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そのまた次の日は、普通にバイトに出かけた。
「今日はまた取り引き先の人が来るんだけど、ちょっとお願いがあるの」
理星さんが僕と陽和を目の前に据え、両手を合わせてお願いポーズをしてくる。
「私は別件で外に出なくちゃいけないんだ。それで、事務所は明灯さんに任せるんだけど、今日来る取り引き先の人には事前に話を聞いてあって、相手方の事務所まで荷物を運ぶ必要があるのよ。向こうも人手が足りないらしくて、うちが手伝うことになったんだけど、手の空いてる人がいなくてね。それを、あなたたちにお願いしたいってわけ」
「はぁ、わかりましたけど、僕たちふたりともってことですよね?」
「うん、そう。バイト扱いだから、ひとりでってわけにもいかないかなぁ、って」
そう言って、俺と陽和の顔を交互にのぞき込んでくる。
「それに、一緒にいたいかなぁ、なんて思ってさ! お姉さんの厚意を素直に喜びなさいな!」
理星さんはバンバンと僕の肩を叩いて大声で笑った。
なんだかこの人、ときどき妙におじさんっぽいことがあるのは、気のせいだろうか。
そんなふうに言ったら、殴られるかもしれないけど。もちろんグーで。
僕としては、陽和と一緒にいられるのは、素直に嬉しいと思えるからいいのだけど。
陽和はどうなのかな?
そう思って視線を向けてみると、すぐに目を逸らされてしまった。
「恥ずかしがってるけど、嬉しそうなのは間違いないね、あれは」
明灯さんが耳打ちしてくる。その顔には、理星さんと同じようにニヤニヤ笑いが浮かんでいた。
この人も、おじさんみたいだ。ふたり合わせてオッサンズとでも命名してやろうか。
「まぁ、他にも理由があってね。実は、先方からミサキさんを指名してきたんだ」
「えっ?」
ついこのあいだ入ったばかりの、しかもバイトの僕を指名するって、いったいどういうことなんだ?
それって、なんか怪しいんじゃ……?
僕は疑問をそのままぶつけてみた。
「そうも思ったんだけどね。だから陽和さんとふたりで、ってことにしたんだけど。でも、どうやら今日来る人は、ミサキのことをよく知ってる人みたいなんだ」
なるほど。そうすると、このあいだも来ていたし、ミヤコさんあたりだろうか。
取り引き先の手伝いで、ってことかな。
あれ? でもそれなら、「このあいだ来た人」って言うはずだよね、理星さんも会っているんだから。
とすると、ミヤコさんではないし、イズミでもない。
他に考えられるのは、ナギさんだった。
窓から様子をうかがっていたことからも、なにか調査依頼なんかに関わっている可能性がある。
成り行きとはいえ内部に潜入している僕から、直接情報を聞き出そうという魂胆なのだろうか。
でも、そんなことを考えている僕の目の前に現れたのは、そのナギさんでもなかった。
「やぁ、ミサキ。元気でやってるかな?」
優しげな目で僕を見据え、長いアゴ髭を手でもてあそびながら、応接ブースの椅子に座ったその人は語りかけてきた。
トレードマークであるパイプも、いつも通りくわえている。
サザナミさんだった。
とすると、今回の一件には船員のみんなが関わっているということになる。
想像以上に大きな仕事なのだろうか?
僕が複雑な表情をしていることに気づいたようで、サザナミさんはすぐさま言葉を続けた。
「ミヤコから話は聞いたよ。だから、こうして来たわけだが。今回はみんなバラバラの取り引き先で仕事をしているのだが、ミヤコは派遣先が近いからな、偶然会ったのさ」
僕は笑顔で相づちを打っていたけど、その話を完全には信用しなかった。
もしここが調査対象になっているなら、この事務所内では迂闊なことも言えないだろうし。
「まぁ、船長がなにを考えているかはわからないがな。わしは今回の仕事が終わったら、お前さんはまたいつもどおり船に戻ってきてくれると信じているよ」
「サザナミさん……」
「おっと、それより仕事の話をせんとな。この事務所に三つほど荷物が届いているはずだ。それをわしが厄介になっている事務所へと持って行けばいい。わしひとりだけでは往復しなければと思っていたからな、手伝ってもらえるとすごく助かる」
「サザナミさん、最近ちょっと腰が弱ってるもんね」
「はは。寄る年波には勝てない、ということかの」
とくに不審なこともなく、サザナミさんはいつもどおりに思えた。
やっぱり僕が気にし過ぎているだけなのだろうか?
