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窓際に置いてある戸棚の上に、写真が立てられていることに気づいた。
陽和と明灯さんのあいだにいるお婆さん……。
歳を取ってシワが目立つし白髪頭になってはいたけど、この温かな微笑みは間違いない。
陽光さんだ!
その視線に気づいたのか、陽和が写真立てを手に取って話し始めた。
「これが陽光お婆ちゃんだよ。私たちが高校に入学する少し前に、亡くなってしまったけど……」
じっと写真の中の陽光さんを見つめながら、陽和は言葉を紡ぎ続けた。
「小さい頃に両親を亡くしてからは、ずっとお婆ちゃんが私たちの面倒を見てくれてたんだよ。私はいつもお婆ちゃんにくっついてた。ミサキにもわかるよね? すごく温かい雰囲気の人だった……」
うん、よくわかるよ。そんなところに、僕は惹かれたんだと思うし。
そう伝えると、陽和はふふっと微笑んだ。
「私もお婆ちゃんみたいになりたい。ずっとそう思ってたんだ」
「キミたち姉妹は、陽光さんとよく似てると思うよ。最初、見間違えたくらいだしね」
「……ありがとう……。でも、私は全然ダメ」
写真立てを棚の上に戻して、ベッドに腰かける陽和。
「お姉ちゃんは、似てると思うんだ。ちょっと暴走気味なところはあるけど」
ちょっとかな? とは思ったけど、それは言わないでおく。
「私は掃除も苦手だし、お手伝いくらいはするけど料理もお姉ちゃん任せにしちゃってるし。それに、人と話すのも苦手だから友達も全然いなくて。お姉ちゃんには迷惑ばっかりかけてるの」
僕は、そんなことないよ、と言ってあげたかった。
だけど、まだ出会って二日目の僕にそんなことを言う資格があるのかわからなくて、なにも声をかけてあげられなかった。
「前にも少し言ったけど、お婆ちゃんからよく話を聞いていたのよ、ミサキのこと……。お婆ちゃんは、本当にミサキのことが大好きだったんだなっていうのが、よくわかった。いつも、これ以上ないくらいに幸せそうな笑顔で話してくれたんだもの」
陽和が、じっと僕の目を見つめている。
「その人が今こうして目の前にいるだなんて、信じられないけど。現実なのよね」
「うん。僕もこうやって会えるなんて、思っていなかったけどね」
「でも、会えた……。もしかしたら、天国のお婆ちゃんが引き合わせてくれたのかな……なんてね」
軽く舌を出しておどけたように微笑む。
陽和のその笑顔は、やっぱり陽光さんとそっくりな温かい笑顔だった。
自然とすぐ横に寄り添っていた僕たちふたり。
不意に、陽和の髪の毛が目に留まった。
陽和は陽光さん同様、ポニーテールにしている。その髪を束ねているのは、可愛らしいリボンだった。
このリボンって……。
僕の言いたいことを汲み取ってくれたのだろう、陽和は少し恥ずかしそうな、それでいて寂しさを含んだような声で言った。
「このリボン、お婆ちゃんにもらったものなんだよ」
「そっか、やっぱり……」
僕は無意識に、そのリボンに触れていた。
長い年月で少しくすんでしまってはいたけど、それでも可愛らしい雰囲気を充分に保ったリボンを伝って、時を経た陽光さんの温かさが僕を包んでくれるような、そんな気がした。
いつの間にか、僕の目からは涙がこぼれていた。
「……あ、あれ? どうしたんだろ……」
気持ちの整理はついていたはずなのに。
陽光さんはもういないんだという事実も、理解して受け入れていたはずなのに。
それなのに僕は、涙を止めることができなかった。
そんな僕の肩をそっと抱き寄せてくれる陽和は、陽光さんと同じ温もりを与えてくれた。
カタッ。
不意に、ハムちゃんのケージから音がした。
「あっ、ハムちゃん!」
陽和は立ち上がり、すぐにハムちゃんの様子を確認しに行く。
