第3話 ムーンライトクラウン/月はまた森を照らす
第3話 ムーンライトクラウン
森の深部、あの「忘却の広場」が紅蓮の炎に舐め尽くされてから数日が経過した。
王都へと続く街道には、初夏の風が吹き抜けている。街道沿いの木々は、若々しい葉を揺らしながら、乾いた音を立てて旅人を迎えていた。
頭上には一点の曇りもない青空が広がり、遠くの山々が陽炎の中にぼんやりと霞んでいる。
その街道を、一台の荷馬車が軽快な音を立てて進んでいた。
御者台に座るのは、今は亡き守護者から「金髪男」と呼ばれたカイルと、「緑髪男」と呼ばれたエドルだ。
「おい、エドル。それ、もう少し丁寧に扱えよ。一点ものなんだからな」
「わかってるって、カイル。でもこれ、本当にホーンラビットのの角……なんだよな……。磨けば磨くほど、宝石みたいに光りやがる」
エドルが布で拭いていたのは、あの広場で最後に散ったホーンラビットの角だった。
リナの魔法によって根元がわずかに焦げていたが、それがかえって重厚な独特の風合いを生んでいる。
「リナは、ずっと後ろで寝てるのか?」
「ああ。あの森の広場を焼き払った後、『魔力を使いすぎた』とか言って、王都に着くまで起きないつもりらしいぜ。魔導師様は気楽なもんだ」
二人の会話をよそに、馬車はしばらくして王都の巨大な城門をくぐった。
王都は、これまでにない熱気に包まれていた。
通りには色とりどりの旗がはためき、広場の中央には木造の巨大な特設ステージが組まれている。
石畳の道を行き交う人々は、誰もが浮足立った様子で、ステージ上の看板を見上げていた。
『第一回:ラビットボーイ&ラビットガール・コンテスト! ~森の精霊、うさぎの耳を一番可愛く、格好よく着けこなすのは誰だ!?~』
ギルドの受付嬢、ミリーは、ステージの下で忙しなく指示を飛ばしていた。彼女の頭上には、すでに試作段階の「ウサ耳カチューシャ」が装着されている。
「ちょっと! そこの看板、もう少し右よ! 豪華さが足りないわ! もっとこう、ホーンラビットの野性味と美しさが融合した感じにしてちょうだい!」
そこへ、カイルたちが到着した。
「ミリーさん、注文の品を持ってきたぜ!」
「あら、カイル。遅かったじゃない。……あら、それ?」
ミリーの視線が、カイルの手にあるあの角に釘付けになった。
「……何これ。すごいじゃない。ただのホーンラビットの角じゃないわね。この光沢、この反り……まるで見えない意志が宿っているみたい。これなら、特別賞の『ムーンライト・クラウン』の素材にぴったりだわ!」
「そうだろ? 結構、手こずったんだ。変な動きをする個体がいてさ。まるで俺たちの動きを先読みしてるみたいだった」
「あはは、カイル。考えすぎだよ。たかがホーンラビットだぞ? 追い詰められてパニックになってただけだって」
エドルが笑い飛ばし、カイルも「そうか、そうだよな」と同調する。
彼らにとって、あの日の死闘は、すでに笑い話の一部に成り下がっていた。
日が傾き、街にオレンジ色の夕闇が忍び寄る頃。
王都の広場は、魔法の灯火によって昼間よりも明るく照らし出されている。
観衆の声が地鳴りのように響き、いよいよコンテストが幕を開けた。
「さあ! 皆様、お待たせしました!」
ミリーがステージに立ち、声を張り上げる。
「今夜、一番輝く『ホーンラビット』を決めるのは、あなたたちの拍手よ!」
ステージの上には、ホーンラビットの毛皮をあしらった衣装に身を包んだ若者たちが次々と現れた。ある者は愛らしく、ある者は勇ましくポーズを決める。
その頭上には、やはりウサミミカチューシャが装着されている。
観客席の端で、カイルたちもその光景を眺めていた。
「バカバカしい……。あんなに必死に逃げ回っていた連中の体の一部が、今や着飾るための道具なんだぜ」
「カイル、そんな冷たいこと言うなよ。おかげで俺たちの報酬も跳ね上がったんだからさ」
「そうよ。命なんて、誰かに使われて初めて価値が出るものなのよ。あのホーンラビットたちだって、穴の中でひっそり朽ち果てるより、こうして華やかな場所で飾られる方が、本望なんじゃないかしら?」
カイルが皮肉っぽく笑い、ワインを煽った。
ステージでは、いよいよ特別賞の発表が行われていた。
「栄えある『ムーンライト・クラウン』に選ばれたのは……この方!」
スポットライトが当たったのは、王都でも評判の美しい少女だった。彼女の頭上には、あの一匹の守護者の角が、銀色の装飾とともに冠として設えられていた。
少女が微笑み、観客が熱狂的な拍手を送る。その光景は、どこまでも幸福で、どこまでも残酷だった。
一方、王都から遠く離れたあの森。
夜の帳が降りた「忘却の広場」は、今や黒く焦げた不毛の地と化していた。
かつてホーンラビットの一族が掘り進めた無数の穴は、リナの魔法による熱で崩落し、埋もれている。
あの豊かな草の香りはなく、ただ、乾いた風が砂埃を巻き上げているだけだ。
しかし、その広場の端。
焼き尽くされたはずの地面から、ひょっこりと一筋の緑が顔を出していた。
それは、あの守護者が愛した「銀筋草」の芽だった。
風が吹く。
どこからか、微かな音が聞こえる。
それは、人間の楽しげな笑い声でも、鉄の棒が触れ合う金属音でもない。
「ピーーーッ」という、鋭くも誇り高い、小さな鳴き声の残響。
王都で冠にされた角は、もう二度とこの風を感じることはない。
人々は、その角の元の主が何を考え、何を守ろうとしたのかを一生知ることはない。
だが、月は知っている。
空高くから、この焦げた大地を青白く照らす月の女神ナーディアだけは、あの誇り高き離脱を、あの究極の脱兎を、記憶し続けている。
雲が流れ、月が一層強く輝く。
焼けた土の上に、一匹の影が落ちた。
生き残った一匹の小さなホーンラビットが、かつての同朋たちの居場所を確かめるように、静かに、そして力強く大地を蹴った。
森の平穏は奪われた。
しかし、誇りまでは奪わせない。
新しい守護者が、月の光を浴びて、ゆっくりと角を研ぎ始めた。
その光景は、あまりにも静かで、あまりにも美しかった。




