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ひかりひらり  作者: 沙φ亜竜
第3章 春色の明かり
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-4-

 翌日は、また朝から事務所へと来ていた。今日は優陽さんも事務所にいる。

 なんでも、近々大きな取り引きがあるらしく、相手先の重役との打ち合わせがあるのだそうだ。

 その準備もあってか、優陽さんは朝僕たちが出勤して挨拶を交わしたあと、奥にあるドアの向こうにずっとこもりっきりだった。

 打ち合わせには、そちらの奥側にある応接室が使われるのだろう。


 だからといって、僕たちの仕事がとくに変わるわけではない。

 陽和に教えてもらいながら、僕はいろいろな資料のデータ入力やら確認やらの仕事を続けていた。

 お昼休みも過ぎ、午後の眠気と闘いながらの仕事をこなしていると、唐突に事務所のドアが開かれた。


「あっ、ようこそいらっしゃいました」


 理星さんが急いで立ち上がり、対応に向かう。

 その迅速さからも、相手が非常に重要な取り引き先の人なのだと想像できた。

 事務所の入り口付近は、パーテーションで隔てられただけのこの仕事部屋からも見える。


 そこに立っていたのは、ひとりの気のよさそうな紳士だった。

 年齢はよくわからないけど、三十代後半くらいだろうか。

 ベージュ系のスーツでびしっと身を固め、そのスーツとセットになっているのだろう帽子を深々とかぶっている。


 鼻にちょこんとかかるような感じの、小さめの丸眼鏡も印象的だった。

 長い髪の毛を襟足の辺りで束ねていて、どういうわけか蝶ネクタイを結んでいるのが、微妙に違和感を受けなくもなかったけど。


 その紳士は、見ている限り終始笑顔で理星さんの対応を受けていた。

 これが地顔なのかもしれない、と思えてしまうほどに自然な笑顔をまったく崩さず浮かべている。


「お待たせして申し訳ありません。月夜深(つくよみ)さん、よくいらっしゃいました」


 事務所の奥から優陽さんが出てくると、その人のもとまで急ぎ足で歩いて行き、お互いに握手を交わす。


「これはどうも、優陽さん。ご無沙汰しております。今回もまた、よろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ」


 もちろん取り引き相手なのだから、悪い印象を与えないように対応するのが当たり前だとは思うけど。

 そういうビジネス的な表面上だけの愛想笑いという感じではなく、旧知の仲というような、お互いをよくわかっている関係、そんな雰囲気にすら思えた。

 軽く挨拶の言葉を交わしたあと、優陽さんとその紳士――月夜深さんは、やはり事務所の奥へと入っていった。


 すぐに飲み物を出す準備にかかる理星さん。

 そういった様子をじっと見つめていた僕の横顔を、陽和がのぞき込んでいた。


「あれ? どうかした?」

「あ……ううん、なんでもないよ」


 陽和は慌てて作業に戻る。

 いったい、どうしたのだろう?

 疑問に思いながらも作業を続けていると、陽和の手が不意に止まった。


「ねぇ、ミサキ。あの月夜深さんって人、どう思った?」

「え?」


 なぜそんなことを訊くのだろう?

 少々不可解ではあったけど、とりあえず僕は正直な印象を答えた。


「人のよさそうな紳士って感じだよね。蝶ネクタイってのが、微妙だけど、この惑星だと流行ってたりするのかな?」

「あはは。べつに流行ってなんかないよ~。うん、でも、そうだよね。よさそうな人……」


 そう答える陽和の顔が少し陰っているように見えたのは、僕の気のせいだろうか。


「あっ、気にしないで、なんでもないの。……さて、仕事頑張らないと!」


 気合いを入れ直しモニターに向かう陽和の態度は、この話はこれでお終い、という意思を示していた。

 その様子が余計に気になってしまったけど、結局なにも訊けなかった僕には、仕事に集中する以外にできることはなかった。



 ☆☆☆☆☆



 ――あれ?

 ふと違和感を覚え、僕は目を凝らした。


 小さな事務所だから、僕の座っている場所からは入り口までの広い範囲を見通すことができる。

 それはさっきの月夜深さんの対応がここから見えていたことからも、わかってもらえるだろう。


 事務所の入り口の横にはガラスの大きな窓がついていた。その窓からは、事務所前の通りの様子も見ることができる。

 窓のすぐ前には、ちょっとした植え込みがあって、背丈の低めの木々が茂っている。

 植え込みと窓のあいだには少し隙間があり、その部分は一応事務所の敷地内ということになるわけだけど。


 そこになにやら人影らしきものが、ちらちらと見え隠れしていた。

 上手く隠れてはいるものの、注意深く見てみると微妙な違和感は確信へと変わる、それくらいの隠れ方だった。

 軽く視線を巡らしてみたけど、理星さんも明灯さんも、そして陽和も、気づいていないみたいだ。


 しばらくその様子を観察していた僕には、わかってしまった。

 あれは、ナギさんだ。

 ……でも、なんで?

 ナギさんは明らかにこの事務所内に視線を向けているようだった。


 昨日はミヤコさんたちが訪問してきたし、話を聞いて僕のことを心配して様子を見に来てくれたとか?

 一旦はそう考えたのだけど、どうやらそういうわけでもなさそうな雰囲気だ。

 険しい真剣な表情をして、事務所内、正確に言えば事務所の奥のほうをじっと睨みつけているような感じに思えた。


「ふう……。ちょっと、外の空気でも吸ってくるね」


 僕は軽く伸びをして、デスクワークで疲れたからという様子を装い、入り口のほうへと歩いていった。

 ドアを開けて横目で窓のそばの植え込みを見てみたけど、そこにナギさんの姿はなかった。

 僕が出てくることに気づいて隠れたか、もうどこかへ去ってしまったのか……。


 しばらく通りを歩く人々を眺めつつ休憩したあと、僕は事務所内に戻った。

 席に戻ってからしばらく経ち、なにげなく窓のほうに目を向けると、ナギさんは再びさっきの位置に戻って隠れていた。

 ナギさんのことを気にしながらも仕事をしていると、事務所の奥から優陽さんと月夜深さんが出てきた。


「今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございました」


 深々と頭を下げる優陽さん。


「いえいえ。それでは、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 月夜深さんが、やはり笑顔を浮かべたまま事務所の入り口のドアを開けて外に出ていく頃には、窓の外に隠れていたはずのナギさんの姿も、いつの間にか消えていた。


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