意思と能力
皇国にとって、というか皇国に限らずだが相手の意思を完璧に把握することはできない。だからこそ皇国の最高意思決定機関も要求の受諾か、あるいは国権を保持するために敢えて戦争するのか、決断を下しかねていた。
差し迫って大きな問題は帝国軍による皇国侵攻の可能性の判断である。
ヴァルター中佐は連合皇国国防軍の諜報機関第三課の長である。ここ最近は帝国に皇国侵犯の能力があるのか、その調査を任ぜられている。
一般的に相手が軍事侵攻を発動するかどうかは意思と能力で算定される。相手に軍事侵攻を行う意思及びそれを実行し得るだけの軍事能力があるかどうかで脅威度を判定するのだ。
今回で言えば意思はあると判断されている。ヴァルター中佐に求められているのは能力の部分。さらに突っ込めば皇国一部領土への侵入か、もしくは全面戦争に至るかどうかを探ることである。
帝国の要求を順当に考えれば連邦南側面に打撃を与えるために皇国の領土を通りたいということであり、であれば武力衝突に至っても戦禍は全土には及ばない。精々帝国はその皇国の一部領土であるサルン地域を占領するだけで、対連邦戦が終結するまで皇国はそれ以上の惨禍には巻き込まれないだろう。
とは言えこれはかなり甘い想定。敵をぶん殴る時は我の全力でぶん殴るもの。ヴァルター中佐は早急にこの帝国の殴る力の程度を解明しなければならなかった。
今彼が目を通しているのは公開情報から敵情を探るOSINTの報告書。その内帝国の軍備についての報告書である。
彼の部下の1人、キール少尉に依れば、帝国軍の軍事工場の伸びが飛躍しているという。
10年程前、世界全体が近い将来に来たる戦争に備えるために軍備の拡大を始めた。そして一年前の総歴1940年に帝国は連邦へ侵略を始めた。
つまりここ10年程、特に戦争を発動する意思を持った帝国は軍備の邁進に努めてきたわけだから伸びは凄まじい。
そして少尉が注目しているのがここ一年のデータ。以前のペースと比較して明らかに異様な伸びを示している。
少尉はこれを、対連邦戦には過剰であり、また連邦侵攻後しばらくしてから伸び始めていることに着目し、南側面からの打撃のための増強が妥当であると結論付けた。
工員募集の広告、工場用地の取得に鋼鉄等兵器の製造に必要な物資の購入数等々。
少尉は特に軍事工場などの情報収集を担っている。帝国の求人雑誌などを地道に集め、皇国の官庁発行の帝国についての報告書を集め、この任に当たってはそれらを書庫から引っ張り出し睨めっこの日々。
例えば工場で求人の募集があったとする。これが伝統工芸品の職工募集ということであれば気に留めない。しかしこれが軍事工場やグループ、その下請けとなると話が変わってくる。
その一社だけであればあまり注目に値しないが、同系列の会社全体が同じようにしていたら警戒信号を発さなければならない。それは明らかに軍事工場が兵器の増産に入ることを示す兆候だからだ。
ただこれも一概にそうとは言い切れない事情があり、例えば大手自動車メーカーは民製品と軍需品を同時に生産しているのが普通のこと。なんなら民生品と軍需品に違いが全くないこともザラ。航空機のエンジンは軍用機と民間機で同じことが多々あるし、部品となってくるともう共通する物があって当たり前。
ともかくひたすら地味に地道に石ころみたいな情報を拾って精査の日々。
こうして得られた増強の度合いを示すグラフは連邦侵攻後数ヶ月から伸びを示し、この段階で新たに戦力を創出する必要を帝国が認識したと判断した。そして何のための戦力創出かと考えれば対皇国であるとの結論に至る。ただ東進するだけでは連邦の打倒に至らず、南からの北進を意識し始めたのがこの頃だろう、と。
この報告は別の部下からの報告とも合致する。同じ時期から帝国内部で医療品の増産が活発になっている。包帯に始まり血液製剤やワクチン。さらには従軍医師や看護師の募集も増えた。
さらに帝国軍内部情報から、帝国軍リクルーターがより新兵を募集するよう命令が下ったことが確認された。これはどうやら従来のノルマを大幅に上回るノルマを課されたらしい。
加えて皇国に近い帝国の領土を走る鉄道会社が俄かに繁忙している様子。単に商売繁忙なら、まあそれはそれで宜しいのだが、乗客あるいは貨物の輸送量増大無しにとなれば話は別。
そうした事柄関係無しに運転士を増やし、貨客車両が増え、さらに鉄道の延伸工事用と見られるレール及び関係車両が現れ、一部には新たに鉄道を敷設する動きも観測された。
この帝国の鉄道の動きを観測した部下は関係各方面にこの動きをどう思うか意見を求めた。
皇国内の鉄道を司る鉄道省の役人からは輸送量の増大が無いことを考慮すればあり得ないと言われた。
こうした推論には『それは単に帝国の戦争遂行準備の見通しが甘かっただけでは?』という論駁も加えられるが、ヴァルター中佐は最終的にそれを勘案しても過剰と判断した。