4 クツジョクの味
「なおみさん……っていうの? その人が何をしてたか、ノアは知らないけど……その人もきっとどこかでがんばってたんだよね。でも、ノア達だってがんばったんだよ」
ノアはナオミと呼ばれた女性を見る。目をそらしたナオミは、まるで何かに怯えているようだった。
「知ったような口を利くな! 他人に守られながらのうのうと暮らしてきたお前に、ナオミの苦労がわかるわけがないだろう!」
サウルに怒鳴られた。反射的にびくっとしてしまう。その勢いのままサウルは早口でまくしたてた。
「ナオミは二年もの間、教会の連中に着の身着のままで放り出されてなおこの世界のために祈り続けていたのだぞ!? 異郷の地にあって頼る者もいないというのにだ!」
「でも……でも、実際に戦ってたのはノア達だよ!? あんなにいっぱい病深を吸い取って、」
「吸い取った、だと? 語るに落ちたな、汚らわしい雌猫めが!」
ノアは勇気を奮い立たせて反論したが、むしろ逆効果だったらしい。
サウルは嫌な笑みを浮かべる。何か言ってはいけないことを言ってしまったというのは、バカなノアでもさすがにわかった。
「聖女の浄化を受けた病深は、吸い取られるのではなく散っていくのだ! その詭弁こそ、お前が偽の聖女である証!」
人差し指をノアに突きつけて、断罪者サウルは声高らかに宣告する。
「病深をその身に取り込んだというなら、お前はもはや化物と呼ぶにふさわしいものへと変質しているに違いない! あるいは、最初から病深と同質の呪わしい存在だったのかもしれないな?」
サウルの言葉を受けて、宮廷人の誰かがぽつりと呟いた。「渇虚の魔女」と。
その声音自体は小さなものだったが、それを中心にしてどよめきが広がっていく。ノアの聞いたことのない言葉だが、この場にいる人々にとっては違うらしい。「静粛に!」サウルはその場を静まらせ、再び口を開いた。
「ナオミはどんな苦境でも心を負の感情で染めることのない、清らかな魂の持ち主だ。ナオミこそが、我らを救う潤実の聖女に違いない」
そう言いながら、サウルは傍らのナオミを抱き寄せて頬を撫でる。まるで恋人同士のようだ。
ナオミは顔をこわばらせるが、耳元でサウルに何かを囁かれると、しおれたようにおとなしくなった。
「真の聖女にかような責め苦を負わせてしまうなど……余がナオミを保護していなければ、神の怒りがこの国を焼いていたことだろう」
誰からともなく小さな悲鳴を上げる。聴衆はサウルの言葉に異議を唱えるどころか、すっかり信じ込んでいた。
「真の聖女を見抜けなかったばかりか、あまつさえ追放するなどという愚行を犯した者達は全員投獄した。だが、もう一人、なんとしてでも裁くべき者がいる。そうだろう?」
サウルの目はまっすぐにノアを見つめていた。
獲物を前にして今にも舌なめずりをしそうなその愉悦には覚えがある。にたりと歪んだその口元は、蹂躙を愛する征服者の笑みだ。
「お待ちください、王太子殿下! 恐れながら申し上げますが、ノア様が偽物だとおっしゃるのならばその責任は彼女を聖女として祀りあげた私達にあるのではないでしょうか」
跪いたままのシメオンは、額が床につきそうなぐらい深く頭を下げている。ノアのために。彼は王子で、相手は自分の異母兄だというのに、あんまりだ。
「どうか咎は、私めにお与えを」
「自分が偽物だと知っていたはずなのにのうのうと居座り続けたのは、他ならないその小娘だ。その小娘は、無力な天使の仮面を被ってお前達を嘲笑っていたのだぞ。情けをかける義理などない。無論、小娘の虚偽を見抜けなかったお前やエリヤにも相応の罰は与えるが、小娘への罰の代わりになると思うなよ」
それなのに、シメオンの訴えはあっさりと退けられた。
シメオンはどうにかしてこの場を切り抜けようとしてくれたが、そのためにはサウルの意志が強すぎた。サウルは、どうあってもこの場でノアを罪人扱いして、ノアの処遇を決める気だ。
「それに、だ。偽聖女、お前は元の世界に帰るつもりがなかったらしいな。大方シメオンを篭絡し、妃の座に座ろうともくろんでいたのだろう。身分を偽称するばかりか王族に取り入ろうとする毒婦を野放しにしてはおけん。次にどんな大それた悪事を企むか、わかったものではないからな」
「はぁ!?」
そんなわけがない。シメオンが好きなのはエリヤだし、エリヤとシメオンの息はぴったりだ。エリヤだってまんざらでもなさそうだった。
エリヤの妹分としてシメオンにちょっかいをかけることはあっても、本気で割って入って仲を引き裂く気なんてノアにはない。
二人の気持ちとか、身分の違いとか、色々考えないといけないことはあるのかもしれない。けれど、だからこそ話をややこしくする気なんてさらさらなかったのに。
いや、それよりも、だ。元の世界に帰るつもりがないことは、仲間達にしか話していない。サウルが知っているはずがないのだ。
それなのに、サウルはそのことを知っていた。誰かが彼にそれを話した。では誰が。答えはすぐに出た。
(そっか。ノアのしょせーじゅつなんて、しょせんノアの狭い世界の中だけでしか通じないんだね。やっぱりノア、バカだなぁ……)
バラクが歩み寄ってくれていたなんて、そんなのノアの思い上がりだった。
きっと彼がサウルにあることないこと吹き込んだのだろう。だから彼は一人だけ、さも自分は断罪する側の人間だとでも言うように王太子の傍にいるのだ。
ノアが気づいたことは、すぐにシメオンとエリヤも気づいたようだ。
二人は声を荒げることこそなかったが、失望と諦観が入り混じった眼差しでバラクを見ていた。
バラクは鼻白んで目をそらす。彼もナオミと同様に、何かに怯えているようだった。強くて勇ましい騎士の彼がそんな風に萎縮するなんて、一体何があったのだろう。
「国と民を欺いた偽りの聖女には、裁きを与えなければいけない」
「であれば、それにふさわしい刑罰を提言いたします。処刑陣を用いるのです。さすればこの大嘘つきの小娘の穢れた血と肉は大地に還り、二度と蘇ることはありません」
そう言ったのはエリヤだった。処刑陣というのがなんなのかはノアにはよくわからないが、あまりいい響きではないことだけは察せられた。
エリヤはもう、バラクのことなど見ていない。口上を遮られたサウルは不服そうに一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐ面白そうに目を細めた。
「仲間を売ってまで助かりたいか? だが、賢い判断だ。ならばエリヤ、執行にはお前も加われ。それをもって己の潔白と忠義を示すといい」
「御意のままに、王太子殿下」
「何故だ、エリヤ! そのような恐ろしいことを、何故貴方が……!」
「シメオン王子殿下、これは誰かがしないといけないことなのです。我々はその小娘を聖女と違えてしまった。その罪を贖わないと」
エリヤの声音は、今まで聞いたこともないほど冷たかった。寒くはないのに、胸の奥が冷えていく。
(でも、それでエリヤ姉とシメオンさまが許してもらえるなら)
あふれそうになる涙をぐしぐしぬぐい、ノアはうつむいて唇を噛む。大切な仲間を守れるのなら、この底冷えするような痛みすら耐えられるような気がした。




