6 具だくさんポトフ
「ノアさん! 無事で……無事で本当によかった……!」
まばゆい光のせいで目がぱちぱちする。ぎゅっと抱きしめられた。温かくて、少し硬い。
「ラケルくん……?」
聞こえた声を頼りに、ノアはその名前を呼んだ。
徐々に視界がはっきりしてくる。チョコレートの髪に引き締まった体つき。鋭い三白眼は少し怖い印象を与えるけれど、本当はとても優しい人だとノアは知っている。
「ここどこ!? ノア、さっきまでお城にいたんだよ! エリヤ姉が魔法を使ってね、ノア、ノア……」
「エンドゥリターの俺の家だ。バラクから連絡があったんだよ。ノアさんが大変なことになってて、エリヤがノアさんを転移させるから俺のところで匿ってくれって」
嬉しくなって、涙がこぼれてくる。バラクもノアの逃亡に関与しているということは、彼は心からノアを裏切ったわけではなかったのだろう。
「監視されてて時間がないとかでろくに説明もされなかったが……一体何があったんだよ」
ノアも強くラケルを抱きしめた。支離滅裂な涙声の説明に、ラケルは根気強く付き合ってくれる。
「シメオン王子とエリヤの奴、王太子達に怪しまれないよう一芝居打ったのか。ノアさんに嫌われるかもしれねぇのに」
「嫌いになんてならないよ、みんなノアの大切な友達だから。でも……ノア、置いてっちゃった」
ノアを逃がしたエリヤとシメオンは、捕まってはいないだろうか。もしかしたらバラクも責任を負わされるのかもしれない。不安を吐露すると、ラケルは盛大に顔をしかめた。
「王子とエリヤならきっと切り抜けるだろうさ。バラクも気にしなくていい。そもそもあの国の政争は、ノアさんには関係ねぇだろ?」
ラケルは言う。すべてはサウルによる陰謀に決まってる、と。
シメオンとずっと一緒だったノアを偽物だと糾弾し、自分の息のかかった女性を真の聖女として披露することで、シメオンを蹴落として自分の立場を盤石なものにしたかったのだろう、というのがラケルの意見だった。シメオンの気持ちなんて、サウルは何もわかってくれていなかったのだ。
「バラクはノアさんに謝ってた。あいつはノアさんを裏切りやがったが、事情があったらしい。王太子に家族を人質に取られたんだってよ」
「そうだったんだ……」
「エリガンテの王太子は、よっぽど性根の腐った野郎みてぇだな。エリガンテのお偉方全体が腐りきってるのかもしれねぇが」
「優しい人だっていたんだよ。大司教のおじいちゃんとか。あの人達は、ノアのせいで捕まったんだ」
思い出すと、またくしゃりと顔が歪んで視界がぼやけていく。大司教達に振る舞ってもらった、温かい食事が懐かしい。けれどノアに優しくしたせいで、彼らは罪を背負わされたのだ。
「教会の人間なら大丈夫だ。聖地が介入して、すぐに釈放されるはずだからな」
「聖地……って、確か、この大陸の国にある教会の中でも一番偉い教会のことだよね?」
「ああ。星樹教の頂点、聖主様がいるところだ。五国一聖地って言ってな、この大陸を実質的に支配してる国の一つなんだぜ」
ラケルは頷き、ノアの頭を撫でてくれる。ノアはくすんと鼻をすすって涙をぬぐった。
「聖地は永世中立で、すべての教会は治外法権が約束されてる。たとえ聖職者が赴任先の国で問題を起こして拘束されても、聖地は引き渡しを要請できるんだ」
「ノアにもわかりやすく!」
「クソ王太子は大司教達を閉じ込められるが、それしかできねぇんだよ。大司教達は安全な聖地に行けるから、むしろ大丈夫なんだ」
「そうなの? よかったぁ」
エリガンテ王国とエンドゥリター王国も、五国一聖地に数えられる大国らしい。ただ、そのせいでむしろ仲が悪いそうなので、ノアがエンドゥリターにいる限りエリガンテには干渉できないという。
「普通、聖女を処刑しようなんて聖地が黙ってねぇ。でも、その、ナオミ? って女が本物の聖女だって王太子は主張してたんだろ?」
ノアは頷く。
なおみは間違いなくノアと同じ国から来た人だ。病深の祓い方がわからなかったノアと違って、彼女は初めからそれを理解していたのかもしれないし、そうだとしたら確かに彼女のほうが本物なのだろう。
「だから王太子はノアさんを殺すことに躊躇がなかったんだ。聖女の偽物なら、聖地も文句は言えねぇからな。きっとエリヤはすぐそれに気づいて、処刑を主導したんだ。自分が関与してノアさんを逃がす隙を作るためにな」