それともナギさんだけが、たまたま調査の仕事を請けているだけなのだろうか?
「お待たせしました、こちらが荷物になります」
理星さんと明灯さん、陽和の三人が、荷物を応接ブースまで運んできてくれた。
「それじゃあ、行くかの」
どっこいしょ。
しっかり声に出して立ち上がったサザナミさんのあとに続いて、僕と陽和も荷物を持って事務所の外に出た。
「陽和さん、ミサキさん。今日のあなたたちの仕事はこれで終わりだから、運び終えたらそのまま帰っていいからね~!」
最後に理星さんが、事務所から顔を出して伝えてくれた。
もっと早く言ってくれれば、大通りを往く人たちに注目されることもなかったのに。
ともかく僕たちは、それぞれひとつずつの荷物を持ち、軽く会話を交わしながら町の中を歩いていった。
サザナミさんの派遣先は、町のかなり外れにあった。
結構な距離を歩くことになり、さらに荷物も重かったせいで、運び終えたときには三人ともクタクタになっていた。
「お疲れ様、ありがとな。それじゃあ、気をつけて帰るんだぞ」
「はい、それでは」
僕と陽和は、サザナミさんに別れを告げ、歩き出した。
「今日はこれで終わりかぁ。……ねぇ、ミサキ。また、あの丘に行かない?」
「うん、OK」
断る理由もないし、僕はその申し出を受け入れ、陽和の手を取って町の外から丘に向かう林へと入った。
☆☆☆☆☆
「あれ?」
林に入ってからしばらく歩いた先で、ふと、陽和が立ち止まる。
どうしたのだろう?
「今、向こうでなにか見えたような……」
そう言ったときには、すでに陽和は僕の手を離して駆け出していた。
結構おっとりしているように見えるのに、なにげにいつも積極的というか、迅速に行動するんだよね、陽和って。
……なんて言っている場合でもないか。
僕はすぐに陽和のあとを追いかけた。
薄暗い林の中ではある。
ともあれ、舗装されてはいないものの一応道になっているわけだし、人がいるようなら通行人だと考えるのが自然だけど……。
ただ、ここは一直線に延びる道だった。
もし人が通っていたのなら、今の時点で人の姿が見えていないのはおかしい。
薄暗いとはいってもまだ日は高いため、視界が奪われるほどではないのだから。
なんとなく嫌な予感はしていた。そしてその予感は、やはり現実のものとなってしまう。
林の中の小道を走る陽和。
その両脇にある木々のあいだから、突然人影が飛び出してきたのだ!
「きゃっ! いやっ、なに!? 痛っ、やめてよ!」
陽和は両側から腕をつかまれ、押さえ込まれてしまう。
飛び出してきた人影はふたつ。
どちらも見るからに怪しく、全身を黒いマントで覆い尽くしていた。
陽和はもがいて逃れようとするものの、ふたりがかりで押さえ込まれているため成すすべもない。
「陽和から、手を離せ~!」
僕は走っていた勢いに任せ、黒ずくめのひとりに体当たりをぶちかます。
吹っ飛ぶ黒ずくめ。
もうひとりも状況がわからず呆然としているところを、思い切り突き飛ばしてやる。
そいつが一瞬たじろいで腕の力が弱まったところを狙い、僕は陽和の手をつかんで引き寄せた。
「走るよ!」
僕はきびすを返し、陽和を抱えるようにしながら、今走ってきた方向へと一目散で舞い戻った。
林の中をまっすぐ走る僕たちを、黒ずくめは追ってこなかった。
念のためしばらく走って距離を取ってから、僕は立ち止まる。
「さっきの……なんだったの……?」
陽和は、わけがわからず震えていた。
僕にだってなにがなんだかわからなかったけど、それでも陽和の肩をそっと抱きしめる。
「大丈夫、追ってきてない。……とりあえず、今日は帰ろう」
「うん……」
不安そうな顔はしていたけど、陽和は頷いた。
あれは、いったいなんだったのだろう?
陽和を連れ去ろうとしていたのだろうか?
もしそうならば、やはり原因は優陽さん絡み、ということになるのだろうか?
もっと気をつけて様子を見ていないといけないのかもしれない。
陽和は絶対に守らないと。
僕はそう決意を固めていた。