なんとか落ち着きを取り戻した僕も、それに続いた。
「ケージの天井のほうまで上って、落ちちゃったんだわ。痛かったかな……」
確かに、仰向けに倒れて身をよじっている姿は、なんだか痛々しくも見えた。
すぐに起き上がって、元気に歩き回り始めたから安心したけど。
「こういうケージだと、つかまって天井まで上っちゃうのよね。上ること自体は、いい運動になると思うんだけど、ケガをしないか心配で……」
「そうだね……。あっ、だったらさ、落ちてもいいように、床に柔らかい布とかでも敷き詰めておくのがいいんじゃない?」
「そっか、そうだね! あはは、私ってバカね、全然気がつかなかった」
苦笑いを浮かべながら、陽和はタオルや手ぬぐいのような物を持ってきて、ケージの床に敷き詰めていく。
そんな陽和の髪の毛がケージの中にまで入り込んでいたのだろう、ハムちゃんがいたずらのつもりか、引っ張ったらしい。
「痛たたたたっ。も~、ハムちゃん、ダメでしょ~!」
大きな声を上げてハムちゃんを叱る、というよりも、たしなめるといった感じだろうか。
陽和はそれでも、とても楽しそうだった。
明るく笑顔をこぼす陽和に合わせて、髪を束ねるリボンもひらひらと揺らめいていた。
まるで陽光さんも一緒に笑っているかのように……。
☆☆☆☆☆
ガチャッ。
突然ノックもなく、ドアが開いた。
ノックもせずにこの部屋に入ってくるのは、陽和本人を除けばこの人だけだろう。
それはもちろん、明灯さんだった。
「お風呂が沸いたわよ。もう遅いし、早く入って寝なさいね」
あっ、もうこんな時間になっていたのか。
優陽さんもいつの間にか帰ってしまったようだ。
「一緒に入っちゃえば?」
明灯さんニタニタといやらしく笑いながらそんなことを言ってくる。
いや、さすがにそれは……。
僕の隣では、陽和も真っ赤になっていた。
「なんてね、冗談よ! ……ミサキさん、先に入れば? 陽和はまだ、ハムちゃんの世話をしてるみたいだし」
「あっ、うん、そうね。お先にどうぞ」
陽和に促されて、僕は先にお風呂に入らせてもらうことにした。
湯船に浸かりながら、僕は考えていた。
ハムちゃんの世話をしてる陽和は、すごく楽しそうだった。
そして、そんな様子を見ていて、僕の心も温まっていくのを感じた。
まだ出会って二日しか経っていないけど、とても温かな雰囲気の陽和に、僕は惹かれ始めている。
それは、陽光さんとそっくりな容姿だから?
……それもあるかもしれない。
ただ、陽和には陽光さんとは違う部分がかなりあるようにも思う。
だからダメだってわけではないだろう。それが陽和という女の子なんだし。
そんな陽和本人に、僕は惹かれているのだ。
さっき僕は、陽光さんを思い出して、思わず泣いてしまった。
陽和の目の前で、そんな涙を見せるなんて……。
まだ心の中にある陽光さんへの想いは消えてはいないということなのだろう。
こんなんじゃ、陽和のことを好きになる資格なんてないのかもしれないな……。
考えれば考えるほど、頭がぼやけて真っ白になってしまう。
……湯船に浸かっているのだから、それも当たり前か。
とりあえず僕は、のぼせないうちにお風呂から上がることにした。
髪を乾かしながらも、ぼんやりと考えてはいたけど、眠いからか思考もぼやけているような感じだった。
そういえば今日は朝も早かったし、明日だって事務所で仕事があるのだから、早めに寝ておくべきか。
髪を乾かし終えると、陽和がお風呂場に入ってきた。ハムちゃんの世話も終わったようだ。
「ミサキ、おやすみなさい」
「うん。おやすみ、陽和」
こうやって、おやすみの挨拶を交わせるっていうのも、悪くないな。
そう思いながら、貸りている部屋に戻った僕は、ベッドに倒れ込むと同時に眠りの底へと落ちていった。