「ノア、偽物だったのかな。からの魔女って呼ばれたの」
別に聖女の称号に固執するわけではないが、今まで聖女と呼ばれていて、それを当然のものだと思っていたから、なんだかショックではあった。聖女であろうとなかろうと、人助けをしてきたことに違いはないとはいえ……胸の奥がモヤモヤする。
「からの魔女ってなぁに?」
「渇虚の魔女か……。ま、おとぎ話みたいなモンだよ。数百年前に聖女が降りた時、一緒に降りてきたって言われてる。魔女は病深の温床で、病深を吸収しては体内で育てるらしい」
「……ノア、病深のこと、吸い取ってたよね……」
心臓が嫌な跳ね方をした。バクバク激しい音を立てる心臓につられるように、口の中が乾いていく。
「あのなぁ。俺もエリヤもシメオン王子も、それからバラクだって、一度だってノアさんを魔女なんて呼んだか?」
「呼んでない」
「だろ。ノアさんを一番間近で見てたのは俺らだ。ここにいないあいつらの分も俺が言う」
抹茶色の瞳がじっとノアを見つめている。日本にいた時は苦みが苦手でほとんど飲んだことはなかったけれど、この世界に来てからは何故か喜んで飲み干せる気がしていた。
「ノアさんが潤実の聖女だろうが渇虚の魔女だろうが、そんなのはどっちだっていい。俺の“聖女”様はノアさんだけで、ノアさんが世界で一番特別な子なんだ」
そう言い切った直後、ラケルの顔がどんどん赤くなる。ラケルは慌てて言葉を続けた。
「こ、これは俺だけじゃなくて、あいつらもそう思ってるってことだからな! 深い意味はねぇぞ!」
「うんっ!」
ノアは満面の笑みでラケルに抱きついた。その瞬間、ラケルは照れた変な声を出して硬直する。ノアは気にせず深呼吸してラケルの温もりを堪能した。心臓はもう落ち着いている。
(そっか。ノアって別に本物の聖女じゃなくてもいいんだ。本物じゃなくても、ノアのこと特別だって言ってくれる人がいるんだから)
安心したのかお腹が鳴る。そういえば、ここしばらくは簡単な粗食ばかりで食事の時間が全然楽しくなかった。
「ラケルくん、ごはん食べたい。あったかいやつ」
「任せとけ。家の掃除は終わってねぇけど、急いで厨房と風呂場だけは綺麗にしといたからな。メシの用意しとくから、その間に風呂入ってこいよ」
そう言われて、ノアはようやく自分がずっと牢屋にいたことを思い出した。
シメオンが様子を見に来てからは体を拭くためにお湯の張られた桶とタオルが届けられていたが、臭いかもしれない。
無言でラケルから離れてすんすんと二の腕を嗅ぐノアを見て、ラケルは焦ったように声を上げた。
「大丈夫、別に臭くはねぇよ! ただノアさんは風呂好きだから、さっぱりしたいと思って!」
「うぅー! 行ってきます!」
「風呂場はこの部屋を出て右側の突き当たりのドアだからなー」
ドタバタしながら浴室に向かう。あらかじめラケルが気を回していたのか、脱衣所の籠にはふかふかのタオルと男物の楽そうな服が置いてあった。ノアが使っていいということだろう。
浴室には底に魔法陣が描いてある巨大な樽のようなものがあり、天井には開いた傘のようなものが吊り下がっている。この世界の浴槽とシャワーだ。魔力がなくても使える、不思議な魔法の道具。使い方は以前エリヤに教わったから知っている。底をぺしぺし叩けば、ゆっくりと熱いお湯があふれ出した。
お湯が溜まるまでシャワーを浴びて髪と体を洗いながら待ち、やがて樽の中に体を沈める。すぐにぽかぽかしてきた。
十分温まったので、のぼせる前に樽を出る。
シャツに袖を通すと、ラケルの匂いがする気がしてちょっと安心する。本当は長い髪をちゃんと乾かすべきなのだろうけど、ドアの向こうから漂う美味しそうな匂いに我慢できなくなった。匂いを頼りにしながら、ぱたぱたと小走りでラケルのところに向かう。
「ただいま!」
「おかえり? 座ってていいぞ」
開けたドアは予想通りダイニングキッチンだった。テーブルの上に温かな湯気が昇る鍋が置いてある。ころんと丸くて可愛いパンも一緒だ。
「ラケルくん、もしかして、ノアが来る前から作ってくれてた?」
「何かしてないと落ち着かなくてな。ノアさんは絶対腹減ってると思って」
ラケルは深皿に鍋の中身をよそう。野菜とお肉がごろごろ入ったポトフだった。歓声を上げるノアを愛おしげに一瞥し、ラケルはマグカップに温めたミルクを注いだ。




