2章5節.信仰場理論
「なんだって?」
信仰場理論。聞き慣れない単語にイマイチ理解が追いつかない一同に対し、キュリオスは珍しく紅眼を大きく見開いた。
「信仰場理論。ちょっとした理論の一種で、信仰とは行動ではなく場に宿るという考えだ。そしてその場というのは個人の精神ではなく人々の祈り・感情の集合体であり、それこそが信仰における力の強さを意味する。だが本来これは教会や祭りごとを哲学的に表現した理論でしかない。人を洗脳する、稲を成長させるなどの現実干渉する意味合いではない。が……おそらくこれこそがアルケーの影響だろう」
聞く者達の言葉が詰まる。凡そ、神の力なんてものが実在するわけないとでも言いたげだ。
しかし目の前でに実際に起きているのだから疑いようが無い。
「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ! このままじゃコイツが言うように、皆死んじゃうんじゃねえか!」
男が頭を抱えて喚く。
その様子を冷淡に一言で切り捨てて諭した。
「問題ない、言ったろ。これは信仰する者の数によって力を増す。全員の洗脳が解けた今、その効力は薄まっているはずだ」
その場にいた誰もが感嘆を漏らした。安堵と喜びの声があちこちで上がる。
悪行を働いた母と、止めに入った息子を除いて。
「よくも俺達を騙しやがって! ぶち殺してやる!!」
「そうだ! 自分達が生きる為だかなんだか知らねえが、散々いいようにしやがって!!」
自分達の命の安全が担保されると、次に向けられたのは親子への明確な怒り。
当然だ。見ず知らずの他人を何人も小屋に閉じ込めて意識を奪っていたのだから。
今更助けてくれなんてのは虫がよすぎるというものだ。
集まった人達が親子を取り囲むと、今にでも袋叩きにしそうな剣幕を浴びせる。
「ご、ごめんなさい……許してくださいぃぃ」
力関係が完全に逆転し、命乞いをするパストの母は何度も地面に頭を擦り付けて懇願した。
そんな姿をパストはただ見ていることしか出来なかった。
「ふざけんな! これでもくらえや!」
取り囲んだ男の一人がパストの母の脇腹を蹴り上げようと振りかぶる。
キュリオスもその様をジッと傍観していると、腕の中にで眠るルルディが身を捩らせた。
「ダメ……です。暴力はしちゃ、ダメ!」
蹴られる寸前、振り絞るように発した声は鈍い音を立てる前に制止される。
「なんでだよ! こいつ等は俺達をずっと利用してきた……嬢ちゃんだって同じようにされたんだろ!」
納得がいかない男と周りの被害者は、皆一様に口を揃えて不満をあげた。
それでもルルディが引く事は無かった。全員の思考と感情が一気に脳へと押し寄せる中で、涙を流しながら抗って。
心を視られ、操られた中で、ルルディはパストの母の奥底に眠る柔らかい気持ちを覗いていたのだった。
「たしかに、この方の行いは到底許される事ではないです。 ……でも同時に、この方の真意を覗きました。心の奥にはずっとパストさんへの愛情と、この集落の亡き人達への想いがあったんです」
ルルディが見た光景、それは今よりもずっと小さかった頃のパストと笑い合う母、そして友人であろう子供達と一緒に駆けっこをする姿。大人も何人もいて、皆で協力しながら家畜や田畑を耕す情景。
パストの母は最初からこんな歪んだ人ではなかった。
奇しくもあの日、集落の守り神にアルケーが宿り生活は少しずつ変わっていったのだ。
徐々に生活を行う上で不足していく人手、支え合う仲間を失っていき、パストの母は一人で頑張り続けた。
でも、触れてしまった。知ってしまった――神の如き力、その利便性を。
人はそんなに強くない、だから縋る存在が欲しくなる。頼れる何かが欲しくなる。
一人で頑張るには限界がある。だから『助けて』そんな小さな願いからだったのだ。
「水に流すなんてことは出来ません。でも大事なのは、これからどう生きるかだと私は思います」
ルルディは、境遇は違えど母の存在がどれだけ大切かは一番心得ている。
もしキュリオスが居なかったら、踏み出す勇気も立ち上がる決意も持てなかったかもしれない。
キュリオスの右手の人差し指をキュッと握った。
「それでもまだ不満があるなら、私が相手になります」
キュリオスは普段とどこか雰囲気の違うルルディを熟視した。
いつもの抜けているようなふにゃふにゃの少女の姿はどこへやら、今も感情の波に曝されているはずなのに勇ましさを感じる。
まるで熟練というより適応・順応。変化というより成長。
意識を失っていた中で、ルルディは何かを掴んだようだった。
ルルディの言葉に沈黙が訪れる中、最初に口を開いたのはパストだった。
「そんな必要はねえ。おっかぁをやるなら代わりにオラを、気が済むまで殴ってくれ」
パストもまた、覚悟を決めた目をしている。
「オラの為におっかぁはやった。それを止めなかったのはオラの責任だ。だから、オラを殴れ」
毅然とした態度のパストに、やがて観念した被害者はバツが悪そうに視線を合わせる。
すると悪態を漏らしながら一人、また一人と集落を去っていった。
やがて残ったのはキュリオス、ルルディとパスト親子の4人だけになった。
「もう、もう終わりだよぉ……私らは……」
涙を流して項垂れるパストの母を、パストは憂いを帯びた瞳で見つめていた。
「おっかぁ、顔上げろ! オラとおっかぁだけになったけんどよ、へっちゃらだよ!」
朗らかに言って見せるパスト。だが母の背中をさする横で地面が少しだけ湿っていくのをキュリオスは見逃さなかった。
例えどんなに辛い事があっても、親子二人で支え合って生きていく。それがこの二人の業であり罰ならば向き合っていくしかない。
「ルル、身体は無事か?」
沢山の感情に曝されたルルディは、雰囲気こそ少し大人びたが、疲労を感じていることに変わりないだろう。
キュリオスは身を案じたが、意外にも当の本人はケロッとしていた。
「あ、キュリオス。大丈夫だよ」
微笑む姿は穏やかそのもの。
しばし考え込んだキュリオスだったが、思考を放棄するとそっと立ち去ろうと身を翻す。親子がこれから再起を図らねばならないのに、水を差すような真似はしたくない。
ルルディも察してか、チラっと二人を覗くとキュリオスに連れ立ってその場を後にした。
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「キュリオス、ひとこと言わなくて良かったの?」
荷物をまとめると集落の入り口まで戻ってきた二人。
ルルディは気にするようにキュリオスに問う。
キュリオスとパストの間に少しだけ繋がりを感じたルルディは、惜別を案じていた。
意識を失って倒れていた時も、キュリオスの声はルルディの心に届いていた。
だからこそ分かる。別れが寂しいと。
「大丈夫だ。パストならな」
青空を見上げ、再び旅路に立つ。
すると遠くで声が聞こえてきた。少年の声だ。
「キュリォォオオス! ありがとうなぁああ! オラ、大変かもしんねーけど頑張るからよぉおお!」
声変わりする前の独特の響く声。
「お前も頑張れよぉぉおおお!!」
前途多難で幕を開けた旅路、早々に訪れた危機は無事乗り越えた。
ルルディも力を御し始め、アルケーの核にもわずかに触れた。
次はいよいよロゴス国最大都市、ロゴス・メテオロン。
声が木霊となって風に運ばれやってくる。
温かな風に揺れる白髪の下は晴れやかで、僅かに和らぎ笑んでいた。
ロゴス編 第2章 完




