便所の天井ぶち破れ!
歴史を元ネタにしたコメディーです。
苦手な方は自己防衛をお願いします。
「殿ぉぉぉっ!」
夜も更けた頃、一人の男の声が響いた。
その声の主は、叫びながら館の中を全力疾走している。
相当な慌てようだった。
あまりに慌てているせいか、時々、足をもつれさせている。
それでも男は走る事を止めない。
館の奥へ、奥へと駆けていく。
そして、館の奥の一室の前で止まると、息も絶え絶えの有様ながら、戸を勢いよく開け放った。
「うわぁっ! な、何だ⁉ 急にどうした⁉」
館の奥の部屋で寝ていた男が飛び起きて叫ぶ。
どうやら、この男が『殿』らしい。
「こんな夜更けに何のつもりだ⁉」
殿が怒鳴る。
寝ていたら叩き起こされたも同然なのだから当然の反応だろう。
だが、そんな殿に、駆け込んで来た男は怒鳴り返す様にして言葉を返す。
「謀反です!」
「何だと⁉」
駆け込んで来た男の言葉に、殿が驚愕に顔を歪ませる。
「誰が首謀者だ⁉」
「分かりません! 現在、館の門で防いでいますが、時間の問題です!」
「数は⁉」
「多数としか……」
殿が舌打ちをする。
どう考えても状況が悪すぎだった。
話の内容からして、館の戦力で持ちこたえられる様な状況ではなさそうだ。
できる事といえば、討ち死に覚悟で戦うか、潔く自害して果てる他無いだろう。
だが、そんな状況に、殿は思案するように目を瞑る。
暫しの沈黙の後、目を瞑ったまま、殿が言う。
「……側近。妻を呼んでくれ」
「⁉ ……承知しました」
殿の指示に、駆け込んで来た男――側近が絞り出す様に答える。
そして、側近は、すぐさま部屋から駆け出して行った。
暫しの時間が経った。
側近が、一人の女性を連れ帰ってくる。
その女性に殿が言う。
「妻よ。謀反だ」
「まぁ……!」
殿の言葉に、殿の妻が驚いた様に声を上げる。
そんな自分の妻を殿が抱き寄せる。
「怖い思いをさせる。……すまんな」
殿の言葉に、側近が静かに涙を流す。
そして、側近は黙って短剣を殿に差し出した。
「……これは?」
殿が訝し気に訊ねる。
そんな殿に、側近が答える。
「御自害なさるのでは……?」
「は?」
完全に意表を突かれた様な声を殿が上げる。
どうやら、自害するつもりは欠片もなさそうだった。
「? ……では、戦われるのですか?」
「この場の戦力で勝てる訳がないだろう」
殿の言葉に、側近が首を傾げる。
それも無理ない事だろう。
自害するつもりはない。戦うつもりもない。
なら、どうするつもりなのか? と、いう話だ。
「策がある」
首を傾げる側近に、殿が不敵な笑みを浮かべながら言う。
どうやら、殿には、この場を切り抜ける策があるらしい。
だが、側近は、その言葉に懐疑的なのか、かなり疑わし気な表情を浮かべている。
「策……、ですか?」
「そうだ。とっておきのな……」
言うなり、殿が妻を抱き上げる。
そして、息を整える様に大きく深呼吸し、叫ぶ。
「逃げるんだよぉ~!」
そう叫ぶなり、殿が走り出す。
妻を抱き上げているというのに、とんでもない素早さだった。
「噓でしょ⁉」
側近が叫ぶ。
そして、一瞬、硬直したものの、慌てて殿を追いかけて走り出す。
「門は攻撃を受けているんですよ!」
「道ってのは、自分自身で作り出すものだ!」
「逃げ道じゃないですか! 最高にダサいですよ!」
「道は道だ!」
殿は止まらない。
着物をはだけさせ、肩を露わにしながらも走り続ける。
ついでに言うと、下着も丸見えだった。
「まあ。相変わらず、逞しい身体ですね」
「そうだろう? 惚れなおしたか?」
「半裸で走ってるだけでしょ! 何で、この状況で乳繰り合えるんですか⁉」
側近のツッコミを無視して殿は走る。
半裸で走る姿を何人もの部下に目撃されているが、殿は気にもしていない。
そして、とうとう、館を飛び出した。
「どこに行くんですか⁉ 後、半裸で外に出ないでください!」
「知った事か!」
側近の言葉に短く言い返し、殿は、館の外に建っている建物に向かって走っていく。
「厠じゃないですか! 逃げ込んでも、何の解決にもなりませんよ!」
そう、殿が向かっていたのは厠だった。
中々の臭気である。
だが、そんな事は気にもせず、殿は厠に突入していく。
