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朝になった。
悩んでいても早く目覚めてしまうのは、朝食を用意する身の上が染みついているということだろうか。
あまり嬉しくない習性だけど。
最終日だし朝食は外のテーブルで食べるのがいいかな。
そんなふうに考えながら簡単な食事を用意する。
外に出ると今日は朝もやも出ていないようで、清々しい朝の日差しが夜露の残った草木をきらめかせていた。
「おはようございます」
テーブルに食器を並べていると、不意に声がかかった。
陽光さんだ。
「あっ、おはようございます。起きていたんですね」
「ええ、なんだか眠れなくて……。あの、ミサキさん、……やっぱり、行ってしまうんですか……?」
遠慮がちにうつむきながら、陽光さんは消え入りそうな声で訊いてきた。
「………はい。やっぱり僕は、父から受け継いだ夢を叶えるまで、宇宙を巡ろうと思うんです。それが僕の生きる意味だと思っているから」
僕はまだ迷いのある心を振り払うかのように、はっきりとそう答えた。
「そう、ですか……」
明らかに沈んだ表情に変わる陽光さん。
どうしよう、僕の想いは伝えないで去ったほうが、陽光さんのためなのかもしれない。
だけど……。
僕は、意を決して話し始めた。
「でも……僕は、陽光さんに会えてよかったと思ってます」
陽光さんが僕のほうに視線を向ける。
微かに潤んだ、その綺麗な瞳をじっと見据えながら、僕は言葉を続けた。
「この数日間、ほんとに楽しく過ごせました。陽光さん自身も仕事で忙しいのに、僕たちを気遣ってくれる優しさ、心まで温めてくれるような料理、それに、あの丘で話してくれたこと。それらすべてが、こんな短いあいだの出来事なのに、僕の心に深く刻まれています」
僕の言葉をじっと聞いてくれている陽光さんと見つめ合ったまま、ひと呼吸、間を置く。
そののち、
「僕は……陽光さん、あなたが好きです」
力強い声で、そう伝えた。
恥ずかしそうにはにかみながら、陽光さんは、ありがとう、とひと言つぶやいた。
それでも、行ってしまうんですね、そんな想いをのどの奥に飲み込みながら。
「ありがとう……そして、ごめんなさい」
僕は深々と頭を下げる。
陽光さんと離れたくない。
それは正直な気持ちだったけど、それでも夢を諦めるわけにはいかない。
夢のためだけじゃなく、扱いはひどいと思ってはいても、この船のみんなのことも好きだし、大切に思っている。
もし僕がここに残ると言ったとしても、みんなは笑って許してくれるだろう。
そんな優しい人たちだからこそ、僕ひとりの我がままで船を降りるわけにはいかない。
そう結論づけたのだ。
「わかりました。……でも、私はいつまでもあなたを待っていますから」
意外にもしっかりとした口調で答え、陽光さんは今までで最高の笑顔を送ってくれた。
夢が叶ったら戻ってきて、と言いたいのだろう。
とはいえ、それは無理な願いだった。
ファイブナインズ世界で生きる僕たちは、この惑星とは時間の流れが違うからだ。
夢を叶えるまで、何年、何十年とかかるだろう。
ファイブナインズ世界でそれだけの年月が経てば、この惑星ではその三百六十倍もの月日が流れてしまうことになる。
「陽光さん、よくわかってないでしょ? 僕はファイブナインズの住人で……」
「わかってますよ」
陽光さんは僕の言葉を遮る。
「私自身には、ミサキさんと結ばれる未来はないってことですよね? でも、うちって代々女系の家系なんです。お母さんもお婆ちゃんも、その前の代にさかのぼっても、みんな女姉妹しかいないの。もちろん、お父さんの血もまざっているのだから、確実とは言えないけれど」
話し続ける陽光さんの瞳は、すべてを受け入れたように、澄んだ光を放っていた。
「だからね、私は絶対に女の子を産みます。そして、代々語り継ぎたいと思います。いつかミサキさんがこの惑星に戻ってきたときには、私の子孫を、あなたの恋人にしてあげてください」
笑顔で心のうちを吐き出し尽くした陽光さん。
ただ……気持ちは嬉しいけど、それはちょっと、どうなのだろう?
陽光さんの子孫にしてみたら、ご先祖様の想い人が勝手に自分の恋人候補になっているということだし。
そうは思ったけど、ここまで僕のことを想ってくれているという意思の強さ、それだけはしっかりと伝わってきた。
「でも……、もし男の子だったら、ごめんね」
陽光さんはペロッと舌を出して、意地悪な微笑みを浮かべた。
続けて、
「それでも、愛してくれる?」
なんて訊いてくる。
「あははは」
「ふふふ」
お互いの気持ちを伝え終えた僕たちの笑い声が、朝の日差しの中で辺りに響き渡っていた。
と、そこまでのやり取りを、隠れていた船員のみんなに思いっきり見られてしまっていたわけだけど。
邪魔しないように、と配慮してくれたというよりは、興味本位で隠れてのぞいていただけなのだろう。
ニヤニヤしたミヤコさんや船長の顔が、それを雄弁に語っていた。
この船に残るのが本当に正しい選択だったのか、僕の心は、ちょっとだけ揺らいだ。
☆☆☆☆☆
宇宙船が飛び立ち、窓から見える地面は徐々に遠ざかっていく。
深空さんの横で大きく手を振っている陽光さんの姿も見えていた。
僕は思い切り大きく手を振り返して、陽光さんに応える。
これが、最後の挨拶になるのだ。
「それじゃあ、行くね」
宇宙船に乗り込む直前、陽光さんにそう別れの言葉をかけると、
「うん、またね!」
と、元気な答えが返ってきた。
またね。
さよなら、じゃなかった。
朝、陽光さんが言っていた言葉は、完全に本気だったのかもしれない。
「ミサキ、本当にいいのか?」
不意に船長が言った。
「今ならまだ戻れるぞ?」
その問いに、他の船員たちも耳を傾けているのがわかった。
「いいんです。僕はこの船の一員ですから」
そう言いながらも、熱いものが込み上げてきていた僕は、うつむいて顔を見られないようにしつつ、流れ出していた雫をそっと拭った。
そのあいだに宇宙船は成層圏を越え、目の前に広がる景色は、空の青から宇宙の蒼へと変わっていた。
「よし、それじゃあ、ファイブナインズ・ドライブに入る」
船長の号令が飛ぶ。
そうだ、また新たな旅が始まるんだ。
気持ちを切り替えて、頑張っていこう。
僕は、そう心に誓った。
「ミサキ!」
真顔の船長が僕に向かって笑顔で白い歯を見せる。
「これからも、雑用、よろしくな!」
…………。
僕の選択は、本当に正しかったのだろうか……?
窓から見える星々は、今日もいつもと同じように、ひたすら綺麗に輝いていた。