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それからあとも、いろいろと説明を受けたりしながら、僕は一日の仕事を無事に終えることができた。
そのあいだ、他の社員は戻ってくる気配すらなかった。
結構そういう日も多いのよと、理星さんは教えてくれた。
とはいっても、僕たちが事務所を出たのは定時の終了時刻となっている夕方くらい。
外回りの人の場合、随分と遅くなる人も多いらしい。
必要がなければ事務所には顔を出さない日も多いほどなのだそうだ。
理星さんは残務処理があるからと、まだ事務所に残っていたのだけど、僕たちはそのまま帰らせてもらった。
姉妹の家に帰り、食事を済ませてまったりしている頃、疲れた顔の優陽さんがやってきた。
「ご飯にする? それともお風呂?」
なんて問いかけている明灯さんの様子を見ていると、このふたりはすでに夫婦のように思えた。
「ご飯をお願いするよ。もうおなかペコペコだ」
「はい」
ニコッと笑って台所に立つ明灯さんは、本当に幸せそうに見えた。
優陽さんはカバンを床に置き、ネクタイを緩めながらテーブルに着く。
「お疲れ様です」
「キミたちも、お疲れ様。ミサキくん、初めての仕事はどうだったかな?」
疲れているだろうに、僕に対しての気配りも忘れない。
その辺りが社長としての素質ってやつなのだろうか。
「理星さんにも優しく指導してもらいましたし、どうにか頑張って仕事はできたと思います。ミスがあったらと思うと、申し訳ないですけど」
「理星くんが優しく指導ねぇ……。実際の指導は陽和さん任せで、他のふたりは喋ってばかりだったんじゃないかな?」
優陽さんは笑いながらそう言ってくる。完全に見抜かれていた。
「お姉ちゃんも理星さんも、自分の仕事がたくさんあるもの。仕方がないわ。……それじゃあ、私たちはこれで」
陽和が僕の腕を取って一緒に立ち上がらせると、耳もとでささやく。
「仕事の込み入った話とかもあるかもしれないし、私たちは外しておこう」
そうか。
僕と陽和はバイト扱いだから、聞かせられない話もあるかもしれないってわけだ。
だけど陽和としては、ふたりの水入らずな時間を少しでも邪魔しないように、という思いのほうが強かったんじゃないだろうか。
そして僕は、陽和がもう少し話したいからと言うので、彼女の部屋へと向かった。
陽和のほんわかした性格から、部屋の中は可愛らしい感じを想像していた。
確かにそれは、間違ってはいなかったのだけど。
「ごめんね、ちょっと汚いけど」
その言葉どおりの汚さ、とまでは言わないけど、どうも宇宙船で掃除洗濯なんかもやっているからなのだろうか、意識せずに綺麗好き体質になってしまっているようで、どうにもいろいろと気になってしまった。
もちろんミヤコさんの部屋のようにゴミやら脱いだ服やらが散らばったりしているわけではなかった。
それでも、床に直に置かれた物が多いところや、収納の仕方がまったくなっていない部分なんかが、どうしても目についてしまう。
「う……。ほんとに汚い、とか思ってる顔だね……」
「い、いや、べつにそういうわけじゃ……」
慌ててごまかしたものの、遅かったみたいだ。
それにしても、整理整頓が得意じゃなさそうなところは置いておくとしても、女の子の部屋だからいい香りがするかもなんて思っていたのに。
なんというか、失礼かもしれないけど、ちょっと妙な匂いがする。
なんだろう、この動物系っぽい匂いは……?
と、部屋をよくよく見渡してみると、部屋の端っこにある棚の上には、カゴのような物が置いてあった。
ああ、なるほど。
近寄って見てみれば、それは小動物用のケージで、中では一匹のハムスターが動き回っていた。
ケージの横には、エサの箱やヒマワリの種が入った袋なんかも、無造作に置かれている。
「この子が、唯一の友達みたいなものだったから……」
陽和は伏し目がちに小さくそうつぶやく。
――あの子ね、実は去年高校を卒業してから、ずっと家に引きこもりっぱなしになってたんだ。
明灯さんの言葉が思い出された。
「名前はハムちゃんだよ!」
そのままじゃん。
……いや、素直なセンス、ってことにしておくか。
「可愛いよね。ほんとに癒されるんだよ」
ハムちゃんを抱き上げて愛しそうに撫でている陽和。
確かに、可愛いと思った。ハムちゃんも、そして陽和も。
ふと、ケージの横にあるヒマワリの種が目に入った。
これをかじっている姿も、すごく愛らしいんだよね。
そう思って、袋からひと粒取り出してハムちゃんに与えようとする。
「あっ、だめよ、ミサキ。今日はもうヒマワリの種あげちゃったし」
「え……? でも、夜帰ってきてから、ご飯あげてないよね?」
「ご飯はこっち。ヒマワリの種はね、ご飯じゃなくて、おやつみたいなものなの。脂肪分も多いから、あげすぎると体にもよくないんだよ?」
「そうなんだ」
僕は種を袋に戻す。
「まぁ、わからなくもないけどね。ヒマワリの種をかじってるハムスターって、すっごく可愛いし!」
そう言った陽和は、溢れんばかりの笑顔をこぼしていた。
ハムスターが唯一の友達だったと言った陽和。
でも、その頃と今とでは違うはずだ。
だって、こんなに楽しそうに笑っているのだから。