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異世界恋愛(短編)

ポンコツ腹黒社長の恋わずらい

 僕は、ジェラルド・フランツィーニ。


 由緒正しきフランツィーニ侯爵家の嫡男であり、王都一の商会と名高いフランツィーニ商会の若き社長だ。


 高位貴族の地位に、歴史ある家門という名誉、そして商会の売上や投資による莫大な資産を手中に収める僕は、いつも人々の話題の的だった。


 誰もが僕に憧れ、(うらや)み、あわよくば利用しようと目論んで、にこにこといかにも善良そうな笑顔を浮かべて近づいてきた。


「やあ、ジェラルド君。そろそろ婚約者を持つ気はないかね? ちょうど最近ワシの孫娘が社交界デビューをして……」


「それはおめでとうございます。ただ、あいにく今は仕事に打ち込みたいと思っておりまして。では、次の予定がありますので失礼いたします」


 こんなときは、僕も人好きのしそうな爽やかな顔で笑い返す。そして適当に返事をしてあしらうのだ。心の中で舌打ちをしながら。


(婚約の話もいい加減うんざりだ……)




◇◇◇




「今日はピッグス伯爵から婚約を勧められそうになったから急いで逃げてきたよ。お孫さんが社交界デビューしたとかで」


 パーティーを中座して商会の執務室に戻った僕は、輸入ものの革張りのソファにドサリと座って、秘書のアルマンドに愚痴った。


 アルマンドは特に表情を変えることもなく、「左様でございますか」といつも通りの返事をする。


「では、ピッグス伯爵家に何かお祝いの品をお贈りしておきます」


「いや、別にいいだろ。ちょっと話に出ただけだし」


「でも、お話の途中で逃げ出されたのでしょう? お詫びも兼ねて何かお贈りしたほうがよろしいかと。社長から気にかけてもらえたと思えば嫌な気にはならないでしょうし、今後の取引にも好影響かと存じます」


「まあ、そう言われてみればそうだな。じゃあ、良さそうなものを見繕って贈っておいてもらえるか?」


「はい、かしこまりました」


 アルマンドが上着の内ポケットから手帳を取り出して、何やらさらさらと書きつける。


(……本当に優秀な秘書だな)


 彼、アルマンド・レンツィは、代々我が家の秘書として仕えてくれているレンツィ子爵家の嫡男だ。


 真っ直ぐな黒髪に、濃い紫色の瞳が印象的で、見るからに切れ者という雰囲気を醸している。というか、実際に極めて有能で、彼なしでは今ほどの業績はあげられなかったかもしれない。


 彼が僕の予定を完璧に管理し、取引先や部下たちへの配慮を欠かさずにフォローしてくれるおかげで、僕は自分の仕事に全力投球することができ、商会の売上もずっと右肩上がりだった。


 僕が今、天才実業家として名を馳せているのも、半分は彼のおかげと言っても過言ではない。


 僕はアルマンドの整った横顔をじっと見つめ、感謝の気持ちを口にした。


「アルマンド、いつも本当にありがとう。僕はもう、君がいないとダメな体になってしまったかもしれない」


「誤解を招きそうなことを言わないでください」


 アルマンドがこちらに視線も寄越さずに、すげなく返事する。


「君は冷たいな」


「お嫌ですか」


「いや、僕にそんな態度で接するのは君くらいだからな。むしろ気持ちいいよ」


 アルマンドが無の顔で、ちらりと僕を見る。


「あ、別に変な意味じゃくて、さっぱりした態度で仕事がしやすいってことで……」


「……分かってます。私も、上司が大らかでありがたいと思っていますよ」


「アルマンド……!」


 珍しいアルマンドのデレに少し感動していると、彼がビシッと時計を指差した。


「あと1時間で宝石商との商談ですから、それまでにあちらの資料を確認して頭に叩き込んでください。私はピッグス伯爵家への贈り物を手配してまいりますが、私が見ていないからといってサボってはいけませんよ」


