山野君の恋
渦巻探偵社、総務部経理課。
古井戸優也課長は、事務机にひじをつきヤキソバパンを頬張っていた。
そして深~~いため息をつく。
悩みのタネは、目下。部下の山野岩男のことである。
「君の意識改革をせねばなるまいね」
山野は、へ?と言いながら古井戸を見た。
邪気の無い顔である。
古井戸は暗たんたる気分におそわれた。
昨日、古井戸は部下の山野のアパートへ遊びに行った。
凄惨であった。
さんたんたる有り様とはあの部屋の事をいうのであろう。
ゴミは散乱し腐乱して悪臭を放っていた。
台所には"うじ"が湧きおどろおどろしい液体がたまっていた。
ゴキブリも死んでいた。
古井戸は吐き気をもよおしたものだった。
「私はダスキンじゃないんだぞ」
古井戸は口をとがらせて言った。
そう、古井戸は悪魔も「カンベンしてくれ」と叫ぶようなあの部屋を、ダスキンさながらピカピカにおそーじしたのであった。
さすがに頭にきているようである。
「何だね、あの汚さは。あまりものキタナさにゴキブリさえも死んでいたぞ。あと、エロ本はきちんと隠しなさい」
山野は、はあ、と気のない返事をした。
そして
「そろそろ嫁でももらいますかねェ」
と言った。
古井戸は再度ため息をついた。
「山野君、嫁は家事をさせるための道具ではないよ。それともホレた人でもいるのかい?」
山野はふっふっふと不気味に笑った。
「いるんですよゥ!それが」
山野がホレた娘は花屋の店員であった。
名前は優華。
清楚で可憐な娘である。
「オレぁ、あのコのことを考えるとなんかこう、胸がキュンッてなるんです」
山野は純情な顔を赤らめた。
「そ、そうか。胸がキュンッてなるのか…。それは心臓病じゃないんだな…?」
「違うと思いますが…」
そうであったか。
そういう事なら応援せねばなるまいと古井戸は思った。
そして次の日曜日。
「あのコですっ!ホラピンクのスカートの…」
「ふむ。あれか、君がホレた娘は」
古井戸と山野は取りあえずくだんの花屋にやって来た。
そして娘のすがたを確認する。
「面識は、ないのだね、山野君」
「ありませんよゥ」
山野はごつい顔をゆがめて恥じらった。
「とりあえず、花を買って口説いてきたまえ」
サラリと言ってのけた古井戸に山野は反論した。
「できるかッ!んな事」
古井戸は、ふふんと笑った。
「私が見本を見せてあげよう」
古井戸は、上品にレジの前に姿を現した。
そして、甘く、ささやく様に
「バラを15本…ください」
と言った。
優華はハイ、と言って
「メッセージはどうなさいますか?」
と聞いた。
古井戸は待ってました!とばかりに考えていたセリフを口にした。
「フォー、ユー、優華さん。あなたへ…」
「はい?」
そして古井戸は、優しく瞳を細めてゆるぎない視線で優華を見つめる。
優華は、ほほを染めて、うつむいた。
古井戸はバラの花束を優華に握らせ、耳もとでささやいた。
「どうぞ、私の気持ちです」
古井戸は見かけによらず女性には強いのだった。
「すごいですねー、課長」
山野は感心したように古井戸を見つめた。
「なに、相手は子供だよ。見たところ17、8歳じゃないか」
その時だった。
花屋の前に黒いリムジンが止まり、その中から黒いエージェントがわらわらと出てきた。
「優華を探せ」
完璧なフォーメイションで突入してくる。
そして優華はさらわれていった。
抵抗は全くできなかった。何しろ彼らは銃を持っていたのだから。
「なななな、何じゃ、そりゃあ」
古井戸と山野は呆けたようにその場に立ち尽くしていた。
猛スピードで去っていく黒いリムジンを黒いバイクにまたがって追いかける影があった。
――藤丸朱彦
彼は古井戸課長らが務める渦巻探偵社の社員である。
