第6話 『あなたのためなら、全部できるよ?』
朝。
教室に入った瞬間、俺は違和感に気づいた。
——俺の机が、完璧に整えられている。
昨日のプリントは科目ごとに仕分けられ、
筆箱は開けやすい位置に置かれ、
椅子の高さまで俺仕様になっていた。
「……え?」
誰がやったのか考えるまでもない。
「おはよう、天城くん」
背後から、甘く震える声。
振り返ると、白雪玲奈が立っていた。
完璧美少女のはずなのに、
その表情は“俺を見つけた犬”みたいに嬉しそうで、
頬がほんのり赤く染まっている。
「……それ、白雪が?」
「うん……
天城くんが……少しでも気持ちよく朝を迎えられるように……」
玲奈は指先をもじもじさせながら続けた。
「……迷惑だった……?」
「いや、迷惑じゃないけど……」
そう言った瞬間、玲奈の顔が“ぱぁっ”と明るくなった。
「よかった……!
天城くんのためなら……なんでもできるよ……?」
その言い方が、妙に危うい。
「なんでもって……」
「うん。
天城くんが喜ぶことなら……
私、全部やりたいの……」
玲奈は胸元を押さえ、呼吸を整えようとしている。
でも、整わない。
「……ねぇ……天城くん……
今日の授業、ノート取るの大変でしょ……?」
「まぁ、黒板写すのは苦手だけど——」
「任せて」
玲奈は俺の言葉を遮った。
「天城くんの分、全部取っておくから……
天城くんは、私のノートだけ見ればいいよ……?」
「いや、それは——」
「だめ……?」
玲奈は涙が滲んだような目で俺を見上げた。
「……私、天城くんの役に立ちたいの……
天城くんのために……何かしていたいの……
じゃないと……胸が苦しくなるの……」
その言葉は、依存の深層そのものだった。
「白雪、無理は——」
「無理じゃないよ」
玲奈は即答した。
「天城くんのためなら……
どれだけでも頑張れるの……
だって……好きなんだもん……」
その瞬間、俺の心臓が跳ねた。
玲奈は続ける。
「……ねぇ……天城くん……
今日のお弁当……作ってきたの……」
「え?」
「天城くんが昨日、
“朝はパン派”って言ってたから……
パンに合うおかずにしたの……」
玲奈は小さな包みを差し出した。
「……天城くんのために……
朝四時に起きて……作ったの……」
「四時!?」
「うん……
天城くんのためなら……
眠れなくても……平気だよ……?」
その笑顔は、完璧美少女のものではなかった。
“好きな人のために壊れていく少女”の笑顔だった。
「白雪……本当に大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ」
玲奈は微笑んだまま言った。
「天城くんのこと考えると……
胸が苦しくて……
息ができなくなるの……」
そして、俺の袖をそっと掴んだ。
「……でも……
天城くんのために何かしてると……
苦しくなくなるの……」
玲奈の声は震えていた。
「……だから……お願い……
私に……天城くんの“役目”をちょうだい……?」
その瞬間、教室の扉が開いた。
「おはよー……って、うわ」
ほのかが固まった。
玲奈と俺の距離、
玲奈の表情、
玲奈の手が俺の袖を掴んでいること。
全部見てしまった。
「……白雪さん、それ……やりすぎじゃない?」
ほのかの声は低かった。
玲奈はほのかを見た。
その瞳は、ほんの一瞬だけ鋭く光った。
「……天城くんのために……
“やりすぎ”なんて……ないよ?」
その言葉に、ほのかは息を呑んだ。
——白雪玲奈は、もう戻れない。
その事実が、はっきりと分かった瞬間だった。




