第1話 誇り高き角を持つ守護者と鉄の棒を持つ者
ホーンラビットの雄々しさを書いてみました。
ちなみにいろいろしゃべっていますが、ホーンラビットの鳴き声は「ぴー」です。
全3話の短いお話ですがよろしくお願いします。
第一話 誇り高き角を持つ守護者と鉄の棒を持つ者
その日、森は静寂のなかに、柔らかな陽光を抱きとめていた。
私の名は……いや、名などという概念は、我ら森の同朋には不要なものだ。同朋たちからは「若き雄」と呼ばれ、私自身は心の中で己を「森の平穏を司る守護者」と定義している。
額にそびえ立つ一本の角。それは狂気を振りまく道具ではない。月明かりを凝縮し、数多の試練を経て研ぎ澄まされた、誇り高き魂の守り刀である。
早朝、シダの葉に溜まった朝露が、宝石のように私の足元で砕ける。
私は慎重に、かつ優雅に足を進めた。辺りに漂うのは、潤いを含んだ土の香りと、生命を育む緑の吐息。私は、そこでもっとも瑞々しい「銀筋草」を見つけた。
「ふむ……今日の銀筋草は、大地の霊気を余すことなく吸い上げているな」
私は一口、その葉を食んだ。舌の上で弾ける爽やかな苦み。それは私の体内で純粋な魔力へと変換され、四肢の筋肉を心地よく引き締めていく。
これだ。食事であり、鍛錬でもあるこの研鑽の積み重ねこそが、私を森の守護者たらしめるのだ。
時折、私の領域を侵そうとする不届き者が現れる。巨大な牙を持つ灰狼や、音もなく空から襲いかかる大鷹。だが、彼らは私の角を一目見るなり、その鋭利な殺気に気圧されて去っていく。
どうしても引かぬ者には、私の「力の象徴」をその身に刻み込んでやる。それは守護者としての責務であり、自然の摂理という名の礼節であった。
「……風が変わったな」
私は咀嚼を止め、耳をピンと立てた。
西から流れてくる風。そこには、森の調和を乱す、異質な「金属」の臭いが混じっていた。
かつて、我らが一族の長老は、震える声で語っていた。
「人族」という名の禍々しい厄災について。
長老は、かつて迷い込んだ人間たちの言葉を、その老いた耳で聞き届け、我らに伝えてくれたのだ。
彼らは自然の理を解さず、森の同朋たちの皮を剥ぎ、その肉を焼き、そして我らの魂とも言える角を、ただの飾り物として奪い去るという。
「来たか。鉄の棒を持ち、偽りの革を纏う、略奪者共め」
私は逃げない。ここで退くことは、守護者としての誇りを捨てることに等しい。
私はあえて、彼らの進行方向にある、もっとも日当たりの良い岩場の上に陣取った。
毛並みが陽光に映え、角が鋭く煌めく。人族よ、これこそが貴様らが挑むべき、森の護り手である。
やがて、茂みを乱暴に掻き分けて、二人の影が現れた。
一人は、太陽の光を安っぽく反射させたような髪を持つ金髪男。腰に下げた鉄の棒を、まるで己の身体の一部であるかのように誇示している。
もう一人は、森の緑に紛れるにはあまりにも不自然な髪色をした緑髪男。その目は、獲物を探す卑しい欲望に濁っているように見えた。
「おい、カイル。見てみろよ、あそこにデカいホーンラビットがいるぜ」
「本当だ。ありゃいい角だな、エドル。ギルドのコンテスト、これ一本で上位狙えるんじゃないか?」
奴らが何かを喚いている。長老の教えによれば、あのような姿の人族たちを冒険者と言うそうだ。
おそらくあの金髪男と緑髪男は、私のあまりの神々しさに、戦慄を隠しきれず、互いを鼓舞し合っているのだろう。
哀れな者たちだ。恐怖を言葉で埋めようとするその姿、見苦しいことこの上ない。
私は静かに、岩の上から彼らを見下ろした。
さあ、人族よ。貴様らの「礼節」を見せてみろ。
金髪男が、腰の鉄の棒を引き抜く。
抜剣。それは彼らなりの「果し合いの申し入れ」であろう。私はその礼を汲み取り、軽く前脚で岩を掻いた。
「よかろう。貴様がその手にした棒で私の守護を打ち破れると思うのなら、挑んでくるがいい」
金髪男が間合いを詰めてくる。その足取りは危うく、隙だらけだ。私はあえて動かず、奴が最大の一撃を放つ瞬間を待った。