「そ、そんなことはしないさ。だが、ゆっくり行ってきていいぞ」


「……なるべく早く戻ります」


 どことなく僕を疑うような視線を向けながら、アルマンドが部屋を出ていく。


「……じゃあ、サボらず仕事をするか」


 僕は執務机に移動して、アルマンドが丁寧にまとめてくれた書類の束を手に取った。




◇◇◇




「ピッグス伯爵からお礼の手紙が届きましたよ。お孫さんにも喜んでいただけたようです。今度、フランツィーニ商会の新作ドレスを購入したいそうです」


「そうか。アルマンドのおかげだな」


「いえ、お手紙からは上客になっていただけそうな手応えを感じましたので、お買い物の際にさらに仕掛けていくとよろしいかと存じます」


「なるほど、そうしよう」


「……ところで、ジェラルド様は何をなさっているのですか?」


 アルマンドが怪訝そうに眉をひそめて尋ねてくる。

 それもそうだろう。上司が部屋の真ん中で両手に鉄の塊を持って上げ下げしているのだから。


 僕は手に持っていた鉄の塊を床に置き、額に滲んだ汗を手で拭う。


「これは隣国で流行っているものらしくて、"ダンベル" というらしい」


「ダンベル……?」


「こうやって片手にひとつずつ持って上げ下げすることで筋肉を鍛えるんだそうだ。たしか "筋トレ" とか言っていたな。運動不足の貴族の男たちが屋内でもできる運動として、こぞってやり始めたらしい」


「なるほど。ですが、なぜそれをジェラルド様が?」


「うちの紹介でも取り扱って、国内で流行らせたいと思ってな。ダンベルは筋力に応じて負荷を変えられるように色々な重さのものを作れば売上を伸ばせそうだろう。そういうわけで、自分でも試してみるべきだと思って使ってみたんだ」


「左様でございましたか。それで、お使いになってみていかがですか?」


 アルマンドに感想を聞かれた僕は、左腕の上腕筋に力こぶを作って叩いてみせる。


「これは腕の筋肉を鍛えるのにいいな。使い方によっては胸筋にも効きそうだ」


「左様でございますか」


「ただ、この形だとちょっと持ち上げにくい気もするな。どうにかして改良できないだろうか」


 売上が見込めそうであれば、輸入して売り出すのではなく、国内生産に切り替えてもよさそうだ。その場合、気になる点はできるだけ改良して製造したい。


「そうだ、アルマンドも少し使ってみて感想を聞かせてくれないか」


 アルマンドなら優れた着眼点で良い改良のヒントをくれそうな気がする。そう思って頼んでみると、アルマンドはあからさまに顔をこわばらせて拒否してきた。


「いえ、私は結構です。ジェラルド様と違って筋力もありませんので」


「むしろ、それがいいんだよ。まだあまり筋力のない人だとどう感じるのかが知りたい。君の意見はきっと役立つから頼むよ」


 アルマンドだからこそ感想を聞きたいのだとお願いすると、真面目なアルマンドは溜め息をつきながらも了承してくれた。


「……分かりました。ですが、あまり期待はしないでください」


 アルマンドがしゃがんで、床に置かれたダンベルを持ち上げる……と思ったが、なかなか持ち上がらない。


「ふっ……くっ……」


 片手では無理だと思ったのか、両手でひとつのダンベルを掴んで持ち上げるが、よろよろとしていて非常に危なっかしい。


「ううっ…………ふうっ…………」


 まだ3回ほどしか上げ下げしていないのに、顔を真っ赤にして苦しそうに顔を歪めている。


(あのダンベルは、たしか初心者が最初に購入する比較的軽めのものだったはずなんだが……)


