時間
薄明かりがゆらゆらと流れる洞窟の中で、ラーザはぼんやりと中に視線を漂わせていた。
洞窟の中は、ラーザが座っている毛皮以外は何もなく、広い洞窟をさらに広く見せている。
気が滅入る。
ひとつ、明かりを灯してみた。
けれど、たりない。
ひとつ、ふたつ、と増やしていく。
ラーザは洞窟全体が照らせるほど光が増えたのをみて、増やすのをやめた。
何も変わらない。ただ、影が見えなくなっただけだった。ただひたすらに気が滅入る。
ラーザは、気だるげに右手を上げ、光をふたつ残してすべてを消した。
光がゆらゆらとただよう。
サッと、風を切る音が微かに飛び込んできた。
はっとして、洞窟の天井に開いた穴に目を向けると、上から大きな翼をはためかせファウが降りてきた。浮かぶ光を僅かに吸収しながら幾度か羽ばたき、音もなく着地した。
「相変わらず、だな」
ラーザは呟いた。
翼が空に溶かすように隠し、こちらに寄って来たファウから疑問が流れこんできた。
「言葉で表してくれないか?その疑問は曖昧すぎて答えることができない」
「っ、あぁ、その、あいかわらずって、なんのことだ?」
「音がしない、と思ってな。私はずっと風を聞いて生きていたので風には敏感なんだ。けど、ほとんど音が聞こえなかった。なぜなんだ?」
「……生まれつきだ」
そういってファウはラーザの横に腰掛けた。ラーザは夜に空を飛び獲物を探す種族としての特徴なのだろうと納得しうなずいた。
「なぁファウ、お前が出ていってから今戻ってくるまでにどの位の時間が流れたんだ?」
「たった4日だ。おそらく、な」
「たった、って4日はたったとは言わないぞ。私にとっては4日も、だ」
「そんなものか?」
「ああ。……ああ、そうか。長命の黒翼族は短命の人間と違って時間の感じ方が違うのか」
「他の人間はそうかもしれんが、お前も長命だろ?」
竜の寿命を受け取った人間が何を言っていると、ファウは首を傾げた。
「そうだな。ざっと1000年ぐらいか……。けれど、これは人間にとって長すぎる時間だ。本来、人が持つものではない。世の摂理をねじ曲げて私達獣魔一族が得た力の代償だ。獣魔一族の中でも私の家系のものは誰一人こんな寿命なんて望んでなんかいなかっただろうしな。こんな長い寿命はいらない。いらないんだ。普通の人間のように30年から70年の短い年月を全力で翔けていきたかった」
「憧れていたのか?」
「ああ、そうだ。……ここまで極端に寿命がずれているのはかなり数が少ないんだ。なにをするのにも周りの人々に時間を合わせなければ生きてはいけない。話が噛み合わなくなる。国という一つの集合の中に生きている限りは時間を忘れてはいけない。自分のためにも人のためにも、そして、国のためにもだ。だから、私の時間は普通の人間と同じ。お前のと同じように時が矢のように通り過ぎていくわけではないんだ」
「矢のように、か。時の流れなんぞ感じることなんてなかったな」
「必要すらなかったのか?」
「ああ」
「そうか、それは羨ましい。お前は目の前に広がる未来と呼ばれる時間の重さを感じなくて済むんだな」
「重さ?」
「そう、重さ。未来を、人はそれを希望や絶望、夢、明日なんて言葉で表す。未来は心に降り積もり、それは過去、思い出、追憶などに形を変える。私はいままでに約40年生きた。人間としてはそこそこ生きたほうだ。なのに、未来には960年も時間が残っている。私が生きていた場所は滅び、私の従兄弟は散り散りになり、あいつはもう死んでしまったのに。残った年月はどう生きる? どうやって生きればいい? この長すぎる時間を。進めば進むほど大切な記憶が、思い出が増えていく。けど、すべてにある終わりは必ず訪れる。それに触れるたびに進むのがどんどんと辛くなっていく。長い。長すぎるんだ」
「だから、死のうとしていたのか」
「…………そうだ」
「ラーザ…………いや、いい」
ラーザは手元をさまよっていた視線をファウの横顔に移した。
「なんだ、途中でやめないでくれ。気になるだろう」
「……未来が、視えると言ったな。だが、それは推測じゃないのか?」
「そう、だ。推測だ。明らかになっていることをかき集め、自分の中にある知識と照らし合わせる。これで、だいたい未来が分かる。不思議な事に予測したことはほとんどあたる。これは未来が視えるのとおなじことだろう」
「そうだな。だが、その方法では何万年後に起きることまではわからないだろう。オレはわかる。未来が視えるから。この目は明日起こることから何千、対象が消えるまでのこと予知する。それに気がついたのはある程度成長してからだがな」
「それと、私のこととなんの関係がある?」
「関係はある。……ラーザ、オレがお前にであってからずっと見続けてた未来が見えなくなったんだ。不思議だろう?」
「それは……そうだろうな。私が持っている力のせいだ」
「なんの力だ?」
「時を渡る力と可能性を変える力だ。お前の予知能力を妨害しているのは可能性を変える力だろう」
「なぜ、視えなくなる?」
「私がいるだけで未来を視るよりもはやく変わっていくからだろう。この力は私自身でも止めることができない。神に望まれることのなかった存在は、いるだけで予言されていた出来事をねじ曲げる。生きるために口にした果物1つが、1人の人間を殺すことなんてよくあることだ。1つ1つの行動が世界を変える。私の近くにいたら未来が見えないのは当然だろうな」
「だから、時を渡らないのか」
「そうだ、1日前に戻って、1つのことをしただけで、未来に戻った時に変わりすぎるほど変わってしまった。そのときの1度しか過去に戻っていないし、これから先も過去に渡ることはない」
「そうか……だが、もし過去にわたって自分自身を消すことができるとしても、ラーザは過去に渡らないのか?」
「…………考えた。考えたさ。何度も、何度も。けれど、私がいない彼らだけの世界を想像すると、彼らは生きてはいないんだ。とくにあいつは3の年月を数える前に死んでしまう。あの時に起きるはずだった出来事は最初から神と世界に決められていたもの、確率で起きる出来事とは違う。宿命だ。私を生まれる前、生まれてすぐに消しても、1番生きていて欲しかったあいつは死んでしまうんだ。ならば私は私を消すことはできない。あいつが最後に言った言葉を信じるしかないんだ」
いままで変わることのなかった表情がくしゃり、とゆがんだ。
「『……同じ時を生きることができて幸せだった』と。……私は、あいつがそう感じた過去を壊すことができない。あいつが願ったのが私の幸せならば、私が願ったのはあいつの幸せなのだから……。でも、だからこそ、私が共に生きたいと願ったあいつがいない時間は重い。色のない世界をどうやって歩いていけばいいんだっ」
全て言い切ったであろうラーザを静かに見つめ、問いかけた。
「誰も『色』というものをおまえにもたらすことはできないのか?」
「ああ、私はもう、誰も愛さないと決めてしまったんだ」
氷のように凍てついた心に触れたファウは、時間がかかりそうだと思いながらもうなずいた。
「そう、か」
ラーザは話はこれで終わりと言うかのように立ち上がり、大きく伸びをした。