そして、殿は厠に突入するなり、勢いよく戸を閉めた。
「殿! 何をやってるんですか⁉」
叫びながら、側近が厠の戸を叩く。
「入ってます!」
「知ってます!」
返ってきた殿の言葉は、極めてどうでも良い言葉だった。
「本当に、何を考えているんですか⁉ お願いですから、出てきてください!」
側近が悲痛な声で叫ぶが、もう、何の返事も返ってこなかった。
しかも、戸は開かない。
内側からつっかえ棒でもされているようだった。
暫しの時間、側近は厠の戸と戦ったが、ついに諦め、叫ぶ。
「誰か! 来てくれ!」
救援を求める事にした様だ。
その声に応える様に、数人が集まって来る。
「どうした⁉」
館が攻撃を受けているからだろう。やって来た者も慌てた様子だった。
「殿が厠に立て籠もった!」
「はぁっ⁉」
集まって来たうちの一人が叫ぶ。
何を言われたのか理解できない様な表情だった。
「殿がか⁉」
「そうだ! 奥方も一緒だ!」
「何で厠に⁉」
「知らん! 戸を抉じ開けるのを手伝え!」
「説得できないのか⁉」
「返事がない! 厠に逃げ込んで討ち取られでもしてみろ! 天下の笑いものだぞ!」
「……分かった!」
側近の言葉に、集まった者達が戸を破壊しようと攻撃を始める。
だが、何故か無駄に頑丈な戸は壊れない。
その様に、しびれを切らした一人が走り出す。
「丸太を探してくる!」
「頼む!」
そして、運ばれてくる丸太。
数人で丸太を持ち、丸太を厠の戸に目掛けて打ち据える。
まるで攻城戦の様な有様だった。
「何で、攻めらている立場なのに、厠相手に攻城戦をしないといかんのだ!」
丸太を持つ一人が叫ぶ。
至極、もっともな意見である。
「四の五の言うな! 殿を引きずり出して、自害させるか、戦わせるかするぞ!」
究極の二択だ。
ちなみに、どちらの選択肢を選んでも、殿は最終的に死亡である。
「戸が壊れたぞ!」
丸太が戸を打ち破る破壊音の後、声が響く。
丸太を持った者達が、まるで勝鬨の様な声を上げていた。
「殿は⁉」
そう叫び、側近が厠の中を覗き込む。
「……居ない?」
側近が訝し気な声を上げる。
側近の言う通り、厠の中には誰も居なかった。
だが、殿は確かに厠の中に逃げ込んだはずである。
「っ⁉ 天井が破られているぞ!」
側近と共に厠を覗いていた一人が叫ぶ。
その声に導かれるように視線を上に向けてみれば、確かに天井が破られていた。
「フハハハハハハハッ!」
高笑いが響いた。
厠の外からだった。
「殿っ⁉」
誰かが叫ぶ。
そう、高笑いの主は殿だった。
殿が、妻を抱いたまま、塀の上を疾走している。
「厠の天井から塀に上がったのか⁉」
驚愕の声が響く。
そして、続けて側近が叫んだ。
「敵兵はどうしている⁉」
「門に集中しています!」
「っ⁉ 殿っ! 敵兵が少ない場所から逃げてください!」
「任せろ!」
そう叫ぶなり、殿の姿が塀の上から消える。
どうやら、塀から飛び降りたらしい。
「俺は死なん! 逃げ切って見せるぞぉぉ!」
殿の雄たけびが響く。
その声を聞き届け、側近が周囲に居る者達に指示を飛ばす。
「徹底的に抗戦しろっ! 敵の目を門に集中させるのだ!」
「「「応っ!」」」
厠相手に攻城戦を行っていた者達が気合の声を上げ、武器をひっさげ、駆け出していく。
側近も、防衛指揮の為、少し遅れて駆け出した。
「殿。何とぞ御無事で」
側近の声が闇夜に消えていく。
そして、そんな状況を背後に逃げる殿は、半裸のままに疾走していた。
女性を抱き上げ、半裸で疾走する男。
プライドも何もかも投げ出した様な状態の男が、まさか殿だとは誰も思わず、僅かにすれ違う敵兵も見逃していく。
そして、殿は……
半裸のまま、見事に味方の陣営に駆け込んだのだった。
題名で気づいている方もいると思いますが、元ネタは、三国志の呂布奉先です。
正史三国志・呂布伝の(多分)注釈に、196年の夜半、呂布の大将の郝萌が反旗を翻し、呂布の政庁がある下邳の役所に侵入。呂布は頭巾もかぶらず、肩も露わな姿で、妻を連れて厠の天井から壁をつたって脱出し、高順の陣営に逃げ込んだとあります。
ちなみに、この反乱、陳宮が共謀していたようです。
なお、この時代の厠は豚小屋とセットだったようです。