 実際、自分で使ってみてもやや物足りなくて、もう少し重くてもいいと思ったくらいだ。


 とは言え、筋力は人それぞれだから、アルマンドにとってはきつい重さなのかもしれない。


「アルマンド、もうそのくらいで大丈夫だ」


 無理をして腕や腰を痛めては大変だと思ってやめさせると、アルマンドは床にドサッとダンベルを下ろし、ふらつきながら立ち上がった。


「す、すみません……お見苦しい姿をお見せいたしました……。本当に非力なもので、情けないです……」


 額は汗ばみ、眉を寄せて辛そうな表情を浮かべ、はぁはぁと荒い息遣いで僕を見つめるアルマンド。

 その姿は、信じられないくらい色気が漂っていて、僕は思わず息を飲み────自分の頬をぶん殴った。


「ジェ、ジェラルド様!? 一体なにを……!?」


 アルマンドが驚いて声を上げる。


「いや、なんでもない。ちょっと筋トレの成果を試したくなっただけだ、ははは」


「ですが、何もご自分を殴らなくても……。お顔が腫れてしまいますよ」


「どわっ……だ、大丈夫だ……!」


 アルマンドが心配そうな表情で頬に触れてくるので、思わず変な声が出てしまった。


「ジェラルド様、お顔が真っ赤です。すぐに冷やしたほうがいいかもしれません」


「そ、そうだな! 筋トレで汗もかいたし、顔を洗って頬を冷やしてくるよ」


「はい、そうなさってください」


「じゃ、じゃあちょっと行ってくる」


「はい、お大事になさってください」


 部屋を出て廊下に出ると、さっきまで爆発しそうなほど激しかった鼓動が少しだけ落ち着いてきた。おそらく、顔色も「真っ赤」から「ピンク色」くらいに薄まっているだろう。


 しかし、頭の中だけは相変わらずめちゃくちゃだった。


(僕は何を考えているんだ……? アルマンドを見て欲情するなんて……!)


 たしかにアルマンドは、美形だと言われ慣れている自分が見ても美男子だと思う。今まで出会った男の中で、一、二を争う美しさだ。


 しかし今まで、男を見てときめいたことなどないし、そもそも僕が好きなのは女性だ。初恋もちゃんと女の子だった。


(……それなのに、どうして僕は……)


 そういえば、アルマンドは体つきが華奢で、声も低くはないから、どことなく中性的な魅力がある。もしかすると、そのせいで一瞬、惑わされてしまったのかもしれない。


 あとは、実は欲求不満だったりするのかもしれない。


(いずれにしても、二度とあんなことがないようにしなくては……)


 アルマンドを変な目で見ていると彼にバレたら、気持ち悪がって秘書を辞めてしまうかもしれない。


 そうなれば、商会にとって大きな損失だ。

 絶対に避けなければならない。


(早く婚約者を作ったほうがいいかもしれないな……)


 今まではどうしても気が乗らなくて、仕事を理由に婚約は後回しにしていたが、そろそろ本格的に婚約者探しを始めたほうがいい気がしてきた。


 洗面台の蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく流れ出した。

 



◇◇◇

 



「ご所望のリストをお持ちいたしました」


 アルマンドがぶ厚い書類を僕に手渡す。

 先日、そろそろ婚約者を作ろうと思い立った後、すぐにその候補者を探すべく、アルマンドに頼んで婚約者に相応しそうな女性をピックアップしてもらったのだ。


 肖像画や趣味、家族編成などが詳細にまとめられていて大変見やすいリストだったが、僕はざっと目を通すと溜め息をついて書類を机に置いた。


「うーん、君にしてはイマイチの資料だったな」


「申し訳ございません、何か不備でもございましたか?」


 アルマンドが頭を下げて理由を尋ねる。

 僕は書類をパラパラとめくって見直した。


「どうも僕の好みに合わないというか……。君なら僕の好きなタイプも把握してるかと思ったんだが」


「それは失礼いたしました。私が勘違いしていたようです。よろしければジェラルド様のお好みのタイプをお伺いしても?」


「そうだな、たとえば今回のリストは可愛らしい雰囲気の令嬢が多かったが、僕は美人系のほうが好みなんだよな」


「なるほど」


「あとは朗らかそうな人よりも物静かな感じの人がいいし、いつでもベタベタくっついて来るような人じゃなくて、僕の仕事を理解して見守ってくれる人がいい」


「たしかに」


 アルマンドが手帳にメモしながら納得したようにうなずく。


「ちなみに、具体的なイメージを共有するためにお伺いしたいのですが、たとえば女優でいうとどのような方ですか?」


「女優でいえば……そうだな……」


 アルマンドに尋ねられ、投資先の劇場に所属する女優たちを思い浮かべる。


(アニータ・リッチ? いや、メリッサ・カランドラ? うーん、なんか違うな……。ああいう華やかな美女じゃなくて、もっと隠れた美人というか、たとえば──)