何にでも首を突っ込みたがる好奇心旺盛な彼は、黒いエージェントを見て興味をひかれたらしい。
喰っていたファーストフードを放り出してリムジンを追跡し始めたのだった。
さて、3日後の渦巻探偵社である。
課長、部長クラスが集まる会議でのこと。そこでは
『藤丸朱彦が行方不明になった件について』
が話し合われていた。
会議室内は「またか」といった雰囲気に包まれている。
「え~、皆さんご存じの通り、彼、藤丸朱彦はよく行方不明になります。全く心配する必要は無かったという場合もありますが命の危険にさらされていて、あわや!という瞬間に救出されたという場合もあります」
誰かが手を上げて質問した。
「彼、ケータイは持っていないのですか」
議長はうなずく。
「うむ、そこなんだ。彼はケータイを持っているハズなのだが電波が届かんか電源が切ってあるかのどっちかで一向につながらん」
古井戸課長は思った。
――藤丸朱彦のいる所には、きっと優華もいるハズだ。
議長は続ける。
「さて、藤丸が追いかけていたというエージェント。これは谷川財閥の手の者だという事が分かりました」
室内がどよめいた。
谷川財閥は日本有数の有名な財閥である。
「さて、この谷川財閥の長の谷川家へ人を差し向けたいと思うのですが、誰か立候補はありませんか?」
何を迷うことがあろう。
古井戸優也課長は、手をあげて立候補した。
山野岩男は興奮していた。
谷川家へ向かう道すがらである。
「課長っ!なんかワクワクしますねェ。で、どうやって忍び込むんですか?段取りとかは…」
古井戸は部下をちら、と見やり、ふうっとため息をついた。
「何を言っているんだ、山野君。スパイ大作戦じゃあるまいし…。忍びこんだりなどしないよ」
「だ、だって人を差し向けるって…」
「玄関から入るさ。何とかなるだろう」
「何とかなりますかねェ…」
2人は谷川の豪邸へと急いだ。
谷川の屋敷は郊外の山中に建っていた。
めちゃめちゃでかい屋敷である。
古井戸はインターホンを鳴らし、用件を告げて、しばらく待った。
すると
「どうぞ、お入り下さい」
意外にアッサリと邸内へ通されてしまった。
老執事に案内され、応接室に入る。
なんとそこでは、
藤丸朱彦と優華がお茶を飲んでくつろいでいた。
「な、何やっとるんだお前…」
古井戸は呆然とした。
山野はコケている。
優華は、古井戸を見て少し驚いたようだった。
お友達ですの?などと朱彦に聞いている。
老執事が説明してくれた。
「優華さまは達之助様の許婚でございます。藤丸朱彦さまは、先日訪ねてらして、達之助様とえらく意気投合しましてな。客人として御逗留なさっています」
「達之助…?」
「谷川家の長男でございます」
見ると、朱彦と優華の正面の椅子に品の良い青年が座っている。
谷川達之助、優華のフィアンセ。
古井戸は気を取り直して老執事に聞いた。
「3日前の…花屋のエージェントは一体…?」
「あれは、優華さまのアルバイトが終了時間でしたのでお迎えに上がったのでございます」
「…ずい分、手荒なお迎えだね」
「当家では当たり前のことでございます」
古井戸はなんだかひどく疲れた気分になった。
谷川邸からの帰り道。古井戸は山野に声をかけあぐねていた。
何しろ、彼は今しがた失恋してきたのである。
優華は幸せそうだった。
古井戸は山野の肩をポンポンと叩いた。
「…課長」
山野はうなだれていた顔を上げて古井戸を見た。
古井戸は優しげにほほ笑んだ。
「イヤなことは忘れよう。なにも難しい事じゃないさ。今夜は呑もう、とことん付き合ってやる」
「課長ォ~」
山野は武骨な顔をゆがめた。
2人は肩を並べながら、夜の雑踏の中へと消えていった。
了
古井戸課長と山野君シリーズ。3作目。