私
闇に包まれた洞窟の中に、指を鳴らす音が響く。その音に呼応し、オレンジ色の光がふわふわと浮かんだ。1つ、2つ、3つ。全部で6つの光。それぞれが別の場所へ動き停止した。
光を操っていた男に、疑問が流れこんできた。
「お前の目は暗闇でも視ることはできるが、私の目はそうではないんだ。光くらい付けさせてくれたっていいだろう?」
苦痛。
「光を見ないで生活していたから、目が痛いのか。では、光を減らそう」
男は腕を払い光を4つ消した。指で光をなぞり残った光を洞窟の両端によせる。
「これなら目は痛くないか?」
「……………あぁ」
光を少し弱めるのを見つめていた男は頷いた。
「やっぱり声、ちゃんとだせるんだな。……さぁ、少し話をしようか」
「とりあえず、名前を教えてくれないか?」
光を灯した方の男が正面に座る男に問いかけた。
「名前?」
「あぁ、名前だ」
「どの、…名前…だ?」
「お前のことを指し示す単語であればなんでもいい。一般的には、生まれた時に付けられたものだな」
正面に座っている男は、少し考えてから答えた。
「生まれた時……なら、フェリウス・フラウネス・フィアドーラ。おそらく……」
「なぜ、おそらくなんだ?」
「呼ばれたこと、ほとんどない」
「そうか」
男は納得したかのように頷いた。なぜならば名乗った名前は普段名乗るような略称ではなく、上位階級にのみ許された名称が混じっていたからだ。少し考え、すっとフェリウスを見据えた。
「お前がその名前を名乗ったなら、私もその名前を名乗らなければならないな。私の名前は、ラルザーク・ドラコ・フェルミレア・シュトラクト・ディファレットだ」
「ラーザーク…ドラ…フェ?」
長い名前を名乗った男は、己の名前をうまく呼ぶことができないフェリウスに微かな笑みを浮かべた。
「ラーザ、でかまわない。もう、誰も呼ぶことのない名前だ。まぁ、他の人は私のことをラルクと呼ぶけどな。」
「ラーザ…ラーザか」
フェリウスは名前を噛み締めるようにつぶやいた。
「フェリウス…そんなに名前を繰り返さなくてもいいだろ」
ラーザは気恥ずかしさをごまかすため顔をしかめた。
「いいだろう、別に。……オレは、ファウとでも呼んでくれ」
「なぜだ?」
「ラーザが、名前を呼ばれる、嫌う理由、と同じ、だと思った」
「おそらく…そうだろうな。いいだろう、お前のことはファウと呼ぶよ」
「…おそらく、ラーザがその名前を、嫌う理由、少なくないだろう?」
心を見ぬくような視線がラーザを射抜いた。
「怖い、な……。よくわかったな。そうだ、1つではない。いくつもある。それには、名前の本質に迫るもの、自分の生まれを示すもの、背負った宿命を示すもの、存在そのものを示すもの、他にもいろいろと意味が含まれているからな。私の生まれた国では、生まれた時に付けられた名前と、生まれながらに持っている名前は、深い、意味を持つ。《私》の存在そのものを表す意味が」
「《私》自身か」
そうだ、とラーザはうなずいた。
「ファウはいままで自分自身について考えたことはあるか?」
「ない。そもそも、自分に、自分を表す名前を聞かれた、ことが初めてだ」
「そうか。…………名前は、自分自身を指すものだ。そう、思って生きてきた。もし、名前がなくとも、誰も私のことを何かしらの名称で呼ぶことがなくなったとしても、私はそこに存在できるのだろうか」
「オレは、できる。…いままで、そうやって生きて、きた」
「私は出来ない。誰かに呼ばれるから、私がここにいることを確認できる。そして、ここにいてもいいのだと気づかされる。誰も私のことを見ない、そんな場所であっても。ファウはそれでいままで生きていたんだろうが、お前が気が付かないうちに何かしらの名前で呼ばれていたはずだ。人は何かしらの単語を当てはめないと共通のものを認識することができないものだからな。たとえそれが、「あれ」や「それ」という単語であっても」
たしかに、と自分を表す呼称に覚えのあるファウはうなずいた。
「だが、こう考えることもある。名前を呼ばれても、はたしてそれは《私》なのか、と。1度きりしか出会うことのないような者には呼び方などは大して関係ないだろうが、3度、4度と会う者が呼ぶ《私》は、本当に私なのだろうか?」
なにを簡単なことをとファウは首を傾げる。そんなものはわかりきっている。
「人は、自分の都合の、いいようにしか、人を、見れない」
「ああ、ああ、そうだな。そのとおりだ。まるで、水晶に反射している自分の顔をみるかのように。ある方向から1つの面を見み、それが自分だと認識しても、他の面ではその顔は歪んで見える。わざと、自分自身を自分の望むように見せて、印象を変えている人もいれば、それを無意識に行い、自らを守る人もいる」
「オレは、人間という生き物の、そういうところが、嫌いだ。話す言葉、頭の中、いつも、違う。流れこんでくる心は、ねじれ、歪んでいる」
ファウは忌々しげに吐き捨てた。
それなら、とラーザは続ける。
「私は、どうなんだ?感情をすべて隠して、笑顔を貼り付けて、誰にでも同じような顔をして、自分自身をも欺く」
「そうでもしなければ、生きては、いけなかったんだろう?それに、」
ファウはくしゃりとラーザの髪をかき回した。
「それでも、まだオレに、嘘をついてはいない……だろ?」
「…だから、か」
まだ、嫌われてないと小さく呟いた.
「ああ」
無感情にうなずくファウを横目にラーザは浮かんでいた光に手を伸ばした。光は、手に引き寄せられるかのように、ゆらゆらと少しずつ近づいてくる。
ファウは眩しげに目を細めた。
光を捕まえ、手で包み込む。
「…………人が、いくら私が何者かを考えても、私を否定しても、肯定しても、物体としては、そこに存在してはいるんだろうな。たとえ、こんなふうに簡単に消えてしまうとしても」
握り潰した光が霧散して闇に消えた。
「そうだな。命を得た時点で、有るものは有る」
「…………なぁ、なんでこんなに話すことができるのに、いままで会話をしようとしなかったんだ?」
「だれも、オレのことを、認識、することがなかった。それだけだ。」
「そうか」
残った光とともに、沈黙が洞窟の中に漂った。