 頭の中で自分の理想を思い描く。


 すらりとした長身で、気品を感じる佇まい。

 ゴージャスなブロンドの巻き毛より、癖のない真っ直ぐな黒髪のほうが素敵だと思う。

 目は切れ長で、賢そうでありながら色気も感じる色彩、たとえば紫色なんていいんじゃないか。

 普段はツンとしていながらも、たまに可愛らしいことを言ってくれたら最高だ。


 そう、これこそ僕が求めている人だ!


 ……と理想のタイプのイメージ像が固まった瞬間、僕は自分の頭を机の上に勢いよく打ちつけた。


(僕は馬鹿か!? なんで理想のタイプでアルマンドを思い浮かべるんだ……!!)


 しかも、ご丁寧に女性の姿でイメージして、頭がおかしくなったとしか思えない。


「ジェラルド様!? 今ものすごい音がしましたが……」


 アルマンドが心配して駆けつけるが、さっきの女性版アルマンドが頭にチラついてしまい、申し訳ないが今は近づいてきてほしくない。


 サッと手で制して、何事もないように振る舞う。


「……大丈夫、少し額を打っただけだ。一瞬居眠りをしてしまったらしい。疲れが溜まっているのかもな、ははは」


「鼻血も出ていらっしゃいますが……」


「あっ……そういえば、鼻もぶつけた、かも……?」


「すぐに救急箱を持ってまいります。ひとまず今はこのハンカチで押さえていてください」


 アルマンドが自分のポケットからハンカチを取り出して手渡してくれる。



 ──トゥンク……



(……トゥンクじゃない!)


 男の秘書にハンカチを手渡されただけで胸をときめかせるなんてどうかしている。


(これは本格的にまずいな……)


 もはやどんどん重症化しているとしか思えない。

 不治の病になってしまう前に、なんとかしなくては……。


 救急箱を取りに行くアルマンドの背中を見つめながら、僕は頭を抱えた。




◇◇◇




「皇女様から婚約の打診ですか?」


 アルマンドが目を丸くして尋ねる。

 珍しくちょっと驚いた顔も可愛い──じゃない、危ない危ない。


 僕は最近頻繁に襲いかかってくる妄想と雑念を必死に振り払う。


「……ああ、皇女の使者から直接手紙を渡されてな。僕が婚約を考えていることをどこかから知ったらしい」


「それで──打診をお受けするのですか?」


 アルマンドが探るように僕の目を見つめる。


「いや、正直この話は断りたいと思っている」


 第三皇女ベアトリーチェといえば、我儘で傲慢だと有名だ。

 僕の好みで言えば完全に無しだし、商会経営の面から考えても皇室との婚姻関係は恩恵もあるだろうが、自由度が阻害されるデメリットのほうが僕にとっては大きい。


「ただ、向こうが何がなんでも婚約したい、むしろすぐに結婚したいと強引でな。どうやったら断れるかと悩んでいるんだ」


 頭を押さえて溜め息をつくと、アルマンドが「なるほど……」と呟いて思案し始めた。


「では、すでに婚約者は決まったとお伝えして断るのはいかがでしょう」


「それは僕も考えたが、皇女はきっと婚約者は誰か教えろだの、実際に会わせろだの要求してくるだろう。そんな修羅場に付き合ってくれる女性がいるとは思えないし、僕だっていくら緊急事態とはいえ、婚約者を適当に選びたくはない」


