序章2節.ソーリャ
鼓膜が破けたかと間違うほどの炸裂音。
一瞬で視界が真っ白になったかと思うと、瞼を開く間もなく強烈な衝撃が二人を襲った。
――口の中で血の味がする。それに右側の音がやたら遠い。鼓膜が破けたかもしれないが、幸い命に別状はなさそうだ。
「……っぐ、ソーリャさん……無事、ですか」
先生の問いにソーリャからの返事はない。
辺りを見回すと天井と柱に大きな亀裂が入ってる。
どうやら家はギリギリのとこで形を保ってはいるものの、いつ倒壊してもおかしくない状況だ。
「……はぁ、はぁ……一刻も早くここから出なくては……」
ソーリャの身を案じながら、なんとか立ち上がることが出来た先生は目先にソーリャを発見する。
だがそこで受け入れ難い光景を目にしてしまった。
「せ、せん……せい。あっはは……私、ドジっちゃった……っげふ」
大粒の汗を掻き、短い呼吸を繰り返すソーリャ。
彼女の脇腹には深々と木片が突き刺さっていたのだ。それも背部まで穿ち血塗れた先端が顔を覗かせており、貫通した傷口からは夥しいほどの出血が見える。
「ソーリャさん、喋らないで!!」
口腔からも血を吐き散らし、浅い呼吸でソーリャは答えた。
「せん、せ……きちゃ、だめ……にげて」
覚束ない足取りで懸命に彼女の元へと歩み寄る先生は、肩に手を回すと力の限りを尽くして救助した。
すると頃合いを見計らったように、あるいは主人の願いに応え役目を終えるように、家はバキバキと鈍い音を鳴り響かせて倒壊したのだった。
「大丈夫ですか……ソーリャさん」
肩で息をするソーリャ。彼女の命の灯が弱くなっているのを先生は触れる肌を通して直感する。
「ソーリャさん、目を閉じちゃダメだ。閉じたら死ぬ、私にご子息を見せてくれるんでしょう?」
消え入りそうな声で『はい』という返事が聞こえた事をしっかり確認した先生は、一歩、また一歩と彼女の歩くペースに合わせて歩を進める。
その行く先も変わらず阿鼻叫喚鳴り止まぬ火の海であることに変わりないとしても。
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『大地と共生』をというキャッチフレーズで家族連れの観光客に人気だったウィンズ町。
メテオラ大陸でも屈指の観光名所である水源温泉。今はその見る影もなく、地は割れて亀裂から間欠泉のように湯が噴き出している。
町は絶望に包まれていた。悲鳴と叫びが飛び交う惨劇の跡地は、戦争の空襲でもそうはならない。
叫び声がどこからともなく続いている、だがそれが誰なのかは判別できない。
「町が、なんて姿に……」
先生の足が思わず竦んでしまう。
無理もない、足元に散らばる瓦礫や破片の中には、肉片や死体の一部が転がっているのだ。
「せ、せんせ……?」
「あ……すいません。大丈夫ですよ」
先生の細い両腕に抱えられたソーリャが、異変を察し尋ねる。
一刻も早く彼女に治療を施さねば死んでしまう、先生はいつもの調子で気丈に振舞ってみせた。
まるで何もないかのように、微笑みながら人だったそれらを踏みしめて。
「ほら、もうすぐです。ここを曲がったら着きますよ」
そう言い終わる前に病院は姿を見せた。
病院は周りの建物が瓦解している中、窓ガラスが割れている程度で建物本来の機能は働いているようだった。しかし予想はしていたが被災者達がごった返しており、とにかく人口密度が高い。
こんな密集地帯の中でソーリャを抱えて進めば、間違いなく体が触れ合いソーリャを貫く木片がさらに深部へと刺さってしまうだろう。
歯噛みしながら立ちつくしている間に、彼女の皮膚は徐々に血色を失っていった。
冷たい首筋に指を当てる。
弱く、遠い。
「せ、先生! ご無事で――」
病院の方から見知った顔の白衣を着た男性が慌てて駆け寄ってくる。その顔からは過労が伺えるが男性は気にも留めていない。彼が見つめる先はソーリャただ一人だった。
「ソ、ソーリャ!? そんな……なんてことだ……」
「すいません、マークさん……彼女は私の家に原稿を受け取りに来ていたんです……その時に吹き飛んだ木片で……」
ぐしゃぐしゃの顔で最愛の女性の頬をそっと手で覆う。
マークはここアンヘル病院の医者で、同時にソーリャの夫だ。
妻の悲惨な光景を見て、正常でいられる道理など無かった。
「ごめんね……私、ドジっちゃったみたい……」
一方のソーリャはマークに会えたことで僅かだが瞳に精気が戻った。
その声には、ほんの少しだけいつもの調子が戻っている。
だがすぐに陰りを落とす。
「げふっ……ごめんね、マーク……私、あなたの赤ちゃん、産んであげられないや……」
彼女の言葉で察する。だが当然マークは納得できるわけもない。
彼の指が、彼女を抱く腕が、わずかに震える。こんなにも愛しい人をどうやって諦められるだろうか。
「バカなことを言うんじゃない! すぐに治してやるから勝手に逝くな、ソーリャ!!」
マークが声を荒げ、強引に道を開けてソーリャを院内に連れていこうとする。
しかしそのマークの行動を御したのもまた、抱えられたソーリャだった。
「ダメよ! っごほ、っごほ……あなたはここの医者。冷静に……うっ……」
喝によって正気に戻ったマークは冷静に周囲を見渡す。
医者は常に冷静に、そして救える命をより優先的に。それは被災が酷ければ尚更慎重に、より正確に行っていかなければいけない。
「でも……でも、分かってるけど……君を見捨てるなんて――」
「私が好きになったあなたは、 ……とても強くてかっこいい人よ」
ソーリャの言葉に悔しさで握った拳を震わせながら、しかし深呼吸を一つ吐いてマークは冷静になる。
「ソーリャ」
「はい……」
「いつまでも愛してる」
「……私もよ、マーク」
「ソーリャ」
ソーリャ。その呼び掛けに応じる者は、もういない。
だが最愛の人の腕の中で眠る彼女の表情は、その笑顔だけが温もりの名残のように残っていた。
「……愛してる、ソーリャ…………おやすみなさい」
微かに声の震えた医師は、すぐ襟を正し院内へと戻る。
妻に恥じぬ男であるために。