敵が、鉄の棒を大きく振りかぶる。
「しゃっ!」
空気を切り裂く鈍い音。だが、守護者たる私の目には止まって見える。
私は紙一重の差でその一振りをかわし、流れるような動作で背後へと跳躍した。
「なっ、速い……!?」
金髪男が驚きを隠せない声を漏らす。
当然だ。私は今、秘技を披露したのだから。
これこそが我らホーンラビットに伝わる『脱兎のごとき離脱』だ。
「脱」とは、しがらみや停滞から脱却すること。
「兎」とは、我ら高貴なる種族。
すなわち、常人の理解を超えた神速の離脱こそが、この言葉の本質。脱兎とは、離脱するホーンラビットの見事さを称えるための、至高の賛辞なのだ。
私は一度、奴らから距離を置いた。
あえて背中を見せ、余裕を持って草を食む。
これは「いつでも貴様を制圧できるが、今の私には食欲の方が重要である」という守護者ゆえの余裕だ。
だが、人族という種族は、かくも愚鈍なのか。
再び、彼らは追いかけてきた。それも、今度は二人掛かりで。
「ちょ、待てよ! あのホーンラビット、俺たちを馬鹿にしてんのか?」
「逃がすかよ! 貴重な素材なんだからな!」
緑髪男が下品な声を張り上げる。せっかくの食事の時間が台無しである。
私は溜息をつき、ゆっくりと振り返った。
「これ以上、森の静寂を汚すというのなら、容赦はせん。守護者の一撃、その身に刻むがいい」
私は角を研ぎ、精神を集中させる。
「兎に角」――。
ふむ。長老が教えてくれた言葉には、真理が含まれているな。
我々「ホーンラビット」には「角」がある。それこそが世界の絶対の真理。故に、すべてをなげうってでも、この角に敬意を払え。そういう意味に違いない。守護者の武器を称える、なんとも響きの良い言葉だ。
「さあ、我が崇拝する月の女神ナーディア様に代わって、お仕置きをしてやろう」
私は大地を蹴った。
その跳躍は、まさに重力を無視した飛翔。空中で身体を捻り、太陽を背に受ける。逆光の中で、私の角は一筋の稲妻と化す。
「ムーンライト・ホーン・アターック!!」
ターゲットは、先ほどから鉄の棒を振り回している金髪男だ。奴の防御が薄い首筋を狙い、彗星のごとく落下する。
私の計算では、この一撃で奴をひれ伏させ、森の厳しさを教えてやるはずだった。
――ガキンッ!
乾いた衝撃が私の脳天まで響く。
「ぬっ……!?」
驚くべきことに、金髪男は咄嗟に鉄の棒を掲げ、私の角を正面から受け止めたのだ。
いや、受け止めたというより、ただの偶然でそこに棒があっただけに見えたが、結果として私の攻撃は防がれた。
「いてて……なんだよ、このホーンラビット! 本気で突き殺しに来てやがる!」
「カイル、危ねえ! こいつ、普通のホーンラビットより動きがキレてるぞ!」
私は着地し、低く構えた。
角がジリジリと熱い。守護者の聖なる一撃を捌くとは。
「認めよう、金髪の人族。貴様はただの略奪者ではない。私と渡り合う資格があるようだ」
もちろん、今すぐこの場で決着をつけてもよい。だが、深追いは禁物だ。兵法として、一度手の内を見せたなら、次は場所を変えて相手を翻弄し、真の戦いへと誘うのが定石。
「今はここまでだ。命拾いしたな、鉄の棒の使い手よ」
私は再び、華麗なる「脱兎のごとき離脱」を開始した。今度は、森の奥深く――我ら一族の安息の地であり、罠でもある広場へと誘い込む。
「待てコラー!」
背後で、緑髪男の叫びが聞こえるが、それも心地よい風の音に聞こえた。
私は鬱蒼と茂る木々を抜け、日差しが幾何学模様を描く森の小道を駆け抜ける。
行き着く先は、無数の穴が口を開ける「忘却の広場」。
そこは、不届き者を二度と返さない、我ら守護者たちの聖域。
「さあ来い、人族。我が同朋たちの団結と、地形を活かした千変万化の戦術に、戦慄するがいい」
私は広場の中央で立ち止まり、天を仰いで鋭い鳴き声を上げた。
「ピーーーッ!!」
それは宣戦布告。森の調和を守るための、大いなる儀式の始まりであった。