 自分でも我儘なことを言っているとは思うが、こんなことで婚約者選びを妥協したくはない。

 商会の事業だって、安易に妥協せず真剣に取り組んできたからこそ、記録的な売上増を達成し続けることができているのだ。


 僕の断固とした決意が伝わったのか、アルマンドが小さく溜め息をついて、「分かりました」と返事した。


「皇女様との面談に協力してくれ、用が済んだら速やかに関係解消してくれる女性をご用意いたします」


「えっ、そんな女性がいるのか!?」


 あまりにも都合のいい話に驚いていると、アルマンドが渋々といった様子で眉根を寄せた。


「うちの家門から丁度いい協力者を連れてまいります」


「その手があったか……!」


 アルマンドの実家のレンツィ子爵家は代々我が家に仕えてくれている家門だ。他の家であれば嫌がられてしまうような頼みでも、レンツィ子爵家なら手を貸してくれるだろう。


「ありがとう、恩に着るよ!」


「……今回だけでございますよ」


 アルマンドの手を取ってお礼を言うと、彼は悩ましげに再び溜め息をついた。




◇◇◇




「それで、貴方の婚約者だと言う方はどこにいるのよ!?」


「その、もうすぐ来ますから落ち着いてお待ちください」


 あれから1週間後、僕は皇女からの婚約打診を断るべく、商会の応接間で彼女と対峙していた。


 まずは皇女をあまり刺激しないよう、二人で話し合おうとしたのだが、皇女は僕の婚約者という存在が相当気に入らないらしく、早く会わせろと言って聞かない。


 いくらアルマンドの親族とはいえ、こんなにピリピリした様子の皇女を前にして婚約者のフリをするなどできるのだろうかと心配になってくる。


(僕も今日が初対面だからな……。うまく婚約者の演技ができるといいが)


 皇女にビジネスライクな関係だと思われてしまうと、まだつけ入る隙があると判断されてしまいかねない。

 政略的な関係ではなく、互いに想い合っている仲──できれば僕の一目惚れのような(てい)でいくのがいいかもしれない。


 そんなことを考えていると、コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「遅くなって申し訳ございません。コルネリア・レンツィがまいりました」


「コ、コルネリアか! どうぞ入ってくれ」


 凛とした美しい声からして、コルネリアの芯の強さが窺える。

 彼女なら、この気性の激しそうな皇女に対しても毅然とした態度で振る舞ってくれるだろう。


 力強そうな味方が来てくれたことに感謝をして、コルネリアを迎え入れようと立ち上がる。


 そうして、ドアの向こうから姿を現したコルネリアを目にした途端、僕は驚きすぎてその場で倒れそうになった。


 コルネリアと名乗って入ってきた女性が、自分のよく知る人物そっくりの顔をしていたからだ。


(ア、アアアアルマンド!?)


 癖のない真っ直ぐな黒髪、賢さと色気を感じる紫色の瞳、気品ある佇まい。


 僕がうっかり妄想してしまった女性版アルマンドそのままの姿をしている。


(……いや落ち着け、そういえばアルマンドには妹がいると聞いた気がする。きっと彼女がそうだ)


 一瞬、アルマンドが女装してきたのかと思ったが、アルマンドがそんなことをするわけがないし、あまりジロジロ見ると失礼だが、コルネリアにはちゃんと女性の胸がついている。


(……それにしても、なんて美しい)


 理想のタイプのイメージが女性版アルマンドだった僕にとって、コルネリアの外見はまさに完璧だ。


 つい言葉を失って見惚れていると、コルネリアがやや戸惑った様子で声を掛けてきた。


「あの、ジェラルド様」


「あっ、すまない! あまりに綺麗だったからビックリして……」


 うっかり本音を口に出してしまうと、コルネリアのふっくらとした唇から「えっ」と小さな声が漏れ、驚いたように瞬いて長い睫毛が揺れる。

 その姿が恐ろしいほど可憐で色香があって、僕は思わず心臓を押さえた。


(ダメだ……可愛すぎて死ぬ……)


 神よ、奇跡の出会いをありがとうございますと、天に感謝を捧げていると、後ろから苛立たしげな声が聞こえてきた。


「それがジェラルドの婚約者なのね? どんな女かと思ってたら、背が高いだけの地味な女じゃない!」


 はぁ? お前の目は節穴か?


