いまは。お前が私を殺すその日まで」
そう答え、ラーザはうすく微笑んだ。
■□■
薄暗い洞窟の隅にラーザは立っていた。つるりとした壁に手をあて、空間を割るイメージをする。身の内に宿る力を薄く伸ばすように広げ時空の狭間に続く”扉”を構築した。時間の指定はしない。行く先も決めていないので、流れに乗り漂うつもりだ。支度を整えたラーザは振り返り、いつの間にか後ろに立っているファウを見上げた。
「いってこい」
”夢だったんだろう?”という声にならない声を聞いたような気がしてラーザは笑った。
「いってきます」
そういって開けた時空の狭間の中へ飛び込んだ。