 と言い返したいところをグッと堪え、僕はにこやかな笑みを浮かべて返事する。


「皇女殿下、この方が僕の大切な婚約者のコルネリア・レンツィ嬢です」


「レンツィ子爵家の娘、コルネリアと申します。皇女殿下にお会いできて大変光栄に存じます」


 コルネリアが礼儀正しく淑女の礼をとる。

 優雅で洗練された所作が美しい。

 いつまでも眺めていたい気持ちになるが、まずは皇女との件を片付けることが優先だ。


 しかし、僕がコルネリアをエスコートしようとしたところで、皇女がハッと嘲るような笑いを漏らした。


「子爵家! 子爵家ですって? 侯爵家嫡男であるジェラルドと結婚するなら、せめて伯爵以上じゃなくては認める気にもならないわ! ジェラルド、やっぱりこんな女じゃなくて、わたくしと結婚すべきよ。そのほうが貴方のためになるに決まってる!」


 皇女がソファでふんぞりかえりながら、勝ち誇ったような表情を浮かべる。


 その姿が見るに耐えないほど醜く、コルネリアへの暴言も許せなくて、僕は初めて皇女に声を荒らげ──……ようとしたのだが、コルネリアがそれを制し、コツコツと靴音を立てながら落ち着き払った様子で皇女に近づいた。


「皇女殿下は私の存在だけではジェラルド様との婚約を諦めてはくださらないようですね」


「もちろんよ。貴女ごときがいたところで、何の障害にもならないわ!」


「左様でございますか。では、こちらならいかがですか?」


 コルネリアがクラッチバッグから書類を取り出してベアトリーチェ皇女の前で広げてみせる。


 その書類を見た途端、皇女の顔色が真っ青に変わった。


「こ、これ……どうして貴女が知ってるの……!?」


「ふふ、少し調べさせていただきました」


 コルネリアが上品に、しかしどこか妖しく微笑む。


「──皇女殿下はジェラルド様がお好きなのではなく、ご自分の不始末を隠すために、ジェラルド様を利用なさりたかったのですよね?」


「…………」


 さっきまで威勢の良かった皇女が、今は急に黙り込んだまま所在なさげに俯く。


 一体、コルネリアが見せた書類には何が書かれていたのだろうかと思っていると、コルネリアがこちらへと視線を移した。


「ジェラルド様にもお知りになる権利があるかと存じますのでご説明いたします」


「だ、だめ、言わないで……!」


 皇女が立ち上がって懇願するが、コルネリアはそれを無視して言葉を続ける。


「皇女殿下は今、他の男性の御子を身籠もっていらっしゃるのです」


「……は?」


 僕の口からは間の抜けた声が漏れ、皇女はずるずるとソファの上にへたり込んだ。


「ど、どういうことだ? 皇女にはまだ婚約者はいないはず。つまり、非公式の恋人との子供ができたってことか?」


「はい、その通りです」


「でも、それならその恋人と結婚してしまえばいい話なだけでは──」


「結婚が許されない相手ならどうです?」


「結婚が許されない──まさか、神官と……?」


 この国では神官の婚姻は禁じられている。

 皇女に目をやると、彼女は絶望した様子で項垂れていた。


「はい。私が調べたところ、皇女は神殿の神官と何度も密会しており、数日前にも会っていました。その神官の外見は、水色がかった銀髪に赤い瞳。ジェラルド様とまったく同じの珍しい色彩です。皇女殿下は、生まれた御子の髪と瞳の色がどちらも神官の遺伝だった場合を考えて、同じ色を持つジェラルド様と結婚なさろうとしていたのです」


「そうだったのか……」


 無言だった皇女がいつのまにか涙を流しながら口を開く。


「彼はわたくしを皇女と知らずに愛してくれたの……。わたくしにとって一番大事な人。だから、彼との子供は絶対に生みたい。でも、皇女と神官の子供なんて決して許されないから……」


 追い詰められた皇女が子供のように泣きじゃくる。


 おそらく、神官の中には隠れてどこぞの娘と関係を持ち、子供を作っている者など数えきれないほどいるだろう。


 しかし、相手が皇女となっては別だ。

 とうてい誤魔化しきれるものではない。


 どう声を掛ければいいのか分からずにいると、コルネリアが皇女の震える背中をそっと撫でた。


「皇女殿下は皇族の籍から抜けるご覚悟はおありですか? もしあるならば、レンツィ子爵家に殿下を迎え入れる用意がございます」


「ほ、本当……?」


「本当です。それに、神官様も神職を辞するおつもりがあるなら、おそらくジェラルド様が紹介に雇い入れてくださるはずです。学問を修めた教養ある人材は貴重ですから」


 コルネリアがちらりとこちらを見る。

 彼女の言っていることは一理あるし、ちょっといいところを見せたくなった僕はこくりとうなずく。


「レンツィ子爵家の娘と、商会の従業員という関係であれば、何の障害もございません」


「で、でも、元皇女と元神官がって後ろ指をさされて、子爵家や商会に迷惑をかけてしまうかもしれないわ……」


「我が家はそのような些細なことは気にいたしません」


「うちの商会だって、そんなことで業績が下がるほどヤワではありませんよ。それに皇室と神殿の双方にある意味恩を売れるわけですから、逆に大きなメリットがあるとも言えます」


「ううっ……二人とも、どうもありがとう……」


 皇女はひとしきり泣いた後、商会で人気の高級紅茶をすすり、「また後日連絡する」と言って帰っていった。




◇◇◇




「ありがとう、本当に助かったよ」


 コルネリアの調査のおかげで、皇女に利用されずに済んだし、逆に恩を着せることができた。


 冷静でありながら思いやりの気持ちも持ち、さらに損得も考えて行動できるところがアルマンドと似ていて、やはり兄妹なのだと思うのと同時に、ますます彼女への気持ちが膨らんでしまう。


 面倒事もとりあえず一段落したし、せっかく二人きりになれたのだから、これから親しくなれるようゆっくりお茶でも……と誘おうと思ったら、コルネリアは僕のほうを向いて綺麗なお辞儀をした。


「では、騒動も落ち着きましたし、私も失礼いたします」


「いやいやいや、ちょっと待ってくれないか。今後のことも話し合う必要があるし、そんな急いで帰らなくても……」


「その辺のことは兄と話してください。私の用はもう済みましたので」


 彼女は僕とゆっくり過ごすつもりなど微塵もないらしい。

 僕が引き止めるのをばっさり断って、まっすぐドアへと向かっていく。


 こういうところも兄妹そっくりだと思いつつ、今帰られてはもう二度とコルネリアに会えないような気がして、僕は必死で彼女に追いすがる。


「待ってくれ、コルネリア!」


 どうにか引き止めようと、彼女の腕を取って軽く引き寄せる──……つもりだったのだが、彼女の体があまりにも軽いのと、最近始めた筋トレで僕の腕力が上がっていたことが災いして、思った以上に勢いよく彼女を引き寄せてしまった。


「きゃっ……」


「危ないっ……!」


 コルネリアがバランスを崩して後ろに倒れ込む。

 それを支えようとするものの、慌てた僕はうっかり彼女のドレスの裾を踏んでしまい、二人揃って盛大に転んでしまった。


「だ、大丈夫か、コルネリア!?」


 とんでもない失態を後悔しつつ、コルネリアに怪我がないか急いで確認する。

 しかし、目に入った彼女の頭はあらぬ方向に曲がっていた。


「コッ、コココルネリア……!?」


 あまりの衝撃に泡を吹きそうになっていると、コルネリアが「ああ……」と溜め息をついて曲がった頭に手をやった。


「ウィッグがずれてしまいましたね」


 コルネリアがそう言って、長い黒髪を掴んではぎ取る。

 すると、たちまち見慣れた黒髪短髪の我が秘書、アルマンドの顔が現れた。


「ア、アルアルアルマンド!?」


 なんか今日はずっとこんな感じで驚いてばかりいる気がするが、驚くしかないので仕方ない。


「なんで、君、女装して……? いや、胸があるから違うのか……? あっ、変なところを見て申し訳ない……!」


 何が何だか分からなくてパニックになっていると、アルマンドなのかコルネリアなのか分からないが、とにかく僕の秘書が申し訳なさそうに眉を下げた。


「今まで騙してしまって申し訳ございません、ジェラルド様」




◇◇◇




 結論から言うと、僕の秘書は最初から正真正銘の女性だった。


 コルネリアから聞いた話はこうだ。


 元々は兄のアルマンドが秘書になる予定だったが、アルマンドは「自分探しの旅に出たい」と言って家を出て行ってしまった。


 この時点でもうおかしいのだが、妹のコルネリアもなかなかおかしかった。


 彼女は兄の代わりに秘書になろうとしたが、独身男性の秘書が若い女性なのはマズいのではないかと思い至り、ならばと髪を切りって男装し、兄アルマンドに成りきって僕の秘書を務めていたのだという。


 コルネリアがさっき皇女に「我が家はそのような些細なことは気にいたしません」と言っていたが、たしかにこれほど突拍子もない子供たちを抱える家なら、皇女が神官の子供を身籠るくらい、なんてことないかもしれない。


(それにしても……)


 事の経緯を理解した僕は溜め息をついた。


「全然気づかなかった……なんてことだ……」


 自分の見る目の無さに愕然とするが、ということは、アルマンドにドキドキしていたのは別に異常なことではなかったのだと思って安心もする。


 こちらに向き直って姿勢を正したコルネリアが僕の目を見つめる。


「私に秘書が務まるか不安もありましたが、やってみたら案外性に合っていまして、とても楽しかったです。このまま秘書の仕事を続けられればと思っていたのですが……」


 そうして、寂しそうに微笑んだ。


「正体がバレてしまっては、秘書は続けられません」


 そんな。

 コルネリアが……アルマンドが、僕の秘書を辞めてしまうなんて。


 僕はコルネリアの手をガシッと握りしめた。


「ダメだ、君みたいに優秀な人なんてなかなかいない。それに君だって本当は秘書の仕事を続けたいんだろう?」


「そ、それはそうですが……」


「そもそも、君が女だと知っているのは僕だけだ。このままアルマンドとして仕事を続ければいいじゃないか。君の正体がバレないように僕も協力する」


「えっ、よろしいのですか……?」


「もちろん」


 僕の反応が予想外だったのか、コルネリアが驚いたように目を丸くする。


「だから、秘書を辞めるなんて言わないで、明日からもまた僕を支えてくれないか?」


「……はい、承知いたしました」




◇◇◇




「おはようございます、ジェラルド様。こちら、本日の予定表でございます」


 コルネリアは、今日もアルマンド(・・・・・)として秘書の仕事をしてくれている。


 僕はまた彼と仕事ができるのが嬉しくて、にっこりと笑い返す。


「ありがとう、アルマンド」


「いえ、こちらこそありがとうございます。ジェラルド様の寛大なご配慮に感謝いたします」


「はは、優秀な人材を簡単に手放したくはないからな」


 僕は爽やかに笑って、今日の予定表に目を通す。


(──優秀な人材を手放したくないのは本当だ)


 でも、それだけじゃない。


(だって、アルマンドがコルネリアに戻ってしまったら、有象無象の男たちが殺到するに決まっている……!!)


 きっとコルネリアは相手にしないだろうが、そんな奴らの目に触れることすら、僕は許せそうにない。


 だから、コルネリアが僕以外の男に狙われることのないよう、もうしばらくアルマンドのままでいてもらうのだ。


 いつか僕がコルネリアを振り向かせて、婚約者になってもらうその日まで。


(本当に欲しいものを手に入れるためには、手段を選んではいられないからな)


「あ、アルマンド。ネクタイが曲がっているぞ」


「えっ、失礼いたしました。……ですが、あの、ジェラルド様」


「ん? なんだ?」


「ネクタイを直していただけるのはありがたいのですが、ちょっとお顔が近すぎる気が」


「ああ、最近疲れ目のせいか、顔を近づけないと見えにくくて。仕方ないんだ」


「左様でございましたか」


「ほらできた。じゃあ、朝の会議の準備を頼む」


「かしこまりました」


 予定表を確認するフリをしながら、てきぱきと仕事に励むアルマンドをこっそり眺める。


(できれば早く相思相愛になりたいところだが……)


 この距離感もなかなか悪くないなと、僕はひとり微笑んだ。




お読みいただいてありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
この作者さんの作品は基本的に何でも好きなんですが、BLはちょっと好きでは無かったです… すみません。あくまで個人的な好みの問題なんですが。
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